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7. 重なる偶然-2

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「起きてたのか?」

 食事の準備が終わり部屋へ戻ってみると、ベッドに横になったまま、水野は窓の外をジッと見てた。

「うん、寝すぎたからね」
「熱は?」
「……7度4分」
「まだ少しあるな。あっちにメシ用意したから、ちょっとでもいいから腹に入れろ。それとも此処で食うか?」
「ありがと。大丈夫、起きれるから向こうに行く」

 水野は上半身を起こし、少し肌蹴た胸元を直すと、ゆっくりとベッドから降りた。しかし、その足下はふらついている。

「大丈夫かよ。危なっかしいな」

 見ていられず、ふらふらする水野の身体をヒョイと持ち上げる。

「ちょっと、降ろしてってば」

 肩に担がれ暴れる水野だが、そんな力じゃ痛くもない。

「倒れてタンスの角にでも頭ぶつけたらどうすんだよ。俺の睡眠奪って、また看病させる気か?」

「このだだっ広い部屋に、タンスなんて見当たらないんだけど? 何だかんだ言って、私にボディータッチしたいだけなんじゃないの?」

「アホか! これは人助けって言うんだ。頭いいくせにそんな事も分かんないのかよ」

「変態教師のセクハラに遭ってるのかと思った」

「てめっ」

 身体に力は入らないくせに、口だけは忙しなく動かせるようになった水野に、何故だか俺はホッとしていた。



「……意外」

 テーブルに並べられた食事を見て、失礼極まりない小悪魔が呟く。

「何が?」
「敬介、料理作れるんだって感心してるの。私の中のイメージじゃ、女性を食い散らかすイメージはあっても、料理が出来る男には見えなかったから」

 最低なイメージが、お前の頭ん中には植え付けられてるんだな。
 あんな場面を見られちゃ、何を言っても言い訳にしかならねぇし、本当なだけに返す言葉も見つからないのが辛いところだ。

「くだらないこと言ってないで、さっさと食えよ」
「うん。頂きます……ん……美味しい」
「そっか。一杯食えよ。もう少し食って太れ」
「出た、セクハラ発言」

 顔色一つ変えずに淡々と話す水野。

 ふざけて言うなら兎も角、そんな真顔で言われると、本気で俺がセクハラしてるみたいじゃねぇかよ。

「あのな、俺は心配して言ってやってんの。お前、軽過ぎだぞ。ちゃんとメシ食ってんのか? 一人暮らしだからって、適当に済ましてるんじゃねーの?」
「食べてるよ。でもあまり太る体質じゃないの。出てるとこは出てるんだけどね」
「そりゃ分かるけど……あっ、」

 今、俺は墓穴を掘らなかったか?

「分かるけど?」

 ねっとりとした口調で語尾を上げた水野はニヤリと笑った。

「やっぱり敬介見たんだ。私の出てるとこ」
「バカ、ちげーよ! んなのは服の上からでも分かんだろ」
「沢谷先生って、そんな所まで良く見てるんだね」

 ああ言えばこう言う奴だ。しかも、先生と名前とを使い分けやがって。
 食欲喪失しかかりながら、無理矢理食べ物を口に運び、誤魔化す自分が情けない。

「それより、明日からテストなんだぞ。具合悪いのにあんなとこで男と会ってる場合じゃないだろ。体調管理ぐらいきちんとしろ」
「ふふっ。都合悪くなって、話すり替えたね」

 俺の心理は読まないでくれないだろうか。

    あまり食欲がないのか、野菜スープを飲んでいたスプーンを置くと、きっぱりと水野は断言した。

「今度のテストもトップは譲らない」

 そんなにトップを守りたいなら、大事な時に何であんな場所にいた?

 昨日は夜の街に繰り出していた上に、熱で勉強なんて出来る状態ではなかった。具合悪い以前に男と会っている場合じゃないだろ。
 そもそもこいつは、何で好きでもない男と付き合ってたんだ?
    理解しきれない水野に、溢れ出す疑問を投げかけた。

「そんなにトップになるのが大事か?」
「大事よ。周りもそう望んでるでしょ?」

 周りか……。

 コイツの親がそう望んでるのだろうか。いや、それだけじゃない。間違いなく学校側も望んでいる。水野なら有名な大学に進学するんじゃないかと、絶対にそうなって欲しいと願っている。学校の名声の為に……。

「じゃ、何であんな所にいた?」
「しつこく付き纏われた男を切る為。モタモタしてられないもんね」

 思い出したように付け足し、モタモタを強調するな。

「モタモタしようが、試験前に会う必要はないだろ。そんなんでトップ保守出来んのか?」
「大丈夫でしょ。私、天才? だから」

 矢継ぎ早の質問にも、笑顔でサラリと答えていたはずの水野は、次の質問で表情を変えた。

「お前って、いつもあんな風に男と付き合ってるのか?」

 口を閉ざした水野は、代わりに大きな瞳をパチパチと動かし、不思議そうに首を捻った。



 ……何だよ、流れるこの静かな時間が居心地悪いだろ。何とか言えよ。

「ふ~ん」

 やっと沈黙の時を破ってくれたと思ったら、出て来たのは曖昧な声。

「何か言いたげだな」
「そうじゃないけど、敬介がそんなこと聞いてくるとは思わなかったから。あんな風な付き合いが普通だと思ってる人に不思議がられる方が不思議。だって、敬介も私と同じ考えの人でしょ? 違う?」

 逆に切り返されはしたが、その答えに何を求められているのかは理解出来る。
 これが他の女に出す答えなら容易い。体の関係だけで充分だと、答えることも出来ただろう。だが、相手は生徒。教師として認めて貰えない相手であっても、俺がどんな奴かばれていようとも、たったそれだけの事実は意外と大きく、口にする事に躊躇いが生じる。
 そんな俺を代弁するかのように、水野は口を開いた。

「つまらない時間をやり過ごす為だけの事。そこに感情は必要ないし、それを悪いだなんて思わない……そう言う事だよね?」

 呆気ないまでに、日頃自分が思っていることを、仮にも教師である俺に、いとも簡単に言い放った。
 こんな女は、割り切った関係の中ではいくらでもいた。でも、水野は俺の生徒だ。生徒である水野が言っているという現実に、俺は歯痒さを感じていた。
 この歯痒さが何なのかは分からない。一つ分かるとすれば、それはどんな綺麗事を並べ立てても、水野には通用しないという事。コイツが教師と生徒と言う壁を持つつもりがないのなら、俺も取っ払うか。普段は本音もホントの姿も隠してるはずのお前が、何の躊躇いもなく、人に否定されてもおかしくない事を口にしたんだから。きっと、自分と同じ匂いのする俺だから言えたんだろう。

「お前、屈折してんな。俺も同じだ。それだけに不気味」
「“普通” とされている恋愛だって、充分屈折してるじゃない」

 何処を見るでもなく、俺から視線を外し宙をさ迷わせた水野は、更に言葉を重ねた。

「好きだ何だ言ったって、自分の思い通りにならない出来事にぶち当たれば、簡単に怒りに変わるし憎しみにも変わる。愛情も憎しみも紙一重なんだし」

「そんなもの求めて感情揺さぶられた挙句、時間を奪われるのはバカらしいってことか?」

「そう」

 よく分かってんだな、全く同感だが。

「それって、そう言う恋愛をした事があるって事だよな? 経験があったからこそ知り得たもんだろ」

 俺の問い掛けに、無表情のまま彷徨っていた瞳は俺の視線の前で止まり、答える代わりに悲しげにフッと微笑むと、水野は再び視線を外した。

 無言での肯定か……。

 その過去が今もまだコイツを苦しめ、傷口が塞がらずにいたなんて、この時の俺は、まだ何も知らずにいた。


「だけど、お前は女だから……」

 悲しみを帯びた顔を垣間見て、思わずそんな言葉が口をついて出た。

「だから何?」
「あまり無茶はすんな。男と女じゃ根本的に違う。男は感情と肉体を切り離す事は出来ても、女はそれだけで済まされないこともあるだろ。体の造りも違うから傷を負うことだってあるんだし」
「うわっ、教師っぽいこと言ってる」

 そうおどけて見せる水野だけど、そんなんじゃない。教師として言ったつもりは微塵もない。

「別に教師として言ったんじゃねぇよ」
「じゃ、何よ?」

 何って言われても俺にだって分からない。唯、つい数分前に見た悲しげな表情と、昨夜涙を流していた水野の姿がリンクして、気付いた時には、自然に言葉が漏れ出ていた。
 強いのか弱いのか、見定めが付かない女を前にし、俺の中に自分でも理解し難い何かが生まれた気がした。それを俺自身受け入れたくなくて、水野に悟られたくなくて、里美と言う存在で全てを濁す。

「あのな、俺にも良く分からないが、自分の居場所ってのがあるらしい。本気で好きになると見つかるらしいから、水野はまだ若いんだし、そういう奴が現れた時に後悔しないように、自分を大事にしてやった方がいいんだと思う…………多分」

 目の前の女は、大きな瞳を最大限に見開いたと思ったら、今度は声を出して笑い出した。

「何なの、その曖昧な言い方。それって誰の受け売り?」
「あ? 割り切って長いこと付き合ってた女。好きな奴が出来た途端、俺に説教してきやがった」

 更に笑いは大きくなり、涙まで滲ませている。

「想像すると笑えるんだけど。敬介の虚しい姿が目に浮ぶ」
「てめ、俺の言いたいのはそこじゃねーだろ! 女は男で変わりもするって事だ!」

 勝手に想像して、人を哀れんでんじゃねーよ!

 どう言う絵図らを想像しているのかは知らないが、相当水野のツボに嵌ったらしい。
 あまりの笑いすぎに、自分でもらしくないと思ったのか、必死になって笑いを噛み殺している。その様子を見ていた俺もまた、つられるように笑ってしまった。悲しげな表情されるより、よっぽどいい。

「そんなに笑えるくらい元気なら、もっと喰え」

 コクリと頷いた水野は、スプーンを手に持つと落ち着かせるように一息吐き、暫くしてからスープ掬って口へと運んだ。
 他のものは口にしなかったものの、野菜スープは残さず全部食べてくれた。

「食後に何か飲み物でもいれるか? 何がいい? 女子高生って何が好きなんだ? オレンジジュースとか、ココアとかそんなんがいいか? ホットミルクもあるぞ?」
「コーヒーがいい」
「何だ、コーヒーでいいのかよ。砂糖は3杯くらい?」
「ブラックで」
「女子高生って、甘いのが好きなんじゃねぇの?」
「あのさ、女子高生って、ひと括くくりで見るの止めてくれない? 私は奈央って言う一人の人間なの。私は私、奈央なの」

 やけに強調しているようにも感じたが、さして気にも留めなかった。
 ましてや苗字ではなく、フルネームでもなく、自分の名前だけを強調した意味など考えもせずに、ただ俺はそれに従った。

「ほら、奈央。コーヒー入ったぞ」

 豆選びやローストにまで拘ったコーヒー。それを美味しいと何度も言って飲んでくれた奈央に、俺のコーヒーは大絶賛を受けた。





「もう大丈夫」
「ダメだっ!」
「しつこいよ」
「可愛くねぇな」
「一人で帰れるって言ってるでしょ」
「まだ熱あるのに何言ってんだ!送ってく」

 食事が終わり数十分後。食器を洗うと言い張る奈央を、具合が悪い時はそんな事しないでいいとキッチンから追い出し、何とか説き伏せたのも束の間。今度は玄関先で、帰ると言い出した奈央と俺との押し問答が繰り広げられている。
 送っていくと言う俺に、それを拒絶する奈央。

「此処から近いんだってば!」
「だからって一人で帰せるはずないだろ。まだ体力だってないんだし」
「ホントに大丈夫!」
「誰かに見られても面倒だから、車に乗ってけ」
「もう、人の話聞いてよ! 私は断ってるの!」

 俺の住んでる部屋は最上階。このフロアには俺を含めて2世帯しか入っていない。
 専用のエレベーターがあるから、直通で地下の駐車場まで下りて車に乗り込めば、他人の目も気にならないだろう。
 誰が見てるか分からないし、見られたら誤解を受けかねない。

「行くぞ」

 ドアを開け、奈央の腕を掴み外に出す。
 車のキーを、玄関に置いてある籠から取り出し、俺もドアの外に出て鍵を掛け歩き出した。

「部屋でお茶でも飲んでく?」
「いや、いい」

 散々一人で帰ると喚いていたはずなのに、お茶に誘うだなんて、どういう心変わりだ?

「そう言わずに飲んでけば?」

 エレベータに向かって歩く俺の背中に、またも奈央からの誘いが掛かる。

「いいから。家に着いたら直ぐに寝ろ」

 振り返った俺に「遠慮せずにどうぞ」と、言葉が続く。
 しかも無愛想に、諦めなる盛大の溜息をひとつ吐き、立ち止まって俺を見ている。
 水野が立ち止まった場所は、このフロアにもう一つある部屋のドアの前。その扉を開け、気だるそうに寄りかかりながら、手をスライドさせて「どうぞ」と、立ち尽くす俺を促した。


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