上 下
1 / 113

1. 日常-1

しおりを挟む
「ほら!席に着きなさい!!」

 ───体は小さいのに、良くそんな大きな声が出るもんだ。やっぱり、教師ってもんは声がでかい方がいいのか?

 2-A組、担任の女性教師、福島先生の響き渡る声で静まる教室を見渡しながら、これからこのクラスの副担任となる俺は、生徒の顔を一人一人確認していた。

「今日から、産休に入られた小泉先生に代わって、副担をして貰う事になった沢谷敬介さわたにけいすけ先生よ。残り数ヶ月だけど、沢谷先生と私を困らせないように、皆も頼んだわよ」

「先生からも一言どうぞ」と、福島先生が退いた教壇に促され、生徒達からの視線を一斉に浴びながら、ありきたりな言葉を吐く。

「もう2学期も終わりだし、短い期間だけど宜しくな」

 教師1年目の俺は数学教師。
 この学校では、同じクラスでも標準コースと特進コースに別れ数学の授業を受けることになっていて、二年の標準コースを受け持っている俺は、見知った顔も多い。
 つまり、知らない生徒の殆どは、俺の受け持ちではない、デキの良い奴等だ。
 中でも、一年の途中から都内でも有数の進学校と言われるうちの高校に転入して来て以来、常に学年トップをキープしていると言う、教師達からも一目置かれている奴がいる。
 教師だけではない。そいつは、生徒達からも注目の的だ。
 決して、自ら前に出て行くタイプでもないのに、そこに居るだけで存在感のあるそいつ。
 小さな顔に、吸い込まれそうなふたつのブラウンの瞳。スーッと通った鼻筋。色白のせいで余計に目立つ、赤い唇。瞳と同じ色で、天使の輪がくっきりと浮ぶサラサラな長いストレート。
 どれを取っても完璧な容姿。
 下手な芸能人より、よっぽど見栄えがいいそいつの名は……水野奈央みずのなお


 水野奈央の存在は、教室を見渡し時に直ぐに気付いた。遠目から見た事はあったが、こうして近くで見るのは初めてだ。まあ、言われるだけの事はある。評判通りの美貌だった。

 教師ですら水野に目を奪われてる奴もいるらしい。教頭自らが、くれぐれも恋愛感情なんて抱かないよう注意してきたほどだ。

 だが、綺麗なものは綺麗と認めつつも、それ以上の感情を探せと言われたところで、俺には無理だろう。

「ねぇ、沢谷先生彼女いるの~?」

 甲高い声で俺に向けられる女子生徒からの質問。その質問と同時に、そわそわし始めた女子生徒たちを普通とするならば、確かに水野はそれとは違う。

「いきなりそんな質問かよ。ま、恋人ならいるけど」

 くだらない質問に内心辟易しながらも、普通とする女子生徒達に一応答えとく。不特定多数だけどな……って事実は、胸にしまって。

 俺の答えに一段と高い声でギャアギャア騒ぐ女子達に対して、男子生徒は呆れ顔だ。
 そして……。まるで人形のように整った綺麗な顔で静かに微笑するだけの水野は、女子が騒ぐこの場では浮いている存在なのかもしれない。



 福島先生の響き渡る声で再び静まり返る教室を後にすれば、またいつもと同じ日常が始る。
 授業をして、休み時間には女子生徒に囲まれて……。午後からの授業が終われば、放課後には勉強を教えて欲しいと言う名目で言い寄って来る女子生徒を交わしながら、職員室では煩い教頭の話を上手く受け流す。
 これが教師としての在り来たりな俺の日常だ。
 別に、こんな毎日がイヤなわけではない。かと言って、満足かと問われれば、満たされない何かが常に燻っている気がする。

 特別に望んで就いた職でもない。本来、教職者にあるべき人間じゃない自覚もある。ただ、昔から学校が好きだった。家にいるより学校に安らぎを求めた。だから大人になっても、その場所に逃げただけ。
 生徒には戻れない俺は、教師となってこの場にいることを人生の選択肢としただけだった。





 俺が2-Aの副担になって5日が過ぎた。
 特別変わった事は何一つないが、教師である以上、気を引き締めなきゃならない事も山ほどある。それを継続するってのは大変なわけで……。他の先生や生徒の目を盗んでは、屋上の片隅で煙草を吸いながら束の間の休息を自分に与えていたりする。

 普段から立ち入り禁止だと生徒達には口を酸っぱくして言っているせいか、この屋上に入って来る奴は殆ど居ない。

 居ないはずなんだが……

 突然にバタン! と、威勢良く開かれた扉の音が響き渡る。

 ────誰だ?

 タンクの裏にいる俺からは、入って来た人物が誰なのか視界に入らない。それでも、相手は俺が此処にいるのを知ってるかのように、その足音はどんどんとこちらへと近付いてくる。

「先生、見っけ!」

 ニッコリ笑い俺を指差す女子生徒の足が、俺の目の前でピタリと止まった。

「何やってんだよ、お前は」
「えへへ、先生の後つけてきちゃった!」

 えへへ……って、可愛さアピールしてるのかは知らないが、後をつけて来たってだけで引いたのは確かだ。

「授業はどうした?」

「自習になったんだよね。だから抜けて来た。これもサボりになる?」

「何で疑問系にするかが疑問なくらいだ! 間違いなくさサボリだろ!」

「だって……」

 モジモジし出したこの生徒は、うちのクラスの確か……川島?……だったと思う。


「兎に角、今は授業中だ。直ぐに教室に戻りなさい」

 クラスの生徒の名も、まだあやふやにしか覚えてないな癖して、教師らしい振る舞いで宥め聞かす。

「先生もさぼってるんでしょ?」

「俺はこの時間授業ないんだよ。一服終わったらまた資料作りに戻るし。だから、お前も早く戻れ」

「だって、こうでもしなきゃ先生に近づけないじゃん! いつもいつも周りには他の子達がいるし」

 イヤな状況だ。教師と生徒なんだから、必要以上に近付く意味も理由もないのだと、何故分からない。

「お前、特進コースだろ? 分かんない所は、特進担当の先生に聞けよ」

 吸いかけの煙草を携帯灰皿に擦りつけ、こいつが授業の事で聞きに来たわけじゃないのを知りながら、この場から離れようと足を踏み出した。

「待って、先生!」
「悪いけど、待てないな」

 川島の声には振り返らず、扉に向かい歩いていた俺の腕に力が加わる。

 ───引き摺って歩くか?……って、まさかそんな事も出来ねぇし。

「この腕、離して貰えるか?」
「イヤ」

 俺の左腕に自分の両腕を絡ませ顔を埋める川島に、立ち止まってお願いしても、こいつも必死らしく離して貰えそうにない。

「一体、どうした?」

 本当なら聞きたくなんかない。どっちみち聞いたところで、こいつの願いは叶う筈ないんだから。

「わ、私ね? 先生が……好き」

 やっぱりな、と想像通り過ぎて内心で嘆息する。

「悪いが、その気持ちには応えられない」

「今すぐ返事しないで! 先生、私の事なんて何も知らないでしょ? だから、ゆっくりこれから私を見て欲しい」

 ────何も知らない? あぁ、知らないなかもな。でもたった一つ分かることがあんだよ。それは、お前も俺を知らないってこと。教師って面をつけた俺しか、生徒であるお前達は知らないんだよ。

 でも、それが普通だ。
 教師なんて職業、生徒の前で言える本音なんて限られている。そんな大人に憧れるのは自由だ。でもな、それを自分の願望に乗っけて恋愛まで持ってくな。
 生憎、教師以前に俺は、いくら想いをぶつけられても何の感情も湧いてきやしない。
 それでも、こうやって言われてしまえば教師を盾に答えるしかない。

「これから先も、お前を特別な目で見ることはない。俺は教師だ。可愛い生徒の一人としか見れないよ」

 こうしてまた、本音を伝えず教師として振舞う。本当は、恋愛なんか出来ない欠陥人間なんだと、内に隠して。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

粗暴で優しい幼馴染彼氏はおっとり系彼女を好きすぎる

春音優月
恋愛
おっとりふわふわ大学生の一色のどかは、中学生の時から付き合っている幼馴染彼氏の黒瀬逸希と同棲中。態度や口は荒っぽい逸希だけど、のどかへの愛は大きすぎるほど。 幸せいっぱいなはずなのに、逸希から一度も「好き」と言われてないことに気がついてしまって……? 幼馴染大学生の糖度高めなショートストーリー。 2024.03.06 イラスト:雪緒さま

最後の恋って、なに?~Happy wedding?~

氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた――― ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。 それは同棲の話が出ていた矢先だった。 凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。 ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。 実は彼、厄介な事に大の女嫌いで―― 元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

処理中です...