Innocent

本宮瑚子

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Side-A イノセント<真実>

7.

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「生温くなっちまったな」 

    そう声を掛けられ目を開ければ、時間が経ち過ぎて温くなったイチゴミルクを下げられて、新たにジンジャーエールの入ったグラスが差し出された。 

「こっちの方がスッキリすんだろ」 

    気泡を眺めるだけのあたしに、呑気にもそんな事を言う響ちゃんは、さっさと店の準備を始める。絞ったオレンジをピッチャーに移して冷蔵庫に閉まって、あたしの場所だけを避けてカウンターを磨いて⋯⋯。 
    いつもと変わらない様子で、響ちゃんは店内をキビキビと動き回っている。 
    どうやら、話すだけ話して、スッキリしたのは響ちゃんの方らしい。ジンジャーエールなんかで、気分が変わるはずもないあたしとは違う。一度住み着いたモヤモヤを消せないあたしとは、全く違う。
    でも、どうにかあたしの機嫌を直そうとしているのだけは分かる。どんよりと分かりやすく落ち込むあたしのテンションを、少しでも上げるためにジンジャーエールも出したんだと思う。
    それがハッキリ分かったのは、響ちゃんが一段落して腕時計に目をやった時だった。 


『さっさと帰れとでも言いたいの?』視線だけで語るあたしに、響ちゃんは苦笑しながら言った。 

「望がもう直ぐ来る」 
「えっ? 此処に?」 
「アイツ、今夜出掛ける予定があんだよ。その前に寄るって言ってたから、もう直ぐ来る頃だと思う」 

    だから、ノンちゃんの手前、こんな落ち込んでいられちゃ困るってことらしい。更には、ついさっきまで語られてた話も言うんじゃないぞ、という姑息な考えも、言外に匂わせているのだと思う。 
    だったら、何であんな話をしたの? って、怒りを乗せた目で抗議をしようとした時。ドアの向こう側で、エレベータがこの階に停まる音が小さな耳に入って、 響ちゃんに向けるはずの視線をドアへと向けた。

「あ、七海~。遊びに来てたんだ~」 

    響ちゃんが言った通り、大好きなノンちゃんが顔を出し、あたしは最大限に丸くした目を慌てて反らす。

「七海……? どうかした?」 

    そんなあたしに、直ぐにそう訊いて来たのはノンちゃんだ。 
    大袈裟ともとれるほど動揺を隠せないあたしに、ノンちゃんが不審がるのも無理はない。
    あたしの背後に来たノンちゃんは、肩に手を置き心配そうに顔を覗き込んでくる。 
    そんなノンちゃんを直視出来ないのは、当然、響ちゃんから訊いたばかりの話が頭から離れなかったせいで、ノンちゃんの顔を見てしまえば、余計に悔しさやら、切なさが込み上げてきそうで、見たくても見れやしない。 
    だけど、ノンちゃんをひと目見た時に、返す言い訳は見つけていた。簡単に言い訳が見つけられるほど、いつもと違うノンちゃんがそこにはいたからだ。 

「だ、だって……ノンちゃんいつもと違うんだもん。……凄く綺麗」 

    俯いたまま見つけた言い訳を小さな声に乗せる。 


    きっと、響ちゃんから一華さんの話を訊いてなかったとしても、今日のノンちゃんを見たら、あまりの綺麗さにあたしは直視出来なかったと思う。 
    完璧なメイクは、ドジで天然なノンちゃんの本来の姿を隠している。それほどまでに、普段のナチュラル感とは違い、綺麗に着飾っているノンちゃんは眩しかった。

「そう? ありがとう。お花のアレンジを卸してるお店のパーティーにお呼ばれしてるから、ちょっとだけ頑張っちゃったのよ……」 

    そう尻すぼみに言ったノンちゃんにチラッと目を向ければ、照れ臭そうに顔を赤らめている。あたしの言い訳を信じてくれたらしい。 
    勿論、綺麗だと言った言葉に少しの嘘も混じってはいない。だけど、それを理由に隠した真実までには気付かないノンちゃんは、恥ずかしそうにカウンターの中の響ちゃんへと駆け寄ると、二人で何やら話し出した。 
    ノンちゃんが離れた事で、少しだけ冷静になれたあたしは、そんな二人を眺め見る。 
    上品な黒のパーティードレスを纏ったノンちゃん。いつも下ろされてることが多い髪は、ルーズな感じでアップに纏められている。 
    瞳にはアイラインが引かれ、長い睫毛とともに、いつも以上に大きく見える瞳のノンちゃんは、口元にはヌードカラーのグロスを乗せて、溜息が出るほど本当に綺麗だった。 


    綺麗な瞳でノンちゃんは響ちゃんを見上げている。 
    そんなノンちゃんの腰を抱き寄せ、耳元で話し掛ける響ちゃんは何も変わらない。鼻の下を伸ばしきって、愛おしげにノンちゃんを見つめるのも、いつも通りの響ちゃんの姿だ。 
    それは、とてもあんな衝撃告白をした人物とは思えないほどで、ノンちゃんだけを愛してるんだと、あたしに錯覚さえ覚えさせる。 
    こんな二人の姿は、今まで当たり前の様に何度となく見て来た。相思相愛の姿に、嫉妬すら感じるほど羨ましく思いながら見て来た。 
    なのに今日は、この光景が物悲しい。 
    こんなにも綺麗な奥さんがいるのに、どうしてノンちゃんだけじゃダメなのか。はたから見れば、誰も邪魔なんて出来ないほど幸せそうに映るのに……。 
    いつか響ちゃんは、ノンちゃんだけを見てくれるようになるのだろうか。
    ぐるぐると思考を巡らすあたしと、二人の世界を作り出してるようにも見える響ちゃんとノンちゃん。 
    そんなあたし達を我に返らせたのは、 

「アレ? まだ開店前だったかなぁ?」 

    ドアを開け店に入って来た、OL風のお客さんだった。



「大丈夫ですよ、いらっしゃいませ」 

    ノンちゃんの腰に回していた手を素早く離し、お客さんを招き入れる響ちゃん。 
    ノンちゃんも、「いらっしゃいませ」 と、お客さんに笑顔を見せると、カウンターから出て、あたしの方へと近づいてくる。 

「七海、一緒に駅まで行こうか?」 

    ノンちゃんの促しに素直に頷いたあたしは、口をつけなかったジンジャーエールを残したまま、椅子から飛び下りた。 
    その途端、 

「わぁー、その制服懐かしいっ!」 

    店内に明るい声が響いた。 
    声の主は、カウンター席に腰を落ち着かせたお客さんで、 

「私も、そこ通ってたんだよねぇ」 

    あたしの制服を見て、学校を特定したらしい。しかも、どうやらあたしの学校の卒業生らしかった。
    お客さんでもあるし先輩ならばと、ペコリと頭を下げつつもいぶかしむ。
 
    ──この客は響ちゃん狙いなのか、と。
 
    その証拠に、頭を下げたあたしに、ニッコリと嫌味のない笑顔を返してはくれたものの、

「初々しかった当時の私を、マスターにも見せてあげたかったなぁ。あまりの可愛さに見惚れちゃうかもよ?」 

    視線はとっくに響ちゃん一筋に向けられ、弾む声を隠そうともしない。
    黙っていれば綺麗な部類に入るだろうに、勿体ないと思う。見た目より大雑把な性格なのか、アハハハって豪快に笑うのは、あまりにも勿体ないと思う。 
    何より、 

「今でも充分、可愛らしいと思いますけどね」

    平気な顔してこんな台詞を簡単に言えちゃう元ホストに、笑顔を振り撒くのは勿体なさ過ぎる。 

「うわーっ、私の周りにいる男共に訊かせてやりたい台詞だわ」 

    喜ぶお客さんの前に、笑顔で生ビールを置く響ちゃんを見て、冷めた視線を一つ溢すと、

「ノンちゃん行こっ!」 
「うん。ごゆっくりなさってて下さいね」

     柔らかな笑みで、お客さんに声を掛けるノンちゃんの腕を掴んで店を出た。


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