BL短編集【R18】

有喜多亜里

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それはないだろう!

1 さよなら平凡ライフ

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 平凡は至高である。
 少なくとも、俺にとってはそうである。異論は認めない。
 葉桜の下、学内のベンチで一人、売店で買った焼きそばパンを食す。
 誰にも注目されない。声もかけられない。実に素晴らしい。
 心の片隅にそれは平凡とは言えないんじゃないかという疑念も湧くが、それは無視して焼きそばパンを囓る。
 青い空。白い雲。時折吹く爽快な風。
 ああ、今日も平穏だ。そう感動しながらペットボトルの緑茶を口に含んだときだった。
 ぞろぞろと歩いていた学生たちの中から長身の男が飛び出してきて、こちらに向かって駆けてきた。
 たぶん、新入生だろう。白いシャツにブルージーンズ。服装はいたってシンプルだが、あれだけスタイルがよければ、昔ながらのジャージだって格好よく見えてしまうだろう。
 いずれにせよ、俺とは別世界の人間だ。俺は焼きそばパンを持ったまま、その男がベンチの横を通り過ぎるのを待った。
 しかし、男はベンチの前――俺の一メートルくらい手前でぴたりと立ち止まると、いきなり片膝をついてひざまずいた。
 何だ何だ。百円玉でも落ちていたか。
 思わず石畳に目をやると、その男が顔を上げ、明らかに俺を見た。
 整形疑惑を抱いてしまうくらい、凜とした顔立ちの男である。剣道だとか弓道だとか、そっち系の武道をしていそうな雰囲気だ。
 やっぱり俺とは別世界の人間だな。そう思って見つめ返した瞬間、男は泣き笑いのような表情を浮かべた。

「お館様……!」

 決して大きくはなかったが、喉から絞り出したようなその低い声は、俺の耳にもしっかり届いた。

「お迎えが遅くなり、誠に申し訳……!」

 それだけ言って、男はうつむき、肩を震わせて泣きはじめた。
 新入生いじめをしているとでも思われているのだろうか。周囲の視線が痛すぎる。
 まだ半分も食べていなかった焼きそばパンを握りしめ、俺は心の中で呟いた。
 ――さよなら。俺の平凡ライフ。

   *

 とにかく、ここでこれ以上目立ちたくない。
 そう考えた俺は、焼きそばパンとペットボトルをポリ袋の中に放りこみ、無言で男の右腕をつかんで立たせると、そこから自分のアパートまで強引に引っ張っていった。
 幸か不幸か、俺が住んでいるアパートは大学のすぐ近くにある。築三十三年の軽量鉄骨造で二階建て。一階奥のひときわ日当たりの悪い部屋が俺の部屋だ。
 その間、男は何も言わず、俺に引っ張られるまま歩いていたが、俺が玄関ドアを解錠して、先に中に入るよう促すと、いったい何のスイッチが入ってしまったのか、いきなり俺に抱きついてきた。

「お館様! お館様! お館様!」
「いいかげんにしろ! 俺の名前はくらかわあつし! 大工の親方みたいに呼ぶんじゃねえ!」

 柔軟剤の匂いなのか、顔だけでなく体臭も爽やかだったが、男に抱きしめられて喜ぶ趣味は俺にはない。しかし、男は俺より頭半分以上背が高く、筋力もあった。インドア派の俺にはとても振りほどけそうもない。
 だが、意外なことに男はパッと手を離すと、また片膝をついて俺の足元にひざまずいた。

「申し訳ございません! 嬉しさのあまり、ついご無礼を……!」
「ほんとにご無礼だよ。あと、ここでひざまずくな。どうしてもひざまずきたかったら、部屋の中でいくらでもひざまずけ」

 そう。こうなることが怖かったから、自分の部屋以外にこの男を連れてこられなかったのだ。
 真っ先に照明をつけた後、きょろきょろと室内を見回している男を、つい最近までコタツだった座卓の前に座らせた。床にはまだラグが敷いてあるので、座布団がなくても痛くはないはずだ。
 昼間でも照明が必要なこの部屋には、急須も湯飲みもない。非常に不本意な客ではあるが、たまたま冷蔵庫の中にあった缶コーヒーを男の前に置き、俺は自分専用の長座布団が置いてある隣席に腰を下ろした。

「飲みたきゃ飲め。飲みたくなかったら飲むな」

 やはり何か武道でもしているのか、背筋を伸ばして正座していた男は、じっと缶コーヒーを見つめてから真顔で言った。

「飲まずに持ち帰ってもいいですか?」
「いいけど、何で?」
「お……倉川様から初めて頂戴したものなので、持ち帰って永久保存しようかと……」
「……まあ、持ち帰ったものをどうしようとおまえの勝手だな。とりあえず、話をしよう。まず、おまえの名前は?」

 男はなぜか、とまどったように首をかしげた。

「あの……今の名前……ですよね?」
「改名してるのか?」
「いえ、今の名前は生まれたときから同じです」

 そう前置きして、ようやく名乗った名前はひろたか。やはり、今春入学したばかりの一年生で、うちの大学を志望したのは、なんとここに俺がいそうだと思ったから。
 そんな理由で志望校を決めるのはいかがなものかと二年先輩の俺は思ったが、いざというときには実家から通えそうだからと決めた俺も五十歩百歩かもしれない。

「これまでも、そのように自分の行き先を決めてまいりましたが……ようやく、ようやく勘が当たりました……」

 よほど外れつづけてきたのか、加瀬はまたしても涙声になったが、こいつのせいで午後の講義(出席必須)を自主休講する羽目になった俺も泣いてもいいんじゃないだろうか。

「そうか。おまえの志望校を決めた理由はわかった。でも、何でおまえは俺を捜してたんだ? 俺の記憶が確かなら、おまえと会ったことは一度もないし、〝お館様〟なんて名乗ったことも一度もないぞ?」

 俺としては、事実そのままを口にしたまでだった。だが、加瀬は罰ゲームで電流でも流されたかのように、切れ長の目を大きく見張った。

「そんな……私を覚えていたから、ここに連れてきてくださったのではなかったのですか!」
「違うよ。あれ以上、あんなところでコントみたいなことはされたくなかったからだよ」
「コント……」
「俺はもし人に訊かれたら、そう言ってごまかそうと今から考えてる」
「では、コントではなかったことはわかってくださっているわけですね?」

 絶句していた加瀬は、気を取り直したようにそう問い返してきた。

「もしあれが本当にコントだったとしたら、俺はあのとき、おまえを無視して立ち去ってたよ」
「お館様!」

 加瀬はまた長い腕を伸ばして俺を抱きしめようとしたが、今度は何とか逃げられた。

「加瀬……もしまたやったら、この部屋から叩き出してやるからな……」

 実際問題、本気で居座られたら俺には太刀打ちできそうになかったが、加瀬にとって〝お館様〟に嫌われるのは、この世の終わりにも等しいらしい。顔色を変えて何度もうなずいた。

「申し訳ございません……私が倉川様を捜していた理由でしたね。もう何度も生まれ変わっておりますが……かつて私は、お館様の護衛隊で、隊長を務めておりました」

 薄々予想はしていたが、やっぱり来たコレ、前世ネタ!
 しかし、加瀬は真剣な表情で淡々と話しつづける。

「お館様は若くして領主になられましたが、二年も経たないうちに不治の病にかかられ、あっというまに逝ってしまわれました。ですが、亡くなられる前に、私の願いを叶えてくださる約束をしてくださったのです……」

 これが世に言う厨二病というやつか。生まれて初めて生で見た。
 外見は完全にリア充なだけに、むしろ哀れみを覚えてしまう。
 そんな前世(と本人は信じている)にとらわれて、こいつはこの地方大学に入学までしてしまったのだ。もっと他にふさわしい大学がいくらでもあっただろうに。

「じゃあ、おまえはその約束を叶えてもらうために、〝お館様〟を捜しつづけてきたってわけか?」
「はい、そうです。そして今日、ようやく……」
「でも、何で俺がその〝お館様〟だと思った?」

 皆まで言わさず、俺は今までずっと思っていた疑問を加瀬にぶつけた。

「顔か? 俺の顔がその〝お館様〟と瓜二つだったのか?」

 俺にそんなことを訊ねられるとは思っていなかったのか、加瀬はきょとんとしていたが、すぐに首を横に振った。

「いえ。お顔はまったく別人です」
「それなら何で?」
「それは……自分でもうまく説明できませんが……とにかく、倉川様を一目見て、お館様だと思ったのです!」
「それはないだろう!」

 思わず、心の声をそのまま口に出してしまった。

「そう言われましても」

 困惑したように加瀬は眉根を寄せる。

「私も倉川様に前世の記憶がないことはまったく想定しておりませんでしたので……私とした約束も、当然覚えていらっしゃいませんよね?」
「愚問だ」
「うう、やっぱり……」

 よほど無念なのか、加瀬は右手で目元を覆って泣き出した。
 本当によく泣く男だ。自称・元護衛隊長の名が泣くぞ。

「あー……その約束は、〝お館様〟じゃなくちゃ絶対に叶えられないことなのか?」

 前世うんぬんは置いといて、年下を泣かせる趣味もない。助け船のつもりでそう訊くと、加瀬は顔から手を離し、涙に濡れた目を俺に向けた。

「いえ、正確には、お館様の生まれ変わりの方です。生まれ変わることが前提の約束でしたから」
「生まれ変わり……つまり、俺か?」
「はい! 倉川様だけです!」 

 どうしても諦めきれないのか、加瀬の表情は切羽詰まっている。正直言って怖い。

「前世を覚えていらっしゃらないならそれでもいいです! 無理に思い出していただく必要もございません! ただ、あの約束! あの約束だけは、どうか今世で叶えてくださいませんでしょうか!」

 また何かのスイッチが入ってしまったらしい。加瀬は額をかち割りそうな勢いで土下座した。
 本当に、ここにこいつを連れてきてよかった。外でこれをやられていたら、とんでもないことになっていた。

「約束なぁ……その約束の内容にもよるなぁ……」
「それは確かにそうですね。しかし、私には倉川様しかいないのです!」

 加瀬はガバッと顔を上げると、懇願するように俺に言った。

「倉川様! 家事は私が全部いたします! どうか私と結婚してください!」
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