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もういいよ
もういいよ
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死んだら終わる。
あのときはそう信じていた。
会う日時も会う場所も、あいつに決めさせた。
別にあいつに遠慮したわけじゃない。俺が決めるのが面倒くさかっただけだ。
それでも、都合が悪かったら容赦なく駄目出ししてやろうと思っていたのに、あいつは俺が漠然と望んでいた日時と場所を遠慮がちに挙げてきた。
昔からそうだった。そういう読みなら当たるのに、肝心なことはいつも外す。
五月晴れの土曜日の午後。某有名ハンバーガーショップの二階にある飲食スペース。
今のあいつはこの近所に住んでいるのか。それともここに来たことがあるのか。俺はもちろんなかったが、ほどよい感じに空いていて、田舎者が好む隅っこも難なくゲットできた。
私的な約束時間にはルーズな俺だが、あいつに待たれるのは嫌だから、今日は頑張って三十分前行動をした。
さすがに三十分前には来ていなかった。アイスコーヒーを飲みながら、改めて確認してまたほっとする。
あいつは何分前行動をするのだろうか。腕時計はしているが、時間つぶしもしたくて、ナップザックからスマホを取り出す。
本当に、忌々しいくらい便利な世の中になってしまった。
昔はあいつが必死で捜し回って、十年二十年は当たり前にかかっていたのに、今はこのスマホ一台で、たった一日で見つけられてしまう。
二週間くらい前、ほとんど放置していたSNSで、気まぐれに『もういいよ。探さなくていいよ』と呟いた。
たとえるなら、ペットボトルに手紙を詰めて海に流すような感覚。本気であいつに伝えたかったわけじゃない。そもそも、俺の呟きなんて誰も見ていないだろう。
それなのに、あいつは見つけてしまった。見つけた上に、こんな言葉を返してきた。
――ずっと捜していた。待たせてすまない。今どこにいる?
無視することもできた。でも、発信したのは俺だから、返信はしないといけないと思った。
他人にはわからないように、何度かメッセージをやりとりして、互いに間違いないと確信した。しかし、それ以上の行動はあえてとらないでいたら、あいつが直接会って話したいと何度もメッセージを送りつけてきた。ストーカー被害者の気持ちが少しだけわかった。
もしも、あいつが海外に住んでいたら、それは無理だと断ることもできたかもしれない。だが、幸か不幸か、俺もあいつも日本人で、日本国内のそう遠くない場所に住んでいた。
あいつは電話番号を交換して会話したいと言ったが、俺は断固拒否した。
あいつは今の名前やどこで何をしているかを頼みもしないのに明かしたが、俺は自分が日本人の男であること以外、個人情報はいっさい与えなかった。
SNSのプロフィールにも「放置しています」としか書いていなかった。興味本位で始めてはみたものの、世の中に対する失望感がさらに増したのでやめたのだ。結局、やめても増加は止まらなかったが。
今日あいつと会ったら、このアカウントは削除してしまおうか。そんなことを考えながらあいつのメッセージを読み返していたら、勢いよく階段を駆け上がってくる足音がした。
嫌な予感がした。
何となく顔を隠すようにスマホを持ち上げた。と、その足音の主がフロアの出入口に現れた。
どこから走ってきたのか、息を切らして肩を上下させていた。あれでよく店員に止められなかったものだ。というより、止められなかったのだろうか。
俺以外の客も怪訝そうな視線を向けていたが、そいつもフロア内に真剣な視線を巡らせていた。誰かを捜している。一目でわかる。俺は他の客と同じように自分の手元に目を戻した。なのに。
俺のほうを見たとたん、そいつはこっちに向かって足を動かしはじめた。
やばい。完全にロックオンされた。
そいつがあいつだということは、右手に提げているものでとっくにわかっていた。冗談で言ったのに、まさか本当に持ってくるとは――実は思っていた。
そうこうしているうちに、あいつは俺のいるテーブルの前で立ち止まった。気づかないふりをするわけにもいかず、スマホから目を離して顔を上げる。
あいつが緊張した面持ちで俺を見下ろしていた。
あの自己申告が正しければ、こいつは現在、俺と同じ大学二年生のはずだ。
しかし、本当にそうなのか。大学二年生が、なぜ今、リクルートスーツみたいな紺スーツをきっちり着ていて、しかも、それがしっかり板についているのか。
毎回、顔は違うが、一貫して思うのは、いかにも女にもてそうな男だな、である。
今回はちょっとチャラ男っぽくって、軽くウェーブのかかった髪は染めたように茶色かったが、アクセサリーの類はいっさい身につけていない。この格好で会社の面接を受けまくったら、どこでも一発採用されそうだ。
対する俺はというと、不細工ではないと思うが、とりたてて特徴のない顔だ。とりあえず、これまで顔を褒められたことは一度もない。着ている服は量販店のシャツとジーンズ。これでも手持ちの中ではいちばん小ぎれいなのを選んだつもりだ。
俺自身は今の顔に不満はないのだが、こうしてあいつを前にすると、やっぱり世の中不平等だよなとしみじみと思う。給料の格差より顔面の格差のほうが、実際問題、深刻なのではないだろうか。
しかし、顔面勝ち組のあいつは負け組の俺と目が合うと、その顔を赤らめてもじもじしだした。早くトイレ行ってこいよ。思わずそう突っこみたくなったが、まるでそれが聞こえでもしたかのようにはっと我に返ると、右手に提げていたものを横にして両手で持ち、俺の前に突き出してきた。
「あなたのファンです!」
フロアにいる客全員に聞こえるような大声であいつは叫んだ。
ちょっと裏返っていたが、声は顔よりも落ち着いた低音だった。顔だけでなく声も偏差値高いのか。まったくもって腹立たしい。
「これ、受け取ってください!」
こんなこと、言わなきゃよかった。
自分の浅はかさを呪いながら、俺は目の前にある物体――華やかにラッピングされた紫の薔薇の花束を凝視した。
今回、直接会うにあたって、俺は条件を二つ出した。
一つ。俺は自分からは名乗らない。おまえが自分で捜して自分から声をかけろ。それでもしおまえが人違いをしたら、俺はもう二度とおまえには会わない。連絡も取らない。永久に絶交する。
二つ。会いに来るときには、必ず紫の薔薇の花束を持参しろ。そして、俺だと思う人間に差し出して『あなたのファンです。受け取ってください』と言え。正解だったら受け取ってやる。
前者はともかく、後者は半分冗談で半分嫌がらせだった。やっぱり俺は馬鹿だった。これじゃ俺のほうが嫌がらせされているみたいだ。まあ、自業自得と言われてしまえばそれまでだが。
「あー……罰ゲームは終了だ。もういいよ」
周囲にいる人間にも聞こえるように、俺はわざと声を張った。
硬い表情をしていたあいつは、拍子抜けしたように俺を見た。
「罰ゲームって……俺、本気……」
「あーあー悪かった。こんな恥ずかしいことやらせて悪かった」
余計なことは言わせないように、強引にあいつの言葉を遮った。
あいつは不満そうな顔をしたが、俺の返事で自分が間違わなかったことを確信したようだ。一転して嬉しそうに目を細めると、「じゃ、受け取って」と例の花束を俺に押しつけてきた。薔薇の匂いがうっすらとした。
紫の薔薇の花束なんて言ったのは俺だが、本当に売っているんだな。いったいどこでいくらで買ってきたんだ。そう思いつつ花束を受け取ったが、すぐに持ち替えてあいつに差し戻した。
「え? 何?」
とまどいつつもあいつが笑う。俺は軽く深呼吸してから、ここに来る前から言おうと決めておいたことを、あいつにしか聞こえない声量で囁いた。
「俺、さんざん言ったよな? 今回も俺は男だったって。きっと、これから先もずっとそうだ。俺だけじゃない。おまえも。だからもう、終わりにしよう。捜すのも、自分を殺すのも」
一瞬にして、あいつの顔が凍りつく。
くそ。イケメンにそんな顔されたら、こっちが悪役みたいじゃないかよ。
心の中で毒づいて、あいつに返却拒否された花束をテーブルの上にそっと置く。
俺の嫌がらせのために買われてしまったこの花束に罪はない。せめて、俺以外のふさわしい人間に手渡そう。
***
はじまりの前生の記憶は、幼い頃に見た映画のようにあやふやだ。
明らかに古代日本ではなかったが、かと言って、他のどの国とも言いがたい。
もしかしたらこの世界ではなく、俗に言う異世界というやつだったのかもしれない。とにかく、そんなファンタジーな世界で、俺たちはロミオとジュリエットみたいな恋愛をしていた。
ただし、男同士。
いったいどんな経緯があってそんなことになったのか、我ながら不思議で仕方がないのだが、これはあいつも覚えていないらしい。
確かなのは、周囲の目を盗んで廃屋で落ち合い、会ったら即ズコバコやっていたということだ。ちなみに、掘られていたのは常に俺である。あのときのあいつは肉体派だった。腕力の差はいかんともしがたい。
もちろん、いつまでもそんな関係を続けられるとは思っていなかった。家は激しく対立していて、俺もあいつも嫡男で、さらにその世界では同性愛は死罪とされていた。場合によっては、晒し者にされた末に死刑となる。
あいつと抱き合いながら、俺はいつでも終わることを覚悟していた。ただ、終わるのは俺一人でいい。そう思っていた。
そんなある日、恐れていた事態の一つがとうとう起こった。
あいつが、親同士が勝手に決めた名家の女と結婚させられることになったのだ。
あいつは嫌だと喚いていたが、たとえ家を飛び出して俺と駆け落ちしたところで、この世界に男同士が夫婦のように暮らせる場所はない。
あいつもそう思っていたのだろう。どこから手に入れたのか、苦しまずにすぐに死ねるという粉薬を取り出して、泣き笑いしながら俺に言った。
――これを飲んで、今度は男と女に生まれて結婚しよう。
たぶん、このときのあいつはまともな精神状態ではなかった。しかし、それは俺も同じで、あいつの提案をあっさり受け入れた。
ただし、俺はあいつと違って、転生は信じていなかった。死んだら終わり。この関係も終わり。だから毒を飲む前に、恥も外聞もかなぐり捨てて、あいつの体をねだった。
それまで俺の体を気遣ってくれていたあいつも、このときはまったく手加減しなかった。俺の下半身は血と精液とそれ以外とでぐちゃぐちゃになった。
それでも、酒に毒を溶かし入れるのは俺にやらせてくれと言い張った。あいつも俺の最後の願いを断れなかったのだろう。俺に酒と杯と毒を託して、少しだけ俺から目を離した。
俺は酒が苦手だったから、あいつのに比べて極端に量が少なくても、不審には思われなかった。
最後にキスをして、同時に杯を呷った。毒入りの酒が胃の中に落ちて数秒、俺は急速に意識を失い、大きく目を見張っているあいつに心の中でさよならと言った。
俺はあいつが持ってきた毒薬を、全部、自分の酒の中に入れていた。
そして、飲み残しを飲まれないよう、一滴残さず酒を飲み干した。
あいつのことは愛していたが、それと同じくらい疲れてもいた。死ねばこの苦しみから永遠に解放される。でも、あいつは死なせたくない。俺さえいなかったら、あいつはまっとうに生きられる。
今ならそれがどんなに残酷で身勝手な行動だったかよくわかる。俺はほぼ即死したから、その後のことは当然知らないが、あいつによると、すぐに俺が何をしたか悟り、半狂乱になったそうだ。
俺の口の中を舐め回したり、俺の杯に酒を注いで飲んだりしたが効果がなく、最後は俺の死体を抱きしめたまま、剣で俺の背中から自分の心臓を貫いて死んだ。本人の弁によると、死んでも離れたくなかったからだそうだが、それはもう半狂乱ではなく完全に狂乱ではないかと思う。
実際、そんなことが可能なのかどうなのかはわからないが、俺とあいつの背中と胸の真ん中には、縦に細長い手術跡みたいな赤い痣がある。何度生まれ変わっても、これだけはなくならなかった。だからたぶん、あいつは本当にそうしたんだろう。
そんなわけで、あいつは来世に望みを託していたが、俺は来世そのものの存在を信じていなかった。
だが、もしかしたら異世界かもしれない世界の農民の子として生まれた俺は、ある夜、あいつに抱かれる夢を見て目を覚まし、自分が精通したことと、転生が実在したことを、嫌でも思い知らされたのだった。
体はまだ女も知らないのに、頭は男を知っているというのは、本当に質が悪い。正直、後ろが疼いたが、もしかしたらあいつは女に生まれているかもしれないと思い、自分の手で慰めるだけに留めた。あの頃はまだ俺も、神様も転生もいいものだと信じていた。
しかし、村や家族や様々なものに縛られている農民の子が、前生の恋人を探すなどというお花畑な理由で旅立てるはずもない。日々の生活に追われているうちに、いつのまにか村の娘の一人と結婚することになっていた。
その娘のことは特に好きでもなかったが嫌いでもなかった。娘もたぶんそうだったんじゃないかと思う。お互いこんなものかと妥協して、数日後に結婚式を控えたある日、村に一人の騎士がやってきた。
その騎士にとって、俺がいた村は単なる通過点にすぎなかった。だが、騎士はたまたま近くを通りかかった俺を見て表情を一変させた。俺の腕を引っつかんで小屋の裏手に引きこむと、恐怖と混乱とで硬直している俺に満面の笑みを向けた。
――やっぱりおまえも生まれ変わっていたんだな! 俺だ、俺だよ! わからないのか!
いや、わかるわけがない。毒で死んだ俺とそのときの俺とは、まるで似ていなかった。それでどうしてわかったのか、そちらのほうがわからない。
しかし、騎士はあいつと俺しか知らないことを嬉々として語った。認めたくはなかったが、騎士はあいつの生まれ変わりだった。
あいつも容姿は変わっていたが、身分が高くて美丈夫というのは共通していた。俺が平凡顔の農民になったのは、あいつを騙して一人で楽になろうとした罰だろうか。そんなことを思いながら、子供のように浮かれているあいつにさりげなく言った。
――でも、俺もおまえもまた男だから、結婚はできないよ。それに、俺はもうすぐ村の女と結婚するんだ。
あいつは何を言われたのかわからないという顔をした。それを見て、俺も不可解に思った。
今度は男と女に生まれて結婚しようと言ったのはこいつじゃないか。一目見て、俺が男だということはすぐにわかっただろうに、何をそんなに喜んでいるのか。
今度の世界では、同性愛は重罪ではなかったが一般的ではなかった。ましてや、こんな田舎の小さな村では。実際にはいたのかもしれないが、少なくとも俺は知らなかった。
だから、あいつも男に生まれたと知ったとき、落胆と同時に安堵もしたのだ。
俺はあいつと結婚はできない。それなら、このままあの娘と結婚したほうがいい。俺の選択は間違っていなかった。
――おまえ、結婚は?
ふと気になって訊ねると、あいつは上の空のように答えた。
――いや、していない。ずっとおまえを捜していて……
――じゃあ、もういいよ。おまえも誰かと結婚しろよ。そして、その誰かと幸せになってくれ。
嫌味でも何でもなく、それは本当に俺の本心だった。
そもそも、俺は死んだら終わりだと思っていた。生まれ変わって今度は男女の夫婦になろうなどと、最初から考えてもいなかったのだ。
だが、生まれ変わって前生のことを思い出して、もしかしたらと思ってしまった。それがずっと気がかりだったが、こうしてまた結婚できないとわかって一気に解消した。
この人生が終わったら、できればもう前生のことは思い出したくない。この男とはあのとき終わった。いくら前生のことを覚えていても、あのときと今とでは別人だ。前生に縛られる必要なんかどこにもないじゃないか。
俺はそう思っていた。しかし、それをあいつに話すことはしなかった。そんなことはいちいち説明しなくとも、自明のことだと思いこんでいた。
だが、俺はわかっていなかった。凄惨な方法で俺の後を追い、俺を捜すためだけに国内外を奔走する職務に就いたあいつの妄執を。
俺にとって性別は絶対条件だったが、あいつにとっては実はそうではなかった。
俺とは違い、同性愛が許容される環境で生まれ育ったせいもあるかもしれない。あいつにしてみれば、性別を理由に俺に切り捨てられるなど、まったく想定外のことだったのだ。
――そうか。男だからいけないんだな。
あいつがそう呟いたとき、何を当たり前のことを言っているんだと思った。
だから、まさかあんな発想に至るなんて、想像もしていなかった。
――じゃあ、もう一度生まれ直す。今度はもっと早く見つけるよ。
あいつは朗らかに笑うと、俺から離れて、どこかに立ち去っていった。
あいつの死体が見つかったのは、その日の夕方のことだった。
村の教会の近くで、自分の心臓を自分の短剣で刺していた。まったくためらい傷がなかったので一時は他殺も疑われたが、一身上の都合により死を選ぶという遺書があったため、王都から来た人間たちも自殺と断定し、死体もあいつが遺した馬も持ち去っていった。
この騒ぎのせいで、俺と娘の結婚式は延期となり、俺は罪悪感に耐えかねて、結婚前にまた毒を飲んで死んだ。
俺には自分で自分の心臓を刺せるほどの狂気はなかった。
***
その後の転生は、あらすじ化すると以下同文となる。リピート数があまりにも多すぎて、途中から数えることもやめてしまった。
まず、どこかの世界で男として生まれた俺が、やっぱり夢精がきっかけで前生を思い出す。
今度はあいつも女に生まれてきたんじゃないかとちょっとだけ期待しつつも、捜す術がないので流されるまま日々を送る。
そして、今生はもう再会しないだろうと身を固めようとした矢先、俺より顔も身分も勝ち組なあいつが現れ、男同士だったから自殺したことなど忘れたかのようにはしゃぎまくる。
俺はそれが癇に障って、今回も男同士だから結婚できないとあいつを突き放し、あいつはあいつで、そうか、じゃまた生まれ直すと言って自殺する。
学習能力のない俺は、どうしてもっとうまく言えなかったのかと後悔し、また服毒自殺する。
俺は夢精で前生を思い出すが、あいつは物心ついたときにはもう記憶があるらしい。だから、あんなに必死になって俺を捜し回るのだろうが、ちょっと待て。
おまえが捜そうとしなければ、俺たちはそれなりに平穏な一生を送れるんじゃないか。
と、あいつに言ったこともあったが、そんなことはできないとあっさり却下された。現に会えてしまうから、捜すのもやめられないのだろう。
あいつは俺と再会するたび喜んでいるが、俺にはもう呪いか罰としか思えない。
罰しているとしたら、最初のあの世界の神だろう。あそこの神は同性愛も自殺も否定していた。別の世界に生まれたら見逃してくれよと言いたいが、もしかするとこの世界もあの神の管轄なのかもしれない。それならこの胸糞悪さも納得だ。
それはともかく、死んだら終わりにならないなら、生きている間にどうにかしなければならない。最低限、あいつに自殺はさせないように。今度こそ。
「とりあえず座れ」
すぐにも回れ右して、トイレの個室あたりで自殺しそうな顔色をしているあいつに、俺はあえて高飛車に命じた。
「あ、ああ……」
あいつは露骨にほっとして、俺の対面の椅子に腰を下ろした。
SNSでやりとりをして気づいたが、こいつはちょっとマゾっ気がある。でも、そういえば昔から……いや、過去を振り返るのはやめよう。そう思って、ブロックしないで直接会うことにしたんじゃないか。あの不毛な繰り返しを終わらせるために。
「そもそもだな。最初に言い出したのはおまえなんだから、おまえが撤回するべきだと思うんだ」
いきなり本題を切り出すと、あいつは面食らったような顔をした。
あれ。こいつならこれでわかると思ったけどな。やっぱり説明省きすぎたか。
表情には出さずにあせっていると、あいつがおそるおそる口を開いた。
「それは……男と女に生まれたら結婚しようっていうやつか……?」
「そうだよ。それとも、まだそれにこだわってるのか?」
「こだわってるのはおまえだろ!」
急に切れられた。が、俺が上目使いで睨みつけたら、ぱっと目をそらせて、「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」と小声で謝りだした。
こいつ、こんなに弱腰だったかな。でもまあ、今はそこにつけこませてもらおう。
「こだわるも何も、おまえが最初にそう言ったからだろ。もうこだわらなくていいんなら、そのときおまえがそう言えばよかったんだ。もう男でもいいって」
目から鱗とよく言うが、それはこんな顔のことを言うのかもしれない。
あいつは髪と同じく茶色い目を、コンタクトレンズをつけていたら剥がれ落ちそうなくらい大きく見開いていた。
「え……言ってもよかったのか……?」
「おまえが言わなかったら誰が言うんだよ。何度でも言うが、おまえが最初に言ったんだ」
「いやでも、おまえは俺が男だから嫌なのかなって……」
「それは結婚できないから。おまえがそう言ったから」
少しうんざりして言い返すと、あいつはばつが悪そうに肩をすくめた。
「でも、もういいよ。俺も言葉が足りなかった。だから、ここでいったん終わりにしよう。終わらなかったら、いつまで経っても始まれない」
〝終わり〟であいつは眉根を寄せたが、最後まで聞き終えると、ぽかんと口を開けた。
「始まれないって……」
「なあ、もう前世関係なく、現世で偶然知り合ったことにしないか?」
苦笑いしながら、ずっと考えていたことを提案する。あいつはますます間の抜けた顔になった。それでもイケメンだけどな。くっそ!
「あの呟きは本当に独り言みたいなもんだったんだけど、あれにおまえが絡んできて、今日初めてオフで会った。この先のことは、この体で生きている間に考えよう。この国ではあれで死刑にはならないから」
あまりにも予想外のことを言われて、理解が追いつかないでいるらしい。人形のように固まってしまったあいつを尻目に、俺はコーヒー風味の水と化したアイスコーヒーを音を立てて啜った。昼は食べたが小腹が空いたな。あとで何か注文しにいくか。
「お……俺が男でもつきあってくれるのか……?」
口元をゆるませて、ようやくしゃべったと思ったら、おまえ、まだそれを言うか! と突っこみたくなるような内容だった。
こいつ、忘れているんだろうか。そもそも俺たちは男同士でつきあっていたことを。
無性に腹が立ったので、にっこり笑って言ってやる。
「まずはお友達から」
「お友達……」
あいつの顔からすっと笑みが引いていく。ああ、おまえの〝つきあう〟はそういう意味だったんだな。安心したが、かなり引いた。
「そう、お友達。とりあえず、メル友」
「文通かよ……」
「文句があるならこれきりだ、浪川《なみかわ》史郎」
うつむいていたあいつは、一拍おいて俺を見た。
「え?」
「何だよ? これが今の名前だろ? それとも、偽名だったのか?」
にやにやしながらそう言えば、血相を変えて首を横に振る。
「いや! 正真正銘の本名だ! 〝史郎〟って呼んでくれ! 〝シロ〟でもいいぞ!」
「犬みたいだな。ところで、なんでスーツ着てきたんだ? 何か用事あったのか?」
ついでに、初めて見たときから気になっていたことを訊いてみると、あいつはちょっと赤くなり、薔薇の色に合わせたのか、薄紫のネクタイの上に右手を置いた。
あの手の下には、やっぱりあの痣があるんだろうか。今の俺と同じように。
「いや、この体で初めて会うから、ちゃんとした服着なくちゃと思って……」
「会う場所がハンバーガー屋なのに?」
思わず失笑すると、あいつは真顔でぼそりと言った。
「ここは待ち合わせ場所だし」
「え? 何?」
「いや、その、と、友達になってくれるんなら、おまえの名前、もう教えてくれるよな!」
あからさまに笑ってごまかされたが、まあいいかと思った。
自殺以外のことなら、今のところは。
「確かにそうだな。もういいよ。俺の名前は――」
この先、どうなるかはわからない。
あの神はこれからも、俺たちの記憶を消さずに転生させるかもしれない。
でも、もういいよ。
俺はこの世界で、この男と共に生きることだけを考える。
来世がなくても、笑って終われるように。
―了―
あのときはそう信じていた。
会う日時も会う場所も、あいつに決めさせた。
別にあいつに遠慮したわけじゃない。俺が決めるのが面倒くさかっただけだ。
それでも、都合が悪かったら容赦なく駄目出ししてやろうと思っていたのに、あいつは俺が漠然と望んでいた日時と場所を遠慮がちに挙げてきた。
昔からそうだった。そういう読みなら当たるのに、肝心なことはいつも外す。
五月晴れの土曜日の午後。某有名ハンバーガーショップの二階にある飲食スペース。
今のあいつはこの近所に住んでいるのか。それともここに来たことがあるのか。俺はもちろんなかったが、ほどよい感じに空いていて、田舎者が好む隅っこも難なくゲットできた。
私的な約束時間にはルーズな俺だが、あいつに待たれるのは嫌だから、今日は頑張って三十分前行動をした。
さすがに三十分前には来ていなかった。アイスコーヒーを飲みながら、改めて確認してまたほっとする。
あいつは何分前行動をするのだろうか。腕時計はしているが、時間つぶしもしたくて、ナップザックからスマホを取り出す。
本当に、忌々しいくらい便利な世の中になってしまった。
昔はあいつが必死で捜し回って、十年二十年は当たり前にかかっていたのに、今はこのスマホ一台で、たった一日で見つけられてしまう。
二週間くらい前、ほとんど放置していたSNSで、気まぐれに『もういいよ。探さなくていいよ』と呟いた。
たとえるなら、ペットボトルに手紙を詰めて海に流すような感覚。本気であいつに伝えたかったわけじゃない。そもそも、俺の呟きなんて誰も見ていないだろう。
それなのに、あいつは見つけてしまった。見つけた上に、こんな言葉を返してきた。
――ずっと捜していた。待たせてすまない。今どこにいる?
無視することもできた。でも、発信したのは俺だから、返信はしないといけないと思った。
他人にはわからないように、何度かメッセージをやりとりして、互いに間違いないと確信した。しかし、それ以上の行動はあえてとらないでいたら、あいつが直接会って話したいと何度もメッセージを送りつけてきた。ストーカー被害者の気持ちが少しだけわかった。
もしも、あいつが海外に住んでいたら、それは無理だと断ることもできたかもしれない。だが、幸か不幸か、俺もあいつも日本人で、日本国内のそう遠くない場所に住んでいた。
あいつは電話番号を交換して会話したいと言ったが、俺は断固拒否した。
あいつは今の名前やどこで何をしているかを頼みもしないのに明かしたが、俺は自分が日本人の男であること以外、個人情報はいっさい与えなかった。
SNSのプロフィールにも「放置しています」としか書いていなかった。興味本位で始めてはみたものの、世の中に対する失望感がさらに増したのでやめたのだ。結局、やめても増加は止まらなかったが。
今日あいつと会ったら、このアカウントは削除してしまおうか。そんなことを考えながらあいつのメッセージを読み返していたら、勢いよく階段を駆け上がってくる足音がした。
嫌な予感がした。
何となく顔を隠すようにスマホを持ち上げた。と、その足音の主がフロアの出入口に現れた。
どこから走ってきたのか、息を切らして肩を上下させていた。あれでよく店員に止められなかったものだ。というより、止められなかったのだろうか。
俺以外の客も怪訝そうな視線を向けていたが、そいつもフロア内に真剣な視線を巡らせていた。誰かを捜している。一目でわかる。俺は他の客と同じように自分の手元に目を戻した。なのに。
俺のほうを見たとたん、そいつはこっちに向かって足を動かしはじめた。
やばい。完全にロックオンされた。
そいつがあいつだということは、右手に提げているものでとっくにわかっていた。冗談で言ったのに、まさか本当に持ってくるとは――実は思っていた。
そうこうしているうちに、あいつは俺のいるテーブルの前で立ち止まった。気づかないふりをするわけにもいかず、スマホから目を離して顔を上げる。
あいつが緊張した面持ちで俺を見下ろしていた。
あの自己申告が正しければ、こいつは現在、俺と同じ大学二年生のはずだ。
しかし、本当にそうなのか。大学二年生が、なぜ今、リクルートスーツみたいな紺スーツをきっちり着ていて、しかも、それがしっかり板についているのか。
毎回、顔は違うが、一貫して思うのは、いかにも女にもてそうな男だな、である。
今回はちょっとチャラ男っぽくって、軽くウェーブのかかった髪は染めたように茶色かったが、アクセサリーの類はいっさい身につけていない。この格好で会社の面接を受けまくったら、どこでも一発採用されそうだ。
対する俺はというと、不細工ではないと思うが、とりたてて特徴のない顔だ。とりあえず、これまで顔を褒められたことは一度もない。着ている服は量販店のシャツとジーンズ。これでも手持ちの中ではいちばん小ぎれいなのを選んだつもりだ。
俺自身は今の顔に不満はないのだが、こうしてあいつを前にすると、やっぱり世の中不平等だよなとしみじみと思う。給料の格差より顔面の格差のほうが、実際問題、深刻なのではないだろうか。
しかし、顔面勝ち組のあいつは負け組の俺と目が合うと、その顔を赤らめてもじもじしだした。早くトイレ行ってこいよ。思わずそう突っこみたくなったが、まるでそれが聞こえでもしたかのようにはっと我に返ると、右手に提げていたものを横にして両手で持ち、俺の前に突き出してきた。
「あなたのファンです!」
フロアにいる客全員に聞こえるような大声であいつは叫んだ。
ちょっと裏返っていたが、声は顔よりも落ち着いた低音だった。顔だけでなく声も偏差値高いのか。まったくもって腹立たしい。
「これ、受け取ってください!」
こんなこと、言わなきゃよかった。
自分の浅はかさを呪いながら、俺は目の前にある物体――華やかにラッピングされた紫の薔薇の花束を凝視した。
今回、直接会うにあたって、俺は条件を二つ出した。
一つ。俺は自分からは名乗らない。おまえが自分で捜して自分から声をかけろ。それでもしおまえが人違いをしたら、俺はもう二度とおまえには会わない。連絡も取らない。永久に絶交する。
二つ。会いに来るときには、必ず紫の薔薇の花束を持参しろ。そして、俺だと思う人間に差し出して『あなたのファンです。受け取ってください』と言え。正解だったら受け取ってやる。
前者はともかく、後者は半分冗談で半分嫌がらせだった。やっぱり俺は馬鹿だった。これじゃ俺のほうが嫌がらせされているみたいだ。まあ、自業自得と言われてしまえばそれまでだが。
「あー……罰ゲームは終了だ。もういいよ」
周囲にいる人間にも聞こえるように、俺はわざと声を張った。
硬い表情をしていたあいつは、拍子抜けしたように俺を見た。
「罰ゲームって……俺、本気……」
「あーあー悪かった。こんな恥ずかしいことやらせて悪かった」
余計なことは言わせないように、強引にあいつの言葉を遮った。
あいつは不満そうな顔をしたが、俺の返事で自分が間違わなかったことを確信したようだ。一転して嬉しそうに目を細めると、「じゃ、受け取って」と例の花束を俺に押しつけてきた。薔薇の匂いがうっすらとした。
紫の薔薇の花束なんて言ったのは俺だが、本当に売っているんだな。いったいどこでいくらで買ってきたんだ。そう思いつつ花束を受け取ったが、すぐに持ち替えてあいつに差し戻した。
「え? 何?」
とまどいつつもあいつが笑う。俺は軽く深呼吸してから、ここに来る前から言おうと決めておいたことを、あいつにしか聞こえない声量で囁いた。
「俺、さんざん言ったよな? 今回も俺は男だったって。きっと、これから先もずっとそうだ。俺だけじゃない。おまえも。だからもう、終わりにしよう。捜すのも、自分を殺すのも」
一瞬にして、あいつの顔が凍りつく。
くそ。イケメンにそんな顔されたら、こっちが悪役みたいじゃないかよ。
心の中で毒づいて、あいつに返却拒否された花束をテーブルの上にそっと置く。
俺の嫌がらせのために買われてしまったこの花束に罪はない。せめて、俺以外のふさわしい人間に手渡そう。
***
はじまりの前生の記憶は、幼い頃に見た映画のようにあやふやだ。
明らかに古代日本ではなかったが、かと言って、他のどの国とも言いがたい。
もしかしたらこの世界ではなく、俗に言う異世界というやつだったのかもしれない。とにかく、そんなファンタジーな世界で、俺たちはロミオとジュリエットみたいな恋愛をしていた。
ただし、男同士。
いったいどんな経緯があってそんなことになったのか、我ながら不思議で仕方がないのだが、これはあいつも覚えていないらしい。
確かなのは、周囲の目を盗んで廃屋で落ち合い、会ったら即ズコバコやっていたということだ。ちなみに、掘られていたのは常に俺である。あのときのあいつは肉体派だった。腕力の差はいかんともしがたい。
もちろん、いつまでもそんな関係を続けられるとは思っていなかった。家は激しく対立していて、俺もあいつも嫡男で、さらにその世界では同性愛は死罪とされていた。場合によっては、晒し者にされた末に死刑となる。
あいつと抱き合いながら、俺はいつでも終わることを覚悟していた。ただ、終わるのは俺一人でいい。そう思っていた。
そんなある日、恐れていた事態の一つがとうとう起こった。
あいつが、親同士が勝手に決めた名家の女と結婚させられることになったのだ。
あいつは嫌だと喚いていたが、たとえ家を飛び出して俺と駆け落ちしたところで、この世界に男同士が夫婦のように暮らせる場所はない。
あいつもそう思っていたのだろう。どこから手に入れたのか、苦しまずにすぐに死ねるという粉薬を取り出して、泣き笑いしながら俺に言った。
――これを飲んで、今度は男と女に生まれて結婚しよう。
たぶん、このときのあいつはまともな精神状態ではなかった。しかし、それは俺も同じで、あいつの提案をあっさり受け入れた。
ただし、俺はあいつと違って、転生は信じていなかった。死んだら終わり。この関係も終わり。だから毒を飲む前に、恥も外聞もかなぐり捨てて、あいつの体をねだった。
それまで俺の体を気遣ってくれていたあいつも、このときはまったく手加減しなかった。俺の下半身は血と精液とそれ以外とでぐちゃぐちゃになった。
それでも、酒に毒を溶かし入れるのは俺にやらせてくれと言い張った。あいつも俺の最後の願いを断れなかったのだろう。俺に酒と杯と毒を託して、少しだけ俺から目を離した。
俺は酒が苦手だったから、あいつのに比べて極端に量が少なくても、不審には思われなかった。
最後にキスをして、同時に杯を呷った。毒入りの酒が胃の中に落ちて数秒、俺は急速に意識を失い、大きく目を見張っているあいつに心の中でさよならと言った。
俺はあいつが持ってきた毒薬を、全部、自分の酒の中に入れていた。
そして、飲み残しを飲まれないよう、一滴残さず酒を飲み干した。
あいつのことは愛していたが、それと同じくらい疲れてもいた。死ねばこの苦しみから永遠に解放される。でも、あいつは死なせたくない。俺さえいなかったら、あいつはまっとうに生きられる。
今ならそれがどんなに残酷で身勝手な行動だったかよくわかる。俺はほぼ即死したから、その後のことは当然知らないが、あいつによると、すぐに俺が何をしたか悟り、半狂乱になったそうだ。
俺の口の中を舐め回したり、俺の杯に酒を注いで飲んだりしたが効果がなく、最後は俺の死体を抱きしめたまま、剣で俺の背中から自分の心臓を貫いて死んだ。本人の弁によると、死んでも離れたくなかったからだそうだが、それはもう半狂乱ではなく完全に狂乱ではないかと思う。
実際、そんなことが可能なのかどうなのかはわからないが、俺とあいつの背中と胸の真ん中には、縦に細長い手術跡みたいな赤い痣がある。何度生まれ変わっても、これだけはなくならなかった。だからたぶん、あいつは本当にそうしたんだろう。
そんなわけで、あいつは来世に望みを託していたが、俺は来世そのものの存在を信じていなかった。
だが、もしかしたら異世界かもしれない世界の農民の子として生まれた俺は、ある夜、あいつに抱かれる夢を見て目を覚まし、自分が精通したことと、転生が実在したことを、嫌でも思い知らされたのだった。
体はまだ女も知らないのに、頭は男を知っているというのは、本当に質が悪い。正直、後ろが疼いたが、もしかしたらあいつは女に生まれているかもしれないと思い、自分の手で慰めるだけに留めた。あの頃はまだ俺も、神様も転生もいいものだと信じていた。
しかし、村や家族や様々なものに縛られている農民の子が、前生の恋人を探すなどというお花畑な理由で旅立てるはずもない。日々の生活に追われているうちに、いつのまにか村の娘の一人と結婚することになっていた。
その娘のことは特に好きでもなかったが嫌いでもなかった。娘もたぶんそうだったんじゃないかと思う。お互いこんなものかと妥協して、数日後に結婚式を控えたある日、村に一人の騎士がやってきた。
その騎士にとって、俺がいた村は単なる通過点にすぎなかった。だが、騎士はたまたま近くを通りかかった俺を見て表情を一変させた。俺の腕を引っつかんで小屋の裏手に引きこむと、恐怖と混乱とで硬直している俺に満面の笑みを向けた。
――やっぱりおまえも生まれ変わっていたんだな! 俺だ、俺だよ! わからないのか!
いや、わかるわけがない。毒で死んだ俺とそのときの俺とは、まるで似ていなかった。それでどうしてわかったのか、そちらのほうがわからない。
しかし、騎士はあいつと俺しか知らないことを嬉々として語った。認めたくはなかったが、騎士はあいつの生まれ変わりだった。
あいつも容姿は変わっていたが、身分が高くて美丈夫というのは共通していた。俺が平凡顔の農民になったのは、あいつを騙して一人で楽になろうとした罰だろうか。そんなことを思いながら、子供のように浮かれているあいつにさりげなく言った。
――でも、俺もおまえもまた男だから、結婚はできないよ。それに、俺はもうすぐ村の女と結婚するんだ。
あいつは何を言われたのかわからないという顔をした。それを見て、俺も不可解に思った。
今度は男と女に生まれて結婚しようと言ったのはこいつじゃないか。一目見て、俺が男だということはすぐにわかっただろうに、何をそんなに喜んでいるのか。
今度の世界では、同性愛は重罪ではなかったが一般的ではなかった。ましてや、こんな田舎の小さな村では。実際にはいたのかもしれないが、少なくとも俺は知らなかった。
だから、あいつも男に生まれたと知ったとき、落胆と同時に安堵もしたのだ。
俺はあいつと結婚はできない。それなら、このままあの娘と結婚したほうがいい。俺の選択は間違っていなかった。
――おまえ、結婚は?
ふと気になって訊ねると、あいつは上の空のように答えた。
――いや、していない。ずっとおまえを捜していて……
――じゃあ、もういいよ。おまえも誰かと結婚しろよ。そして、その誰かと幸せになってくれ。
嫌味でも何でもなく、それは本当に俺の本心だった。
そもそも、俺は死んだら終わりだと思っていた。生まれ変わって今度は男女の夫婦になろうなどと、最初から考えてもいなかったのだ。
だが、生まれ変わって前生のことを思い出して、もしかしたらと思ってしまった。それがずっと気がかりだったが、こうしてまた結婚できないとわかって一気に解消した。
この人生が終わったら、できればもう前生のことは思い出したくない。この男とはあのとき終わった。いくら前生のことを覚えていても、あのときと今とでは別人だ。前生に縛られる必要なんかどこにもないじゃないか。
俺はそう思っていた。しかし、それをあいつに話すことはしなかった。そんなことはいちいち説明しなくとも、自明のことだと思いこんでいた。
だが、俺はわかっていなかった。凄惨な方法で俺の後を追い、俺を捜すためだけに国内外を奔走する職務に就いたあいつの妄執を。
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あいつは朗らかに笑うと、俺から離れて、どこかに立ち去っていった。
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村の教会の近くで、自分の心臓を自分の短剣で刺していた。まったくためらい傷がなかったので一時は他殺も疑われたが、一身上の都合により死を選ぶという遺書があったため、王都から来た人間たちも自殺と断定し、死体もあいつが遺した馬も持ち去っていった。
この騒ぎのせいで、俺と娘の結婚式は延期となり、俺は罪悪感に耐えかねて、結婚前にまた毒を飲んで死んだ。
俺には自分で自分の心臓を刺せるほどの狂気はなかった。
***
その後の転生は、あらすじ化すると以下同文となる。リピート数があまりにも多すぎて、途中から数えることもやめてしまった。
まず、どこかの世界で男として生まれた俺が、やっぱり夢精がきっかけで前生を思い出す。
今度はあいつも女に生まれてきたんじゃないかとちょっとだけ期待しつつも、捜す術がないので流されるまま日々を送る。
そして、今生はもう再会しないだろうと身を固めようとした矢先、俺より顔も身分も勝ち組なあいつが現れ、男同士だったから自殺したことなど忘れたかのようにはしゃぎまくる。
俺はそれが癇に障って、今回も男同士だから結婚できないとあいつを突き放し、あいつはあいつで、そうか、じゃまた生まれ直すと言って自殺する。
学習能力のない俺は、どうしてもっとうまく言えなかったのかと後悔し、また服毒自殺する。
俺は夢精で前生を思い出すが、あいつは物心ついたときにはもう記憶があるらしい。だから、あんなに必死になって俺を捜し回るのだろうが、ちょっと待て。
おまえが捜そうとしなければ、俺たちはそれなりに平穏な一生を送れるんじゃないか。
と、あいつに言ったこともあったが、そんなことはできないとあっさり却下された。現に会えてしまうから、捜すのもやめられないのだろう。
あいつは俺と再会するたび喜んでいるが、俺にはもう呪いか罰としか思えない。
罰しているとしたら、最初のあの世界の神だろう。あそこの神は同性愛も自殺も否定していた。別の世界に生まれたら見逃してくれよと言いたいが、もしかするとこの世界もあの神の管轄なのかもしれない。それならこの胸糞悪さも納得だ。
それはともかく、死んだら終わりにならないなら、生きている間にどうにかしなければならない。最低限、あいつに自殺はさせないように。今度こそ。
「とりあえず座れ」
すぐにも回れ右して、トイレの個室あたりで自殺しそうな顔色をしているあいつに、俺はあえて高飛車に命じた。
「あ、ああ……」
あいつは露骨にほっとして、俺の対面の椅子に腰を下ろした。
SNSでやりとりをして気づいたが、こいつはちょっとマゾっ気がある。でも、そういえば昔から……いや、過去を振り返るのはやめよう。そう思って、ブロックしないで直接会うことにしたんじゃないか。あの不毛な繰り返しを終わらせるために。
「そもそもだな。最初に言い出したのはおまえなんだから、おまえが撤回するべきだと思うんだ」
いきなり本題を切り出すと、あいつは面食らったような顔をした。
あれ。こいつならこれでわかると思ったけどな。やっぱり説明省きすぎたか。
表情には出さずにあせっていると、あいつがおそるおそる口を開いた。
「それは……男と女に生まれたら結婚しようっていうやつか……?」
「そうだよ。それとも、まだそれにこだわってるのか?」
「こだわってるのはおまえだろ!」
急に切れられた。が、俺が上目使いで睨みつけたら、ぱっと目をそらせて、「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」と小声で謝りだした。
こいつ、こんなに弱腰だったかな。でもまあ、今はそこにつけこませてもらおう。
「こだわるも何も、おまえが最初にそう言ったからだろ。もうこだわらなくていいんなら、そのときおまえがそう言えばよかったんだ。もう男でもいいって」
目から鱗とよく言うが、それはこんな顔のことを言うのかもしれない。
あいつは髪と同じく茶色い目を、コンタクトレンズをつけていたら剥がれ落ちそうなくらい大きく見開いていた。
「え……言ってもよかったのか……?」
「おまえが言わなかったら誰が言うんだよ。何度でも言うが、おまえが最初に言ったんだ」
「いやでも、おまえは俺が男だから嫌なのかなって……」
「それは結婚できないから。おまえがそう言ったから」
少しうんざりして言い返すと、あいつはばつが悪そうに肩をすくめた。
「でも、もういいよ。俺も言葉が足りなかった。だから、ここでいったん終わりにしよう。終わらなかったら、いつまで経っても始まれない」
〝終わり〟であいつは眉根を寄せたが、最後まで聞き終えると、ぽかんと口を開けた。
「始まれないって……」
「なあ、もう前世関係なく、現世で偶然知り合ったことにしないか?」
苦笑いしながら、ずっと考えていたことを提案する。あいつはますます間の抜けた顔になった。それでもイケメンだけどな。くっそ!
「あの呟きは本当に独り言みたいなもんだったんだけど、あれにおまえが絡んできて、今日初めてオフで会った。この先のことは、この体で生きている間に考えよう。この国ではあれで死刑にはならないから」
あまりにも予想外のことを言われて、理解が追いつかないでいるらしい。人形のように固まってしまったあいつを尻目に、俺はコーヒー風味の水と化したアイスコーヒーを音を立てて啜った。昼は食べたが小腹が空いたな。あとで何か注文しにいくか。
「お……俺が男でもつきあってくれるのか……?」
口元をゆるませて、ようやくしゃべったと思ったら、おまえ、まだそれを言うか! と突っこみたくなるような内容だった。
こいつ、忘れているんだろうか。そもそも俺たちは男同士でつきあっていたことを。
無性に腹が立ったので、にっこり笑って言ってやる。
「まずはお友達から」
「お友達……」
あいつの顔からすっと笑みが引いていく。ああ、おまえの〝つきあう〟はそういう意味だったんだな。安心したが、かなり引いた。
「そう、お友達。とりあえず、メル友」
「文通かよ……」
「文句があるならこれきりだ、浪川《なみかわ》史郎」
うつむいていたあいつは、一拍おいて俺を見た。
「え?」
「何だよ? これが今の名前だろ? それとも、偽名だったのか?」
にやにやしながらそう言えば、血相を変えて首を横に振る。
「いや! 正真正銘の本名だ! 〝史郎〟って呼んでくれ! 〝シロ〟でもいいぞ!」
「犬みたいだな。ところで、なんでスーツ着てきたんだ? 何か用事あったのか?」
ついでに、初めて見たときから気になっていたことを訊いてみると、あいつはちょっと赤くなり、薔薇の色に合わせたのか、薄紫のネクタイの上に右手を置いた。
あの手の下には、やっぱりあの痣があるんだろうか。今の俺と同じように。
「いや、この体で初めて会うから、ちゃんとした服着なくちゃと思って……」
「会う場所がハンバーガー屋なのに?」
思わず失笑すると、あいつは真顔でぼそりと言った。
「ここは待ち合わせ場所だし」
「え? 何?」
「いや、その、と、友達になってくれるんなら、おまえの名前、もう教えてくれるよな!」
あからさまに笑ってごまかされたが、まあいいかと思った。
自殺以外のことなら、今のところは。
「確かにそうだな。もういいよ。俺の名前は――」
この先、どうなるかはわからない。
あの神はこれからも、俺たちの記憶を消さずに転生させるかもしれない。
でも、もういいよ。
俺はこの世界で、この男と共に生きることだけを考える。
来世がなくても、笑って終われるように。
―了―
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