無冠の皇帝

有喜多亜里

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【06】始まりの終わり(下)

12 悪魔に強制召喚されました(中)

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 ドレイクがインターホンで入室の許可を求めてきたのは、約束の十五時ちょうどだった。
 自動ドアの前で時間調整していたのは、キャルの報告タレコミでわかっている。
 アーウィンは不可解そうな顔をしていたが、ドレイクの対応は部下として真っ当だろう。真っ当でないのは、当日の朝にコーヒーを飲みに来いといきなりメールを送りつける上司である。しかし、その上司を生涯の主としているヴォルフはあえて沈黙を守った。

「先日はどうもありがとうございました」

 入室したドレイクは、アーウィンの執務机の前に立つと、愛想よく笑った。
 何に対する礼か、はっきり言わないところがドレイクらしい。アーウィンは不満げに眉をひそめたが、そういう男だと諦めたのか、礼には及ばないと淡々と応じた。

「それで、今日はコーヒーを飲ませてくれるんでしたよね。あのー、殿下。申し訳ないですが、俺、うっすいコーヒーしか飲めなくて……」

 面目なさそうに頭を掻くドレイクに、アーウィンは待っていましたとばかりに口角を上げた。

「知っている。おまえの副官が淹れたのを試飲した奴がいたからな」
「はぁ……は?」
「そいつの舌を頼りにキャルに試作させた。合っているかどうか確認しろ」

 言いざま、アーウィンは席を立ち、応接セットのソファ――ヴォルフ専用ソファの対面に置かれている普通サイズのソファに腰を下ろした。
 同時に、キャルも自分の執務机から離れて、すぐ近くにある給湯室に入った。

「試飲? いったい誰……まさか」

 呆然と突っ立っていたドレイクは、はっと気づいてまっすぐにヴォルフを見た。
 さすがドレイク。〝試飲〟だけでわかってしまう。ヴォルフは思わず目をそらせた。

「……すまん。ドレイク。うっかり口を滑らせた」
「ヴォルくん!? うっかりって、殿下の側近がうっかりしてちゃ駄目でしょ!」

 そのとおりだ。ドレイクに口止めしておいて、自分は白状していたら元も子もない。〝ヴォルくん〟と呼ばれても言い返せない所業である。

「別に隠す必要はないだろう。……ヴォルフ。おまえのソファにドレイクを座らせてやれ。ドレイク。ヴォルフの隣に座れ」

 アーウィンはうっすら笑いながら、有無を言わせない口調で命じた。
 表情とは裏腹に、明らかにアーウィンは不機嫌だ。
 ドレイクは恨みがましそうな眼差しをヴォルフに向けたが、これ以上文句を言えば、さらにアーウィンの機嫌は悪化する。それはドレイクもわかっていたようで、軽く肩をすくめて了解しましたと応答すると、ヴォルフの右隣に大人しく座った。
 ヴォルフはいつも、専用ソファの左寄りに一人で座っている。
 スペースは充分すぎるほどあるので、あえて左に詰めたりはしなかったが、自分専用のソファに自分以外の人間、それもドレイクが座っているというのは何だか不思議な気がした。
 居心地悪そうに背中を丸めているこの中年男は、たった五ヶ月前には「連合」の軍艦ワイバーンで「帝国」の無人艦群を撃墜していたのだ。

「お待たせいたしました」

 コーヒーの香りと共に、キャルが銀色の丸いトレーを持って戻ってきた。
 簡素な白いコーヒーカップを、ドレイク、アーウィン、ヴォルフの順にローテーブルの上に置くと、一礼して自分の執務机に着席する。

「あれ? キャルちゃんは飲まないの?」

 ドレイクは意外そうにキャルを見やった。
 キャルもソファ――アーウィンの左隣に座ってコーヒーを飲むものと思いこんでいたのだろう。実際、そこはこの応接セットでのキャルの定位置だった。

「キャルは飲食物の制限がある」

 キャルが答える前に、アーウィンがドレイクの疑問に答えた。

「人工脳だからな。医者が許可したものしか摂取できない」
「ああ、なるほど」

 ドレイクは深くうなずくと、自分のコーヒーカップの中身を覗きこんだ。

「これは飲んだら悪影響が出そうだ」

 それをおまえは毎日飲んでいるんだろうとヴォルフは突っこみそうになったが、口は災いの元だと思い知ったばかりだ。何も言わず自分の分のコーヒーカップを人差し指で引き寄せた。

「あのー……もしかして、殿下たちも俺のと同じ濃度にしてます?」

 ヴォルフのコーヒーカップの中身を盗み見たドレイクが、真顔になってアーウィンに訊ねる。
 激薄なのは自分の分だけだと思っていたのだろう。やはりドレイクはまともである。

「ああ。どれくらいの濃さが正解か知りたかったからな」

 それに対してアーウィンは堂々とそうのたまい、とにかく飲めとドレイクを急かした。

「正解ねえ……そんなに薄さが気になったんですか?」

 ドレイクは苦笑しているが、内心は護衛艦隊の司令官が仕事を放り出して究明するようなことかと呆れ果てているだろう。
 だが、究明しなければ仕事が手につかない状態になってしまったのだ。正直言って、ヴォルフもこういう展開になるとは夢にも思わなかった。本当に申し訳ないが、ドレイクなら何とかしてくれるだろう。神頼みならぬドレイク頼みだ。

「まあ、この艦隊じゃあ、俺しかこんなもん飲んでないでしょうからねえ。じゃあ、お言葉に甘えていただきます」

 ドレイクはうやうやしく頭を垂れると、コーヒーカップに手を伸ばし、何度見てもコーヒーとは思えない色をした液体を一口飲んだ。

「……どうだ?」

 自分は飲まずにドレイクの様子を窺っていたアーウィンが短く問う。
 ドレイクはコーヒーカップを持ったまま、首を傾げて笑った。

「うーん。ちょっとだけ薄いですかね」
「薄い!?」

 アーウィンと一緒にヴォルフがそう叫んでしまったのは、これまで何度も試飲をさせられたからだ。何なら、今日の昼にも飲まされていた。アーウィンも何度か飲んでいて、確かに茶だと思えば飲めるなと自分に言い聞かせるように呟いていた。
 不可抗力とはいえ、ヴォルフにはこの濃度でいいと判断した責任がある。あわてて自分の分を一口以上飲んでみて、盛大に眉間に皺を寄せた。

「……違いがわからねえ」
「まー、いい線は行ってるよ。ほんのちょっとしか飲まなかったのに」
「たぶん、あれ以上飲んでたとしても俺には無理だ。素人だからな」

 不正解のコーヒーに興味はないのか、アーウィンは飲まずにしばらく考えてから、ドレイクにこう切り出した。

「おまえの副官なら完璧に淹れられるんだな?」

 ドレイクだけでなく、ヴォルフもぎょっとした。
 口を滑らせた自分が言うのも何だが、それは飛び火しすぎだろう。

「そうですけど、そのためだけにここに呼び出したりしないでくださいね? あとで淹れ方書いたメール送りますから。うちで使ってる豆の種類も一緒に」

 ドレイクがすばやくアーウィンの機先を制する。さすがドレイク。部下の巻きこみは許さない。
 しかし、それが気に食わなかったのか、アーウィンは多少むっとしたように言い返した。

「豆は同じものを使っている。当然だろう」
「え……?」
「とにかく、今すぐ送らせろ。副官は執務室にいるだろう?」
「たぶん、いるとは思いますけど……しょうがないなあ」

 ドレイクは大仰に溜め息をつくと、上着の内ポケットから携帯電話を取り出し、ちょいと失礼しますよと断ってから、いずこかに電話をかけた。

「あ、イルホンくん? 俺俺! いま大丈夫?」

 かけた先はドレイクの副官だった。執務室にかけたのか、副官の携帯電話に直接かけたのかまではわからないが、アーウィンの前でこういう電話をかけられるところは少しまともではないかもしれない。

「うん、まだ殿下の執務室にいるよ。それで、悪いんだけどさ、大至急、俺のコーヒーの淹れ方書いて、総司令部宛てでメール送ってくれる? ……まあ、いろいろあったんだよ。キャルちゃんしか読まないから、よろしくお願い!」

 一方的にそう言うと、ドレイクは携帯電話を切り、内ポケットの中に戻した。

「というわけで、イルホンくんがメール送信するまで少々お待ちください」
「私宛てでよかったのに」

 不服そうなアーウィンに、ドレイクは咎めるような視線を投げた。

「駄目ですよ。イルホンくんの胃に穴が開いちゃいます」

 こういう気遣いができる男だから、部下に麻酔を打たれて脱出ポッドに入れられたんだろうなと考えてから、いや、それもどうなんだとヴォルフは思い直した。

「いつも私宛てのメールを代筆させているだろう」
「代筆と自筆はまったく違うんです」
「確かに、おまえの場合はまったく違うな」

 口答えをされているのに、アーウィンの機嫌が直っている。いや、むしろよくなっている。
 助かるが、やはりドレイクは恐ろしい。救いはドレイクにもそういう自覚があって、極力アーウィンとは直接会わないようにしていることだろう。それなのに、側近の自分がドレイクを呼び出すきっかけを作ってしまった。改めて申し訳ないとあくまで心の中で謝罪していると、執務机で事務仕事をしていたキャルが顔を上げた。

「マスター。ご歓談中すみません。ドレイク様の副官からメールが届きました」

 アーウィンは一瞬驚いてから、ドレイクに向かってにやりと笑った。

「早いな」
「イルホンくんは優秀なんです。だから、メールの代筆してもらってるんです」

 得意げにドレイクは顎をそらせたが、そのイルホンをドレイクの世話係兼監視役として何人かの候補の中から抜擢したのは、もちろんアーウィンである。結果的に、ドレイクはイルホンを自分の副官にしたのだから、アーウィンの人選は大正解だったのだろう。
 アーウィンは本当に、砲撃担当の〝大佐〟だけは適当に決めた。当時は、いくつかの条件を満たしていれば、誰でもいいと思っていたのだ。

「なるほど。では、キャル。その優秀な副官のレシピどおりに今すぐコーヒーを淹れてくれ」
「かしこまりました」
「えー、今からですかぁー?」

 ドレイクは嫌そうに声を上げ、自らちょっとだけ薄いと評したコーヒーを飲んだ。

「別に、そこまでこだわらなくても」
「また私に呼び出されたいのか?」
「あー……何かのついでだったらいいんですけどねえ……」
「ついで?」
「そう。たとえば、対応策の話のついで、とか」
「対応策……ああ、あれか」

 ヴォルフはまったく心当たりがなかったが、アーウィンはすぐに得心したようにうなずいた。もともとアーウィンは記憶力がいいが、ドレイク関連では異常によくなる。

「そういえば、そんな話もしていたな。もう考えはまとまったのか?」
「まだ考え中って答えたら、いつまで待ってくれるんですか?」
「そうだな。キャルがおまえの副官のレシピで淹れたコーヒーを持ってくるまでだな」
「なかなか厳しいですね」

 ドレイクはあっけらかんと笑うと、世間話のようにそれを口にした。

「殿下。殿下は考えたことないですか? あの〝ゲート〟がもしこの世になかったらって」
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