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燈の婚約者 雲丹亀玄静登場

最後の勝利者

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 宗次郎は燈の命令通り、三日で体調を戻した。生死の境をさまようほど消費した波動も、燈の手配した回復専門の波動師のおかげで全快した。



 回復したと聞いた森山はいの一番に駆けつけてくれた。目が覚めた宗次郎を見て目を潤ませている森山に、流石の宗次郎も申し訳なく思った。



 他にもお世話になった第八訓練場の剣闘士や副監督の阿座上、果ては市長などさまざまな人が見舞いに訪れ、宗次郎を労ってくれた。



 空いた時間には簡単なメニューで体を鍛えつつ、病室に設置されたテレビを眺めていた。



 八咫烏が警備する留置所にいた受刑者が突如妖となり、闘技場で大暴れした。現場に居合わせた十二神将にして第二皇女である皇燈、穂積宗次郎、雲丹亀玄静の三名によって妖は討伐された。



 ニュース番組で報道されていたのはそんな内容だ。今回の一件について、妖の正体が圓尾であることは公表されていない。



 きっと燈が裏で手配してくれたのだろう。もしかしたら誰かと取引をして揉み消したのかもしれない。



「丸く収まったなら、いいか」



 開け放たれた窓から闘技場を眺める。



 妖の乱入により破損した正門や選手の入場口などが修理されており、工事の音がここまで聞こえてくる。



 この闘技場にきて一ヵ月弱の時間を、じっくりと思い返す。



 剣闘士たちと過ごした鍛錬の日々。万全の状態で戻ってきた天斬剣。皐月杯でまみえた強敵たち。妖との激闘と果たせた約束。



「うん。やっぱり楽しかった」



「宗次郎、そろそろ行こう。みんなを待たせたら悪いぞ」



「あぁ。そうだな」



 扉の前にいる玄静に返事をして、元に置いてあった荷物を背負う。



 今の時刻は午後一時。出発する夕方まで、闘技場側の意向でお別れ会を催してくれるそうなので、玄静と一緒に向かう。



「宗次郎。今、少しいいか?」



「阿座上さん? 大丈夫ですよ」



 そばにいた玄静が扉を開けると、阿座上とその奥さんが立っていた。



「こんにちは。どうしたんですか?」



「彼がどうしても会いたいと言うので」



「……壱覇!」



 夫人の足元からひょっこりと顔を出した少年に、久しぶりに出会った親戚のようなリアクションをする宗次郎。



「こんにちは、宗次郎さん」



「おっす。こんにちは」



 門に教わった通り、目線の高さを合わせて挨拶をする。



「今日はどうした?」



「うん、もう出発するって聞いたから……お礼を言いに」



 壱覇は寂しそうにしながらも、精いっぱいの笑顔を向けてくれた。



「そっか。お父さんには会えたか?」



「うん! 昨日目を覚ましたんだ。ちゃんと笑顔で会ってきたよ」



「そっか……約束、守ったな」



「うん」



 宗次郎と壱覇の拳を軽くぶつかりあう。



「お父さんを助けてくれて、本当にありがとう」



「いいってことよ」



「玄静さんも」



「おえ!?」



 唐突に振られた玄静が素っ頓狂な声を上げる。



「お父さんを助けるのを手伝ってくれて、ありがとう」



「えーっと、うん。どういたしまして」



 しどろもどろな玄静は、うー、あー、とうめいてから咳払いした。



「壱覇!」



「う、うん」



「すまなかった」



 大声に驚く壱覇に玄静は頭を下げた。



「僕は君と君の父親を侮辱してしまった。発言は取り消す。この通りだ」



 頭を九〇度下げた玄静に壱覇は目をぱちくりさせていた。



「……うん、平気。もう気にしてないよ」



「そうか……ありがとう」



 頭を上げた玄静はほっとした表情をしていた。



 とんでもない暴言だったので一時はどうなるかと思ったが、仲直りはできたようだ。



「だって、僕にも夢ができたから」



「夢?」



「うん! 僕も、宗次郎さんや玄静さんみたいに強くなりたい!」



 壱覇の笑顔は太陽のように眩しく、まるで一輪の巨大なひまわりのようだった。



「僕も誰かを助けられるくらい強くなりたい。だから、僕も頑張るよ」



「あぁ。壱覇ならきっとできるさ」



 宗次郎の顔が自然と喜んだ。



 必死に頑張った結果、宗次郎は壱覇の笑顔を守ることができたのだ。



「壱覇。そろそろお父さんに会いに行こう」



「うん。わかった」



 阿座上に促され、退室する壱覇を二人で見送る。



「宗次郎さん、玄静さん。さよなら! また会おうね!」



「おう! またな!」



 壱覇たちが廊下の向こうに消えるまで、宗次郎は大きく、玄静は控えめに手を振った。



「……お礼も言っておけばよかったかな」



「ん? 何か言ったか玄静」



「なんでもないよ」



「やっぱお前、変わったよな」



「は? どこが」



 窓の外に目をやる玄静。外からはイチニ! イチニ! と外から走り込みの掛け声が聞こえてくる。



 今までなら訓練の様子を見ただけで玄静は



「暑苦しい」



 と吐き捨てていたのに、なくなっている。森山の話では三日の間も玄静は部屋にこもって黙々と報告書を書き上げていたらしい。



 さっき壱覇にした謝罪といい、玄静は夢や努力に対して持っていた苦手意識に変化が訪れたのだろう。



「僕はかっこ悪いマネをやめただけさ。暑苦しい空気は苦手だし、無駄に努力しているやつらは嫌いなままだ。なにより━━━」



 玄静はため息をついて天井を見上げた。



「夢ややりたいことなんて、いまだにわからないままだし」



 冷め切った玄静に宗次郎は何も言えない。



 宗次郎は玄静の過去を知らない。何がきっかけで夢ややりたいことに関してトラウマを負ったのかもわからない。



 夢ややりたいことがはっきりしている宗次郎は、玄静とは相いれない間柄だ。どんなに取り繕っても理解しあえず、平行線のまま。



 だからこそ、



「ま、いいじゃないか? ないならないでさ。そのうち見つかるかもしれないし」



 否定も理解もしないでおくことにした。



 玄静の人生は玄静だけのものだ。宗次郎がとやかく言えるものではない。



「宗次郎、君も結構無責任なことを言うんだな。……ん?」



 壱覇たちが消えていった廊下の先からどたどたと足音が聞こえる。忘れ物でもしたのだろうかと思ったその瞬間、



「宗次郎! 玄静! ここにいたか!」



「場長!?」



 長い黒髪を振り乱しながら、場長の椎菜が飛び出してきた。



 やけに嬉しそうだ。見舞いにきた剣闘士の話では皐月杯が中止になったせいでとても忙しそうにしているらしいが、とても疲労しているようには見えない。



「いやぁ、見舞いに来れなくてすまない! 色々忙しかったものでね!」



「いいよ。それよりもそんなに慌ててどうしたんだ?」



「ああ、これは失礼」



 テンションがマックスになっている椎菜はおほん、と咳払いして高らかに告げた。



「実は━━━長年の夢が、ついに叶ったんだ!」



 椎菜は壱覇とよく似た満面の笑みを浮かべている。



 それに合わせて宗次郎と玄静の顔も綻んだ。



「よかったじゃないか」



「ああ、おめでとう場長」



「ありがとう、宗次郎、玄静! これを見てくれ!」



 椎菜は宗次郎と玄静の胸に一枚ずつ紙を押し付けた。



 手に取ったそれを広げると━━━







 手足を拘束された剣闘士たちをシバきあげる椎奈の姿がでかでかとプリントされていた。







 ━━━うわぁ。



 『シイナの高級SMクラブ けん☆ラン』と書かれたチラシに宗次郎の顔が引きつる。



 場長との初対面で味わった衝撃が鮮やかによみがえる。嫌が応にもあの部屋の甘ったるいにおいと屈強な男の悲鳴を思い出してしまう。



 すでに知っている宗次郎ですら驚いているので、事情を全く知らない玄静はもっと驚いていた。目が点になったままピクリとも動いていない。



「今回の皐月杯は闘技場史上最高の売り上げを記録した! 父と約束した売上金額にも届いたし、すべては君たちのおかげだよ!」



「あー、うん。そうか。それは何よりだ、場長」



「違う、違う。もう私は場長じゃない。次からは、女王様とお呼び!」



 うひょー、と小躍りしながら飛び跳ねる椎菜。たおやかで大和なでしこな普段の姿からあまりにもかけ離れているのに、嬉しそうな姿は実に魅力あふれている。



「お店は来月オープンする予定だから、ぜひよってくれ! 君たちなら特別にサービスしてあげよう! それじゃ! 私は先に会場に行っているぞ!」



 スキップして廊下の角へと消える椎奈。



 嵐が過ぎ去ったあとの気まずい空気が宗次郎と玄静を包む。



「……いい笑顔だったな」



「だね」



 夢だのやりたいことだのと問答していたさっきまでの自分が急にあほらしくなり、宗次郎は持っていたチラシを玄静に押し付けた。



「ほら、やるよ。せっかくだから行ってくれば?」



「おい、僕に渡すのはよせ!」



「遠慮すんなって。もしかしたら夢ややりたいことが見つかるかもしれないぜ?」



「やめろ! めちゃくちゃな理屈を並べたてるな!」



 廊下に響き渡る罵り合いは次第に笑い声に変わり、看護師に見つかって怒られるまで続いた。
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