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FURY-JUNK
FURY-JUNK 第二回 緊火逆上《きんかぎゃくじょう》
しおりを挟む朝、七時丁度。
少し開けたカーテンの向こうに淀んだ曇り空が広がっているのが見える。
令寺はのっそりと身を起こし両足をベッド脇に投げ出した。バネの強過ぎるベッドがギチギチと喚く。
霞む両目の端を親指と人差し指で揉みほぐし目尻にこびりついた目ヤニを擦り落とすと立ち上がって寝室を出た。
「おっっはよーーうございます!令寺様っ!今朝は澄んだ空模様・・・とは行きませんでしたが、気持ちだけは爽やかに!という事で、減塩、減油にこだわったアッサリ系ブレックファーストをご用意しております!ささ、お顔を洗って、お口をすすいで、どうぞどうぞお召し上がりください!」
早朝からけたたましく令寺を急き立てるのは『FURY-JUNK』現暫定ボスである令寺の自称側近キャロル・サーベラスだ。
彼女はスーパーの惣菜やコンビニ弁当、インスタント食品などに頼りきった令寺の食生活を正すべく、ちょうど空き部屋だった令寺の隣室に越して来て朝昼晩の三食を受け持つ令寺お抱えの専属シェフとなっていた(合鍵は天世戦の後、寝込んでいた令寺に無断で作った)。
令寺はキャロルに言われるまま洗面所へ向かった。
蛇口を開けるとすぐにお湯が出て来た。キャロルが設定しておいたのだろう。
顔を軽く洗い口の中の粘ついた苦味を洗い流すべく蛇口から直接お湯を口に含み口内をすすいで吐き出した。
令寺が洗面所から戻るとキャロルは既に朝食をテーブルに並べ終え令寺の座る椅子を引いていた。
「ささっ!どうぞ、令寺様!お席に着いてお召し上がりください!」
笑顔で令寺を迎えるキャロル。
「・・・おう」
令寺はぶっきらぼうな返事をし気だるそうに腰をおろす。キャロルは透かさず令寺が座るのに合わせて椅子を押した。
キャロルはいそいそと令寺の向かいの席に座ると景気良く手を叩いた。
「それでは令寺様!いただきましょう!」
「・・・おう」
今朝の食事は半熟の目玉焼き、トマトとレタスのサンドイッチ、コーンクリームスープ、野菜スティック、ポテトサラダ、と、一汁四菜の豪華なメニューだ。
令寺は目玉焼きの目玉を割り、とろけ出す黄身にソースを垂らして混ぜ、少し千切った白身をそれに浸けて口へ運んだ。
「そういえば令寺様、“変身”の方は如何な具合ですか?」
「・・・」
キャロルの質問に令寺は無言で箸を置いた。
令寺と天世の決闘が終わってから六日が経った。
『戦挙権』ルールに乗っ取るならば決闘解禁の猶予期間は今日を含めてあと二日。明後日にはまた鬼怒芥との戦いが待っている。
天世戦同様に“変身”さえすれば恐らく苦戦することもないのだろう。
しかし、あの後何度か同じように“変身”できないものかと試みたがなかなかうまく行かなかった。
正直令寺自身、天世に勝った時のことをぼんやりとしか覚えていなかった。
激しい怒りに燃え、全身が熱く焼けるような感覚と、敵を殴った感触だけは記憶にある。
あの瞬間、身体を動かしていたのは意思ではなく、怒りを発散したいという欲求・・・、本能だった。
頭を使って理解するのは難しいことのようだが、これを制御し自由に“変身”ができるようになることが令寺の今後の課題である。
「全然だ」
「そうですか」
キャロルも目を伏せ、箸を置く。
「明後日にはまた鬼怒芥御兄弟との決闘があります。
相手は天世様のように“変異細胞活性形態”を使ってくるでしょう。本番であの時の力が発揮できなければ、令寺様の敗北は確実です」
「・・・できねぇもんはしょうがねぇだろ」
令寺はサンドイッチを乱暴に手に取り、丸ごと口の中に詰め込んだ。
「しょうがないでは済まされないことです」
「・・・」
「先日の天世様との決闘の折り、令寺様は私に対してご自身のお力を信用していないのか尋ねられましたね。私はあの時、信用している確かに申し上げましたが、無礼を承知で言わせていただきますと、今となっては生身の令寺様の力量は信用に足るものとはとても思えません」
「・・・」
「もしこのまま“変身”することができないままならば、明後日の決闘で令寺様は確実に殺されます」
キャロルが一息ついてティーカップを手に取ると、令寺は深い溜め息を吐きながらキャロルを睨んだ。
「じゃ、どうしろってんだよ?」
キャロルはカップに口を着ける寸前で手を止め、半目で令寺を見据えてニヤリと笑った。
「よくぞ聞いてくださいました」
キャロルはカップをテーブルに置き、素早く椅子を後ろへ引いて立ち上がった。
「えぇ、えぇ、よくぞ聞いてくださいましたとも令寺様!」
令寺はもう一度深く溜め息を吐いた。
「強大な力を持っているというのに使いこなせていない!近々大事な決戦があると言うのにこのままではいけない!部下の作る食事が美味しくて仕方がない!そんな時はやはり修行でございますよ令寺様!」
「・・・修行?」
「そうです!修行です!修行なのです!日本に古来より伝わる書物によるところ、強敵を前にした際は仲間達と修行をし、共にこれに打ち勝つことこそ王道なのです!これぞまさに“友情”、“努力”、“勝利”の三本柱!令寺様は日系人!なれば令寺様も先人達に習い、ホップ・ステップを駆け上がり、英雄達の高みへと飛び跳ねるが如く昇りつめるべきなのです!」
令寺は既に箸を取り、食事を再開している。
「とは言え、令寺様には能力の底上げや新技開発などの面倒臭い修行は一切不要!必要なのは既にお持ちになられているポテンシャルを引き出す為の訓練です!あの“力”さえ自由に引き出せれば令寺様に怖いものなど存在しますまい!」
キャロルは渾身のガッツポーズを決めると、一気にクールダウンし、席に着いた。
「なので、今朝の朝食にも隠し味に“変異細胞”を混入れてみました」
令寺は箸を止めた。
「令寺様、言いたいことはわかりますが、今はお食べください。朝食はその日一日の力の源。きちんと食べねば修行はできません」
「・・・次からそれ食わす時は前もって言っとけよな」
「かしこまりました」
令寺は食事を再開した。
鬼怒芥邸、百重の塔、無間の間。
上段の間には鬼怒芥家の総領息子である阿提、その妻の鮮花、そして鬼怒芥の鬼婦人潤那の三人が座っている。
その正面に向かい合う形で長女那苗、次女迦嵐、次男乾悟、四女緊歌、三男摩聡が横一列に座り、その五人の後ろで畳に額を擦り付けて土下座をしているのが先日の決闘で令寺に敗れた四男天世だ。
「まったく、情けねぇ」
腕を組み、吐き捨てるように呟く乾悟。
「あんだけ大見得切っといてむざむざ負けるとかウケるwww」
迦嵐は携帯端末を弄りながら口元をおさえて嗤った。
「骨の二、三本折られてれば同情の余地はあったんだけど、まさか、無傷で戻って来ちゃうとはね。びっくり」
呆れたように首を振る摩聡。
「・・・・・・」
那苗は目を伏せ苦笑しながら小さく鼻で溜め息を吐いた。
その背後で天世は土下座の姿勢のまま、苦虫の如き屈辱を噛み締めている。
姉弟達が天世を侮辱する中、それまで黙ってニヤけていた緊歌が口を開いた。
「みんな、やめなよ~。天世が可哀想じゃん。イジメはロックじゃねぇよぉ?」
天世を擁護するようなセリフだったが、その調子には明らかな嘲笑の意が込められていた。
「天世だって別に手ぇ抜いてた訳じゃないんだよなぁ?本気出してアレだったんだよ。天世は天世なりに頑張ったんだよなぁ?それをそんなに虐めたら天世があんまり惨めじゃん。新しいオモチャ手に入れて、ちょっと調子こいちゃっただけだよなぁ?自分が強いと思い込んじゃっただけなんだよなぁ?天世ぇ?」
刺々しいピアスを開けた舌を出して後ろで土下座する天世を振り返る緊歌。
天世は歯軋りをしながら憤慨の呻きを漏らしている。
「だ~いじょ~ぶ、姉ちゃんはお前の味方だからさ。姉ちゃんが令寺ぶちのめして、お前の仇取ってやっから。あ、お前言う程痛い思いしてないんだっけ?あっはは!」
緊歌は立ち上がり、潤那の方を見てニヤリと笑った。
「ってことで、次はアタシが出るよ、母さん」
「・・・えぇ、好きになさい」
潤那は一切の感情が無い目で緊歌を見据えると抑揚の無い声で応えた。
「あっはは!!オーケー!明後日が楽しみだね!そいじゃ、アタシは“チューニング”でも整えとこっかな♪」
そう言って緊歌は足取り軽やかに無間の間を後にした。
緊歌が去った後、次女迦嵐は他の兄弟達の顔を見回した。
「え?みんな緊歌、令寺に勝てると思お?」
それに対し、三男摩聡は肩をすくめた。
「少なくとも僕は思ってないかな」
「誰も思ってねぇよ」
うんざりした様子で首を鳴らす次男乾悟。
「思ってたら全員テメェが名乗り出んだろ。緊歌なんざが次期ボスになってたまるかよ」
「な~る、言えてるっぽいわ」
「お前よりはマシだけどな」
「はぁ!?何それ!?マジ聞き捨て!!」
「そういうとこだ馬鹿がっ」
「ねー!!ママ!!いいの!?コイツすっげぇ口悪いよ!!」
乾悟を指し示す迦嵐の指を長女那苗が叩き落とした。
「やめなさい二人とも、母様の前だ」
「だぁって、ケンゴがぁ・・・」
迦嵐は不服そうに下を向いた。
「ま、とりあえずは明後日の決闘を見届けるとしようよ。じゃあ、僕は所用があるからこれで」
そう言って摩聡は立ち上がり、未だ土下座をし続ける弟の横を通って無間の間を後にした。
摩聡が無間の間を出て廊下を歩いていると、突如、摩聡の背後に人影が現れた。その人物は黒いスーツを纏った長身痩躯の男で、長い白髪が顔を覆っていてその表情は全く見えない。背中を丸めて杖をついているが、その状態でも2m以上はある。異様な長身に骨張った細い身体、そして頭部を丸々覆う白髪。まるで枯れ木が動いているような不気味な男だ。
「首尾は如何か?」
枝垂柳のような白髪の隙間から嗄れた声が漏れ出した。
「首尾も何も、大して事は動いてませんよシチジョウジさん」
老人の名前は七条路染造。鬼門会のメンバーの一人であり、摩聡に票を入れた後見人だ。
「次の決闘にはどなたが?」
七条路は摩聡と並んで歩き出した。
「緊歌姉さん」
「ほう、それはそれは。健闘を祈りましょう」
「心にも無いことを言いますね」
「いえいえ。緊歌嬢にはそこそこ善戦していただきたいと本心から思っておりますとも」
「でも勝って欲しいとは欠片も思ってないし、そもそも緊歌姉さんが勝つとは微塵も思って無いんでしょ?」
「くくくくく・・・。摩聡殿もお人が悪い」
「僕だけじゃない。那苗姉さんと乾悟兄さんだって、とりあえず今は令寺に関する戦闘データが欲しいのさ。得意戦法、苦手分野、エトセトラ・・・。それを見極めてから決闘に名乗りを上げる。早すぎちゃダメだ。令寺の力量はまだ未知数な部分がある。遅すぎてもダメ。他の兄弟が令寺を見極めたら次期ボスの座が奪われる。少なくとも那苗姉さんと乾悟兄さんはそのつもりさ。迦嵐姉さんはそんなこと考える知能は無いだろうけどね。阿提兄さんと夜凪姉さんは何を考えてるのかわかんないけど、まぁ、あの二人は最後まで名乗りを上げることは無いんじゃないかな」
「摩聡殿はいつ出られるおつもりで?」
「そうだな。天世との決闘で令寺に関するデータ収集率は40%ってとこだから、今回、緊歌姉さんに精々30%ぐらい引き出して貰えれば、次回僕が出た時に戦闘序盤で100%のデータ収集ができると思う。パワータイプとの戦いなんてデータさえ揃えば楽勝だよ」
「くくくくく・・・。期待しておりますぞ、摩聡殿。このツヅキの街は貴方のような卓越した知力による為政を必要としている。貴方が総裁となられることを切に願っておりますぞ。くくくくく・・・」
乾いた廊下にしゃがれた笑い声を残し、七条路は姿を消した。
やがて七条路の笑い声の残響が完全に消えると、摩聡は暗い廊下の奥を眺めて嘲るように目を細めた。
「ふん、爺狐が・・・」
「この六日間の尿検査や血液検査の結果から天世様との決闘時に摂取した“変異細胞”が全て体外に排出、もしくは燃焼されてしまっていることがわかりました」
朝食を終えて和室で寛ぐ令寺に、キャロルは食器を洗いながら語りかける。
「そんな検査した憶え無ぇぞ」
爪楊枝をゴミ箱に投げ入れてキャロルを睨む令寺。
「そりゃそうでしょうね。気付かれぬようこっそりと行っていましたので」
しれっと答えるキャロルの背中を令寺はより強い眼光で睨み付ける。
「だって、尿検査しましょうね~って言っても素直にオシッコ出してくれないと思ったので。血液も同様です。詳しい方法は伏せます。ただワタシは隠密工作に長けている、とだけ申し上げておきましょう」
令寺は無言でキャロルを睨み続ける。
「他の鬼怒芥御兄弟様方の“変異細胞”は脊髄に移植されているので肉体に定着し、以降自ら体内生成できるらしいのですが、やはり令寺様は経口摂取されただけですので定着は難しいようですね」
淡々と語りながら食器を洗うキャロル。
「令寺様にも移植手術ができればいいのですが、処置方法は鬼怒芥家の専門医であり鬼門会の一人である七条路という御仁だけが知っているので無理ですね。“変異細胞”の培養についてはデータを盗みましたので私の所有するラボでできますが・・・」
食器を洗い終え、睨み付けてくる令寺の方へ振り返り、自前のエプロンで手を拭きながら和室へやって来るキャロル。
「なので当面は逐一経口摂取していただきます」
そう言ってキャロルはエプロンのポケットから赤い錠剤の入った薬剤ボトルを取り出し令寺の目の前、和室のテーブルの上に置いた。
「こちらは令寺様がお持ちください。飲みやすい錠剤タイプとなっております。理論上では一錠で三分ほどの変身時間です。変身できればの話ですが」
令寺はキャロルの顔をまじまじと見た。
先ほどからキャロルの言葉の端々にトゲを感じていたからだ。
父提寺朗の墓前で顔を合わせた時から昨日までの一週間、キャロルは令寺のことを無条件で褒め称え、異常なほど過保護に接して来たものだった。
過保護さと言えば、水道の温度をあらかじめお湯に設定し、品目の多い朝食を用意してモーニングコールをしに来る、という時点で充分過保護ではある。
言動も、今までがやり過ぎなほど甘かっただけで、今日のキャロルの令寺に対する態度は本来なら正当であると言える。
だが、今までと明らかに態度が違うため違和感を覚えずにはいらなかった。
この一週間で令寺はキャロルから散々甘やかされ、それにすっかり慣れきってしまっていた。
令寺にとっては何をおいてもそのことが腹立たしくて仕方なかった。
「ちっ・・・、これ飲む時に水は?」
令寺は小さく舌打ちし、薬剤ボトルを手に取った。
「水無し一錠です。飲んでから十分ほど間をおかないと変身できません。それと、一度に二錠以上飲むことはオススメできません。過剰摂取による副作用が未知数ですので。一錠飲んだら三時間以上間隔を空けてください。よろしいですね?」
「おう」
令寺はいつも通りぶっきらぼうな返事した。
「では、少し休んでから修行と参りましょう。ワタシは支度をして来ます」
キャロルはエプロンを脱ぎ、令寺の部屋を後にした。
令寺はキャロルが出て行きドアが閉まるのを見届けると、薬剤ボトルをテーブルに置き、舌打ちをしてベッドに横たわった。
「くそっ・・・、ムカつく・・・」
鬼怒芥邸敷地内にある道場『鬼仁館』。
赤縁の黒畳が敷き詰められた場内には赤い道着姿の屈強な男達が二十人ほど横並びで正座し、その目の前では同じく赤い道着の男が数十人床に倒れ込んでいる。
さらに彼らが見守る先では、黒い道着に身を包んだ2mを超す長身に巨大な筋肉を搭載した大男が赤い道着の屈強な男達を次々に殴り飛ばして行く。
鬼怒芥家第五子にして次男の乾悟が日課の百人組手に励んでいた。
「次っ!!」
八十二人目を殴り飛ばし、次の相手を呼び込む乾悟。
横並びで正座していた赤道着達の右端の男が立ち上がり、気合いの声を上げて乾悟に立ち向かう。
赤道着は乾悟の頭を目掛けて素早く鋭い上段蹴りを打ち込む。
あまりの速度に乾悟は反応できず、ノーガードの側頭部に蹴りが直撃した。
が、直後激痛に顔を歪める赤道着。乾悟の頭を蹴り抜いた足の甲が一瞬の内に真っ赤に腫れ上がり、爪が割れて血が飛び散った。
一方、蹴られた乾悟は眉一つ動かさず赤道着を見据えて微動だにしない。
赤道着がふらつきながらも畳に両の足を着いて体制を立て直したのを見届けると、乾悟は一歩前へ踏み出し赤道着の胸ぐらを狙った中段突きを打ち出す。
赤道着は両腕でガードをしたが、乾悟の拳撃は凄まじく、赤道着の身体は防御も虚しく10m先まで吹き飛んだ。
「次っ!!」
乾悟が怒鳴ると八十三人目が立ち上がり気合いの声を上げて乾悟に立ち向かって行く。
そんな乾悟の百人組手の様子を道場の隅で眺めている二人の老人がいた。
一人は功名元成。齢六十一にして3mはあろう巨体を持つ鬼門会のメンバーであり、先日令寺に敗れた天世の後見人を務めた男だ。
もう一人も同じく鬼門会員、名を仁木猩之助と言い、背丈は功名と並べば小さく見えるが、それでも180cm前後は有り、齢七十八にしては長身。加えて道着に袴の上からでも分かる筋肉質な身体付きはまるで衰えを感じさせない威厳を放っている。
「天世殿の件は残念だったな」
乾悟が八十三人目を殴り飛ばす様を眺めながら仁木がポツリと呟いた。
「誠に。ひとえに私の教導不足故のことかと」
およそその巨体に似つかわしくない腰の低い態度で応える功名。
仁木と功名の二人は若かりし頃、この『鬼仁館』に身を置く師範代と門下生の関係だった。
堅く目を瞑りうつむく功名を横目に一瞥し、すぐに乾悟へと視線を戻す仁木。
「あの天世殿の未熟ぶりは目に余る。己の培った“技”でなく、他から与えられた“力”に頼ったことへの報いだ。お前の落ち度ではない」
功名は仁木の言葉を噛み締めるように深く頭を下げ、少ししてから顔を上げて仁木同様乾悟を見た。ちょうど九十人目を殴り飛ばしたところだった。
「しかし、乾悟殿は実にお強くなられた。今ならば阿提殿にすら届くのでは?」
九十一人目を呼び込む乾悟を眺めて言う功名。
「なにも驚くことではない。他ならぬこの俺が直々に教えているのだ。強くて道理よ」
九十一人目を殴り飛ばした乾悟を見て応える仁木。
が、その後、仁木は乾悟を見る目をじっと細めて腕を組んだ。
「だが、阿提殿へはまだ遠い。阿提殿に届く・・・、延いては阿提殿を越える為には、乾悟殿にはまだまだ足りないものがある。加えて余計なものも持ち合わせている。それを棄てねば阿提殿を越えることなど、乾悟殿には叶わん」
仁木と功名の会話をよそに、乾悟は九十五人目を殴り飛ばした。
「次っ!!」
「それでは令寺様!張り切って参りましょう!」
曇り空に向けて高々と拳を突き上げるキャロル。
ここは令寺の住まうマンションの屋上。周囲に高層建造物は無く、二人の姿が周りに見られる恐れは無い。
令寺は屋上のほぼ中央に立ち、少し離れた場所でキャロルが小洒落たテーブルとイス、ティーセットを用意して令寺を見ている。
「ここ立ち入り禁止だぞ」
屋上へでるドアを指差す令寺。ドアの前の看板にはきちんと『立入禁止』の札が貼られていた。
「ノー・プロブレムです!このマンションは『FURY-JUNK』が所有する不動産ですので、屋上は謂わば我々のベランダです!」
令寺は顔をしかめた。この二年、鬼怒芥家との縁を切ったつもりになっていたが、稼ぎ口のストリート・ファイト・クラブも住んでいたマンションも『FURY-JUNK』の所有物だった。令寺は『FURY-JUNK』から金を貰い『FURY-JUNK』に住まわせて貰っていた。
「どうやって変身すんだ!?」
令寺は優雅に紅茶を飲むキャロルに怒鳴った。
「ものは試しです。ひとまず『変身!』と叫ばれてみては?」
馬鹿にしたようなアドバイスをして再び紅茶を飲むキャロル。
「舐めてんのか!?」
無論怒鳴り付ける令寺をよそに、キャロルはスコーンをかじっている。
令寺は怒りに顔を歪めて歯ぎしりをしたが、すぐに深呼吸をして冷静さを取り戻した。
そもそも“変異細胞”について何も知らない自分がキャロルの言葉を否定できる理由は無い。
姿勢を正し、意識を集中させ、拳を握り、大声で叫ぶ
「変身!!」
鬼怒芥邸の長大で複雑に入り組んだ渡り廊下を並んで歩く鬼怒芥家第二子の長女那苗と第三子の次女迦嵐、そして第六子の四女緊歌。
「それでね、夜凪がアタシの分まで食べようとしたの!だからアタシ『ダメ!』って言って、夜凪の手を叩いたんだけど、夜凪の手を押し付けた感じになっちゃって、アタシの分のが夜凪の手の下にあったから、そのまま押し潰しちゃったの!中身飛び散って、床べちょべちょになっちゃって二人して『もぅ最悪じゃ~ん』ってなって、ヤバくない?マジないよね~」
まったく面白みの無い三女夜凪とのエピソードを一人だけ楽しそうにベラベラと喋り続ける迦嵐。
緊歌は酷くつまらなそうな顔をし、那苗は嘲るようにほくそ笑んで迦嵐の話を聞いている。
「でもそのあとぉ、夜凪がね『じゃあ新しいの注文しよ』って言って!『めっちゃ名案じゃーん!』ってなったの!『夜凪、あたま良っ!』ってなって!『じゃあ早く注文しよ!』ってなって!で、注文したんだけど、日本からの取り寄せのやつだったから、届くの二日後になるとか言うの!『うわ、結局クソじゃーん!』ってなって!ヤバくない?マジないよね~」
山場の無い話を延々と喋り続ける迦嵐。
と、渡り廊下が分岐点に差し掛かった。
「でね・・・、あ、アタシ夜凪のとこ行くから!じゃね~♪緊歌♪がんば~♪」
那苗と緊歌に手を振りながら廊下の奥へ去って行く迦嵐。
「あぁ・・・、やっと終わった・・・」
緊歌は肩の力を抜いて深い溜め息を吐いた。
「クッッッッッソつまらねぇ話を延々二十分よ!聞かされるこっちの身にもなれや!超ありえねぇ・・・」
「なら、そう言えばいいじゃない」
口元に手をあて、クスクスと嗤う那苗。
「言ったことあるよ!何回か言ったの!『クソつまらない話すんな!』って!それでアレだから困ってんの!もうさ、一回さ、那苗姉から言ってくんない!?あいつ母さんか那苗姉の言うことしか聞かないから!」
苛立ちを顕に明るく染めた金髪を掻きむしる緊歌。
「マジで、あの夜凪姉との仲良しエピソード、ゴミ過ぎる!知らねぇよ!馬鹿と引きこもりがっ!勝手に傷舐めあってろよ!あたしには関係無いから!ああぁぁぁ、ホントやめて欲しい・・・!」
「あのこはいったい、いつまで“あんなこと”やってんだろうねぇ」
那苗は迦嵐の向かった方を眺めながら苦笑した。
「知らないよ!馬鹿はいつまでも馬鹿でしょ!あ~、マジムカつく!」
「その怒りは令寺にぶつけてやんな」
一頻り喚いた緊歌の乱れた襟元を後ろから正してやりながら囁く那苗。
「・・・そうだね。迦嵐姉以上にクソな寄生虫野郎がいたんだった」
緊歌は目には未だ怒りを溜めたまま、口元をゆがめて歪な笑みを作った。
「あの野郎・・・、愛人のガキの癖によくもまぁぬけぬけと臆面もなくボスの座に名乗りを上げるなんてロックの欠片も無えことできるよねぇ」
那苗が襟を直し終えると、緊歌は再び歩き出した。
「ああいうロックじゃねぇヤツは叩き直してやらなきゃね」
令寺とキャロルは昼食を摂っていた。
「それにしても、できませんねー、変身」
一口かじったサンドイッチを皿に置き、ティーカップを手にとって呟くキャロル。
「叫ぶ行為にもなんの意味もありませんでしたねー」
令寺は無言でおにぎりを頬張っている。中身はおかかだ。
「どうすればできるんでしょうねー」
キャロルは小馬鹿にしたような締まりの無い口調で喋り続ける。
「令寺様はどう思われますー?」
紅茶を一口飲んで作ったような笑顔で令寺を見るキャロル。
「・・・知らねぇよ」
令寺は口の中の米をお茶で胃まで流し込み苛立った様子で吐き捨てた。
「困りましたねー。こんなことでは明後日の決闘、勝てませんねー」
キャロルはわざとらしく頬に指を当てる仕草をして見せる。
「・・・おい」
「はい?」
令寺はテーブルに腕を置いて乗り出し、わざとらしく小首を傾げるキャロルの顔を睨み付けた。
「お前、なんか知ってんだろ?」
「と、言いますと?」
キャロルは作り笑顔をやめ、ツーンとした表情で令寺を見返す。
「変身する方法だよ。コツとか、なんかそういうの」
「存じません」
令寺の質問をキッパリと言い放ちサンドイッチを一口かじるキャロル。
「・・・あっそ」
令寺はしばしサンドイッチを咀嚼するキャロルを睨んだ後、自身も再びおにぎりを頬張った。
鬼怒芥邸。
広大な座敷部屋にポツリと三つ置かれた豪華な料理が並ぶ膳と、そこに着く三人の男女。
たった三人だがコの字に並び、真ん中に座るのは鬼怒芥家の長子阿提。着流しの浴衣に裸足というラフな出で立ちであぐらをかき、たくあんをかじっている。
阿提から見て右側には鬼怒芥八兄弟の母潤那。黒い着物に凛とした姿勢で行儀良く箸に手を添えてたくあんを口に運んでいる。
そして阿提から見て左側に座るのは阿提の妻鮮花。潤那と揃いの着物に身を包み、少し強張った表情にぎこちない仕草で潤那に習い手を添えてたくあんを食べている。
「・・・阿提」
ふと、たくあんを食べ終えた潤那が未だポリポリとたくあんをかじり続ける阿提に呼び掛けた。
潤那の一言に、呼ばれたわけでもない鮮花のほうがピクリと肩を震わせ、食事の手を止めて固まってしまった。
「ん?」
阿提はかじりかけのたくあんを口に放り込みながら眉根を吊り上げた。
「お前は令寺との決闘に名乗りを上げないの?」
「うん・・・」
たくあんを咀嚼しながら頷く阿提。
潤那の口元がわずかだが歪み、それを見た鮮花は生唾を飲んだ。
「・・・次の決闘は緊歌が名乗りを上げたけど、あなたが出ればすぐ終わることでしょう?こんな茶番はさっさと片を付けて、あなたが総裁になりなさい」
不機嫌そうに淡々と語る潤那を前にして身動ぎ一つできない鮮花をよそに、阿提は気の抜けた態度を取り続けている。
「ん~・・・」
そしてたくあんを飲み込み、やる気の欠片も無い顔で潤那と向き合った。
「まぁ、なんつーかさ・・・、兄弟達もはりきってるし・・・、ほら、あれだよ・・・、チャンスは皆に平等に、さ」
間の抜けた調子で応える阿提を見て潤那の眉間に小さくシワが寄った。それを見た鮮花の背中に脂汗が滲む。
「阿提、あなたは長男なのよ?つまりは総領息子なの。あなたが組を継がずにいてどうするの?」
「言っちゃなんだがよ、お袋。俺ぁ今の時点で『六道会』の理事やってんだぜ?その上『FURY-JUNK』もなんて、神経磨り減っちまう。組のことは兄弟達とお袋に任せるさ。ま、お袋と那苗がいりゃあ上手いこと回るだろ。な、鮮花?」
「え!?」
唐突に声をかけられた鮮花の肩がピクリと跳ねた。
「あ・・・、えっと・・・」
鮮花は阿提に苦笑いを向けつつ横目にチラリと潤那を見た。
凍り付くような鉄面皮が冷たい視線で鮮花を見詰めている。
「あ、あ、あ、阿提さんが、あの、えっと、ちょちょちょ長男なわけですし・・・、その、かかかか家督をきちんと、ちぐ・・・、つゅ・・・つつ、継ぐべきじゃないかな~・・・?と、わわ私は、その思いますぅぅ、よ?」
鮮花は冷や汗をだらだらと垂らし、引きつった顔で潤那と阿提を交互に見ながら答えた。
「鮮花」
「はい!!」
潤那に呼ばれた鮮花は軽く跳び上がり背筋を伸ばした。
「鬼怒芥の妻たるもの、夫の言うことに異を唱えるものではありません」
「すみませんでした御義母様!!口答えしてごめんなさい阿提さん!!もう絶対逆らいません!!」
鮮花は潤那にたしなめられた直後に後ろへ跳び、潤那に土下座し、即座に方向を変えて阿提にも土下座した。
「鮮花」
「はい!!」
潤那に呼ばれた鮮花は額を畳に擦り付けたまま高らかに返事をした。
「食事中に席を離れてはいけません。それと、土下座するのはやり過ぎです。顔を上げてお膳に戻りなさい」
「はい!!御義母様っ!!」
鮮花はすぐさま跳び上がり、膳に戻って正座し、震える手で箸を取り上げ、阿提と潤那を交互に見た。
阿提は何食わぬ顔で味噌汁をすすり、潤那も煮魚をつついている。
鮮花も二人に習い、箸を持つ手を震えさせながら白米を食べ始めた。
「それで?」
「はい!!」
潤那が言葉を発したのに反応して鮮花は箸を膳に叩きつけた。
「・・・貴女に言ったのではありません。阿提」
潤那はこちらを凝視してくる鮮花を一瞥してから横目に阿提を睨み付けた。
阿提は味噌汁の椀を膳に置き、煮魚の身を箸でほぐし始めたところだった。
「お前が決闘に名乗りを上げるつもりも、組の総裁になるつもりも無い、というのはわかったわ。では、お前は令寺が総裁になっても構わないと考えてる、ということでいいの?」
「そうは言っちゃいねぇさ」
阿提は煮魚のほぐし身を口に放り込みながら答える。
「俺が出ねぇでも誰かしら勝つんじゃねぇの?那苗とか。俺としちゃ、そうなりゃ御の字だよな」
ヘラヘラしながら煮魚を口に運ぶ阿提を潤那は依然として睨み付けている。
二人の顔を交互に見比べては、鮮花の冷や汗が顎を伝って膝に垂れた。
「では、お前の兄弟達が全員令寺に敗けたら、お前はどうするつもりなの?むざむざと令寺に総裁の座をくれてやるつもりなのかしら?」
潤那は静かに、だが徐々にその語気を強めている。その声におののき涙目になる鮮花。
「いや、そうなったら俺が戦るさ」
阿提は口の端から魚の小骨を吐き出しニヤリと笑った。
昼食を終えた令寺とキャロルは部屋へ戻り、キャロル持ち込みの特設スクリーンに向かっていた。
「よろしいですか令寺様?」
キャロルはリクルートスーツに眼鏡、という出で立ちでプロジェクターと連結したコンピュータのリモコンを操作し、スクリーンの真正面に仏頂面であぐらをかく令寺に呼び掛けた。
「“パラ・アヴァターラ”は正式名称を“変異細胞活性形態”と言います。すなわち、いわゆる“パラ・アヴァターラ”と呼ばれるのは令寺様や天世様が変身なさった“あのお姿”のことです」
キャロルがリモコンを操作すると、スクリーンに令寺や天世が変身した姿のイラストが表示された。
「メカニズムとしましては、神経に強いエネルギーを通すことで脊髄に移植された“変異細胞”を活性化させ、肉体を“変異細胞活性形態”へと変異させる、というものです」
キャロルがリモコンを操作すると、スクリーン上で令寺が変身するショートアニメーションが展開された。
「ここで重要なのが、“核融業炉”です」
キャロルがリモコンを操作すると、スクリーン上に天世が胸に埋め込んでいた円形の装置の写真が表示された。
「この“核融業炉”は超小型原子炉で、一分間に百ギガWのエネルギーを生成します。これにより“変異細胞”を活性化させるエネルギーを発生させてるわけですね」
キャロルの話を聞いて令寺は眉間にシワをよせ目を細めてあくびをした。
「“核融業炉”の正常稼働にはタイムリミットがありまして、一個の“核融業炉”の稼働制限は五分間となります。五分を超えて稼働させ続けると、メルトダウンを引き起こす可能性がある危険な代物です。と言っても、“核融業炉”にはきちんとリミッターがかけられておりまして、五分間稼働すると自動的に一時間の休眠状態に入ります。つまり、“変異細胞活性形態”を展開できるのは五分間だけ、ということになりますが、これは鬼怒芥の御兄弟様方に限った話。令寺様は先ほど申しましたように錠剤型“変異細胞”の都合上、変身時間の限界が三分です。この変身時間の差には、充分注意してください」
すでに令寺の眉間からはシワが消え、目も半開きとなりかろうじて首をもたげている状態となっている。
「“変異細胞”にはいくつかの型がごさいます。例えば天世様の“変異細胞活性形態”は“アヴァターラ・デーヴァ”と呼ばれる型で、量産目的に開発された汎用型の“変異細胞”です。目立った特技はありませんが、戦闘能力の向上率は約50倍。対戦車兵器による攻撃に耐える耐久力とレーシングカーとタメセン張れるほどの敏捷性を有しており、対人近接戦闘では比類無き力を発揮します。何の“パワー”も無い生身の人間が戦うのは無謀、ということですね」
キャロルは得意げに鼻を鳴らしながら眼鏡を直す仕草をした。
「その他に“変異細胞”には、高い機動力を誇る“アヴァターラ・キンナリー”、破壊工作を得意とする“アヴァターラ・マホーラガ”、最も耐久力の高い“アヴァターラ・ガンダルヴァ”、戦闘力の向上率でデーヴァを大きく上回る“アヴァターラ・ヤクシニー”、超低燃費型の“アヴァターラ・ガルーダ”、大規模戦闘用に開発された“アヴァターラ・ナーガ”、そして詳細は不明ですが全“変異細胞”中最強と言われる“アヴァターラ・アスラ”などがあります」
令寺はもはや意識を保つのがやっとの状態となっていた。
「令寺様に摂取していただいている“変異細胞”はそれら八種類のどれとも違う第九の“変異細胞活性形態”、“アヴァターラ・ラクシャス”です。全身が“剛万鎧殻”で覆われた超硬外皮、使用者の体躯に合わせた小型ボディは機動性に優れ、理論上の戦闘力向上率は百倍以上!」
キャロルはプロジェクターの電源を切り、スクリーンをたたんで部屋の明かりを着けた。
「それこそが令寺様の“変異細胞活性形態”、“アヴァターラ・ラクシャス:アウト・レイジ”なのです!」
自慢気に腰に手を当て眼鏡を直すキャロル。
令寺は部屋の明かりに目を細めつつ大あくびをかいた。
「以上が“変異細胞活性形態”についての説明となります。おわかりいただけました?」
キャロルに呼び掛けられた令寺は眠気で鈍る思考をフル稼働させて授業内容を自分なりに総括した。
「あ~・・・、胸に原子炉埋め込むとか気が狂ってる・・・?」
それを聞いたキャロルは険しい顔で令寺を見据えた後、溜め息を吐いて眼鏡を外した。
「まぁ、おにぎりを六つも平らげた満腹脳細胞に暗くて暖かい室内での座学は酷でしたか。仕方ありません、しばしお昼寝タイムといたしましょう」
キャロルはリモコンと眼鏡をポケットにしまい、スクリーンとプロジェクターを脇に挟んで再び部屋の明かりを消した。
「また後ほど伺います。では、令寺様、お休みください」
そう言ってキャロルは令寺の部屋を後にした。
令寺はキャロルの後ろ姿を見送ると、たたまれたままの布団に重たい頭を横たえてそのまま眠りに就いた。
翌日・・・、を飛ばして決闘当日、の夕刻。
鬼怒芥邸地下格技場、選手控え室。
ベンチに座って拳にテーピングを巻く令寺と、ロッカーに寄りかかりそれを見守るキャロル。
「とうとう変身できぬまま、この時が来てしまいましたね、令寺様」
キャロルは腕を組み溜め息を吐いた。
「おう」
令寺はぶっきらぼうに答えてテーピングを終えた手の感触を確かめた。
「一応うかがっておきますが、棄権のご意志は?」
「ねぇよ」
心配そうに見詰めるキャロルをよそに令寺はシャドーボクシングをしながらきっぱりと吐き捨てる。
「・・・緊歌様の“変異細胞活性形態”にどう対抗されるおつもりですか?」
「変身する前に倒す」
「もし変身されたら?」
「ムカつくけど、五分間逃げ切る」
キャロルは再び深く溜め息を吐き、足元のカバンの中から薬剤ボトルを取り出した。
「どうぞ。念のためです。変身できるかどうかはさておき、“変異細胞”を摂取していなければ変身することはまず不可能ですので」
令寺は無言で薬剤ボトルを受け取ると、しばしキャロルとボトルを交互に睨み付け、短く鼻で溜め息を吐いてからボトルの中身を一錠取り出し口に放り込んで飲み込んだ。
「・・・ぷふぅ、・・・ほら」
令寺はぶっきらぼうにボトルをキャロルへ返却し、ベンチに座った。
キャロルもボトルをカバンへ戻し、一人分の間を空けて令寺の横に腰かけた。
「事前に得た情報によりますと、緊歌様の“変異細胞”は“アヴァターラ・キンナリー”だそうです」
「・・・それなんだっけ?」
「高い機動力を誇る型です。はっきり申し上げまして、生身の人間が五分間逃げ切るなど不可能です。なので・・・」
キャロルは少し身を乗り出し、令寺の横顔をじっと見据えた。
「“変異細胞活性形態”無しで戦われるのなら、決して緊歌様に変身する隙を与えぬよう速攻で決めてください。よろしいですね?」
キャロルの言葉には今までになく凄みが込められていた。
令寺はテーピングの感触を確かめるフリをしながら小さく舌打ちをした。
「ちっ・・・、わかったよ」
そうこうしていると、控え室内にノックする音が響き、ドアを開いてヨコハマ評議会選挙管理委員の二十六木レイチェルが現れた。
「時間です。令寺様、会場へお越しください」
天世戦の時と同様、観客席には『FURY-JUNK』の構成員や関係者が大勢集まっている。北側席最前列には前回戦った天世と三女の夜凪を除く鬼怒芥家の人間が座り、南側最前列に座るキャロルがリングへ上がるステップの前に控える令寺を険しい表情で見詰めている。
「前回に引き続き決闘の立会人をさせていただきます、二十六木レイチェルです」
レイチェルは形式上の挨拶を済ませるとリングの南北サイドに向けてを両腕を広げた。
「それでは、ご入場ください」
レイチェルの合図と共に令寺がリングに上がると、緊歌は既にリング上で待機していた。
前回と同様のファイティングウェアで佇む令寺に対し、緊歌は胸元を大きく空けた赤いシャツに黒皮のジャケットと黒いダメージジーンズ、手にはエレキギターを携え、明るく染めた金髪を逆立てた、およそこれから決闘に挑む者の出で立ちとは思えない格好だった。シャツのはだけた胸元には天世同様の直径10cm程の円形の装置“核融業炉”が埋め込まれている
「あっははははは!令寺ぃ!ずいぶんご機嫌斜めなツラしてんねぇ?ロックじゃねぇな~♪」
緊歌がニタニタと挑発的に笑いながら刺々しいピアスを着けた舌を出してエレキギターを掻き鳴らすと、ギターに装着されたワイヤレスエミッターを通し、地下の天井に取り付けられたスピーカーから発せられた歪んだ爆音が会場内に轟いた。
あまりの騒音に会場内の観客達は一斉に耳を塞ぐ
令寺は無言で眉間のシワを深めた。
ここ二日間のキャロルの態度とそれに違和感を抱いた自身の甘え、何度試みても変身できないことへの焦燥、先ほどのプレッシャーをかけるかのようなキャロルの言葉、極めつけは純粋に癇に障る緊歌の笑い声とこの爆音。
それら全てが令寺の苛立ちを増長させる要因となっていた。
「決闘のルールは前回と同様。一対一の闘い。武器等の使用は自由。どちらかが降参する、意識を失い戦闘不能となる、場外へ出る。この三つの条件の内一つが適用された場合、その時点で勝敗が決まります。よろしいですね?」
レイチェルはルールの説明をしてから緊歌と令寺を交互に見る。
「さっさと始めてくれ」
令寺は緊歌を睨み付けたままレイチェルに手を向けて合図した。
「あっは!せっかちだなぁ」
そんな令寺を弓なりに曲げた目で見据えて嗤う緊歌。
「では・・・」
レイチェルは右手を高く挙げた。
「始めっ!!」
そして勢い良く振り下ろし、戦闘開始を宣言した。
と、同時に緊歌は胸元の“核融業炉”をタップした。
「あっ・・・」
開始宣言と同時に踏み出していた令寺だったが、もはや手遅れ。緊歌の“核融業炉”は既に内部の機構が急速回転、赤く発光し始め、瞬く間に光は緊歌の全身を包みこんだ。
「くそっ・・・!」
令寺は即座に後退し、緊歌との距離を取る。
緊歌を包む光は10mほどの球体となり、その直後に凄まじい勢いで弾け飛んだ。リングから観客席にまでおよぶ衝撃波を受け、令寺は数十センチ後退る。
波の中心部、緊歌のいた位置には砂煙が舞っている。と、思った直後、砂煙を巻き上げて何かが令寺目掛けて猛スピードで飛来してきた。
令寺は咄嗟に避けようとしたが、その飛行速度は令寺の反射速度を大きく上回っていた。
それは令寺の左肩に接触して急上昇、令寺は回転しながら吹き飛び、地べたに叩き付けられた。
令寺はリングの上を転がりながらも立ち上がり、左肩の傷口を抑えた。一瞬の接触だったが肩の裂傷は深く、テーピングにみるみる血が滲み、抑えた指の隙間からもどくどくと血が溢れる。
痛みに顔を歪めながら、令寺は敵の姿を確認した。
飛行物体は高速で縦に旋回し、リング中央に着地した。
〔あっはははははは!〕
高らかに神経を逆撫でするような笑い声を上げたそれは、天世の“変異細胞活性形態”とはまったく異なる姿をしていた。
体長は4m弱、全身が赤い羽毛に覆われ、猛禽類のような手足、腰と両腕から二対のコウモリのような翼を生やし、獣の頭を持つ異形の怪物。額には先ほど胸に埋め込まれていた“核融業炉”が輝いている。
〔これがアタシの“変異細胞活性形態”!“アヴァターラ・キンナリー:ノイズ”だ!あっはははははは!〕
緊歌は高笑いしながら飛び上がると、先ほど同様猛スピードで令寺に突進する。
この動きを先読みし回避に備えていた令寺だったが緊歌のスピードは凄まじく、またも接触。今度は右肩を切り裂かれた。
南側席最前列のキャロルは依然険しい表情で令寺を見詰めている。
そんなキャロルのもとへ一人の男がやって来た。
黒いスーツに身を包んだ痩せぎすの初老の男。白髪混じりの髪を後ろへ撫で付け、顎には髭をたくわえ、左頬に梵字の刺青を入れている。
「序盤から形勢不利だな、令寺殿は」
男はキャロルの隣の席に座り、ニヤニヤと笑いながら呟いた。
「これは令寺殿の勝ちの目は薄いかも知れんなぁ」
緊歌の後見人を務める鬼門会の一人、桧原限一。鬼門会ではキャロルと潤那を除いた中で最も若い六十二歳だ。
「まだまだ序盤です。結論を急ぐものではありませんよ」
キャロルは眉間にシワを寄せ、桧原を見ることも無く吐き捨てた。
「クッソがぁっ・・・!」
両肩から血を撒き散らしながら怒りに顔を歪める令寺。
緊歌は再び急速旋回、鋭い爪を剥いて令寺目掛けて高速で飛来する。
令寺は急いでその場から飛び退いたが、またもや緊歌のスピードに捕らえられ背中を切り裂かれた。
「ぐあっ・・・!!」
「あっれー?緊歌勝ってね?」
北側席最前列に座る迦嵐が身を乗り出してリングを指差し、左右に座る兄弟の顔を見た。
「なんかみんな勝てるわけねーじゃん的なこと言ってたじゃん?ね?ね?」
「令寺が変身した場合の話だ、馬鹿・・・」
険しい顔ですでに血だらけの令寺を睨み付けて呟く乾悟。
「うーわ!馬鹿とか言ったー!ねぇママ!乾悟が馬鹿とか言うんだけどー!?」
「やめな迦嵐」
乾悟を指差し潤那に訴える迦嵐の手を叩き落として窘める那苗。
「だぁってぇ・・・、乾悟がぁ・・・」
〔あっはははははは!!どうしたんだよ令寺ぃ!?変身しないのかよぉ!?手応えねぇぞぉ!?ほらほらほら!!〕
高速で飛び回り癇に触る高笑いと挑発を繰り返しながら令寺の身体をじわじわと切り裂いて行く緊歌。
「ぐあっ!!くそっ!!」
令寺は逃げることも抗うこともできず弄ばれる。
〔ったく!予定じゃ変身した方のお前をズタズタにして母さんに良いとこ見せるハズだったのにさぁ!とんだ拍子抜けだよ!ザコのクセにアタシらに喧嘩売ってんじゃねぇよ!お前みたいなロックじゃねぇヤツはアタシが叩き直してやるよぉ!!〕
緊歌は罵声を吐きながら急上昇、令寺の直上20mまで昇ると一気に急降下、勢いを付けて令寺を踏みつけた。
「ごっっはぁっ!!!!」
凄まじい衝撃と共に地面に叩き付けられた令寺は大量に喀血した。
「・・・っ」
キャロルは顔を歪め、スカートの裾を握り締めて唇を噛んだ。
「これはこれは・・・。見るに耐えん。痛々しすぎるなぁ」
桧原は横目にキャロルを一瞥し、ニヤニヤと嗤いながら髭をたくわえた顎を撫でた。
「令寺様っ・・・」
〔あっはははははは!!全身血塗れ傷だらけ!!ちょっとはロックになったじゃん!!あっはははははははははははは!!〕
令寺を踏みにじりながら高笑いを上げる緊歌。
「うるせぇ・・・」
〔あぁ?〕
「てめぇの・・・、笑い声は癇に・・・、障るんだよ・・・」
令寺は緊歌を睨み付け、息も絶え絶えに声を絞り出す。
〔・・・生意気〕
緊歌はポツリと呟いて令寺の右腕を捻じ切った。
「・・・っ!!」
声にならない叫びを漏らす令寺。
〔癇に障るのはお互い様だろうがよぉっ・・・!〕
緊歌は苛立ちを露にし、令寺の残る左腕と両脚も捻じ切った。
四肢を一本捻じ切られる度令寺は苦痛に声を溢す。
そして緊歌は四肢を失くした令寺を軽々と片手で持ち上げると、天井目掛けて放り投げた。
辺りに血を撒き散らし、くるくると回りながら無様に宙を舞う令寺は朦朧とする意識の中、南側席最前列のキャロルと目が合った。キャロルは立ち上がり唖然とした表情で令寺を見上げている。
次に令寺はリングの上に立つ緊歌と目が合った。緊歌はすでに死にかけも同然の令寺に止めを刺すべく、飛び上がる姿勢を取っている。
そして令寺は北側席最前列の鬼怒芥家を見下ろした。つまらなそうに口を歪める摩聡、苛立ち眉間にシワを寄せる乾悟、呆けたように口を開けている迦嵐、令寺ではない何か別の方を見ている那苗、会場内で唯一居眠りをしている阿提、令寺を冷ややかな視線で見上げる潤那。
この事態の全ての元凶たる鬼怒芥潤那。その凍るような視線と目が合った瞬間、令寺の怒りは一気に燃え上がった。
〔あっはははははは!!アタシの勝ちだ令寺いいい!!!〕
放り投げられた勢いのまま天井に叩き付けられた令寺を目掛けて声高らかに飛び上がる緊歌。
右手の鋭い爪を振りかぶり、令寺との距離は五メートル。
直後、令寺の身体から真っ赤な蒸気が大量に噴き出した。
〔熱っ!!?〕
緊歌はあまりの高温に一瞬怯んだが、すぐにここへ来て令寺の変身が始まったことを理解した。
〔くそっ!!〕
即座に方向転換、後方へ飛び退こうとした。が、その瞬間、天世戦と同様に変貌を遂げた“令寺”が拳を振り抜きながら猛スピードで蒸気の中から飛び出して来た。
〔おわっ!!?〕
緊歌は間一髪、“令寺”の拳を避けた。
“令寺”はそのまま落下して行き、30m下のリングにクレーター状の凹みを作って着地した。
会場内が騒然となった。
前回同様誰もが令寺の敗北を確信した瞬間、令寺が変身し戦況が変化した。
南側席最前列のキャロルは額に汗を滲ませ、深く息を吐きながら背もたれに寄りかかった。
隣に座る桧原はキャロルの方を見て小さく舌打ちした。
それを受け、未だこめかみに滲んだ汗が頬を伝うキャロルは、横目に桧原を睨み付けながら不敵な笑みを向けた。
〔んだあああぁっ!!クッソ!!痛っっっったぁ!!!〕
空中で左膝を抱えながら取り乱す緊歌。その左の膝から先が無くなっている。
〔クソガキぃ!!〕
リングの方を睨み下ろす緊歌。
リング上の“令寺”は口に咥えた緊歌の脚を吐き捨てた。
緊歌は“令寺”からの先制パンチは紙一重で避けたが、その直後に左脚を食い千切られていた。
〔やりやがったなクソッタレ!!!〕
天井付近を浮揚し左脚の断面から血を垂れ流しながら怒声を上げる緊歌。
“令寺”は構うこと無くその場にしゃがみ込むと、直後に勢い良く跳び上がった。
〔っ!!?〕
緊歌目掛けて猛スピードで上昇する“令寺”。一瞬で10mの高さを超え、15m辺りで失速、20m付近で完全に速度を失い、そのまま落下して行った。
“令寺”は先ほどと同様にクレーター状の凹みとともに着地した。
〔いや届かないんかい!!〕
虚空に向かって手刀を打ち出す緊歌。
〔身構えて損したよ〕
緊歌はため息を吐きつつ態勢を整えた。
〔まっ!よくよく考えりゃ飛行能力も無いザコがここまで届くわけねぇか!あっはははははは!はぁっ!!?〕
高笑いを上げる緊歌は突如飛んで来たコンクリート塊を緊急回避、コンクリート塊は天井に激突し細かい礫と共に西側観客席の方へ落ちて行った。西側席の観客達は蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う。
“令寺”は自身が着地した衝撃で砕けたコンクリート塊を拾い上げ天井付近を浮遊する緊歌目掛けて全力で投擲する。
〔ちょっ!まっ!おいっ!!お前、野球少年じゃなくてボクサーだろ!?〕
飛んでくるコンクリート塊を避け再び虚空に手刀を打ち出す緊歌。
〔ま、この程度なら余裕で避けれんだけど・・・〕
お構い無しに投げ付けられるコンクリート塊を難なく避けつつ腕を組む緊歌。
〔ただ鬱陶しいからいい加減にしろぉ!!〕
叫んで緊歌は急降下、猛スピードで“令寺”目掛けて飛んでくる。
迎撃に備え拳を構える“令寺”。
が、緊歌は“令寺”との距離およそ30mまで迫った地点で急転換、四枚の翼を強く羽ばたかせ一気に上昇した。
その際に生まれた衝撃波は凄まじく、直撃は免れたものの、足元のコンクリート片もろとも“令寺”はリング際まで吹き飛んだ。が、即座に態勢を立て直し場内ギリギリで踏み留まる。
〔あっはは!!つい勢いに任せてやっちまったけど、よく踏み留まったな令寺!!場外負けなんてロックの欠片もねぇ終わり方じゃつまんねぇもんなぁ!!おっと、天世いねぇよなぁ?もし聞いてたらごめんなー!お前のことじゃねーからなぁ!!〕
再び天井付近で浮揚し、ケラケラと笑う緊歌。
〔さて、令寺!今アタシがやって見せたのがこの“アヴァターラ・キンナリー:ノイズ”の特殊能力の一つ!四枚の翼を全力で羽ばたかせた時に生じるソニックブーム!その名も『四翼衝撃波』!!並みの人間が直撃を喰らえば一発でバラバラに弾け飛ぶほどの威力だ!!〕
滔々と語り終えた緊歌は四枚の翼を背後に回し“令寺”に向かって再度急降下。
〔お前は何発喰らえばバラバラになるかなぁ!?〕
緊歌が四枚の翼を打ち下ろそうとした瞬間、“令寺”は緊歌の軌道上に飛び出し自ら『四翼衝撃波』の直撃を喰らう位置に潜り込んだ。
〔はっ!?〕
突然のことに一瞬戸惑った緊歌だったが、すぐに意識を切り替えそのまま攻撃に出る。
〔気でも狂ったかよ!!死ねっ!!〕
緊歌が翼を打ち下ろすのに合わせて跳び上がる“令寺”。
“令寺”は打ち下ろされた四枚の翼を片手に二枚ずつ掴み取ると素早く身体を捻り、回転しながら緊歌を蹴り飛ばす勢いを利用して四枚の翼を引き千切った。
〔ぐあっはぁぁあぁあぁぁぁ!!!!!?〕
緊歌はきりもみ回転しながら翼と左膝の断面から血を撒き散らして後方へ吹き飛んだ。
30mほど飛んだ緊歌は二、三度地面をバウンドしてなんとか着地。
〔クソガキがぁ・・・!〕
態勢を立て直して前を向くと、“令寺”はすでにこちらへ向かって猛スピードで迫っている。
〔舐めんなぁっ!!!!〕
緊歌は激しく怒号を上げ、その場で座禅を組み、両腕を交差させた状態で掌を“令寺”に向けた。
緊歌の両掌に円形のスピーカーが現れ、そこから凄まじい爆音の歪んだギターの音が響き出し、音の波動が“令寺”をその場に押し留めた。
〔あっはははははは!!どうだどうだ令寺ぃ!!これが“アヴァターラ・キンナリー:ノイズ”の二つ目の特殊能力!強烈なディストーションで空気は歪み!痺れるサウンドで敵は麻痺する!その名も『無抑超音波』!!超絶ロックで最強にクールだろ!!!あっはははははは!でもこれで終わりじゃねぇぞ!!!〕
緊歌が額を“令寺”の方へ向けると、“核融業炉”が一際強く発光し、赤く太い光線が照射され『無抑超音波』により身体の動きを封じられていた“令寺”に命中、半径十メートルに及ぶ爆発を引き起こした。
〔“変異細胞活性形態”の超必殺技“赤毫光線”!!“核融業炉”の生み出すエネルギーを凝縮して放つ究極最終奥義だ!!あっはははははは!〕
勝利を確信し高笑いを上げる緊歌。
爆心地には未だ黒煙が燻り、その光景をキャロルは席にこそ着いてはいるが身を乗り出しスカートの裾を握り締めて固唾を飲んで見守っている。
徐々に煙は上へと登って行く。爆心地付近のコンクリートが溶け出し、ボコボコと泡立っている。
〔あっはははははは!はははは・・・、は〕
緊歌は溶けたコンクリートの底を踏みしめる“令寺”の足を見て笑うのをやめた。
〔ウソだろ・・・?“赤毫光線”の直撃を受けたのに・・・〕
羽毛を逆立て後退る緊歌。
ホッと息を吐き胸を撫で下ろすキャロル。
だが、二人の反応は煙が晴れきった時、一転した。
緊歌はニタリと口元を綻ばせ、キャロルの顔は一瞬で青ざめた。
“令寺”の腰から上が綺麗サッパリ消えて失くなっていた。
〔あっは・・・、あっはは、あっはははははは!!!やったんじゃね!?アタシこれ勝ってね!?勝ったんじゃね!!?あっはははははは!!!〕
会場内に緊歌の耳障りな高笑いが響く。
「そんな・・・、令寺様・・・?」
キャロルは呆然とし、腰から上の無い“令寺”を凝視している。
〔あっはははははは!はははははははは!はははは・・・、は?〕
ふと、緊歌は立ち尽くす“令寺”の腰から下に異変を感じ取った。
“令寺”の腰から下の断面が、ボコボコと血のように赤黒い泡を噴き始めた。
〔なんだっ!?〕
慌てて身構える緊歌。
「っ!?」
キャロルも慌てて立ち上がり、目の前の鉄柵に飛び付いた。
“令寺”の腰から噴き出す泡はみるみる内にかさを増して行き、人の形に形成され、消し飛んだはずの“令寺”の姿へと変化した。
その光景に会場中の全員が騒然となった。
再生した“令寺”は赤い蒸気を口から吐き出し、挑発的に首をゴキゴキと鳴らしながら緊歌を睨み付けた。
その鋭い眼光に気圧され、緊歌は一歩後退る。
〔くそ・・・、この化物が・・・!〕
緊歌は座禅を組み『無抑超音波』の構えを取る。
だが、緊歌が構えるより早く“令寺”は動いていた。
『赤毫光線』によって溶けて陥没したコンクリートを蹴り地面と平行に跳躍、“令寺”は凄まじいスピードで真っ直ぐ緊歌目掛けて跳び、一瞬で自身のリーチ内に緊歌を捉えた。
〔くっっそ!!!〕
緊歌は慌てて座禅を解き、その場から逃げようとしたが、時すでに遅く“令寺”の振り抜いた拳は緊歌の腹に直撃。
〔ぐおっは!!〕
“令寺”の強烈な一撃に緊歌の背中が裂け、砕けた背骨の破片と血と臓物が飛散した。
〔がぁっ・・・、ごぼぁ・・・!〕
緊歌は大量に血を吐き出しながら震える手で“令寺”の肩を掴み、倍以上小さい相手にもたれかかった。
〔だめ・・・、敗けだ・・・、アタシの敗け・・・、もう無理だよ・・・、ごめんなさい母さん・・・、もう無理・・・、アタシ降参・・・〕
うわごとのように呟く緊歌の手を払いのける“令寺”。
そして文字通り力無く崩折れる緊歌の顎に“令寺”はアッパーカットを打ち込んだ。
緊歌の身体は真っ直ぐ上へ吹き飛び、三十メートルの高さを瞬く間に登り、天井に激突、潰れた肉塊が砕けたコンクリート片と共に落ちて行く。
すでに戦闘不能であることは誰の目にも明らかな緊歌に対し“令寺”は再び拳を構える。
落下してきた肉塊が地面に叩きつけられる前にとどめの一撃。鋭い右ストレートが肉塊に突き刺さり、鈍い音が会場内に響く。肉塊は東側観客席に向かって真っ直ぐ飛び、壁に激突して今度こそ完全に砕け散った。
砕けた肉片からは赤い湯気が立ち上ぼりみるみる内に蒸発していく。その中で一番大きい肉片だけが縮みながら人の形を形成していき、やがてそれは緊歌へと形を変えた。
緊歌は仰向けに倒れ、完全に意識を失っている。
“令寺”はと言うと、前回と同様に外皮が溶け、中から令寺が姿を表し、そのままその場に倒れて気絶した。
それを見届けたレイチェルは神妙な面持ちで手を振り上げた。
「勝負ありっ!!!」
決闘終了から少し後。地下格技場救護室。
堅いベッドに横たわり静かに寝息を立てる令寺の傍らに不安げな面持ちのキャロルが付き添っている。
「・・・・・・」
ふと、令寺がゆっくりと目を開いた。
「令寺様っ!!」
キャロルはパイプ椅子を押し退けて立ち上がりベッドに飛び付いた。
「お目覚めになられましたか!?」
「・・・おう」
「あっ!ご無理はなさらない方がよろしいですよ!楽になさっていてください!」
低く呻きながら身を起こそうとする令寺をキャロルは慌てて静止した。
「前回は戦いのあと丸二日寝込まれていたので、こんなにも早くお目覚めになるとは・・・。驚きました」
令寺が再び横になるのを見届けキャロルも椅子に着いた。
「・・・おい」
「はい?」
天井を睨んだまま唸る令寺とわざとらしく小首を傾げるキャロル。
「お前わかってたろ?」
「と、言いますと?」
令寺は首をもたげてキャロルを睨む。
「変身すんのに必要なことだよ」
「はい」
嬉しそうに答えるキャロルに令寺は短く舌打ちをしてた溜め息を吐いた。
「もちろん存じておりましたよ!令寺様が“変異細胞活性形態”に変身するために必要なのはズバリ“血”と“怒り”です!」
キャロルは足下に置いてあったカバンの中からタブレットを取り出し、画面を操作して令寺に見せた。
「まず、令寺様の体内には内蔵式の“核融業炉”が埋め込まれています」
タブレットの画面に令寺のレントゲン写真が写し出され、胸の辺りに丸い装置の影が見て取れる。
「天世様や緊歌様のように本体が対表面から出ている胸部埋め込み式“核融業炉”は一度の使用で中核となる“ヴャーパディウム”という物質が崩壊してしまうため、一回変身するごとに“ヴャーパディウム”の交換が必要となります。しかし、令寺様の体内埋め込み式には特殊製法の“ヴャーパディウム一〇三型”が使われており、体内充電により半永久的に使用することができます」
タブレットの画面上にはキャロルの説明を補助するイラストが展開されていく。
「体内充電の方法としましては、脳から発せられるガンマ波により生成される生体電流を取り込む方法が最も適切です。ガンマ波はストレスや強い怒りに起因する脳波です。つまり令寺様がストレスを抱え怒りを抱くほどに令寺様の脳は“核融業炉”のエネルギーとなる生体電流を生成するわけですね」
「・・・キレると変身できる、ってことか」
令寺はぼんやりとタブレットの画面を眺めながら呟いた。
「まぁ、それも大事ですが、怒るのはあくまで変身のためのステップ1です」
キャロルはタブレットの画面をスワイプした。
「ステップ2、『出血による“変異細胞”の体表侵食』です。これは天世様との戦い後にわかったことなのですが、“変異細胞活性形態”に変身するためには体表が“変異細胞”に覆われている状態でなければいけないようです。天世様達のように“変異細胞”を体内生成している方々は皮膚細胞にまで“変異細胞”が侵食していますが、令寺様はそうではありませんので経口摂取したのち、血中の“変異細胞”を体表面に侵食させる必要がございます。わかりやすく言うと出血です。それも結構な量の血がいるので、まずそれなりにボコボコにされる必要がある、というのがなんとも辛い仕様ではありますね。ワタシもわかっていても見てて辛かったですし、正直めっちゃハラハラしました」
キャロルはタブレットを令寺に見せながら胸に手を当てる仕草をした。
「そして、今回新たにわかったことがございます」
キャロルはタブレットの電源を切り、乱雑にカバンに投げ入れた。
「令寺様の“アヴァターラ・ラクシャス:アウト・レイジ”は再生能力が異常に高いようです」
そう言ってキャロルはタオルケット越しに令寺の胸元に手を当てた。
「緊歌様の“赤毫光線”を受け、令寺様の上半身は確かに跡形も無く蒸発したはずでした。ですが、ものの数秒で完璧に再生してしまわれました。見たところ今現在令寺様に後遺症や記憶障害のようなものは見て取れません。完全に無いとはまだ言い切れませんが・・・」
キャロルはベッドに乗り出すと令寺のまぶたや口を無理矢理開きどこから取り出したのかペンライトで照らして何かを確認し始めた。
令寺は若干苛立ちつつも変身後の反動なのか強い倦怠感からまったく抵抗しない。
「その辺のケアはわたしの仕事です。何があってもきちんとサポートいたしますのでご安心ください」
キャロルはベッドから飛び退きペンライトをしまって自慢気に胸を拳で叩いて見せた。
「ですので、今はとりあえずお休みください。体調が良くなりましたらわたしの特製コロッケを作らせていただきますので、楽しみにしていてくださいね」
「・・・おう」
令寺はゆっくりとまばたきをして枕に預ける頭の位置を正してぶっきらぼうに返事をした。
その様子を見てキャロルは小さく微笑み床に置いたカバンと壁に掛けたジャケットを取り上げた。
「では、私は自宅搬送の準備をして参ります。それまでは令寺様、ゆっくりと、お休みください」
キャロルはジャケットを脇に挟みカバンを片手に救護室を後にした。
令寺はその背中を横目に見送ったあと、視線を天井に移しゆっくりとまぶたを閉じてそのまま深く眠りに就いた。
鬼怒芥邸の複雑にいりくんだ渡り廊下を摩聡と迦嵐が歩いている。
「ヤバくない!?令寺さ、上半身消し飛んだのに復活したんだよ!?」
「見てたよ」
「不死身じゃね!?ヤバくね!?超不死身じゃね!?」
「そうだね」
「緊歌負けちゃったよ~・・・。ま!アタシはそうなるだろうと思ってたけどね!」
「すごいね」
嵐のようなマシンガントークを冷淡に流しながら歩く摩聡とその後ろを飛び跳ねながらついていく迦嵐。
「摩聡はいつ令寺と勝負すんのぉ?」
迦嵐のその質問に摩聡は突然立ち止まった。
「あぶねっ!」
すぐ後ろを歩いていた迦嵐は摩聡の背中にぶつかるのをギリギリ回避した。
「急に止まったらあぶなくね!?」
「次」
「え?何が?」
「令寺との決闘。次は僕が出るよ」
摩聡の答えに、迦嵐はしばし硬直した後、小首をかしげた。
「・・・まじ?」
「うん」
「令寺不死身だよ?」
「対策はある」
「え?ヤバっ!何!?対策って!?」
「・・・姉さんに言ってもわかんないよ」
摩聡は迦嵐の方を振り返りもせず、また歩き出した。
「えー!何それ超いじわるじゃねー!?ちょっとぐらい教えてくれてもいいじゃーん!ネタバレネタバレ!」
小うるさく喚く迦嵐に対し摩聡は小さく溜め息を吐いた。
「・・・令寺は僕らほど簡単には変身できない」
そう言って摩聡はシャツのボタンを三つほど外し、胸元に埋め込まれた“核融業炉”を露出させた。
「仕組みはさておき、令寺は変身するにあたって僕らとは違うプロセスが必要なんだ。そこを突く。はっきり言って変身した令寺には僕じゃ勝てない。でも変身してない令寺なら楽勝だ。変身する隙は与えない。僕には天世や緊歌姉さんみたいに遊ぶ趣味は無いからね。・・・・・・今のいいな、決闘のとき言おっと」
摩聡は歩きながら左手親指にはめた携帯端末を開いた。
「ボイスメモ、『僕には天世や緊歌姉さんみたいに遊ぶ趣味は無いからね』、保存」
そんな摩聡の後をついて歩きながら迦嵐も携帯端末を開いた。
「検索、“プロセス”の意味」
迦嵐は端末の画面に表示された検索結果に目を通し、眉間にシワを寄せた。
「まぁ、わかんなくても生きて行けることってあるよね♪あ!ねぇねぇ摩聡!あのね、さっき夜凪がね~!」
迦嵐は携帯端末を着物の帯にしまい、摩聡の後をついて歩いて行った。
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