蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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いい兄さんの日

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「従兄さんってば、本当に――生真面目というか、馬鹿というか、自分のことには無頓着って言うか。まあ、馬鹿だよねえ」

 上から、気の抜けた声が降ってくる。丹塗矢丑雄は切れ長の目をいっそう細めて、声の主を睨んだ。椅子の上に行儀悪く胡座を掻いているのは、二つばかり歳が下の従弟だ。名を秋寅という。日頃は上海でふらふらしている彼が、よりにもよって昨日帰国したというのは嬉しくない報せだった。

「大体さー、伊緒里ちゃんが一週間家を空けただけで体調崩しちゃうって、何なの? 普段から奥さんに健康管理を任せてるの? 新婚でもないくせにラブラブなの? もしかして、俺に当てつけてるつもりなの? そーゆーことされると独身の俺は泣くしかないんだけど。どうなのそこんとこ」

 相も変わらずぺらぺらとよく喋る。
 耳障りではないが頭によく響くその声に、丑雄は軽く眉を顰めた。

「それで……お前は、うちで何をしているんだ。秋寅」
「何って、看病? もうびっくりしちゃったよ。空港まで迎えに来てもらおうと思って電話しても、出ないし。仕方がないから一人で帰って来てさ。また辰ちゃんのこと苛めてるのかなーと思って来てみれば、従兄さんてば玄関でぶっ倒れてるんだもん。ついに過労死したかと思って心臓が止まりかけちゃったよ。ベッドに運ぼうにも、従兄さん重たいし。俺、力ないのよ? 体重とか、辰ちゃんより軽いのよ?」
「分かった。お前の苦労は分かったから――少し、黙ってくれ」

 放っておけばいつまでも続きそうな秋寅の声を遮って、うめく。従弟が抱える欠点の中でも尤も厄介なのが、この頭の痛くなる長話だった。平時なら二、三時間は耐える一方的な会話だが。しかし、熱に茹だる頭には酷く負担だった。
 秋寅は、そんなこちらの様子にも構わずに続ける。

「まったく。辰ちゃんもそうだけど――従兄さんも存外、世話がかかるんだよね。誰かが世話を焼いてあげないと、ご飯も食べないしお医者さんにも行かないっていうんだから」
「辰史と一緒にするな。俺は、飯ぐらい作れる」

 あの、家事が何一つできない男と一緒くたにされるのは面白くない。苦く言い返せば、秋寅はやれやれと小さく肩をすぼめたようだった。

「そのわりには、流しに食器がないんですけど」
「…………」
「一人じゃ寂しくてご飯も食べられないんですかねー、従兄さんは。兎さんじゃないんだから」
「そういうわけじゃない。ただ、忙しかっただけだ。ここのところ、三郎殿の代わりに出ることが多かったから――」

 かつて星詠みとして大名に仕えることもあった三輪家の陰陽師は、今も要人の相談に乗ることがある。婿養子である本家の当主には三輪家の血が流れていないから、そうした折に丑雄が代理を頼まれるのは、実を言えば珍しいことではなかった。
(今回は、偶然仕事が続いただけだ)
 負担の話をするならば、本家の当主でありながら事あるごとに“婿養子”と虐げられる三郎こそ辛いだろう――と、丑雄は思う。彼を支えるべき子供たちは、長男の秋寅をはじめとして四人が四人とも、ほうぼうで好き勝手をしている有様。丹塗矢家の総領として本家の当主と苦難を分かち合う。それは、丑雄にしてみれば当然の選択だった。
 人間、三日四日食事を抜いたところで死ぬわけでもない。たかが風邪など、薬を飲まなかったところで治せないわけでもない。忙しさにかまけて不摂生をしたことだけは認めれば、秋寅は子供のように唇を尖らせて、

「やっぱり、馬鹿だよね。従兄さん」

 失礼にも、そんなことを言った。

「ああ?」
「そーゆーの、体に良くないよ」
「“そーゆーの”とは、何だ。お前の話し方には、無駄が多い。もっと、分かりやすく言え」
「だからさ、忙しいときほどご飯はちゃんと食べましょう。って、ことです。もうさー。俺、従兄さんの母親じゃないんだから。こんなこと、言わせないでよ」

 不機嫌そうに言って、立ち上がる。秋寅の方が何倍も優男だが、眉間に皺を寄せたその顔は少しだけ辰史と似ているような気もする。それに気付いた瞬間、嫌そうな顔をしてしまった自分を自覚して、丑雄は鼻の頭まで毛布を手繰り寄せた。
 大雑把な従弟は、そんなこちらの様子など気にも留めていないのだろう。ドラッグストアの袋を床に置いたまま、さっさとキッチンへ向かってしまった。
 面白がっているのか、はたまた意外に面倒見が良いのか。腕まくりをする秋寅の後ろ姿を眺めながら、丑雄は大人しくアイスノンを頭の下へ置いた。ひんやりとした、感触。その心地の良さは、幼い頃のことを思い起こさせもした。まな板を叩く、規則正しい包丁の音。味醂の甘い香り。蛇口から流れる水の、音。そしていつも後ろをついてきた、弟。
 感傷的になってしまっている自分に気付いて、丑雄は小さく鼻を鳴らした。馬鹿らしい。

「ねえ、従兄さん」

 秋寅の呼ぶ声が聞こえる。が、目を瞑って聞こえないふりをする。

「あー、もう寝ちゃったのかな。甘いのと辛いの、どっちがいいか訊こうと思ったのに。俺、病人食なんて作ったことないしね。ま、両方作っておけば間違いはないかな。まったく。伊緒里ちゃんの苦労も分かるっていうか――あ、でもこれってもしかしてフラグってやつ? 従兄さんの世話って大変だよねえとかなんとか言って、人妻とお近づきになるチャンス。従兄さんてば甲斐性なさそうだし、ちょっと頑張れば味見くらいは・・・・・・」
「おい」
「何だ、起きてるじゃない。従兄さん」

 毛布の中からじろりと睨めば、騒がしい従弟は悪びれもせずに笑った。

「まあ、そういうわけで伊緒里ちゃんが帰ってくるまでは付きっきりで看病してあげるからさ。弟だと思って、存分に用事を言いつけてよ。従兄さん」
「お前のそういう、下心を隠そうともしないところは大嫌いだ」
「またまたー。照れちゃって。従兄さんってば素直じゃないんだから。そういうところも辰ちゃんに似てぶっ――」

 頭も口も軽い従弟の顔に、溶けきっていないアイスノンを投げつける。赤くなったその顔へ、続けて枕と彼が買ってきたらしい卑猥な雑誌をぶつけてやる。

「ちょっと従兄さん! 痛い! 痛いって!」
「帰れ。お前はもう、上海へ帰れ――というか、何て雑誌を買ってくるんだ。持って帰れ!」
「ひどっ! 伊緒里ちゃんがいない間、不便だろうなと思って珍しく俺が気を利かせてあげたのに、ひどい!」
「お前は気を利かせる方向を間違っている。とにかく、死ね」
「死ね!? 更生の余地も与えてくれないの? 何それ、横暴!」
「うるさい。お前のせいで・・・・・・」

 熱が、上がった。
 布団にぐったりと両腕を投げ出す。腹立たしい。本当に腹立たしい。家を空けた妻が恨めしくも、懐かしい。「早く帰って来てくれ」と呟くと、迷惑な従弟は他人事のように笑った。





END
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