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我が愛しの猟犬
4.
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「で、ドーベルマンだったな。詳細は?」
「はっ。名前は多聞丸。二歳の雄です。外見的特徴ですが、カラーはブラック。多くのドーベルマン同様、断耳されています。能力は思念の追跡と対象物の破壊」
「ほー。石川が聞いたら、悲鳴を上げそうだな」
「はい。この多聞丸は警視庁からの要請で、訓練を受けていたようです」
なるほど。警視庁にはESP保有者を集めた特殊な部署もある。昨今増える呪症事件や異能事件への対策として、異能犬の導入を考えていたとしても不思議はない。
「マイクロチップは?」
「埋め込まれています。首輪には、GPSの発信器も付いているそうです」
「それなら、追跡自体は難しくないか」
「はい。しかし、一つ問題が」
「問題?」
「実弾およびゴム弾の使用は禁止、可能な限り無傷での捕獲を希望ということでして……」
「ちょっと待て。相手は襲撃訓練を受けた犬なんだよな?」
信じられず、訊き返す。
律華は困った顔で頷いた。
「はい」
「それを、実弾およびゴム弾の使用禁止? 無傷で捕まえろ?」
とんだ無茶ぶりもあったものだ。
「性格にやや難があるものの異能ペット――この場合は異能犬と呼んだ方が相応しいですか……異能犬としては、十年に一度の逸材なんだそうです。代わりがいないと」
「んなもん、俺たちにだって代わりはいねえだろ……」
そんなことを後輩に言っても仕方ないか。
「いや。問題は犬が人を襲うか、だな。どうなんだ、そこんとこ」
性格にやや難がある――その、ややという曖昧さが不安要素だ。
額を押さえる九雀に、律華は小さくかぶりを振った。
「先方は、危険性はないと主張しているようです」
はっきりしない返事だ。彼女らしくない。
こちらの視線に気付いたのか、律華は言葉を付け足した。
「白鳥署長は、あてにしていないとのお言葉でした」
「ああ、異能者の傲慢ってやつか」
九雀もすぐに心得た。異能者の傲慢。異能者社会に少しでも触れたことのある者ならば、誰もが知る言葉だ。それは異能者社会に蔓延する病のようなものだった。
彼らは異能によって様々なことを可能にする。ゆえに自らを侵していく傲慢に気付かない。非異能者の限界に無理解で、ときに横暴にさえ感じられるような振る舞いをするのもこのためだ。
「異能者が危惧するほど凶暴じゃないが、俺らにとっちゃ脅威かもってこったな」
「はい」
「で、捜索に立派な異能者サマが同行する。つまり監視付き、と」
「はい、そのとおりです」
「んなもん、勝手にやってろって話だぜ。警察を巻き込むな……」
つい、毒づきたくもなってしまう。
真面目な律華はあからさまに追従せず、曖昧に頷くだけだったが――
「可能な限り、か……」
九雀は顔をしかめた。その曖昧な譲歩が気に入らない。
善意への期待。能力への期待。どちらも浅ましいものだ。強制はしていないと自分たちは逃げ道を作りながら、無言の圧力で無理を強いている。
「……可能な部分をはっきりさせておく必要があるな」
考えをめぐらせながら、また異能者に嫌われるなと九雀は思った。
そもそも八津坂署の白鳥が、異能社会においては食わせ者として有名なのだ。彼は以前から、増え続ける異能犯罪を撲滅するため、改革を推し進めている。その第一歩が、呪症管理協会と八津坂署の協力の下に設置された呪症対策チームなのだった。
異能者組織は異能を肯定する彼の先進的な考えを評価する一方で、常に自分たちの権利が損なわれていることを警戒している。水面下での小競り合いを繰り返している。
――「うちの上層部は、君が白鳥署長の後継者になるのではと疑っているようだぞ」
と教えてくれたのは、悪友だったか。
警察と異能者の縄張り争いに興味はないが、積極的に駆け引きをして闘っていかなければ、組織に食いつぶされる。結局、警官も呪症管理者も組織の駒にすぎないのだから。
そのことを、九雀は分かっている。分かっていないのは、悪友と後輩だ。
二人は良くも悪くも世間知らずで、危機感がない。彼らの分まで先回りして相手を牽制するたび、意図せず評価が上がってしまう。いっそう警戒される。ままならない。
「先輩は、どこまでが可能だと考えますか?」
律華が――どこまでも生真面目に――訊ねてくる。
「件の犬が人間の指示を聞いた場合に限る。捕獲棒で素直に捕まってくれるようなら、それでも問題ない。だが、興奮状態にあるようなら話は別だ」
九雀は続けた。
「まず、銃器の使用不可を撤回させる。もちろん、こっちも無闇に発砲はしねえけどな。万が一の場合に警棒一本でどうにかなる相手じゃねえし、まして素手なんて無茶だ」
「先方は、呑むでしょうか」
「呑ませるさ。相手が生きものである以上、二度目や三度目の脱走がないとも限らない。ここで俺たちが妥協したら、今後対応するやつらも同じ条件での捕獲を強いられるだろ」
「確かに……」
律華は思案顔で俯いた。
直情的なきらいはあるものの、彼女は物分かりの悪い人間ではないのだ。それらしい理由を挙げてやれば納得し、指示に従ってくれる。
「まあ、無茶を言うからには先方にもなにか算段はあるのかもしれない。どっちにしろ、まずは交渉。覚えておけよ。素直に体を張る必要はないんだ」
釘を刺すにしても先んじすぎかと思わないでもないのだが、なにせ彼女はすぐ自分を犠牲にしようとする。それしか取り柄がないと本気で思っているのか、そのために怪我を負うこともしばしばだ。注意しておくに越したことはない。
「はい! 先輩の教えは、しっかり胸に留めておきます」
頷く律華に、ひとまずこちらも安心して――
食事がすっかり冷たくなってしまったことに気付く。
「やれやれ。飯時に仕事の話をするもんじゃねえな」
九雀は苦笑し、冷えたリゾットをスプーンですくった。
「続きは飯のあとにしよう。お前も、ほとんど進んでないだろ。ほら、食っちまえ」
「はい」
律華は、それも指示だと言わんばかりに食事を再開した。運ばれてきたときにはふわふわだった卵も固まってしまっているように見えるが、気にする様子もなく片付けていく。
(……味気ない食事の時間にしちまったな)
すっかり風味の薄くなってしまったリゾットを口元に運びながら、なんとはなしに後輩の食事を眺める。視線に気付いた律華が、顔を上げた。
「どうかしましたか、先輩」
「いや、気が利かなくて悪かったと思ってさ。先に飯にすりゃよかった。冷める前に食った方が、美味かっただろうし……」
「美味しいですよ」
普通はそう言うだろうな、と九雀は思った。この状況で歯に衣着せず不味いと文句を付けられるのは、鷹人くらいのものだ。
こちらの表情に気付いたのか、ナプキンで口元を拭い、律華が言葉を足した。
「以前の自分は、食事になんら楽しみを見出していませんでした」
「ふうん……?」
「自分にとっては、睡眠と同様に、コンディションを整えるための習慣でしかなかったんです。でも、先輩との食事は楽しいとも美味しいとも感じます」
率直すぎる告白に、九雀は落ち着かない心地になる。
「一人飯は寂しいってか。存外に子供っぽいことを言うんだな」
つい、茶化してしまった。
「そうかもしれません」
後輩は、いつも引き結んでいる唇を微笑ませた。そんな彼女に少しだけ笑い返して、九雀は密かに嘆息する。食事が楽しい。含みもなく、本当にそれだけのことなのだろう。多分。
(……たまに、よく分からなくなるんだよな)
「はっ。名前は多聞丸。二歳の雄です。外見的特徴ですが、カラーはブラック。多くのドーベルマン同様、断耳されています。能力は思念の追跡と対象物の破壊」
「ほー。石川が聞いたら、悲鳴を上げそうだな」
「はい。この多聞丸は警視庁からの要請で、訓練を受けていたようです」
なるほど。警視庁にはESP保有者を集めた特殊な部署もある。昨今増える呪症事件や異能事件への対策として、異能犬の導入を考えていたとしても不思議はない。
「マイクロチップは?」
「埋め込まれています。首輪には、GPSの発信器も付いているそうです」
「それなら、追跡自体は難しくないか」
「はい。しかし、一つ問題が」
「問題?」
「実弾およびゴム弾の使用は禁止、可能な限り無傷での捕獲を希望ということでして……」
「ちょっと待て。相手は襲撃訓練を受けた犬なんだよな?」
信じられず、訊き返す。
律華は困った顔で頷いた。
「はい」
「それを、実弾およびゴム弾の使用禁止? 無傷で捕まえろ?」
とんだ無茶ぶりもあったものだ。
「性格にやや難があるものの異能ペット――この場合は異能犬と呼んだ方が相応しいですか……異能犬としては、十年に一度の逸材なんだそうです。代わりがいないと」
「んなもん、俺たちにだって代わりはいねえだろ……」
そんなことを後輩に言っても仕方ないか。
「いや。問題は犬が人を襲うか、だな。どうなんだ、そこんとこ」
性格にやや難がある――その、ややという曖昧さが不安要素だ。
額を押さえる九雀に、律華は小さくかぶりを振った。
「先方は、危険性はないと主張しているようです」
はっきりしない返事だ。彼女らしくない。
こちらの視線に気付いたのか、律華は言葉を付け足した。
「白鳥署長は、あてにしていないとのお言葉でした」
「ああ、異能者の傲慢ってやつか」
九雀もすぐに心得た。異能者の傲慢。異能者社会に少しでも触れたことのある者ならば、誰もが知る言葉だ。それは異能者社会に蔓延する病のようなものだった。
彼らは異能によって様々なことを可能にする。ゆえに自らを侵していく傲慢に気付かない。非異能者の限界に無理解で、ときに横暴にさえ感じられるような振る舞いをするのもこのためだ。
「異能者が危惧するほど凶暴じゃないが、俺らにとっちゃ脅威かもってこったな」
「はい」
「で、捜索に立派な異能者サマが同行する。つまり監視付き、と」
「はい、そのとおりです」
「んなもん、勝手にやってろって話だぜ。警察を巻き込むな……」
つい、毒づきたくもなってしまう。
真面目な律華はあからさまに追従せず、曖昧に頷くだけだったが――
「可能な限り、か……」
九雀は顔をしかめた。その曖昧な譲歩が気に入らない。
善意への期待。能力への期待。どちらも浅ましいものだ。強制はしていないと自分たちは逃げ道を作りながら、無言の圧力で無理を強いている。
「……可能な部分をはっきりさせておく必要があるな」
考えをめぐらせながら、また異能者に嫌われるなと九雀は思った。
そもそも八津坂署の白鳥が、異能社会においては食わせ者として有名なのだ。彼は以前から、増え続ける異能犯罪を撲滅するため、改革を推し進めている。その第一歩が、呪症管理協会と八津坂署の協力の下に設置された呪症対策チームなのだった。
異能者組織は異能を肯定する彼の先進的な考えを評価する一方で、常に自分たちの権利が損なわれていることを警戒している。水面下での小競り合いを繰り返している。
――「うちの上層部は、君が白鳥署長の後継者になるのではと疑っているようだぞ」
と教えてくれたのは、悪友だったか。
警察と異能者の縄張り争いに興味はないが、積極的に駆け引きをして闘っていかなければ、組織に食いつぶされる。結局、警官も呪症管理者も組織の駒にすぎないのだから。
そのことを、九雀は分かっている。分かっていないのは、悪友と後輩だ。
二人は良くも悪くも世間知らずで、危機感がない。彼らの分まで先回りして相手を牽制するたび、意図せず評価が上がってしまう。いっそう警戒される。ままならない。
「先輩は、どこまでが可能だと考えますか?」
律華が――どこまでも生真面目に――訊ねてくる。
「件の犬が人間の指示を聞いた場合に限る。捕獲棒で素直に捕まってくれるようなら、それでも問題ない。だが、興奮状態にあるようなら話は別だ」
九雀は続けた。
「まず、銃器の使用不可を撤回させる。もちろん、こっちも無闇に発砲はしねえけどな。万が一の場合に警棒一本でどうにかなる相手じゃねえし、まして素手なんて無茶だ」
「先方は、呑むでしょうか」
「呑ませるさ。相手が生きものである以上、二度目や三度目の脱走がないとも限らない。ここで俺たちが妥協したら、今後対応するやつらも同じ条件での捕獲を強いられるだろ」
「確かに……」
律華は思案顔で俯いた。
直情的なきらいはあるものの、彼女は物分かりの悪い人間ではないのだ。それらしい理由を挙げてやれば納得し、指示に従ってくれる。
「まあ、無茶を言うからには先方にもなにか算段はあるのかもしれない。どっちにしろ、まずは交渉。覚えておけよ。素直に体を張る必要はないんだ」
釘を刺すにしても先んじすぎかと思わないでもないのだが、なにせ彼女はすぐ自分を犠牲にしようとする。それしか取り柄がないと本気で思っているのか、そのために怪我を負うこともしばしばだ。注意しておくに越したことはない。
「はい! 先輩の教えは、しっかり胸に留めておきます」
頷く律華に、ひとまずこちらも安心して――
食事がすっかり冷たくなってしまったことに気付く。
「やれやれ。飯時に仕事の話をするもんじゃねえな」
九雀は苦笑し、冷えたリゾットをスプーンですくった。
「続きは飯のあとにしよう。お前も、ほとんど進んでないだろ。ほら、食っちまえ」
「はい」
律華は、それも指示だと言わんばかりに食事を再開した。運ばれてきたときにはふわふわだった卵も固まってしまっているように見えるが、気にする様子もなく片付けていく。
(……味気ない食事の時間にしちまったな)
すっかり風味の薄くなってしまったリゾットを口元に運びながら、なんとはなしに後輩の食事を眺める。視線に気付いた律華が、顔を上げた。
「どうかしましたか、先輩」
「いや、気が利かなくて悪かったと思ってさ。先に飯にすりゃよかった。冷める前に食った方が、美味かっただろうし……」
「美味しいですよ」
普通はそう言うだろうな、と九雀は思った。この状況で歯に衣着せず不味いと文句を付けられるのは、鷹人くらいのものだ。
こちらの表情に気付いたのか、ナプキンで口元を拭い、律華が言葉を足した。
「以前の自分は、食事になんら楽しみを見出していませんでした」
「ふうん……?」
「自分にとっては、睡眠と同様に、コンディションを整えるための習慣でしかなかったんです。でも、先輩との食事は楽しいとも美味しいとも感じます」
率直すぎる告白に、九雀は落ち着かない心地になる。
「一人飯は寂しいってか。存外に子供っぽいことを言うんだな」
つい、茶化してしまった。
「そうかもしれません」
後輩は、いつも引き結んでいる唇を微笑ませた。そんな彼女に少しだけ笑い返して、九雀は密かに嘆息する。食事が楽しい。含みもなく、本当にそれだけのことなのだろう。多分。
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