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虚妄と幸福
16.元凶たる彼らの話(4)
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12月24日 PM.19:40
「遅くなってしまったな」
透吾の言葉どおり、電車の窓から見える外の景色はすっかり暗くなっている。
午前で買い物を終わらせて、午後は事務所――つまり彼の部屋でデスクワークに時間を充てるつもりだったが、和泉は元々服装にかなりこだわりがある。彼と起業してから今までのように買い物をするのを控えていたせいか、久しぶりに贔屓にしているブランドショップに入ったら我慢できなくなってしまった。
吟味に吟味を重ねてようやくシャツの二枚と新作のジャケットを買ったときには、昼を一時間も過ぎてしまっていたのだ。透吾が調べてくれていたスペイン料理の店でゆったりと昼食を取って、それからもう二時間かけて万里へのプレゼントを見繕った。
用事が済んだ頃には、十六時になっていた。
もう急いで帰宅しても仕方がないよ、と言ったのは透吾である。自分の用事に時間を費やしてしまったことが申し訳なかったので、和泉は彼の買い物に付き合うことにした。透吾は機能美にこだわる男である。服装はいつだってごくごくシンプルで、それがまた彼をスマートな男に魅せているが、和泉にしてみれば少し物足りない。
渋る透吾を、和泉が気に入っているいくつかの店の試着室へと押し込んだ。
そんなふうに強引になってしまったのは、クリスマスイブで浮かれる街の空気にあてられたのかもしれないし、そうでなければ――それを認めたくはないが――少しくらいは、国香彩乃に当てつける気持ちもあったのかもしれない。透吾に大切なカメラを壊された彩乃は、まだ彼のことを友人として認められずにいるのだ。
「さて、気が済んだかな。高坂くんは」
両手に紙袋を提げて、透吾が笑った。
「すみません。なんだか、羽目を外してしまって……」
和泉は彼に荷物のほとんどを預けて、今は小さなショップバッグを一つだけ両手で抱えていた。申し訳ないような、恥ずかしいような心地で体を縮こまらせていると、透吾はますます愉快そうに唇の端をつり上げた。
「いいよ。これで少しは俺も気が楽になった」
「なんですか、それ」
「突然の起業に付き合わせてしまって、君に借りを作っている状況だったからな。どこで返そうかって悩んでいたんだよ。これでも」
「別に、俺は貸しだなんて思っていませんけど」
「って言ってくれると分かっていたから、余計にね」
相変わらず生きにくそうな人だよな、と和泉は思った。それを言えば、きっと君に言われたくないとでも言い返されてしまうのだろうが――
代わりに、和泉は言った。
「俺の両親は、藤波さんに感謝していますよ」
「どうしてだい?」
「二十五まで社会経験のなかった息子が、外に出て働くようになったんですから」
「君の親、そういうことを気にするタイプだったんだ?」
「働かないことを気にしていたというより、友人の一人もいなくて世間知らずに好き勝手やっていたことの方を気にしていたというか……そういえば父が一度、藤波さんに会ってみたいと言っていたんですよね」
「父って……画家の高坂五樹だったよな? 彼が、俺に?」
透吾は意外そうに目を瞬かせた。
「やっぱり、まだ抵抗がありますか?」
和泉の父親、高坂五樹は主にメメント・モリをテーマとした作品を発表している芸術家である。退廃的になりがちな死の美術に、矛盾した激しい情熱を吹き込む手法で、マニアックなファンを獲得していることで有名なのだ。
一方の透吾は、死を美化する風潮を憎んでいる。
いや、憎んでいたといった方が正しいか。今は彼なりに折り合いを付けようとしているはずだが、以前は五樹の作品を嫌いだと言っていた。
「抵抗? いや、まさか」
この反応に、和泉の方が困惑した。
「え?」
「光栄だと思うよ。でも俺は芸術に造詣が深くないから、君のお父さんを不快にさせてしまわないか心配だな。以前いくつか作品を見た覚えはあるが、どう解釈したらいいのか分からなかった。君の好きなオフィーリアなんかは単純に美しいなと思うけれど、死の芸術は複雑だ」
「はあ……」
「なにか参考になるような書籍があれば、教えてほしいな。君のお父さんに会う前に、いくらか予習をしていくよ」
嫌な顔をするどころか、そんなことまで言ってみせる。
和泉は逆に、不安になってしまった。
「あの、藤波さん。無理していませんか?」
だが、透吾は無邪気に首を傾げた。
「無理? していないよ。君も知ってのとおり、俺は学ぶことは好きな方だから」
「そうではなくて、その、死とか……」
「気味が悪いってこと? 別に。前の職場でも、遺体なんかはよく目にしていたからなあ。死をテーマにすることを不謹慎だとも思わないし……そんなこと言ったら、葬儀屋だって亡くなった人の見送りを演出することで飯を食っているわけだからね」
やはり、微妙に話が噛み合っていない。
彼の表情を見るに、はぐらかしているというわけでもなさそうだ。
(吹っ切れた……のかな、藤波さん)
それにしても、唐突ではある。
なにをどう訊いたものかと考えていると、電車が止まった。駅に着いたのだ。
「降りるよ、高坂くん」
「あ、はい」
女性をエスコートするときの癖か、彼が丁寧に人混みをかき分けていく。その後ろに続きながら、和泉は彼の背中をどこか腑に落ちない心地で見つめた。
***
この時期、住宅街の夜は明るい。各家庭が思い思いに、クリスマスのライトアップをしているからだ。外灯の光が霞むほど、暗い夜空の下で色とりどりの電球が輝いている。
「食事はどうする? ファストフードでも買っていく?」
「冷蔵庫のものを使っていいなら、俺が適当に作りますよ」
店の方角を指差す透吾に、和泉は答えた。
彩乃や透吾と出会ってからファストフード店でも食事を買うようになったが、実をいえばあまり好きではない。
「いいのかい? 一日中歩き回って、疲れていると思ったのだけれど」
「疲れているからこそ、ですよ。どうせだったら、美味しいものを食べたいです」
「なるほどね。俺としては助かるよ」
一人暮らし歴の長い透吾も、もちろん料理は得意だ。完璧を装いたがる彼らしく、偏食家の和泉でも十分に美味しいと感じられるほどの腕前なのだが、そのくせ自分のために腕を振るうことは好きではないらしい。
放っておけば冷凍のきく料理を多めに作り置きし、何日も同じメニューを続けることがざらだ。見ている方がうんざりしてしまうため、事務所を開いてからは時間があれば和泉が料理を手伝っているのだった。
「バゲットがありましたよね。あと、サーモンとクリームチーズ、トマトとタマネギ、ニンジン、ベーコンも……ブルスケッタに、オニオンスープがいいかな。ちょっと軽めですけど、昼が重めでしたし」
頭の中でメニューを組み立て、頷く。それくらいなら時間を掛けずに作れそうだ。
「ワインが合いそうだね。白が残っていたはずだよ」
「シャルドネですか?」
「ああ。あとローストチキンとケーキでもあれば、クリスマスも祝えてしまうな」
冗談めかして、透吾が笑った。
「さすがに、男二人でクリスマスパーティというのは悲しすぎますよ」
「辛い現実を直視したくなくてね。毎年、クリスマスイブは女性と一緒だったから」
それも冗談だろうと分かっていたが、和泉は彼をじろりと睨んだ。
「辛い現実で悪かったですね」
「悪くはないさ。むしろ、今日は自分でもわけが分からないくらい気分がよかった」
透吾が軽く頭を振って、否定する。
「いつも女性を楽しませることを優先してきたけれどさ、気兼ねしていたのかもな」
「藤波さん、サービス精神が旺盛ですから」
「嫌みかい?」
「いいえ。呆れ半分、感心半分ってところです」
「感心してくれるんだ?」
軽口をたたき合いながら、足は自然とマンションへの道から外れていた。こんなことならせめてデパ地下で調達してくるべきだったなと思いつつ、まあローストチキンとケーキくらいならコンビニのものでも構わないかと、和泉もいつになく心が浮き立った。はじめて友達の家へ泊まりに行く子供というのは、こんな気分なのかもしれない――和泉は、その手の楽しみを一つも経験したことがなかったのだ。今までは、経験したいとも思わなかった。
変化への切っ掛けをくれたのは、彩乃だ。彼女こそ初めての友人だが、やはり異性として意識してしまうことが多い。和泉にとっても、透吾は同性だからこそ「気兼ねしなくて済む」友人だ。
「ケーキ、売り切れていないといいですね。俺、生クリームってそんなに得意じゃないんですけど、こういうときはショートケーキがいいなって素直に思いますよ」
「同感。特別感があるんだよな。刷り込みだとは分かっていてもさ。生クリームといちごで飾り付けしたショートケーキの上に、サンタの砂糖菓子が載ってるやつ」
そんな話をしていると、コンビニの明かりが見えてきた。入り口のあたりには、ケーキやチキンの販売を強調するのぼりが立っている。
「まだありそうだね」
透吾が嬉しそうに唇を微笑ませた。そのとき――
それは、穏やかな夜の闇を鋭く切り裂く音だった。
最初に気付いたのは和泉だ。
視線を上げ、
「藤波さん!」
透吾の腕を掴む。
天上を裂いて急降下してきたのは、夜と同じ色をまとった生きものだ。それはつい今し方まで透吾が立っていた場所を斜めに横切ると、再び上昇して近くの外灯に止まった。
「鴉?」
透吾は眉をひそめている。
「このあたりにはゴミ捨て場なんてないし、俺も光り物なんて付けてないけど――」
「いえ」
和泉は反射的に否定した。なにかがおかしいと感じたのだ。
それをまじまじと見て、気付く。気付いてしまう。
目が――
「あれ、鴉じゃないですよ。藤波さん」
本来あるはずのない場所、額の部分に赤い目が一つ。
それを認識した瞬間、ぞわりと全身が総毛立つような感覚に包まれた。
鴉ではない。よく似た別の生きものだ。
それが天を向き、鋭く一声鳴いた。
その瞬間、明るい夜が翳ったように感じられたのは気のせいだろうか?
いいや、いいや。
「なんだか変な感じだ。早くコンビニへ入ってしまおう」
先に動いたのは透吾だった。
彼はぞっとしたように、和泉の背中を強く押した。それを合図に、和泉も弾かれたように走り出した。走るのは得意ではないが、嫌な予感に弱音も吹き飛んでしまった。
「遅くなってしまったな」
透吾の言葉どおり、電車の窓から見える外の景色はすっかり暗くなっている。
午前で買い物を終わらせて、午後は事務所――つまり彼の部屋でデスクワークに時間を充てるつもりだったが、和泉は元々服装にかなりこだわりがある。彼と起業してから今までのように買い物をするのを控えていたせいか、久しぶりに贔屓にしているブランドショップに入ったら我慢できなくなってしまった。
吟味に吟味を重ねてようやくシャツの二枚と新作のジャケットを買ったときには、昼を一時間も過ぎてしまっていたのだ。透吾が調べてくれていたスペイン料理の店でゆったりと昼食を取って、それからもう二時間かけて万里へのプレゼントを見繕った。
用事が済んだ頃には、十六時になっていた。
もう急いで帰宅しても仕方がないよ、と言ったのは透吾である。自分の用事に時間を費やしてしまったことが申し訳なかったので、和泉は彼の買い物に付き合うことにした。透吾は機能美にこだわる男である。服装はいつだってごくごくシンプルで、それがまた彼をスマートな男に魅せているが、和泉にしてみれば少し物足りない。
渋る透吾を、和泉が気に入っているいくつかの店の試着室へと押し込んだ。
そんなふうに強引になってしまったのは、クリスマスイブで浮かれる街の空気にあてられたのかもしれないし、そうでなければ――それを認めたくはないが――少しくらいは、国香彩乃に当てつける気持ちもあったのかもしれない。透吾に大切なカメラを壊された彩乃は、まだ彼のことを友人として認められずにいるのだ。
「さて、気が済んだかな。高坂くんは」
両手に紙袋を提げて、透吾が笑った。
「すみません。なんだか、羽目を外してしまって……」
和泉は彼に荷物のほとんどを預けて、今は小さなショップバッグを一つだけ両手で抱えていた。申し訳ないような、恥ずかしいような心地で体を縮こまらせていると、透吾はますます愉快そうに唇の端をつり上げた。
「いいよ。これで少しは俺も気が楽になった」
「なんですか、それ」
「突然の起業に付き合わせてしまって、君に借りを作っている状況だったからな。どこで返そうかって悩んでいたんだよ。これでも」
「別に、俺は貸しだなんて思っていませんけど」
「って言ってくれると分かっていたから、余計にね」
相変わらず生きにくそうな人だよな、と和泉は思った。それを言えば、きっと君に言われたくないとでも言い返されてしまうのだろうが――
代わりに、和泉は言った。
「俺の両親は、藤波さんに感謝していますよ」
「どうしてだい?」
「二十五まで社会経験のなかった息子が、外に出て働くようになったんですから」
「君の親、そういうことを気にするタイプだったんだ?」
「働かないことを気にしていたというより、友人の一人もいなくて世間知らずに好き勝手やっていたことの方を気にしていたというか……そういえば父が一度、藤波さんに会ってみたいと言っていたんですよね」
「父って……画家の高坂五樹だったよな? 彼が、俺に?」
透吾は意外そうに目を瞬かせた。
「やっぱり、まだ抵抗がありますか?」
和泉の父親、高坂五樹は主にメメント・モリをテーマとした作品を発表している芸術家である。退廃的になりがちな死の美術に、矛盾した激しい情熱を吹き込む手法で、マニアックなファンを獲得していることで有名なのだ。
一方の透吾は、死を美化する風潮を憎んでいる。
いや、憎んでいたといった方が正しいか。今は彼なりに折り合いを付けようとしているはずだが、以前は五樹の作品を嫌いだと言っていた。
「抵抗? いや、まさか」
この反応に、和泉の方が困惑した。
「え?」
「光栄だと思うよ。でも俺は芸術に造詣が深くないから、君のお父さんを不快にさせてしまわないか心配だな。以前いくつか作品を見た覚えはあるが、どう解釈したらいいのか分からなかった。君の好きなオフィーリアなんかは単純に美しいなと思うけれど、死の芸術は複雑だ」
「はあ……」
「なにか参考になるような書籍があれば、教えてほしいな。君のお父さんに会う前に、いくらか予習をしていくよ」
嫌な顔をするどころか、そんなことまで言ってみせる。
和泉は逆に、不安になってしまった。
「あの、藤波さん。無理していませんか?」
だが、透吾は無邪気に首を傾げた。
「無理? していないよ。君も知ってのとおり、俺は学ぶことは好きな方だから」
「そうではなくて、その、死とか……」
「気味が悪いってこと? 別に。前の職場でも、遺体なんかはよく目にしていたからなあ。死をテーマにすることを不謹慎だとも思わないし……そんなこと言ったら、葬儀屋だって亡くなった人の見送りを演出することで飯を食っているわけだからね」
やはり、微妙に話が噛み合っていない。
彼の表情を見るに、はぐらかしているというわけでもなさそうだ。
(吹っ切れた……のかな、藤波さん)
それにしても、唐突ではある。
なにをどう訊いたものかと考えていると、電車が止まった。駅に着いたのだ。
「降りるよ、高坂くん」
「あ、はい」
女性をエスコートするときの癖か、彼が丁寧に人混みをかき分けていく。その後ろに続きながら、和泉は彼の背中をどこか腑に落ちない心地で見つめた。
***
この時期、住宅街の夜は明るい。各家庭が思い思いに、クリスマスのライトアップをしているからだ。外灯の光が霞むほど、暗い夜空の下で色とりどりの電球が輝いている。
「食事はどうする? ファストフードでも買っていく?」
「冷蔵庫のものを使っていいなら、俺が適当に作りますよ」
店の方角を指差す透吾に、和泉は答えた。
彩乃や透吾と出会ってからファストフード店でも食事を買うようになったが、実をいえばあまり好きではない。
「いいのかい? 一日中歩き回って、疲れていると思ったのだけれど」
「疲れているからこそ、ですよ。どうせだったら、美味しいものを食べたいです」
「なるほどね。俺としては助かるよ」
一人暮らし歴の長い透吾も、もちろん料理は得意だ。完璧を装いたがる彼らしく、偏食家の和泉でも十分に美味しいと感じられるほどの腕前なのだが、そのくせ自分のために腕を振るうことは好きではないらしい。
放っておけば冷凍のきく料理を多めに作り置きし、何日も同じメニューを続けることがざらだ。見ている方がうんざりしてしまうため、事務所を開いてからは時間があれば和泉が料理を手伝っているのだった。
「バゲットがありましたよね。あと、サーモンとクリームチーズ、トマトとタマネギ、ニンジン、ベーコンも……ブルスケッタに、オニオンスープがいいかな。ちょっと軽めですけど、昼が重めでしたし」
頭の中でメニューを組み立て、頷く。それくらいなら時間を掛けずに作れそうだ。
「ワインが合いそうだね。白が残っていたはずだよ」
「シャルドネですか?」
「ああ。あとローストチキンとケーキでもあれば、クリスマスも祝えてしまうな」
冗談めかして、透吾が笑った。
「さすがに、男二人でクリスマスパーティというのは悲しすぎますよ」
「辛い現実を直視したくなくてね。毎年、クリスマスイブは女性と一緒だったから」
それも冗談だろうと分かっていたが、和泉は彼をじろりと睨んだ。
「辛い現実で悪かったですね」
「悪くはないさ。むしろ、今日は自分でもわけが分からないくらい気分がよかった」
透吾が軽く頭を振って、否定する。
「いつも女性を楽しませることを優先してきたけれどさ、気兼ねしていたのかもな」
「藤波さん、サービス精神が旺盛ですから」
「嫌みかい?」
「いいえ。呆れ半分、感心半分ってところです」
「感心してくれるんだ?」
軽口をたたき合いながら、足は自然とマンションへの道から外れていた。こんなことならせめてデパ地下で調達してくるべきだったなと思いつつ、まあローストチキンとケーキくらいならコンビニのものでも構わないかと、和泉もいつになく心が浮き立った。はじめて友達の家へ泊まりに行く子供というのは、こんな気分なのかもしれない――和泉は、その手の楽しみを一つも経験したことがなかったのだ。今までは、経験したいとも思わなかった。
変化への切っ掛けをくれたのは、彩乃だ。彼女こそ初めての友人だが、やはり異性として意識してしまうことが多い。和泉にとっても、透吾は同性だからこそ「気兼ねしなくて済む」友人だ。
「ケーキ、売り切れていないといいですね。俺、生クリームってそんなに得意じゃないんですけど、こういうときはショートケーキがいいなって素直に思いますよ」
「同感。特別感があるんだよな。刷り込みだとは分かっていてもさ。生クリームといちごで飾り付けしたショートケーキの上に、サンタの砂糖菓子が載ってるやつ」
そんな話をしていると、コンビニの明かりが見えてきた。入り口のあたりには、ケーキやチキンの販売を強調するのぼりが立っている。
「まだありそうだね」
透吾が嬉しそうに唇を微笑ませた。そのとき――
それは、穏やかな夜の闇を鋭く切り裂く音だった。
最初に気付いたのは和泉だ。
視線を上げ、
「藤波さん!」
透吾の腕を掴む。
天上を裂いて急降下してきたのは、夜と同じ色をまとった生きものだ。それはつい今し方まで透吾が立っていた場所を斜めに横切ると、再び上昇して近くの外灯に止まった。
「鴉?」
透吾は眉をひそめている。
「このあたりにはゴミ捨て場なんてないし、俺も光り物なんて付けてないけど――」
「いえ」
和泉は反射的に否定した。なにかがおかしいと感じたのだ。
それをまじまじと見て、気付く。気付いてしまう。
目が――
「あれ、鴉じゃないですよ。藤波さん」
本来あるはずのない場所、額の部分に赤い目が一つ。
それを認識した瞬間、ぞわりと全身が総毛立つような感覚に包まれた。
鴉ではない。よく似た別の生きものだ。
それが天を向き、鋭く一声鳴いた。
その瞬間、明るい夜が翳ったように感じられたのは気のせいだろうか?
いいや、いいや。
「なんだか変な感じだ。早くコンビニへ入ってしまおう」
先に動いたのは透吾だった。
彼はぞっとしたように、和泉の背中を強く押した。それを合図に、和泉も弾かれたように走り出した。走るのは得意ではないが、嫌な予感に弱音も吹き飛んでしまった。
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