蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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張り子の虎【赤の妄執】

9.

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 ***


 ビルとビルの間を風が吹き抜けていく。
 調香と調整を繰り返して、あたりはすっかり夜だった。その間、杏子は部屋でぼんやりとしていたようだ。時間という概念を失っているのかもしれない。思念になったことはないため、そのあたりの感覚は湖藍には分からないが。

「大丈夫なんですか? あの、外へ出たりして」

 後を付いてくる杏子の不安そうな顔に、少し胸が痛む。一方の兄弟子はいつも通りへらへらと笑みを浮かべていた――最初から彼女の正体に気付いていたというのだから、態度が変わるはずもないか。

「大丈夫、大丈夫。いわゆるリベンジってやつだよ」
「違うと思いますが、師兄」
「あれ?」

 首を傾げている。
 素なのだろうと思うものの、或いは人の油断を誘うための振りなのではないかと疑いたくなってしまう湖藍だ。じっと見つめると、兄弟子はにっこり微笑み返してきた。

「なに、小藍。師兄があんまりにも美形だから見とれちゃった?」
「いいえ。師兄はご自分の実力と容貌の評価を逆にされた方がよろしいと思います」
「どゆこと?」
「師兄はご自分でおっしゃられるほど不出来ではありませんが、ご自分が思われているほど美形でもないという話です」

 事実を指摘しただけのつもりだったのだが、彼は微妙に傷付いた顔で胸を押さえた。

「俺、見た目にだけは自信あったのに」
「お二人は仲がよろしいんですね」

 杏子が笑う。秋寅は頷いた。

「まあ、ね。小藍とは下手をしたら本当の兄弟たちより密な時間を過ごしているから、それこそ口に出すよりは可愛がっているつもりだよ。だから、なんていうか実は面白くなかったわけだ。彼の鳥モドキが最初に小藍を狙ったってのはさ……」

 言いながら振り返る。後半の言葉は彼に向けられたものだったのだろう。寒月の下、腕に半機械半思念のハヤブサを留まらせて佇む男。

「その立ち方、やめてほしいなぁ。火雷と従兄さんそっくり」

 苦笑いする秋寅に、男が目をつり上げる。

「今度こそ彼女を返してもらうぞ、三輪秋寅!」
「勿論、返すつもりだよ。そのためにこうして待っていたわけだし?」

 言葉に、今度は杏子が眉をひそめた。

「秋寅さん? どういう……」

 話が違うとでも言いたげな彼女を遮って、秋寅が呟く。

「辰ちゃんや従兄さんはこういうやり方を嫌うんだろうけど、俺は思念を生きもののように扱うのってよくないと思うのさ。だって、想いは想いでしかないんだから」

 それは今の状況とまったく関係のない言葉のように聞こえたが――

「なにを……」

 なにかを感じ取ったのか男が後退る。そこで初めて気付いたというのは、勘が鈍いという他ない。彼も、そして杏子も今や虎の太い前脚に押さえつけられた小鳥のようなものだ。
 サングラスの奥の瞳を冷たく光らせて、秋寅は答えた。

「なにって。あんたの言った通り、俺は不出来な長男だけど……」

 相手を見下ろすその顔が歪む。自虐ではなく、恍惚と優越感に。選択肢の見えない相手を哀れんでいる。彼は獲物を前にした獣のように舌なめずりをした――実際のところはただ乾いた唇を湿らせただけだったのかもしれないが、湖藍には確かにそう見えた。

「人よりちょっと決断は早い。そう自負してる。少なくともあんたみたいに、もう終わってしまったことでぐずぐず立ち止まったりしない」
「師兄――」

 止める。止めなければ、と湖藍は思う。そう思うのは何度目か。分かっているのにいつだって遅い。ちょっと、どころではなく兄弟子の決断は早すぎる。そうと決めればなんの躊躇いもなく行動を次へと移してしまう。呆気なく。あっさりと。
 ぱちん、と乾いた音が鳴った。
 開いたアタッシュケースの中から赤い粉の入った袋を取り出すと、秋寅はそれを宙に撒いた。彼の手の中ではライターが青白い炎を立てていた。熱に炙られ、粉末香が細い煙をたなびかせる――粉末の大半は地面に落ちて、香りを発したのは僅かに過ぎなかったが。効果よりも見た目の派手さを重視したというのは兄弟子らしい話だった。
 細くたなびく。微かな香りが、冷えた夜の空気に熱を与える。

 それは、赤の記憶だ。
 熱の記憶だ。赤々とした炎と混乱、そして絶叫と絶望の記憶だ。ぼんやりとして猶、凄惨さがぴりぴりと肌を刺す。
 彼女が、広瀬杏子が巻き込まれた航空機事故の記憶だった。静かな夜の景色が阿鼻叫喚に塗り替えられていく。人気のないビルの隙間は、狭い機内に変わった。混乱に陥った人たちが操縦室に殺到する。ああ、それでも。逃げ場はない。逃げ場はないのだ。どこにも。狭い。耳の奥には助けてくれと叫ぶ人の声が。もうなにをしても無駄だと察したのか、携帯電話を取り出してどこかへ掛けている人もいる。はたして、通話は繋がったのか。繋がらなかったのか。繋がっていてくれたらいいと思う反面、繋がらなかったのだろうと、湖藍は思う。人々の絶望と悪夢を乗せて、航空機は堕ちる。堕ちていく。そういうものだ。運命とは、神とは、兄弟子よりも残酷だ。選択肢を提示してくれることすらせず、絶望の淵にある人を救わない。

「これは……」

 男が絶句する。半ば思念と同化して呆然としている杏子の存在も目に入らない様子で、目の前の光景に見入っている。起きろ、起きろ、起きろ、と。この場に残された彼女ではなく、過去の中で夢うつつの〈彼女〉に譫言のように繰り返すが――

「いやあ、無理でしょ。過去は変えられないし、変えられたとてむしろはっきり目覚めていた方が悲惨じゃない? この状況じゃさ、どんなにすぐれた異能者だってどうにもできないから」

 どこまでも軽薄な声が。悪夢のように残酷な指摘が。

「杏子さんの名前は分かっていたし、旅客機のロゴも視えたからね。少し調べた。原因はトイレ内に捨てられた煙草からの出火とされたんだってね。それほど大きな機体じゃなかったせいで乗客に情報が伝わるのも早かった。そのせいで対策を取る間もなく操縦室にまで人が殺到して制御不能に。やがて墜落。生存者なし。広瀬杏子さん、あなたは帰国のため、その便に乗ってた。クリスマスの悲劇だ」

 秋寅が続ける。淡々と。感情もなく。
 杏子は赤い粉の落ちた地面を見つめている。思念もなにかを感じることがあるのか、それとも過去の引き出しからなにかを感じた振りをしているだけなのか。やはり湖藍には分からない。女の唇が震え、そして開いた。

「わたしが乗っていた? そこに? 生存者、なし?」

 目を見開いたまま静かに絶望している男の代わりに秋寅が顎を引いて肯定すると、彼女は膝から崩れるようにしてその場へ座り込んだ。視線が事故の記憶から男に、男から秋寅に移って――ぴたりと止まる。

「じゃあ、わたしは? ここにいるわたしは、なに?」
「思念。事故に遭った広瀬杏子さんが残した、ただの想い」
「そんな、嘘!」

 絶叫するが、

「嘘じゃない」

 秋寅はかぶりを振って否定した。

「終わりを迎えたという自覚がなかったせいかな、驚くほどはっきりしてる。そのせいで、ただでさえ共感してしまいやすい小藍はあなたが思念であることに気付かなかった。だけどさ、杏子さん――」

 一度言葉を切る。

「思念への感応力が高い方じゃない俺には、透けて見えてるんだよ。ただの人には視ることもできないし、だからこそあなたは空港にいた大勢の人の中から俺たちを選んだ。いや、俺と小藍があなたを引き寄せたのかも」
「では、彼は……?」

 彼女の視線が男を向いた。男も酷く切なげな顔で彼女を視ていた。視線が交わる。

「君がずっと待っていた、恋人」

 あっさりと告げる声が、恋人たちの顔にこれ以上ない絶望を上塗りした。夜の寒さも気にならないほど凍り付いてしまった空気に気付いていないのか、それとも気付いていながら気にしていないだけなのか――恐らく後者であろうが――秋寅が続ける。

「恋人を蘇らせようと、その思念を必死に探していた彼。そんな彼の正体にも気付かず怯えて逃げてしまったあなた。助けを求めた先にいたのが俺だった、っていうのは不幸という他ない。或いは、これも神様の思し召しってやつかな」

 最後の一言は酷く小さくて、酷く聞き取りにくかった。


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