蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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北風と太陽

九雀蔵之介の場合

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 生真面目に見上げてくる後輩の顔を、俺はじっと眺めた。夜の海にも似た色の瞳がきらきら輝いているのを見ると、どうにもたまらなくなってしまう。愛犬家ってのは、こんな気持ちなんだろうな――とか。いやいや、俺まで真田を犬扱いしてどうする――とか。そうは言っても完全に犬だよなー――とか。あー、わしゃわしゃしたい。頭をわしゃわしゃしてやりたい。
「せ、先輩、やめてください。自分は子供ではありません……」
 なんて言いながら、見えない尻尾をちぎれんばかりに振っている後輩を想像すると、その肩に置いた両手がうずく。いかん、いかん。日頃は真田を人間扱いしている理性がぶっ壊れている。
 こういうとき、酒に弱いなと自覚する。ざるの石川と違って、俺は楽しく飲むのが好きなだけなのだ。あー、犬飼いてえなあ、犬。でも、さすがに男の一人暮らしじゃ厳しいよな。やっぱ真田でいいかな。人間の言葉も喋れるし。

「おい、蔵之介。思ったことが全部口から出ているぞ。だだもれだ」

 またまたー。そんな冗談で俺を焦らそうっても無駄だぞー悪友ー。
 その手には乗るかと笑う俺。しかし、俺を見つめたままの後輩ちゃんが申し訳なさそうに告げてきた。

「く、九雀先輩。自分はその、人間ですので。人語を解するのは当然かと思います」
「おおう……。すまんな。つい」

 いや、馬鹿にしてるわけじゃねえんだよ。

「分かるだろ。うちの犬は可愛いという気持ちと、うちの後輩ちゃんは可愛いという気持ちは、めちゃくちゃ似てる」
「似て非なるものだと思うが」

 日頃は真田を犬扱いするくせに、こういうときに同意してくれねえって嫌な悪友だよな。友達甲斐がねえっていうか。それともあれか。ここらで好感度を上げておこうとか、そういうつもりなのか。

「お前は本当に汚いやつだよな、石川」
「なにがだ!?」
「それに比べてお前はいいやつだよ、真田」

 心なしかへこんだ顔をしている後輩の頭を、よしよしと撫でてやる。よしよし。よしよし。よーし、よしよし。おっ、立ち直った。目には見えない尻尾もぴんと上を向いて、復活している。そういう切り替えの早いところも、俺は嫌いじゃないぞ。

「それで、先輩。自分に頼みとは?」

 うむ。
 きらっきらの目で見上げてくる後輩に、俺はひとつ頷いて言った。

「俺が頼みたいのはさ」

 真田の目を見つめる。真田も、いつもと同じように見上げてくる。きらきらと輝く夜の海にも似た色の瞳を見ていると、少しだけ我に返ってしまう。女として意識させられるというわけではなく、なんというか、こう、無垢な子供を前にしたときの罪悪感とでもいうのだろうか――

「つまり……ええと、つまり……俺は……」

 歯の浮くような馬鹿っぽい台詞は、喉の奥に引っかかって出てこない。とはいえ後に引くわけにもいかず、どうにか言葉を絞り出す。

「つまり、俺は、後輩ちゃんにはいつでも明るい顔でいてほしい……かもってことなんだ。俺は明るくて元気で前向きな後輩ちゃんに、いつも励まされてる……気が――」

 あー、駄目だ。なし。今のはなし。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
 向かいで聞いている石川も、微妙な顔だ。

「かも、とか、気がする、とか……曖昧すぎる」
「真面目な話で断定するのは、口説くみたいで勇気がいるだろうが」
「こんなときまでヘタレか、君は!」
「いや、そもそも、アルコールが入ってる状態で言うのも真田に対して失礼かと思ったり……」

 言い訳じゃねえって。
 石川は疑いぶかげに、じと目で見つめてくる。片や真田は――

「先輩……! 先輩の誠実さに、自分は感激しました!」

 おお、いつもの真田だ。

「律華くんのポジティブさに、僕は呆れてしまう……」

 石川が額を押さえる。
 ポジティブっていうか、ネガティブなくせして俺のいいところを無理矢理探し出すのはうまいっていうか。それがいいことなのか悪いことなのかは、俺にも分かんねーけど。

「後輩ちゃんなら、そう言ってくれると思ってたぜ!」

 ひしっと抱き合う。先輩と後輩の熱い抱擁。感動的だな。普通なら「おっ、意外と柔らかい」と思うようなシチュエーションだが、残念。意外性もなにもなく、真田は少し硬い。

「蔵之介、だから口からだだもれだ」
「またか!」
「筋肉質ですみません……」

 あーあーあー。やってしまった。
 今の一瞬で、ゴールを目の前に三歩くらい下がっちまった感じ。はにかむ寸前から一転、真田は顔を引き攣らせている。剛胆なようでいて、わりと繊細なんだよ。うちの後輩。とにもかくにも――俺のせいだけでなく、石川の意味不明な行動も原因なんだとは思うが――疲れた顔で溜息を零している真田を見ると、先輩として居たたまれない。

「真田、気を悪くしたか? 俺と、主に石川が至らないばっかりにごめんな」
「いえ、石川が至らないのは今に始まったことではありませんので」
「おい!」
「だよなあ。石川が至らない分、俺がしっかりしないといけないのにな」
「いえ、いいえ。先輩はしっかりしてくださっています。冗談の分からない自分がいけないんです。少し硬いと言われたら、がっちがちに硬くなるまで鍛えるくらいのことは言えるようにならなければと思うのですが……」
「それ以上硬くなられたら、俺もちょっと戸惑うからやめてくれ」

 今でさえ石川くらいは軽く担ぎ上げそうな真田だ。そのうち、俺もお姫様だっこで助けられるような事態になりそうで、戦々恐々としてしまう。と――それもともかく。
(さて、どうしたもんかな)
 どうにも決着が付きそうにない。俺も石川も行き詰まって、考え込んでしまった。
 そこへ、

「すみません、閉店時間になります。お会計をお願いします」

 席にやってきた店員が促す。タイムリミットだ。
 真田は一度も笑わなかったし、この瞬間も笑いそうにない。

「あー……残念ながら、引き分けだな」
「むむむ……」
「石川、なに難しい顔で唸ってんだよ。金払って店を出ようぜ――」

 財布を出そうと、ズボンの尻ポケットを探る。
 ん?
 ない。いつもそこにあるはずの財布が、ない。

「あ、わりい。俺、財布ねえや。忘れてきた」

 てへぺろっ――ってのは、さすがに古いか。
 舌を出して自分の頭を軽く小突く俺に、石川が掴みかかってくる。

「おい!」
「まあ、いいだろ。すぐに返すから立て替えておいてくれよ、石川」
「僕もない」
「はあ?」
「僕も財布を忘れた」

 はああああああ?

「馬鹿じゃねえの?」
「君にだけは言われたくない!」

 言い合う俺たちの間に、店員の冷たい声が割り込んでくる。

「お客さま」

 絶対零度。まあ、当然の反応だ。どうすっか。警官が無銭飲食とか洒落になんねえ。
 俺が思案していると、真田が財布を取り出した。

「あ、自分が立て替えておきます」

 まあ、そうだよな。そうなるよな。
 そうなるだろうと分かってはいたのだが、俺はへこんでしまう。
 後輩に運転手やってもらう上に、金まで立て替えさせるとか、ねえだろ。

「俺って駄目な先輩だよな……」
「そんなことありませんよ、先輩」

 いつものように軽く否定して、真田はひょいと立ち上がった。

「足下、気を付けてくださいね。かなり飲んでいらっしゃるようですので部屋までお送りさせていただきます、九雀先輩」

 そう、俺の手を引いて立たせてくれる。
 なんだその彼氏力。どこで身につけたんだ。
 俺が靴を履くところまで見届けると、紳士な後輩は石川のやつを振り返った。

「石川、お前も送ってやる。酔いが顔に出ないやつほど、危ないと言うからな」
「あ、ああ。悪いね、律華くん」

 さすがの石川も、たじろいでいる。だよなー。そういう反応になるよなー。男二人、揃いも揃って情けねー。それから真田に促されるまま、俺たち二人は先に店の外へ出た。支払うところは見せないってか。男らしい。
 石川と二人で敗北感に打ちひしがれながら、夜風を感じる。酔いが醒めてくると、ますます反省会モードになってしまう。なにやってんだ、俺たち。

「お前のあの妙な自信はなんだったんだよ……」
「それを言うなら君こそ、飼い主の矜持はどうした」
「うるせー。こんなはずじゃなかったんだよ。酒さえ入っていなけりゃ……」
「ヘタレ男の常套句だな」
「俺がヘタレなら、お前は勘違い男だ」
「うるさいな。僕が悪いんじゃない。悪いのは審美眼を欠いた律華くんだ」
「んなもん、今更だろうが」
「そうは言うが、統計的にみて僕がしおらしくすると律華くんはほだされてくれることが多い。今回もその路線でいけると思ったんだ」
「お前、ろくでもないやつだよなー……」
「いつも馬鹿みたいに甘やかすくせして、いざってときに照れてしまうぶれっぶれの君とは違うからね」

 ああ、どこまでも恰好が付かない。
 ややあって、店員に見送られた真田が店から出てきた。こちらに一度だけ手を上げて、ショルダーバッグの中を覗きこむ。目をそらされたわけではなく単純に車のカギを探してるだけなんだろうとは分かっているんだが、やらかしてしまった自覚があるだけに居たたまれない。
 後輩に、俺はおずおずと声を掛ける。

「……今日は悪かったな」
「いえ、気になさらないでください。自分こそ、水を差してしまって申し訳ありません」

 本当に気にしていないのか、それとも気にしていないふりをしているだけなのか。まあ、後者なのだろうなと俺は思った。教師を前にした優等生のような表情から、逆に後輩の戸惑いが伝わってくる。俺はいっそう後悔した。酔って醜態を晒したことよりも、金を立て替えさせたことよりも、もっと悪い。石川と二人、勝手な勝負で盛り上がって、後輩を置いてけぼりにしちまった。

「いや、俺と石川がとことん最低ってだけの話なんだ。お前は気にしないでくれ」
「はあ」
「今度は一緒に飲もう、後輩ちゃん。お前がいないと、やっぱりしまらねえわ、俺」

 石川のやつも、俺に便乗する。

「そうだな。確かに蔵之介は飼い主モードの方が使いものになるし、僕も君がいた方が皮肉にキレが出るような気がしないでもない。今回の詫びもかねて、次は僕らで奢ってやろう」
「お前はー。つくづく偉そうに……」
「なんだと!」

 気付くと、真田が顔を上げていた。
 小突き合っている俺たちを眺めて――

「はい! 次は是非、ご一緒させてください!」

 あ、笑った。

「この場合、判定はどうなるのだろうね」

 複雑そうな顔で、石川が言った。

「さあな。やっぱり引き分けなんじゃねえの?」

 俺は適当に言って、笑っている後輩に少し頬をゆるめて笑い返したのだった。



 
おわり。

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