48 / 119
雪に落涙
5.
しおりを挟む
***
これでいいのか。
一族が集まる場では、これまでもたびたびそう感じることがあった。一年前に執り行った母の葬式でもそうだったし、今も。打ち合わせとは名ばかりで、代わり映えのしない慣習を確認するだけの――秋寅曰く「選択肢なんて一つもない、退屈でくだらない」時間。基本的には嫁ぎ先に合わせるのが老人たちのやり方で、両家の主張がかち合うこともない。
これでいいのか。
なに一つ口を挟むことなく、式の準備は整っていく。神前式を行うのは三輪家が管理する神社の一つで、三輪と羽黒の老人が顔を突き合わせてああでもないこうでもないと参列者を選んでいる。打掛も新調こそするものの刺繍すら決められていて、これには丑雄も閉口した。そも――これを言えば老人連中は発狂しようが、神前式より教会式、白無垢よりもウエディングドレスの方が好きな丑雄である。
一生に一度のことだからと披露宴で着る色打ち掛けくらいは伊緒里に選ばせてはどうかと口を挟んで、どうにか彼らに妥協させた――そのときでさえ、伊緒里は大人しく口を噤んでいた。主張がないというよりは、うるさい老人たちとの付き合い方を心得た人なのだろうが。これがたとえば三輪本家の卯月であれば「晴れの舞台で着るものも選べないだなんて御免だわ。わたし、おばあさまやおばさまたちのように我慢はしない主義なの」と喧嘩の一つでも売ったであろうし、辰史にしても「じゃあ俺は御祖父様の名前だけを継ぐから、一族は勝手に凋落してくれ」と、それくらいは言うに違いない。そうしたやり取りを過去に何度か目にしたことがあっただけに、丑雄はかえって考え込んでしまうのだった。
結婚式。花嫁姿。といえば、個人差はあるに違いないが大抵の女性には理想があるのではないだろうか。
丑雄にしてみれば不毛の一言に尽きた打ち合わせののち――三輪本家から帰宅して、丹塗矢邸である。どこか店の方がいいかとも思ったが、伊緒里の用件が分からなかったため邸に呼んだ。客間に伊緒里を通した丑雄は、彼女に訊ねていた。
「君は、あれでよかったのか」
従兄弟たちにするような言い方で彼女と話すのは些か抵抗があったものの、今日のうちに何度か他人行儀がすぎると、大叔母や伯母だけでなく羽黒の女たちからもたしなめられてしまってはそういうものかと納得してみせる他なかった。
「あれ、とは」
妙に大人びた彼女だが、小首を傾げる仕草をすると歳相応に見える。
「式のことだ。なに一つ、自分たちで決めていない」
「なに一つ、ではありません。色打ち掛けは、わたしが選ばせていただきました」
「それだけだ。他にも希望はあっただろうに」
言いながら溜息が零れたのは、秋寅との会話を思い出したからだった。
――年寄りどもの好きにさせるよりは俺の傍で自由にさせてやりたいと思ったから、彼女とそう約束した。
大言壮語甚だしい。結局自由になったのは彼女が言うとおり、色打ち掛けの一つだけだ。同じ大言でも実行してみせるだけ辰史の方がましなのかもしれないと、苦い顔をする丑雄に彼女は苦笑してみせた。
「母は着物の柄すら自由に決められなかったと言います。それは祖母も同じで、こうしてどの着物にしようかと迷うことに時間を割いたのはわたしが初めてでしょうね」
「…………」
「お気持ちはありがたいですけれど、あなたは欲張りすぎます。そんなふうにはとても見えないのに、わたしの妹と同じように自由を勝ち取ろうとするんですから」
「欲張り、か。そう言われたのは初めてだ。なにせ、本家の兄弟はもっと強欲だ」
思わず零せば、伊緒里はまあと目を丸くした。
「丑雄さんよりも?」
「俺は自分が強欲だと言われたことに驚いた」
「わたしは――」
すぐには言葉が見つからなかったのだろう。彷徨う視線に羨望のような感情が交じっていることに気付いたが、丑雄は黙って彼女の顔を見つめていた。
「みんな、同じように受け入れているのだと思っていました」
「君は真面目すぎる」
お前は真面目すぎる。誰からもそう言われてきた自分が、他人にそれを指摘する日がくるとは思わなかった。少し笑うと、伊緒里はややきまりが悪そうな顔で俯いた。
会話が途切れ、沈黙が降りる。
(いかんな。年頃の女性を相手にした会話というのは、どうにも……)
勝手が分からない。一分かそこらの沈黙を、まるで永遠のように感じてしまう。話題を探して、丑雄はそういえばと伊緒里からのメールを思い出した。そうだ。そもそも時間がほしいと言ったのは、彼女の方だったはずだ。
「なにか俺に用事があったのでは?」
まさかこの段階にきて、やはり結婚の話はなかったことに――などと言うわけではなかろうが。気にかかることでもあるのかと訊ねると、伊緒里はまじめくさった顔で頷いた。
「ええ、気になったんです。そう言ったはずです」
「ああ――」
なんのことかと考えて、見合いの席での話かと思い出す。彼女は続けた。
「以前のわたしであれば、これからいやが上にも知るのだからと気にも留めなかったでしょう。でも、あなたのことは妙に気になるんです。先日、そして今日も。わたしの希望を優先してくれようとしたあなたを見て、ますます知りたくなってしまった。それが、わたしの用事です。釣書にはない丑雄さん個人のことを、わたしに教えてください」
「それは構わないが……」
丑雄は少しだけ面食らった。女から真っ直ぐ興味をぶつけられたことは、初めてだった。勿論、過去に何度か女と関係を持ったことはある。互いに一族の顔を立てるため付き合って、適当なところで終わらせるということが大抵だった。丹塗矢の後継ぎとしての価値はあるが、男としての面白味はない――そういうことなのだろう。丑雄にも、その自覚はある。なんせ秋寅のように華やかな遊びを知っているというわけでもなければ、話し好きというわけでもない。
「聞いて面白いこともないと思うぞ」
「面白さを求めているわけではありませんから」
「そうか。とはいえどういった話をすればいいか――」
考えて、ふと空白が目に付いた。四人から三人に、三人から二人に。間を置かず、一人に。流石に三輪の本家ほどの部屋数はないが、弟がいなくなった頃からずっと広いと感じていた。一人になってからは、考えないようにしていた。これから彼女と二人になるのかと、改めて気付くとどうしてかそれを話したくなった。
「……家族の話をしてもいいだろうか」
我ながら恐ろしく気が利かないなと思いながら、伊緒里を見る。丹塗矢家に次男がいた話を聞いたことくらいはあったのだろう。彼女は片方の眉をぴくりとはね上げた。
「よろしいのですか?」
「それはこちらの台詞だ。いかにも湿っぽい、面倒な話題だろう」
丑雄が自嘲に唇を歪めると、伊緒里はいいえとかぶりを振った。
「いや、俺がずるかった。そこではいと頷けるような人はいないな」
いたとすれば、やはり従弟たちくらいのものだろう。
「ふと、新しい家族のことを考えたら昔の家族を思い出した。それだけの話だ。だから、君が今はまだ早いと言ったところで俺が気を悪くすることもない。もっと面白い――たとえば従弟たちとの話や学生時代の話も、ないわけではない。だから気が進まないようであれば素直に言ってほしい」
これまたいかにも自分らしい、面倒な物言いだ。どうにも上手くいかないなと思いながら、伊緒里の顔を眺める。毅然とした美しさは、式神で見る祖母に少し似ているかもしれない。彼女は真っ直ぐな眼差しで丑雄を見つめ返すと、告げてきた。
「わたしは、面白さを求めているわけではないと言いましたよ」
.
これでいいのか。
一族が集まる場では、これまでもたびたびそう感じることがあった。一年前に執り行った母の葬式でもそうだったし、今も。打ち合わせとは名ばかりで、代わり映えのしない慣習を確認するだけの――秋寅曰く「選択肢なんて一つもない、退屈でくだらない」時間。基本的には嫁ぎ先に合わせるのが老人たちのやり方で、両家の主張がかち合うこともない。
これでいいのか。
なに一つ口を挟むことなく、式の準備は整っていく。神前式を行うのは三輪家が管理する神社の一つで、三輪と羽黒の老人が顔を突き合わせてああでもないこうでもないと参列者を選んでいる。打掛も新調こそするものの刺繍すら決められていて、これには丑雄も閉口した。そも――これを言えば老人連中は発狂しようが、神前式より教会式、白無垢よりもウエディングドレスの方が好きな丑雄である。
一生に一度のことだからと披露宴で着る色打ち掛けくらいは伊緒里に選ばせてはどうかと口を挟んで、どうにか彼らに妥協させた――そのときでさえ、伊緒里は大人しく口を噤んでいた。主張がないというよりは、うるさい老人たちとの付き合い方を心得た人なのだろうが。これがたとえば三輪本家の卯月であれば「晴れの舞台で着るものも選べないだなんて御免だわ。わたし、おばあさまやおばさまたちのように我慢はしない主義なの」と喧嘩の一つでも売ったであろうし、辰史にしても「じゃあ俺は御祖父様の名前だけを継ぐから、一族は勝手に凋落してくれ」と、それくらいは言うに違いない。そうしたやり取りを過去に何度か目にしたことがあっただけに、丑雄はかえって考え込んでしまうのだった。
結婚式。花嫁姿。といえば、個人差はあるに違いないが大抵の女性には理想があるのではないだろうか。
丑雄にしてみれば不毛の一言に尽きた打ち合わせののち――三輪本家から帰宅して、丹塗矢邸である。どこか店の方がいいかとも思ったが、伊緒里の用件が分からなかったため邸に呼んだ。客間に伊緒里を通した丑雄は、彼女に訊ねていた。
「君は、あれでよかったのか」
従兄弟たちにするような言い方で彼女と話すのは些か抵抗があったものの、今日のうちに何度か他人行儀がすぎると、大叔母や伯母だけでなく羽黒の女たちからもたしなめられてしまってはそういうものかと納得してみせる他なかった。
「あれ、とは」
妙に大人びた彼女だが、小首を傾げる仕草をすると歳相応に見える。
「式のことだ。なに一つ、自分たちで決めていない」
「なに一つ、ではありません。色打ち掛けは、わたしが選ばせていただきました」
「それだけだ。他にも希望はあっただろうに」
言いながら溜息が零れたのは、秋寅との会話を思い出したからだった。
――年寄りどもの好きにさせるよりは俺の傍で自由にさせてやりたいと思ったから、彼女とそう約束した。
大言壮語甚だしい。結局自由になったのは彼女が言うとおり、色打ち掛けの一つだけだ。同じ大言でも実行してみせるだけ辰史の方がましなのかもしれないと、苦い顔をする丑雄に彼女は苦笑してみせた。
「母は着物の柄すら自由に決められなかったと言います。それは祖母も同じで、こうしてどの着物にしようかと迷うことに時間を割いたのはわたしが初めてでしょうね」
「…………」
「お気持ちはありがたいですけれど、あなたは欲張りすぎます。そんなふうにはとても見えないのに、わたしの妹と同じように自由を勝ち取ろうとするんですから」
「欲張り、か。そう言われたのは初めてだ。なにせ、本家の兄弟はもっと強欲だ」
思わず零せば、伊緒里はまあと目を丸くした。
「丑雄さんよりも?」
「俺は自分が強欲だと言われたことに驚いた」
「わたしは――」
すぐには言葉が見つからなかったのだろう。彷徨う視線に羨望のような感情が交じっていることに気付いたが、丑雄は黙って彼女の顔を見つめていた。
「みんな、同じように受け入れているのだと思っていました」
「君は真面目すぎる」
お前は真面目すぎる。誰からもそう言われてきた自分が、他人にそれを指摘する日がくるとは思わなかった。少し笑うと、伊緒里はややきまりが悪そうな顔で俯いた。
会話が途切れ、沈黙が降りる。
(いかんな。年頃の女性を相手にした会話というのは、どうにも……)
勝手が分からない。一分かそこらの沈黙を、まるで永遠のように感じてしまう。話題を探して、丑雄はそういえばと伊緒里からのメールを思い出した。そうだ。そもそも時間がほしいと言ったのは、彼女の方だったはずだ。
「なにか俺に用事があったのでは?」
まさかこの段階にきて、やはり結婚の話はなかったことに――などと言うわけではなかろうが。気にかかることでもあるのかと訊ねると、伊緒里はまじめくさった顔で頷いた。
「ええ、気になったんです。そう言ったはずです」
「ああ――」
なんのことかと考えて、見合いの席での話かと思い出す。彼女は続けた。
「以前のわたしであれば、これからいやが上にも知るのだからと気にも留めなかったでしょう。でも、あなたのことは妙に気になるんです。先日、そして今日も。わたしの希望を優先してくれようとしたあなたを見て、ますます知りたくなってしまった。それが、わたしの用事です。釣書にはない丑雄さん個人のことを、わたしに教えてください」
「それは構わないが……」
丑雄は少しだけ面食らった。女から真っ直ぐ興味をぶつけられたことは、初めてだった。勿論、過去に何度か女と関係を持ったことはある。互いに一族の顔を立てるため付き合って、適当なところで終わらせるということが大抵だった。丹塗矢の後継ぎとしての価値はあるが、男としての面白味はない――そういうことなのだろう。丑雄にも、その自覚はある。なんせ秋寅のように華やかな遊びを知っているというわけでもなければ、話し好きというわけでもない。
「聞いて面白いこともないと思うぞ」
「面白さを求めているわけではありませんから」
「そうか。とはいえどういった話をすればいいか――」
考えて、ふと空白が目に付いた。四人から三人に、三人から二人に。間を置かず、一人に。流石に三輪の本家ほどの部屋数はないが、弟がいなくなった頃からずっと広いと感じていた。一人になってからは、考えないようにしていた。これから彼女と二人になるのかと、改めて気付くとどうしてかそれを話したくなった。
「……家族の話をしてもいいだろうか」
我ながら恐ろしく気が利かないなと思いながら、伊緒里を見る。丹塗矢家に次男がいた話を聞いたことくらいはあったのだろう。彼女は片方の眉をぴくりとはね上げた。
「よろしいのですか?」
「それはこちらの台詞だ。いかにも湿っぽい、面倒な話題だろう」
丑雄が自嘲に唇を歪めると、伊緒里はいいえとかぶりを振った。
「いや、俺がずるかった。そこではいと頷けるような人はいないな」
いたとすれば、やはり従弟たちくらいのものだろう。
「ふと、新しい家族のことを考えたら昔の家族を思い出した。それだけの話だ。だから、君が今はまだ早いと言ったところで俺が気を悪くすることもない。もっと面白い――たとえば従弟たちとの話や学生時代の話も、ないわけではない。だから気が進まないようであれば素直に言ってほしい」
これまたいかにも自分らしい、面倒な物言いだ。どうにも上手くいかないなと思いながら、伊緒里の顔を眺める。毅然とした美しさは、式神で見る祖母に少し似ているかもしれない。彼女は真っ直ぐな眼差しで丑雄を見つめ返すと、告げてきた。
「わたしは、面白さを求めているわけではないと言いましたよ」
.
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
粗暴で優しい幼馴染彼氏はおっとり系彼女を好きすぎる
春音優月
恋愛
おっとりふわふわ大学生の一色のどかは、中学生の時から付き合っている幼馴染彼氏の黒瀬逸希と同棲中。態度や口は荒っぽい逸希だけど、のどかへの愛は大きすぎるほど。
幸せいっぱいなはずなのに、逸希から一度も「好き」と言われてないことに気がついてしまって……?
幼馴染大学生の糖度高めなショートストーリー。
2024.03.06
イラスト:雪緒さま
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる