蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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雪に落涙

4.

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「やっほほーい、従兄さん! 久しぶり!」

 久しぶり――確かに、久しいのだろう。
 上海で生活している従弟、三輪秋寅が帰国したのは半年ぶりだった。いつもは二ヶ月か、それよりもう少し短い周期で顔を出す彼が半年も音沙汰なく過ごしていたというのは主に口うるさい一族の長老たちが気に掛けていたことだった。曰く「あのやかましい秋寅が連絡の一つもよこさないのは珍しい」「また事件にでも巻き込まれているのではないか」「まあ、猫よりも気まぐれなあいつらしい」「いやいや、それにしても不気味だ」と、まあ彼らなりに本家の長男を心配してはいたのだろう。彼が幼い頃こそ本家の後継ぎに相応しくないと散々に言っていた彼らだが、年老いていくらか丸くなった――というよりは、どうやら老いに不安を感じ始めたようだった。
 金はともかく、力こそ至上であると老いて猶唱えることができるのは尊のような一握りの才ある人物に限られる。三輪家に名を連ねる長老たちの中で、研鑽を積み経験を重ねる若い才能に追い抜かされない人がどれだけいようか。ちらほらと代替わりも始まって、威光は過去のものとなりはじめている。機嫌を伺って頼ろうにも、初子は他家へ嫁いで一族と関わろうとしない。卯月は破天荒すぎる。辰史は誰よりも尊のやり方を心得ているため賢しく彼らを利用するばかり。彼らばかりでなく一族の才能ある若者は気性の激しい人ばかりで丑雄を含め、どうにも御しにくい。ともなれば、へらへらしているわりに要領のいい本家の長男に注目が集まるのも無理からぬ話ではある。
 秋寅の音信不通はそんな老人連中からの機嫌伺いにうんざりしたからだ――などと様々な憶測が飛び交っていたようではあるが、丑雄は正直なところまったく気に留めていなかった。そうするだけの余裕がなかったといった方が正しいか。
 母が死んで一年。父が隠居して、およそ半年。それからここまで、父からの引き継ぎや見合い話に忙しなくしていた。尊との決別や母との死別に落ち込む暇もなかったほどだ。

「ああ」

 なにから話したものか。
 迷いながら、丑雄はただ頷いてみせた。帰国したから会いに来い――と、呼び出されるのはいつものことだ。空港まで迎えに来てくれと頼まれることも珍しくはない。が、今日は違う。なんの前触れもなく帰国した秋寅は、なんの前触れもなく丑雄の邸を訪ねてきた。
 老人たちではないが、まるで猫のようだと丑雄は思う。自由気侭にやっているくせに、時折妙に鋭く空気を読む。実を言えば、秋寅のそういうところは昔から苦手だった。

「上がっていい? 叔母さんにも手を合わせたいし」
「ああ」
「あ、これお土産ね。お茶、俺が淹れてあげるから。台所借りるよ」

 玄関に靴を揃えて脱ぐと(何故かそういうところはきっちりしているのだ、この従弟は)彼は勝手に奥へ進んでいった。思春期は思春期で互いに思うところがあったため、親しく行き来したのは小学生くらいまでだったと記憶しているが、丑雄が少し遅れて台所に着いた頃には、秋寅はもう薬缶にお湯を沸かしながら茶器と湯呑みを用意している。

「まあ、座りなよ。従兄さん」
「あ、ああ」
「さっきからそればっかだね。どうしたのさ」
「それは……」

 こっちの台詞だ。
 とは言えなかった。やはりどう言えばいいのか分からなかったのだ。デリカシーのない従弟からの気遣いをひしひしと感じてしまって、居心地が悪い。仕方なく言われたとおり椅子に腰を下ろして、秋寅が話し出すのを待つ。日頃は一方的に話す彼に辟易するばかりだが、逆に口数少なくされるとやりにくい。
 そうして薬缶の湯が沸騰した頃――
 黙っていては埒が明かないと判断したのか、秋寅が大きく嘆息した。コンロから薬缶を取り上げて茶葉の入った茶器に湯を注ぐ。やや癖のある香りが、ふっと空に漂った。

「従兄さん、結婚することに決めたんだって?」

 単刀直入というのも、実に秋寅らしい。

「いやまあ叔父さんも隠居しちゃったから、そういう話になるのかなぁとか心配したりはしたんだけど。俺、従兄さんはこういうタイミングでは結婚しないと思ってたよ」
「こういうタイミング?」
「こういう弱ったときっていうの?」
「別に、弱っていたから妥協したというわけでもない」
「妥協とか、そういうことじゃなくてさ」

 歯切れ悪く言いながら、秋寅は湯呑みに茶を注いだ。

「従兄さんが妥協しないことは知ってるよ。真っ直ぐと言えば聞こえはいいけど融通が利かないっていうか。むしろ妥協してくれた方がいくらかましだと思うこともあるし」
「なにが言いたいんだ、お前は」

 自分が無遠慮すぎるという自覚はないのだろう。それは、いつものことだ。
 今更怒る気にもなれず、丑雄はそっと溜息を零した。湯気を立てている湯呑みを引き寄せ、口元へ運ぶ。一口、口に含むとすっきりとした味わいが口の中に広がる。秋寅の淹れる茶は美味い。他の人間が同じように淹れてもどうしてか微妙に違う、気がする。調薬調香の腕の他、唯一の取り柄と呼べるものだと丑雄は思っている。
 ややあって、秋寅がまた口を開いた。

「だからさ、ええと、無理してない?」
「無理?」
「結婚。責任とか面倒なこと、いろいろ考えてさ。自分の人生、丹塗矢の家に捧げようとか思ってないかって。俺が言いたいのはそういうこと。もしそうだとすれば俺はすごくくだらないことだと思うし、勿体ないとも思う」
「くだらない、か」

 それを秋寅が言うか、と丑雄は少しだけ苦笑した。

「弟妹のためにずっと実家を離れなかったお前の言葉とは思えんな」
「それとこれとは違うよ」

 秋寅が唇を尖らせる。

「俺の場合は家族ごっこがしたかっただけだからさ。うち、機能不全気味だったじゃない。ただでさえ大人は家にいなくて、いても一家団欒とは無縁。でもまあ卯月と辰史の世話を焼いてるときは俺も少しはお兄ちゃんって気分になれたし、なんだかんだ二人とも頼ってくれるから可愛いしね」

 そこから声をやや低くして、

「それに俺は姉さんが家を出た日から、先のことは決めてた。行き当たりばったりでしたことなんて一つもない。だからさ、なんて言えばいいのかな。もしも従兄さんに少しでも心残りがあるなら俺、逃げるのを手伝うよ。向こうじゃじいさんより俺の顔の方が利くし、海外選んでわざわざ独立までしたってのはそういうこと――」
「おい、秋寅。ちょっと待て……!」

 とんでもないことを言った従弟を制止する。
 勿論、他に聞く者はいない。が、それにしても不穏すぎるし第一話が飛躍している。
(なにより、秋寅らしくない)
 とは、口にはしなかった。へらへらしている反面、得体の知れないところがある――とは、時折感じていたことだ。

「俺だって、家のために行き当たりばったりで結婚を決めたわけじゃない」

 丑雄は苦く反論した。本音を聞かなかったふりをすれば、気分屋なのか、或いは賢しいのか、従弟はもうその話題を引っ張ろうとはしなかった。

「そうなの? じゃ、一目惚れ? 羽黒の長女だっけ。まあ可愛いよね」

 ……いつもの調子を取り戻したかと思ったら、これである。

「いや、そういう下世話な話でもない。断る気で見合いに臨んだが、相手が聡明なお嬢さんだったから気が変わった。年寄りどもの好きにさせるよりは俺の傍で自由にさせてやりたいと思ったから、彼女とそう約束した。それだけの話だ」
「あ、そ。意外とウマがあったってやつね。なんか心配して損した」

 つまらなそうに肩を竦めると、秋寅は立ち上がった。湯呑みの中身はまだ半分以上も残っていたが、飲む気も失せてしまったらしい。

「実家へ帰るのか? 泊まっていけばいいだろう」
「一人で先走っちゃって恥ずかしいし、今日のところは帰るよ」

 会話をしながら、気付けば家に上がったときと同様にさっさと玄関へ降りている。つくづく忙しないやつだなと思いながら、丑雄は靴を履いている従弟に、そういえばと思い出して訊ねた。

「この半年、なにをしていたんだ?」

 玄関の引き戸に手をかけた、秋寅の動きが一瞬だけ止まった。

「なに? 従兄さん、俺が帰ってこなくて寂しかった?」

 いつもの笑顔で振り返りながら軽口を叩く従弟に、丑雄は顔をしかめた。馬鹿言え。そんなはずがあるか。思い出すような暇もなかった。と思いつく限り否定して、いくらか残念そうな顔をした彼を追い出す。と、
 ――週末、式の打ち合わせのあとでお時間いただけませんか。
 彼女からのメールが届いたのは、従弟を見送ってすぐのことだった。



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