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桜、咲き誇る刻 参

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    お腹をお団子で満たした僕達は、ベンチを離れて改めて周囲を散策した。まず驚いたのは、この山頂には大きな観音様が佇んでいること。あまりに大きくて頭上を見上げるまで気付かなかった。見上げたその白い観音様から視線を落として、下界を見渡すとまた一つ驚かされた。山頂から見下ろすと、澄んでキラキラ光る川面とその川の両岸に延々と続く桜並木が大パノラマを作り出している。そして、その背景にはまだ頂き付近に冠雪を残した山並みが遠くに見えた。

    その景色を見渡して、僕達は無言になる。

    僕はこういった時、静かに絶景を堪能するタイプなので沈黙する。先刻さっきまである意味下らない話しをして、ご満悦だった唐澤さんも今は同じく静かにこの景色を堪能している。ひょっとすると、唐澤さんも僕と同じタイプの人間なのかもしれない。唐澤さんが言った「私と貴方は同じ」とはこういうことなのかもしれない。

    なるほど、同じ、か……。唐澤さんと一緒に時間を過ごしてみて、色々と腑に落ちた気がしてきた。

   二人の沈黙は結構なだったが、それを破ったのは、やはり唐澤さんだった。

    「すごいね……。この景色。もっと早く来れば良かった……。あ、でも一人じゃなくて、龍之介と来れたんだから。まっ、いっか」

    「……うん。そうだね……。来て良かったかも」

    素直な感想を述べる僕の横で、唐澤さんは半ば呆れ顔でいる。

    「かも、って……。もう感動薄いなぁ。」

    「そうかな。いや、感じ入っているよ。今日ここに来て、この景色を観るなんて、ほんの数日前まで思いもよらなかったし。偶然が重なった結果がここまで繋がっているなんて、さ」

    僕の話しを聞きながら、額に両手をかざし、遠く川沿いの桜並木を眺めていた唐澤さんは意外な言葉を返してきた。

    「偶然?まあ、龍之介が忘れ物したのは偶然だけどね。その後は必然と言うか、何て言うか」

    「必然って?」

    「いや、あの時、龍之介のこと見てたからさ」

    「えっ?そうなの?」

    「覚えてないだろうね。龍之介の左手の自傷行為あれに気付いたのはもっと前だけどね」

    そこまで言って急に振り返ると、目を丸くして慌てたように更に言葉を続ける。

    「あっ、ストーカーじゃないよ。何度か偶然見掛けただけだよ」

    「別に疑ってなんてないよ。」

    ストーカーされることなんて考えたこともないし、それ自体に興味も無ければ、まして自分がストーカー行為をすることもないだろう……。

    唐澤さんがストーカーではないことを認めたところで、また何か思い出したらしく、今日何度目かの、あのニヤついた締まりのない顔を覗かせている。

    「今度はどうしたの?」

    「あ、ごめん。あれ・・思い出しちゃって」

    「何を?そう言えば、カフェで会った時も吹き出してたよね?」

    「ほんと、ごめん。あはは、ダメだ。ぷふっ」

    初めて会った時から一体、何回人の顔見て吹き出すんだ……。これじゃ、君の方がヤバい奴・・・・だよ……。僕は少し、いや、かなり引き気味に様子を伺った。

    「あ、いや、手帳拾った時の龍之介を思い出したらさ、可笑しくて、可笑しくて。あの時、よくドアに挟まれなかったね」

    そんなところを見てたのか……。確かにあの時は危なかった。でも、あの時あんなに慌ててなかったら?網棚に手帳を忘れなかったら?今のこの時間は無いのか……。唐澤さんの言う、偶然と必然の連鎖で今がある、そう考えたら今まで感じたことのない感情が胸の中で芽吹いている気がしてきた。

    それが何者なのかは、まだはっきりしないけど。ただ、それが唐澤さんの言っていたような、お互いを補い合う関係とやらに繋がるとは思えなかった。

    僕がそんなことを考えているとは思いも寄らない風の、ちょっと能天気な表情で見詰める唐澤さんを僕は更に見詰める。

    「どしたの?先刻さっきは深~い溜息吐いてたと思ったら、今度は見詰めて。ひょっとして……」

    「違うよ。ひょっとしてないし。何もないよ」

    「ちょっと、人の話しを聞いてって言ったよね?私、まだ最後まで言ってないのに」

    「だって、分かるもの。だから、違うって」

    「ひどっ!ひど過ぎ―っ!」そう言う顔は何故か嬉しげだ。

    「言葉と裏腹に嬉しそうだけど?」

    「まあ、ハーフハーフだよ。今はまだ、名前も呼んでくれないけど、私にちょっとは興味持ってくれてるみたいだし。望みはあるかな、って」
  
    相変わらずの嬉しげな顔で返してくる。

    『何の望み?前に言ってた近い間柄かな?』そう思いはしたものの、言ったら言ったで面倒なことになるので言葉は呑み込むことにした。

    「じゃあ、そろそろ行こうか」

    嬉しげな顔のまま言う。

    「え~と、何処に?」

    満開の桜は堪能したし、お腹も膨らんだからお開きにするのかな?と一瞬期待したがそうではなかった。

    「帰りは歩いて下に降りて、川沿いの桜を散策しながら駅まで歩こう」僕と肩を並べてそう言うとまた、顔を緩めて笑った。

    僕達は、頂上から緩やかなスロープや階段をゆっくりと降りて行く。春の陽射しは柔らかく、僅かに吹く風が心地いい。静かに穏やかな時間が流れていく今、この刻を僕は楽しんでいる。それが誰の仕業なのかを考えるとちょっと引っ掛かるところもあるが、今日来たことについては異論無く、来て良かった。

    川沿いの小道まで降りると、唐澤さんは僕の前を両手を後ろに組んで歩く。時折こちらを振り返っては、楽しげに笑顔を浮かべて見せる。ひょっとすると、僕が逃げ出さないか確かめているのかもしれない。

    数歩前をくるくる回りながら歩く唐澤さん、その後を川の涼しげな瀬音と陽光に射された桜を楽しんでゆっくり付いて行く僕。その構図は変わらないまま、距離と時間を重て行く。

    ふと、川面に目を向けると川の段差、堰の手前で観光の屋形船が方向を変えて川を遡って行くのが見える。陽光に煌めく川面と、遠く背景に見える山並みの冠雪の白さが、僕の心の内に微かな涼風を吹き込む。

    そうした川辺沿いの桜並木の散策をどれくらいしたのだろう。二人で歩きながら、時折携帯のカメラで桜を撮ったり、大きな枝振りのいい桜の木を見上げたり、そんな風に過ごした時間は意外に長かったのかもしれない。

    だけど、その時間を持て余し気味に感じることはなかった。少なくとも僕は。

    唐澤さんの表情、交わす言葉や声色からは唐澤さんもこの時間を満喫していることが想像出来る。

    「あっ、あれ見て、龍之介。出店いっぱいでてるよ」

    この穏やかな時間の流れを破って、唐澤さんが目を見開いた先には、開けた川原に並ぶ数々の出店があった。焼きそばやフランクフルト、ホルモン焼き等々に混ざり、地元の名物である牛タン串の店も見える。

    「……食べる、よね?」

    僕の正面に立って目を輝かせてそう言うと、今日一番の力強さで僕の手を掴み川原へと引っ張っていく。

    「ちょっと、先刻さっきお団子食べたけど、まだお腹入るの?」

    「いっぱい歩いたからね。ちょうどお腹減ったなあって。入るよね?」

    それほどでもないんだけど……そう思ったが、いざお店の近くまで行くと、堪らない薫りが鼻先を襲う。

    嗅覚を支配した食欲を誘う素敵な薫りは、僕の神経を侵食して胃を刺激する。

    グウゥゥッと、すごい音量でお腹が鳴る。

    「な~んだ、食べる気満々じゃない?」

    笑いを堪えるように口許を押さえて僕を覗き込む。

    ちょっと気恥ずかしくなったけど、気持ちと言動、上辺と本音が一致しないことなんて幾らでもあるんだな、と他愛ないことを思い浮かべた。今日一日、始まってから今までのことも、そんなことの一つなのかもしれない。

    唐澤さんに手を引かれ店先を歩き始めた僕は、そんな思いを手際よく畳んで心の内に仕舞い込み、お腹に収める物を物色し始めた。

    「いやぁ、これだけあったら迷うよねぇ。龍之介、何にする?」

    「……牛タン串で」

    「あっ、早いね。でも、観光客感丸出しだね」

    「好きな時に好きな物を食べる。何も問題ないんじゃないの?」

    「お好きなよ~に。私は……ホルモン焼きとカツ串にしよっ」

    幸せいっぱいな笑顔で言うけど、食べ物のチョイスが居酒屋の親父と変わらないじゃないか?

    「まるで今から一杯飲むみたいだけど?」

    「うん。そういう選択もあり、かな」

    「そうなんだ。あり、か」

        『いや、ないでしょ?』

    口から出た言葉とは正反対にそう思ったが、幸い唐澤さんの次の言葉で川原での宴会は回避された。

    「ん~、やっぱ止めとこ。せっかくいつもよりお洒落してきたしなぁ。親父的な行動は慎もうっと」

    ワンピースの裾を摘まんで、自分の身嗜みを見ながら、僕の前でくるりと一回転して見せる。

    そうはして見せるものの、選んだ食べ物は変更無く、僕達は各々がチョイスした物と飲み物――、僕はウーロン茶を唐澤さんはオレンジジュースを手に、土手から川原に降りる階段に腰を降ろした。早速、各々牛タン串とカツ串に噛り付く。

    「う~ん、美味しいっ。いい景色の中で食べるとまた格別だね」

    唐澤さんの口許を手で押さえながらのコメントを聞きながら、僕は答える。

    「うん。美味しいよね。確かに」

    「今日は来て良かったぁ。桜も観れたし、美味しい物も食べたし、幸せいっぱいだなぁ。ねぇ?」

    「うん。幸せ、か。そうだね。」

    「ふふっ、素直だね。そう思ってくれるなら、良かった。一人だったらこんなんじゃなかったなぁ、きっと」

    確かにそうだ。一人だったら同じ場所で同じ時間を費やしても、こんな風に過ごすことは出来なかっただろう。

    唐澤さんが居なかったら……そう、居なかったら……?そもそも唐澤さんは何故僕と関わろうとしたんだろう?初めて会った時、僕が変わる為にも唐澤さんが取り戻す為にも、って言ってたけど何を取り戻すんだろうか……。

    「……ねぇ、訊いてもいいかな」

    「ん?何?まさか、いきなりスリーサイズ?」

    「違うよ。何故、僕を此処へ連れて来たの?」

    「何故?何故、何故……何故なんだろう……?」腕を組んで真顔で考え込んでいる。

    「僕を変える為、じゃなくて?」


    腕組みを解き、人指さし指を立てて瞳を見開きながら「そうだ。それ、それ」と周りが驚くんじゃないかと思うくらいの声を上げる。この人って、僕が思ってるような実は思慮深い人じゃなくて、極めて浅い人なんじゃ?

    そう思ってもう一つ訊いてみる。

    「じゃあ、唐澤さんが取り戻したい
ものって何?」

    「ん?あ、ホルモン焼き食べる?」

    あれ?話し流したのか?

    「人の話し聞いてる?僕に人の話し聞けって言ってたのに」

    敢えてこちらを見ないようにしてか、真っ直ぐ前を向いたまま、顔だけは笑顔を作っている。

    「まあ、それは近々折を見て、ということで。あ、それより龍之介。龍之介はなんで自傷行為それしたの?何がきっかけ?」

    顔はそのままで人差し指でこちらを指して訊いてくる。

     笑顔で言うには重過ぎないか?周りに聞かれてない?とは思ったけど、そもそもこの穏やかな空気の中で、自傷行為リストカットの話しをしてるなんて誰も考えるはずがない。

そこまで考えて、僕は記憶のページを捲り始めた。

    何故そんな内面を曝け出すことを話そうとしたのか?

もしかしたら、唐澤さんの言ってた近い関係になりたいか、或いは興味があったのかもしれない深層心理、いやもっと深い、深々層心理というべきその場所で自分を理解してもらいたいと気持ちが働いたのか……?

    そして、心理の奥底に僕が抱える暗部を誰かに共有して欲しかったのか……。答えはまだ明確ではないけど、僕は初めて心の深傷を誰かに診てもらおうとしている。

    「……小学生の終わり頃、修学旅行で日光に行ったんだ。一泊のお泊まり旅行で。僕の両親は、僕が修学旅行でいない時間を利用して、夫婦水入らず旅行に出掛けた……。その旅先で事故に遭って死んだ……。僕が知ったのは帰りの電車の中でだった。」

    「そっか……。そうだったんだ。それから一人なの?兄弟とかは?」敢えてなのか、視線は前を見詰めたままだ。

    「一人っ子だったから。その後は父親の弟――、叔父に引き取られて叔父夫婦の子供として育てられたよ」

    今度は抱えた膝の上に顎を乗せ、顔だけこちらに向け、僕の横顔を覗き込む。

    「叔父さん夫婦と上手くいってなかった、とか?」

    「いや、叔父夫婦は優しかった。僕より二つ下の女の子がいたんだけど、実の子と変わらず育ててくれた」

    僕は覗き込む唐澤さんに目を向けることは出来なかった。

    「だけど……」

    「だけど?」

    「いや、何て言うんだろ……」覗き込む唐澤さんの視線を感じて口籠る。

    「慌てなくて大丈夫だよ。話し辛かったら言わなくてもいい……。落ち着いたら龍之介の言葉で言ってくれたら、それでもいい。慌てたら大変でしょ?地下鉄を降りた時みたいにさ」

    ふっ、と息が洩れる音で、唐澤さんが僅かに笑みを浮かべているのを感じる。

    沈黙の時間は、多分長かった。

    言わなくてもいい、そう言ってくれたけど、僕の中で何も言わないという選択は無かった。








   
    





   
   
   





   
   
   





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