8 / 49
2.ごめんよ
4
しおりを挟む
子パンダが来て、十日が過ぎていた。
依然として状況は変わらず、園には焦りの色が滲んでいた。
それでも、時は進む。
苦しむ子パンダと飼育員たちをよそに、ホームページは今日も盛況だ。「子パンダのお名前募集、たくさんのご応募ありがとうございました」という言葉が並んでいる。
『シェンシェン』
子供たちの投票で一番多かった名前で、呼びやすく、親しみやすい名前だ。
夕方の打合せにて満場一致で子パンダの名前はシェンシェンに決まった。
シェンシェン! と呼べば近寄ってくる。そんな日が来るのを切に願う。
佐々木が色紙や折り紙を使って、工作している。色たくさんのペンで『ぼく、シェンシェン。よろしく』と書いている。ホームページやSNSを見てくれている方のために、シェンシェンの後ろに飾り、写真を撮るのだ。
色鮮やかな色紙とは裏腹に佐々木の表情は暗い。
縮こまっているシェンシェンの後ろにそっと色紙を置き、壁に折り紙で作った輪っかを飾っていく。
祐吾はその様子をそっと後ろから見守っていた。いつもキビキビ元気な佐々木の動きが鈍い。
「佐々木、おまえまた泣いてんじゃねえだろうな」
後ろから声をかけられて振り向いた佐々木の目は真っ赤だった。
「……泣いて、ま、せ、ん」
「泣いてんじゃねえかよ」
佐々木は目もとをごしごし擦って、ただ震えているシェンシェンを写真に収めた。
「早坂さん……こんなことしても、シェンシェンは全然喜んでないです……」
「……ああ」
祐吾はそっとシェンシェンに寄った。
「名前が決まったぞ。たくさん可愛がってくれる子供たちがシェンシェンっていう名前をつけてくれたぞ。大丈夫、大丈夫だぞ、シェンシェン」
そう声をかけながら、嫌がるシェンシェンに今日も注射器の針をうたねばならない。祐吾も泣きたい気持ちは同じだった。
「……なあ、佐々木」
「はい?」
「この十日間、俺もお前もやれることはやってきたよな」
祐吾は佐々木には目を向けず、慎重にシェンシェンに刺さる注射器の針を見ている。
佐々木は少し首を傾げている。
「……はい」
「ただな、最近思うんや。やってんのは、あくまで俺とお前の物差しの中でのやれること。なんでシェンシェンが怯えてるんか、なぜずっと悲しそうなんか、そんなことも俺は分かってあげられてへん」
祐吾が注射器を抜く。
痛かったのか、はたまた悲しいからなのか、シェンシェンはキューンキューンと元気なく鳴いた。佐々木は首をひねって、祐吾が何を言いたいのかを考えている。
「お前、旅は好きか?」
佐々木は眉間に皺を寄せて祐吾を見た。さっきから何を言っているのか分からない。もうこのおじさんは気がおかしくなったのだろうか。
「……旅? ですか?」
ふうぅ。祐吾はひとつ息を吐いた。
「このままじゃダメなんや。シェンシェンのことを俺らはもっと知らなくちゃならん」
「……え。というと」
「中国に行く。賭けやけど、シェンシェンの居た故郷に行くぞ。俺らは動物のこと、もっと分かろうとせなあかん。お前もついてこい」
依然として状況は変わらず、園には焦りの色が滲んでいた。
それでも、時は進む。
苦しむ子パンダと飼育員たちをよそに、ホームページは今日も盛況だ。「子パンダのお名前募集、たくさんのご応募ありがとうございました」という言葉が並んでいる。
『シェンシェン』
子供たちの投票で一番多かった名前で、呼びやすく、親しみやすい名前だ。
夕方の打合せにて満場一致で子パンダの名前はシェンシェンに決まった。
シェンシェン! と呼べば近寄ってくる。そんな日が来るのを切に願う。
佐々木が色紙や折り紙を使って、工作している。色たくさんのペンで『ぼく、シェンシェン。よろしく』と書いている。ホームページやSNSを見てくれている方のために、シェンシェンの後ろに飾り、写真を撮るのだ。
色鮮やかな色紙とは裏腹に佐々木の表情は暗い。
縮こまっているシェンシェンの後ろにそっと色紙を置き、壁に折り紙で作った輪っかを飾っていく。
祐吾はその様子をそっと後ろから見守っていた。いつもキビキビ元気な佐々木の動きが鈍い。
「佐々木、おまえまた泣いてんじゃねえだろうな」
後ろから声をかけられて振り向いた佐々木の目は真っ赤だった。
「……泣いて、ま、せ、ん」
「泣いてんじゃねえかよ」
佐々木は目もとをごしごし擦って、ただ震えているシェンシェンを写真に収めた。
「早坂さん……こんなことしても、シェンシェンは全然喜んでないです……」
「……ああ」
祐吾はそっとシェンシェンに寄った。
「名前が決まったぞ。たくさん可愛がってくれる子供たちがシェンシェンっていう名前をつけてくれたぞ。大丈夫、大丈夫だぞ、シェンシェン」
そう声をかけながら、嫌がるシェンシェンに今日も注射器の針をうたねばならない。祐吾も泣きたい気持ちは同じだった。
「……なあ、佐々木」
「はい?」
「この十日間、俺もお前もやれることはやってきたよな」
祐吾は佐々木には目を向けず、慎重にシェンシェンに刺さる注射器の針を見ている。
佐々木は少し首を傾げている。
「……はい」
「ただな、最近思うんや。やってんのは、あくまで俺とお前の物差しの中でのやれること。なんでシェンシェンが怯えてるんか、なぜずっと悲しそうなんか、そんなことも俺は分かってあげられてへん」
祐吾が注射器を抜く。
痛かったのか、はたまた悲しいからなのか、シェンシェンはキューンキューンと元気なく鳴いた。佐々木は首をひねって、祐吾が何を言いたいのかを考えている。
「お前、旅は好きか?」
佐々木は眉間に皺を寄せて祐吾を見た。さっきから何を言っているのか分からない。もうこのおじさんは気がおかしくなったのだろうか。
「……旅? ですか?」
ふうぅ。祐吾はひとつ息を吐いた。
「このままじゃダメなんや。シェンシェンのことを俺らはもっと知らなくちゃならん」
「……え。というと」
「中国に行く。賭けやけど、シェンシェンの居た故郷に行くぞ。俺らは動物のこと、もっと分かろうとせなあかん。お前もついてこい」
3
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
私と継母の極めて平凡な日常
当麻月菜
ライト文芸
ある日突然、父が再婚した。そして再婚後、たった三ヶ月で失踪した。
残されたのは私、橋坂由依(高校二年生)と、継母の琴子さん(32歳のキャリアウーマン)の二人。
「ああ、この人も出て行くんだろうな。私にどれだけ自分が不幸かをぶちまけて」
そう思って覚悟もしたけれど、彼女は出て行かなかった。
そうして始まった継母と私の二人だけの日々は、とても淡々としていながら酷く穏やかで、極めて平凡なものでした。
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる