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腕試し
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資定は和歌山市の吹上という町で産声を上げた。和歌山城を望む地で大事に育てられた。
和歌山には美しい山と海と川があるが、関西地方の中では元気のない街だ。駅前でもろくに飲食店はない。寂れた空気に押され、市民はどこか肩身が狭いように生きてきた。
資定は自然豊かなこの街を愛していた。何とかこの大好きな街に、皆が誇りをもってほしいと子供の頃から願っていた。
資定は子供の頃から、人並み外れた運動能力と頭脳に満ち溢れていた。誰もが褒め称えたが、小学生のある日、両親はその能力を抑えて生きるようにと資定に命じた。納得のいかない資定は両親に毎日詰め寄り、ついに両親は資定に秘密を明かした。
「資定、あなたもお父さんも実は甲賀忍者の末裔なの。ご先祖様はずっとあのお城を守ってきたのよ。でもね、今は生きづらい時代。能力の高いものは持ち上げられて、もてはやされ、いずれ深い谷の底へと落とされる。あなたにはそんな目に合ってほしくないの。分かってちょうだい。ただ、資定が何かを守りたいと思う時、きっと力は役に立つわ。その時はその力を存分に使いなさい」
母がそう説得し、父が後ろで見守っていた。父には昔から何人をも惹き付けるカリスマ性があった。それでも、父と母はあまり目立とうとせず、慎ましく暮らした。その生活は資定にとっても幸せなものであった。
資定は頭が良い。母のその話と父の目を見て、全てを悟った。おそらくは、大伴家は能力に溢れていたのだ。かつては大阪城や江戸に仕えていたのかもしれない。だが、能力ゆえ、上は大伴家を怖れた。大伴家はおそらく、この和歌山に飛ばされたのだろう。そこで目立つことをせず、もてはやされもしないが、落とされることもない。そんな生活を選んだのではないか。
ならば、この愛する和歌山という地に大伴家ありと言わせたい。飛ばされたのではない。和歌山は都なのだと言わせたい。そうすれば先祖も浮かばれるではないか。子供ながらに資定はそんな想いを胸に秘め、生きていく。
和歌山にはいつもどんよりとした風が吹いていた。だが、ある夏を境に、夏だけは燦々と照る太陽と爽やかに吹き抜ける風に和歌山は恵まれるようになった。その夏とは、理弁和歌山高校が初の全国制覇を成し遂げた夏である。
まだ小学生の資定は、友人たちとテレビに釘付けになっていた。久し振りに県勢の高校が甲子園でベスト8に進んだのだ。理弁和歌山高校は打ちに打ちまくった。攻撃野球、楽しむ野球をモットーとする高鳥監督率いる理弁和歌山は、名前を聞いたことがある名門校を次々と撃破していく。白地に赤いRの文字が刻まれたユニフォームに県民が熱狂した。
『理弁和歌山高校、県勢20年振りの優勝! 古豪、和歌山復活なる!』
理弁和歌山の圧倒的打力での優勝は和歌山に活気をもたらせた。資定も幼いながら魂が震えるのを感じた。皆が戻ってきた選手たちのバスに手を振る。子供たちからお年寄りまで、皆が笑顔になった。資定にとって、理弁和歌山野球部は憧れの存在となった。
高鳥監督率いる理弁和歌山高校はあれよあれよと甲子園常連校となり、毎夏、県民の拳を熱くさせてくれた。
だが、時代とは無情だ。高校野球で校名が売れると分かると、高校野球にお金をかける高校が増え、理弁和歌山は次第に甲子園の舞台で勝てなくなっていった。
資定が憧れて理弁和歌山の門を叩いた頃には、理弁和歌山が甲子園でベスト8に残ることはなくなっていた。資定は一人のファンとして、野球部を応援していた。県民を熱狂させた理弁和歌山の生徒というだけで満足だった。
だが、内部から憧れの理弁和歌山野球部を見ると、色んなしがらみが渦巻いていることに気付いた。甲子園に出るだけでもすごいことなのに、甲子園で勝てない野球部への風当たりは冷たくなっていた。内部ほど、冷たい仕打ちを浴びせているのだ。
どことなく生気が薄れた高鳥監督のノックを見つめていた。ふと、目に力が宿るのを感じた。幼い頃に体験したことがある感覚だ。見ている者の心が、聞こえてくるのだ。
『世は無情なり。俺は和歌山の人たちを、この高校を元気にするために尽くしてきたつもりだが、寂しいものだ……』
高鳥の心の声を資定は聞いてしまった。あんなに和歌山を元気にしてくれた高鳥監督が、こんな寂しい想いをしないといけないのか……。県民や学校関係者は感謝こそすれ、批判などもってのほかではないのか。
これでは、一生懸命に鍛練して仕えたのに、ピンと弾かれた俺ら大伴家と一緒ではないか。あんまりだ、と資定は思った。
資定は両親に理弁和歌山の野球部に入りたいと告げた。
「何も、あとたった数ヶ月しかない部活で力を使わなくても……。まあ、別に人生で一回しか使えない訳でもないし、資定が決めたら良いんだけど。ただ、これだけは覚えておいて。野球をしたら、世の中は資定のことを放っておかないわ。その時に、しっかりとその先を見据えて行動しなさい」
母が心配そうにそう言った。資定にはそこまで心配する母の気持ちがまだよく分からなかった。ただ、昔に見た新聞記事のことを少し思い出した。ミラクル優勝を遂げたとある高校のキャプテンが、もてはやされてそのままプロに進んだ。その選手はたった3年でプロ野球をクビとなり、それから数年後に命を絶った。そんな記事だった。
普段は無口な父が資定に語りかけた。
「資定、お前は人の痛みが分かる立派な大人に育ってきた。何も心配はしてない。冒険しておいで。ご先祖たちもさぞ喜ばれるだろう。ただ、その心眼は使うな。スポーツは正々堂々と勝負してこい」
珍しく父が笑った。
これから9か月後、日本中が大伴資定という怪物を目撃することになる。そして、その怪物に立ち向かう甲賀者たちが日本を大きな波に飲み込んでいく。
和歌山には美しい山と海と川があるが、関西地方の中では元気のない街だ。駅前でもろくに飲食店はない。寂れた空気に押され、市民はどこか肩身が狭いように生きてきた。
資定は自然豊かなこの街を愛していた。何とかこの大好きな街に、皆が誇りをもってほしいと子供の頃から願っていた。
資定は子供の頃から、人並み外れた運動能力と頭脳に満ち溢れていた。誰もが褒め称えたが、小学生のある日、両親はその能力を抑えて生きるようにと資定に命じた。納得のいかない資定は両親に毎日詰め寄り、ついに両親は資定に秘密を明かした。
「資定、あなたもお父さんも実は甲賀忍者の末裔なの。ご先祖様はずっとあのお城を守ってきたのよ。でもね、今は生きづらい時代。能力の高いものは持ち上げられて、もてはやされ、いずれ深い谷の底へと落とされる。あなたにはそんな目に合ってほしくないの。分かってちょうだい。ただ、資定が何かを守りたいと思う時、きっと力は役に立つわ。その時はその力を存分に使いなさい」
母がそう説得し、父が後ろで見守っていた。父には昔から何人をも惹き付けるカリスマ性があった。それでも、父と母はあまり目立とうとせず、慎ましく暮らした。その生活は資定にとっても幸せなものであった。
資定は頭が良い。母のその話と父の目を見て、全てを悟った。おそらくは、大伴家は能力に溢れていたのだ。かつては大阪城や江戸に仕えていたのかもしれない。だが、能力ゆえ、上は大伴家を怖れた。大伴家はおそらく、この和歌山に飛ばされたのだろう。そこで目立つことをせず、もてはやされもしないが、落とされることもない。そんな生活を選んだのではないか。
ならば、この愛する和歌山という地に大伴家ありと言わせたい。飛ばされたのではない。和歌山は都なのだと言わせたい。そうすれば先祖も浮かばれるではないか。子供ながらに資定はそんな想いを胸に秘め、生きていく。
和歌山にはいつもどんよりとした風が吹いていた。だが、ある夏を境に、夏だけは燦々と照る太陽と爽やかに吹き抜ける風に和歌山は恵まれるようになった。その夏とは、理弁和歌山高校が初の全国制覇を成し遂げた夏である。
まだ小学生の資定は、友人たちとテレビに釘付けになっていた。久し振りに県勢の高校が甲子園でベスト8に進んだのだ。理弁和歌山高校は打ちに打ちまくった。攻撃野球、楽しむ野球をモットーとする高鳥監督率いる理弁和歌山は、名前を聞いたことがある名門校を次々と撃破していく。白地に赤いRの文字が刻まれたユニフォームに県民が熱狂した。
『理弁和歌山高校、県勢20年振りの優勝! 古豪、和歌山復活なる!』
理弁和歌山の圧倒的打力での優勝は和歌山に活気をもたらせた。資定も幼いながら魂が震えるのを感じた。皆が戻ってきた選手たちのバスに手を振る。子供たちからお年寄りまで、皆が笑顔になった。資定にとって、理弁和歌山野球部は憧れの存在となった。
高鳥監督率いる理弁和歌山高校はあれよあれよと甲子園常連校となり、毎夏、県民の拳を熱くさせてくれた。
だが、時代とは無情だ。高校野球で校名が売れると分かると、高校野球にお金をかける高校が増え、理弁和歌山は次第に甲子園の舞台で勝てなくなっていった。
資定が憧れて理弁和歌山の門を叩いた頃には、理弁和歌山が甲子園でベスト8に残ることはなくなっていた。資定は一人のファンとして、野球部を応援していた。県民を熱狂させた理弁和歌山の生徒というだけで満足だった。
だが、内部から憧れの理弁和歌山野球部を見ると、色んなしがらみが渦巻いていることに気付いた。甲子園に出るだけでもすごいことなのに、甲子園で勝てない野球部への風当たりは冷たくなっていた。内部ほど、冷たい仕打ちを浴びせているのだ。
どことなく生気が薄れた高鳥監督のノックを見つめていた。ふと、目に力が宿るのを感じた。幼い頃に体験したことがある感覚だ。見ている者の心が、聞こえてくるのだ。
『世は無情なり。俺は和歌山の人たちを、この高校を元気にするために尽くしてきたつもりだが、寂しいものだ……』
高鳥の心の声を資定は聞いてしまった。あんなに和歌山を元気にしてくれた高鳥監督が、こんな寂しい想いをしないといけないのか……。県民や学校関係者は感謝こそすれ、批判などもってのほかではないのか。
これでは、一生懸命に鍛練して仕えたのに、ピンと弾かれた俺ら大伴家と一緒ではないか。あんまりだ、と資定は思った。
資定は両親に理弁和歌山の野球部に入りたいと告げた。
「何も、あとたった数ヶ月しかない部活で力を使わなくても……。まあ、別に人生で一回しか使えない訳でもないし、資定が決めたら良いんだけど。ただ、これだけは覚えておいて。野球をしたら、世の中は資定のことを放っておかないわ。その時に、しっかりとその先を見据えて行動しなさい」
母が心配そうにそう言った。資定にはそこまで心配する母の気持ちがまだよく分からなかった。ただ、昔に見た新聞記事のことを少し思い出した。ミラクル優勝を遂げたとある高校のキャプテンが、もてはやされてそのままプロに進んだ。その選手はたった3年でプロ野球をクビとなり、それから数年後に命を絶った。そんな記事だった。
普段は無口な父が資定に語りかけた。
「資定、お前は人の痛みが分かる立派な大人に育ってきた。何も心配はしてない。冒険しておいで。ご先祖たちもさぞ喜ばれるだろう。ただ、その心眼は使うな。スポーツは正々堂々と勝負してこい」
珍しく父が笑った。
これから9か月後、日本中が大伴資定という怪物を目撃することになる。そして、その怪物に立ち向かう甲賀者たちが日本を大きな波に飲み込んでいく。
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