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22「貴族の名前なんて詳しくないしな」

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「ギルシェ先生、一つ確認したいのですが……カスペル・サルバトーリ卿に、こう、何か無理強いをされたというようなことはありませんよね?」
 講義を終えてアカデミーから研究所に戻ったエイダールは、スウェンから要領を得ない質問を受けた。カイが迂闊に洩らした不穏な言葉を、スウェンはカスペルが相手の話だと誤解したらしい。
「カスペルから無理強い? 無茶振りならあるけど?」
 どこかで扱いに困ったり処理しきれない、いろいろぶっちぎったような案件が持ち込まれることは時々ある。
「あるんですか? た、例えば、監禁されたりとか……?」
 震え声で尋ねるスウェンに。
「監禁て何だよそれ」
 エイダールはぶっと吹き出して、ないないと手を振る。
「お互いそんな暇じゃない。会うのもたまにだぞ。昨日会ったのだって三ヶ月振りくらいだし」
 それも約束していた訳ではなく、父親から結婚の許可が下りて舞い上がったカスペルが勝手に報告に来て、腕輪を押しつけていっただけである。
「そんな現状を打破すべく! 燃え盛る情熱が、法を犯してでも先生を手元に置こうといった方向に暴走する可能性があるのでは?」
 そんなに疎遠だったのなら、逆にありかもしれないと、スウェンは重ねて問う。
「え、いや、俺たち、そのくらいの付かず離れずの距離感で十五年の付き合いなんだが……今更ないだろ?」
 そもそも、手元に置きたいならまず話し合えとエイダールは思う。
「まあ、何を心配してるのか知らないが、そういう状況に陥っても、俺はおとなしく監禁されてやるつもりないから」
 ある程度の様子見はするかもしれないが、出たいと思ったら監禁場所を廃墟にすることも厭わないエイダールである。
「そう言われれば、ギルシェ先生の意思を無視して、行動を制限できる人なんて、そういませんでしたね」
 無駄な心配をしてしまった、とスウェンは反省した。
「放置されようが監禁凌辱されようが、そういうお遊びの一環ということですね」
「さっきから何を言ってるんだスウェン……そんなお遊びは願い下げだぞ!?」
 エイダールは、スウェンの正気を疑う。
「はいはい、私は先生の性癖にまで関与しませんから御安心を」
 エイダールは、『安心』という言葉の意味を問い質したかったが藪蛇になりそうで怖い。


「あ、そうそう、ユランくんのことなんですが、昼過ぎに警備隊の方がいらして」
「ユランがどうした。倒れでもしたのか!?」
 昨夜、ふらふらしながらヴェイセルに送られて帰ってきて、今朝もぼんやりしたままで、少し熱があったので仕事は休ませたのだが。
「いえ、先生に伝言しておいてほしいとだけ……ユランくんを警備隊の方で暫く預かるそうです。ユランくん、具合が悪かったんですか?」
「ああ、でかくなってからはほとんど熱なんか出したことないんだが、昨夜からなんかふらついててな」
 心配なので一晩中ついていたかったのだが、ユラン本人に大丈夫だから一人にしておいてほしいと言われて、あまり構えなかった。
「そんなのを警備隊で預かるってなんなんだ……隔離か?」
 隔離しなきゃならない事態ってなんなんだ? とエイダールは悩む。
「詳しくは分かりませんが、深刻な感じではありませんでしたよ? 伝えに来た警備隊の方は、軽やかに帰っていかれましたし」
 軽やかにというよりは、逃げるようにだったのだが、捉え方は人それぞれである。






「意外に元気そう」
 一方その頃、ヴェイセルにエイダールの家から回収されて詰所にやってきたユランを見て、カイが感想を述べていた。午後は警邏の予定だったが、他の班に交代してもらい、詰所待機中である。
「体は何ともないから」
 朝は軽く知恵熱的なものが出ていたが、もう治まっている。
「おお、しかも受け答えができてる!」
「僕、昨日、そこまでおかしかった……?」
 普通に答えただけなのに感動されて、ユランは困惑する。自分ではそこまで酷いと思っていなかった。
「心ここにあらずって言葉を体現してたぞ。ああそうだ、腕折りかけたやつに謝っとけよ」
 あれは酷かったからな、とヴェイセルが謝罪を促した。意図的なものではないという判断で不問に付されたが、本来なら始末書ものである。
「腕? 折る? 僕が? 誰の?」
「……それも覚えてないのか」
 無意識であの動きが出来るほど鍛錬を積んでいるというのは素晴らしいが。
「というか、何処から覚えてないんだ。昼から全部か」
 ヴェイセルの問いに、ユランは泣きそうな顔をした。




「昨日は、ずっと悪い夢を見てるみたいな感じで」
 ユランはぽつりぽつりと話し出す。
「昼から夜までの記憶は殆どなくて、気が付いたら先生の家にいて」
 昨夜のエイダールはいつも通りに過保護で面倒見がよくてユランには甘くて。
「本当に夢だったのかなって思いそうになったけど、箱が……」
 食卓の上に、腕輪が入った箱が無造作に置かれていて、現実を突きつけられた。
「僕はどうして先生に対して何の権利もないんだろうって」
 恋人であれば問い質すことも出来たのに、自分の立ち位置はただの家族枠でしかなくて。
「そんなことばっかり考えて。顔を見るのも辛くて」
 本当の家族であればまだ言えることはあっただろうが、幼馴染なんて、ただ黙って諦めることしか出来ない。
「先輩に連れ出して貰えて助かりました、あのままあそこにいたら、先生に何かしそうで怖かったから」
 自分を律する自信がなくて、と力なく笑う。




「あのさ、なんでそんな諦める方向なんだよ」
 元気のないユランがもどかしくて、カイが強い語調で口を挟んだ。
「少なくとも相手がどんな男かは確認しないと。実は借金があるとか、問題のある奴だったらどうするんだよ」
 叩いたら埃が出るような相手に、エイダールは任せられないが。
「そんな人じゃないと思うけど……」
 ユランはカスペルの借金の有無は知らないが、悪い印象はない。
「ユランも知ってる相手なのか? 貴族っぽい男だったって聞いたけど」
 貴族=見ず知らずの相手に掻っ攫われたのだと思っていたヴェイセルは驚く。
「えっと、貴族だけど、先生とは友人で、カスペルさんて人です」
 エイダール曰く『結構いいところのお坊ちゃん』である。
「カスペルは名前だよな? 家名は?」
「何だっけ、サルバーリ? サルバトーリだっけ、そんな感じで」
 本人からきちんと名乗りを受けたことがあるのだが、エイダールが名前を呼び捨てにしているため、ユランも『カスペルさん』で覚えていて、家名のほうは曖昧だ。
「サルバ……何か聞いたことある気がするけど、貴族の名前なんて詳しくないしな。貴族名鑑探してくるか、どっかにあったよな」
 最初の数頁は覚えておけと言われている貴族名鑑だが、名前に爵位に紋章に領地の場所と情報量が多い上に、血縁関係が複雑すぎて、最初の一頁で投げたヴェイセルである。
「すっごい装飾の分厚い本ですよね、資料棚にあったかな……あ、ジペルスさんなら貴族に詳しいかも? 俺、ちょっと呼んできます!」
 どこにあるかはっきりしない貴族名鑑を探してきてめくるより、知っていそうな人に聞いた方が早いと、カイは部屋を飛び出していった。
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