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10「相思相愛っぽくて憧れる」
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「とにかく夜勤明けは郊外の自分で借りてる部屋に戻ります。そろそろ今月の部屋代も払わないとだし」
部屋代は、月に一度、大家に手渡しである。
「あ、それだ」
何かを思いついたカイがユランを見た。
「それ?」
「部屋を解約するんだよ。家に泊めなくても雨風凌げる場所があるから、先生も安心して追い出しちゃうんだろ。だったらその逃げ場がなくなったとしたら? 路頭に迷うことが分かってるのに追い出したりしない筈。名付けて『なし崩し同棲大作戦』」
カイに名付けの才能はなかったが。
「同棲って響きいいな……相思相愛っぽくて憧れる」
ユランは気に入ったらしい。
「自分で部屋を解約しておいて、路頭に迷うとかおかしいだろ」
おかしいというか、図々しすぎる、却下、とヴェイセルが判じる。
「そこは……家賃を滞納して追い出されたとかで」
「そんな不名誉な理由も却下だ、契約は穏便に満了しろ」
信用問題である。警備隊の隊員が滞納などという理由で追い出されては、後々に響く。例えば、別の隊員が部屋を借りられなくなったりする。
「雷が落ちて部屋が燃えた、とかは?」
「燃やすな」
「強風で壁が吹っ飛んで……」
「飛ばすな」
不名誉な理由がだめなら、自然災害で住むことが出来なくなったことにすればいいと意気込むカイを、容赦なく切り捨てるヴェイセル。
「ありがとうカイ、いろいろ考えてくれて。部屋の解約も選択肢に入れてみるよ」
持つべきものは友達だ。提案の実現性がいまひとつ低くても。
「お、おう。提案しておいてなんだけど、あんまり捨て身になるなよ」
部屋を解約しました、エイダールが家に入れてくれませんでした、路頭に迷いました、という可能性もあるのだ。
「詰所の仮眠室を住所登録することになったら、遊びに来てよ」
引っ越し祝い持ってさ、とユランは笑った。
「こんにちは、部屋代持ってきました」
翌日の昼過ぎ、ユランは部屋代を持って、隣接している屋敷に住む貸主を訪ねた。
夜勤明けに郊外に借りている部屋に戻り、ざっと湯を浴びて汗を流しただけでベッドに倒れ込んで爆睡。すっきり目を覚まして起き上がったのがその時間だった。夜勤中にも交代で仮眠を取っているので、合わせると寝過ぎである。
「あら警備隊の隊員さん、ありがとうね、はい確かに受け取りました」
受け取った硬貨の種類と枚数を確認して受取証を差し出す貸主の妻である老婦人。
「お久し振りね、お仕事忙しかったの? 物騒な事件が起きてるんですってね」
ユランが借りている部屋は二階建ての集合住宅の一室で、貸主の屋敷からも人の行き来は見える。このところあまり部屋に戻っておらず、姿を見せなかったユランのことを、仕事が忙しかったのだと誤解しているらしい。
「ええ、まあ」
ユランは曖昧な答えを返した。部屋に戻ろうと思えば毎日戻れる程度の忙しさだが、『警備隊の隊員さんは頑張ってくれている』と信じているらしい彼女の夢を壊すのも憚られる。
「あの、お聞きしたいことが」
「何かしら」
「部屋の契約ですが、仮に退去するとしたら手続きとかどんな感じに?」
「退去? どこかに異動になるのかしら?」
異動の季節ですものね、と納得したような顔で頷いた老婦人は、ふいに瞳をきらめかせた。
「それとも結婚して新居を構えるのかしら!?」
女性は幾つになっても恋愛話が好きらしい。
「い、いえ、結婚じゃなくて!」
ユランは大慌てで否定した。頬が紅潮しているのは、一瞬、エイダールといちゃつく結婚生活を妄想したからである。
「結婚なんて考えたことないですから」
この国は同性婚も可能だが、ユランはエイダール以外の誰かと結婚する気はないし、エイダールの結婚願望が皆無なこともあって、その選択肢は自然に消えている。
「考えたこともないの? そうね、まだ若いものね」
これからね、と老婦人は微笑む。
「まずは恋愛関係に持ち込まないと……やっぱり同棲を狙うべきなのかな」
カイが言うところの『なし崩し同棲大作戦』を決行すべきなのだろうかと考え込む。
「あらあらまあまあ、好きな人はいるのね? 素敵ね、燃え上がるような大恋愛! 私もあと三十年若かったら」
「そ、そうですか?」
三十年前でもそんなに若くなかったのではないだろうかと思ってしまったユランは、声が震えた上に最後を疑問形にしてしまう。
「あら、私が大恋愛したらいけないの?」
可愛らしく口を尖らせる老婦人。
「いいえそんなことは」
「もちろん今の結婚生活にも幸せを感じてるのよ? 恋愛と違って結婚は生活だから、特記するような出来事はないけれどね。朝目覚めたら、隣で夫がむにゃむにゃ言ってるとか、おはようって言ったらおはようって返って来るとか、食事を美味しいねって言い合いながら食べたりとか、休日は手を繋いで買い物に行ったりね、そんな些細なことを一緒にして、幸せだと思える人がいたら逃がしちゃだめよ。そういう相手となら、お互いの気配に安心を覚えるような暮らしを穏やかに重ねていけるから」
「……………………」
家族枠としてならほぼ実現しているユランは、結婚生活とは? という疑問に駆られる。自分はもしかして既にエイダールと結婚生活を送っていたのだろうかと。
「隊員さんくらい若かったら、夜はベッドで激しく熱く体で愛を語り合うのも重要なことね」
うふふ、と人生の大先輩は話を締め括った。
部屋代は、月に一度、大家に手渡しである。
「あ、それだ」
何かを思いついたカイがユランを見た。
「それ?」
「部屋を解約するんだよ。家に泊めなくても雨風凌げる場所があるから、先生も安心して追い出しちゃうんだろ。だったらその逃げ場がなくなったとしたら? 路頭に迷うことが分かってるのに追い出したりしない筈。名付けて『なし崩し同棲大作戦』」
カイに名付けの才能はなかったが。
「同棲って響きいいな……相思相愛っぽくて憧れる」
ユランは気に入ったらしい。
「自分で部屋を解約しておいて、路頭に迷うとかおかしいだろ」
おかしいというか、図々しすぎる、却下、とヴェイセルが判じる。
「そこは……家賃を滞納して追い出されたとかで」
「そんな不名誉な理由も却下だ、契約は穏便に満了しろ」
信用問題である。警備隊の隊員が滞納などという理由で追い出されては、後々に響く。例えば、別の隊員が部屋を借りられなくなったりする。
「雷が落ちて部屋が燃えた、とかは?」
「燃やすな」
「強風で壁が吹っ飛んで……」
「飛ばすな」
不名誉な理由がだめなら、自然災害で住むことが出来なくなったことにすればいいと意気込むカイを、容赦なく切り捨てるヴェイセル。
「ありがとうカイ、いろいろ考えてくれて。部屋の解約も選択肢に入れてみるよ」
持つべきものは友達だ。提案の実現性がいまひとつ低くても。
「お、おう。提案しておいてなんだけど、あんまり捨て身になるなよ」
部屋を解約しました、エイダールが家に入れてくれませんでした、路頭に迷いました、という可能性もあるのだ。
「詰所の仮眠室を住所登録することになったら、遊びに来てよ」
引っ越し祝い持ってさ、とユランは笑った。
「こんにちは、部屋代持ってきました」
翌日の昼過ぎ、ユランは部屋代を持って、隣接している屋敷に住む貸主を訪ねた。
夜勤明けに郊外に借りている部屋に戻り、ざっと湯を浴びて汗を流しただけでベッドに倒れ込んで爆睡。すっきり目を覚まして起き上がったのがその時間だった。夜勤中にも交代で仮眠を取っているので、合わせると寝過ぎである。
「あら警備隊の隊員さん、ありがとうね、はい確かに受け取りました」
受け取った硬貨の種類と枚数を確認して受取証を差し出す貸主の妻である老婦人。
「お久し振りね、お仕事忙しかったの? 物騒な事件が起きてるんですってね」
ユランが借りている部屋は二階建ての集合住宅の一室で、貸主の屋敷からも人の行き来は見える。このところあまり部屋に戻っておらず、姿を見せなかったユランのことを、仕事が忙しかったのだと誤解しているらしい。
「ええ、まあ」
ユランは曖昧な答えを返した。部屋に戻ろうと思えば毎日戻れる程度の忙しさだが、『警備隊の隊員さんは頑張ってくれている』と信じているらしい彼女の夢を壊すのも憚られる。
「あの、お聞きしたいことが」
「何かしら」
「部屋の契約ですが、仮に退去するとしたら手続きとかどんな感じに?」
「退去? どこかに異動になるのかしら?」
異動の季節ですものね、と納得したような顔で頷いた老婦人は、ふいに瞳をきらめかせた。
「それとも結婚して新居を構えるのかしら!?」
女性は幾つになっても恋愛話が好きらしい。
「い、いえ、結婚じゃなくて!」
ユランは大慌てで否定した。頬が紅潮しているのは、一瞬、エイダールといちゃつく結婚生活を妄想したからである。
「結婚なんて考えたことないですから」
この国は同性婚も可能だが、ユランはエイダール以外の誰かと結婚する気はないし、エイダールの結婚願望が皆無なこともあって、その選択肢は自然に消えている。
「考えたこともないの? そうね、まだ若いものね」
これからね、と老婦人は微笑む。
「まずは恋愛関係に持ち込まないと……やっぱり同棲を狙うべきなのかな」
カイが言うところの『なし崩し同棲大作戦』を決行すべきなのだろうかと考え込む。
「あらあらまあまあ、好きな人はいるのね? 素敵ね、燃え上がるような大恋愛! 私もあと三十年若かったら」
「そ、そうですか?」
三十年前でもそんなに若くなかったのではないだろうかと思ってしまったユランは、声が震えた上に最後を疑問形にしてしまう。
「あら、私が大恋愛したらいけないの?」
可愛らしく口を尖らせる老婦人。
「いいえそんなことは」
「もちろん今の結婚生活にも幸せを感じてるのよ? 恋愛と違って結婚は生活だから、特記するような出来事はないけれどね。朝目覚めたら、隣で夫がむにゃむにゃ言ってるとか、おはようって言ったらおはようって返って来るとか、食事を美味しいねって言い合いながら食べたりとか、休日は手を繋いで買い物に行ったりね、そんな些細なことを一緒にして、幸せだと思える人がいたら逃がしちゃだめよ。そういう相手となら、お互いの気配に安心を覚えるような暮らしを穏やかに重ねていけるから」
「……………………」
家族枠としてならほぼ実現しているユランは、結婚生活とは? という疑問に駆られる。自分はもしかして既にエイダールと結婚生活を送っていたのだろうかと。
「隊員さんくらい若かったら、夜はベッドで激しく熱く体で愛を語り合うのも重要なことね」
うふふ、と人生の大先輩は話を締め括った。
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