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2「顔は寝て起きたら必ず洗え」
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「あー、今朝方、中央区で行方不明者が出た。治療院所属の回復術師だそうだ」
朝の申し送りで、西区警備隊隊長のオロフス・アルムグレーンが難しい顔でそう告げる。
「回復術師ということは、例の連続誘拐事件絡みですか?」
隊員の一人が質問した。この二ヶ月ほどの期間で、魔術師や神官など、魔力持ちばかりが十数人行方不明になっている。
「分からん、痕跡は似ているらしいがまだ調査中だ。今までとは地区が違うしな」
「今までは東区ばかりでしたね、無関係なのか、拠点を移したのか」
事件を受けて東区には重点的に警備が敷かれているため、犯行グループがそれを嫌った可能性はある。
「ともかく捜索応援要請が来ている。うちからは偶数班を出す、奇数班は警邏の範囲が二倍になる、倍速でしっかり働け」
「えええええええ――――――」
奇数班所属の隊員から野太い悲鳴が上がる。半数を他所に応援に出して人数が減っても西区の警備範囲が狭まる訳ではないが、倍速とは無茶振りが過ぎる。
「アルムグレーン隊長! その場合、給料が倍になったりは……?」
さっと挙手して質問を投げ掛けた猛者がいたが。
「する訳ないだろう」
「くっ」
秒で撃墜されて膝を折った。
「結構な人数ですけど、応援て何をするんですか?」
偶数班所属のユランは、先輩のヴェイセルと、後輩だが同い年のカイと連れ立って、応援部隊の集合場所に向かいながら尋ねた。
「聞き込みと、現場は運河沿いだそうだから人海戦術で川底攫いかな……倍速で警邏する方が楽かもしれん」
どっちもきついのは間違いないが、とヴェイセルが答えた。
「えー、川に入りたい季節じゃないんだけどなあ」
カイがはああっと肩を落とす。季節は春になったばかりで、水は冷たい。
「まだ決まったわけじゃないよカイ、聞き込みのほうに割り振られるかも」
ユランはカイを励まそうとしたが、ヴェイセルが首を横に振った。
「こういうのは若手からきつい方に回されるに決まってんだろ……ああ、俺はもう若くないのにお前ら二人の所為で巻き込まれるんだ」
警備隊の任務は基本三人一組を最小単位として行われる。今回もそうだ。
「え、先輩も充分若いですよね?」
ユランとカイは二十一歳、ヴェイセルは二十五歳。どちらにしろ若手である。
「十代の女の子から見れば立派なおじさんさ……」
十代の女性と一体何があったのか、ふっと息を吐いて遠い目をするヴェイセルに、焦るユラン。
「大丈夫です! 二十一歳の僕からはとても素敵なお兄さんに見えます!」
「ユラン、悪いが、俺はお前にモテても全然嬉しくない」
「あ、いえ、僕も先輩のことは全然そういう意味では好きじゃないですけど……僕は先生一筋ですので! ごめんなさい!」
お気持ちには応えられません、などと言い出すユランに。
「いや待て、なんで俺が振られたみたいになってんだよ」
おかしいだろ、とヴェイセルは吠えた。
「先生、ただいま。今夜も泊めてください」
「ああ、お帰り。って、うわ、随分な惨状だな」
夜も遅くに、泥だらけの上に葉っぱなどまで服につけて戻ってきたユランに、エイダールは、ぎょっとしたような声を上げる。
「腕も顔も擦り傷だらけだし、何をしたらそんなになるんだ」
「えへへ、捜索でちょっと藪漕ぎを」
今日の任務は、ヴェイセルが予想した川底攫いではなく、藪を漕いでの痕跡と遺留品探しだった。
「大変だったな、御苦労さん。うーん、大きな怪我はないな。あとで薬塗ってやるから、とにかく風呂入ってこい風呂」
ざっくりと体の傷の有無を確認したエイダールは、風呂へとユランを押し込んだ。
「痛たたたたたたっ、沁みるっ、沁みる―――――っ。先生、もっと優しく!」
風呂上がり、ユランはエイダールに豪快に消毒液を振り撒かれた。
「沁みるってことは生きてるってことだよ、良かったな」
悲鳴を華麗に聞き流し、腕の傷に軟膏を塗りつけるエイダール。
「頬の傷はちょっと深いな」
エイダールに顔を近付けられて左頬に手を添えられ、傷口を見ているだけだと分かっているのに、ユランは心臓が止まりそうな気持ちになる。
「ここだけ治癒を使っとくか……『治癒』」
ほわん、と頬が一瞬熱くなり、ぴりぴりとした痛みが消えた。
「あ、こんな傷に魔法使わなくていいのに……ありがとうございます」
治癒の魔法は、擦り傷程度には通常使わない。使い過ぎると自然治癒力が落ちるという理由もあるが、小さな怪我が日常茶飯事のユランのような職業であれば尚更、この程度の傷に使っていてはきりがない。
「まあ、膿んだりしたら面倒だし……な?」
そのことはエイダールも分かっている。ユランに甘いという自覚はあるのか、僅かに目を逸らして自分を納得させるように呟く。
「そうですね! 先生の愛を感じます! 嬉しいです、この頬は記念にもう洗いません」
にこにこと頬に手を当てるユランに、エイダールは一瞬頭を抱えたが。
「ユラン、怪我の治療に愛もクソもないからな。あと、顔は寝て起きたら必ず洗え」
訳の分からない記念など俺は認めない、とぴしりと言い渡した。
朝の申し送りで、西区警備隊隊長のオロフス・アルムグレーンが難しい顔でそう告げる。
「回復術師ということは、例の連続誘拐事件絡みですか?」
隊員の一人が質問した。この二ヶ月ほどの期間で、魔術師や神官など、魔力持ちばかりが十数人行方不明になっている。
「分からん、痕跡は似ているらしいがまだ調査中だ。今までとは地区が違うしな」
「今までは東区ばかりでしたね、無関係なのか、拠点を移したのか」
事件を受けて東区には重点的に警備が敷かれているため、犯行グループがそれを嫌った可能性はある。
「ともかく捜索応援要請が来ている。うちからは偶数班を出す、奇数班は警邏の範囲が二倍になる、倍速でしっかり働け」
「えええええええ――――――」
奇数班所属の隊員から野太い悲鳴が上がる。半数を他所に応援に出して人数が減っても西区の警備範囲が狭まる訳ではないが、倍速とは無茶振りが過ぎる。
「アルムグレーン隊長! その場合、給料が倍になったりは……?」
さっと挙手して質問を投げ掛けた猛者がいたが。
「する訳ないだろう」
「くっ」
秒で撃墜されて膝を折った。
「結構な人数ですけど、応援て何をするんですか?」
偶数班所属のユランは、先輩のヴェイセルと、後輩だが同い年のカイと連れ立って、応援部隊の集合場所に向かいながら尋ねた。
「聞き込みと、現場は運河沿いだそうだから人海戦術で川底攫いかな……倍速で警邏する方が楽かもしれん」
どっちもきついのは間違いないが、とヴェイセルが答えた。
「えー、川に入りたい季節じゃないんだけどなあ」
カイがはああっと肩を落とす。季節は春になったばかりで、水は冷たい。
「まだ決まったわけじゃないよカイ、聞き込みのほうに割り振られるかも」
ユランはカイを励まそうとしたが、ヴェイセルが首を横に振った。
「こういうのは若手からきつい方に回されるに決まってんだろ……ああ、俺はもう若くないのにお前ら二人の所為で巻き込まれるんだ」
警備隊の任務は基本三人一組を最小単位として行われる。今回もそうだ。
「え、先輩も充分若いですよね?」
ユランとカイは二十一歳、ヴェイセルは二十五歳。どちらにしろ若手である。
「十代の女の子から見れば立派なおじさんさ……」
十代の女性と一体何があったのか、ふっと息を吐いて遠い目をするヴェイセルに、焦るユラン。
「大丈夫です! 二十一歳の僕からはとても素敵なお兄さんに見えます!」
「ユラン、悪いが、俺はお前にモテても全然嬉しくない」
「あ、いえ、僕も先輩のことは全然そういう意味では好きじゃないですけど……僕は先生一筋ですので! ごめんなさい!」
お気持ちには応えられません、などと言い出すユランに。
「いや待て、なんで俺が振られたみたいになってんだよ」
おかしいだろ、とヴェイセルは吠えた。
「先生、ただいま。今夜も泊めてください」
「ああ、お帰り。って、うわ、随分な惨状だな」
夜も遅くに、泥だらけの上に葉っぱなどまで服につけて戻ってきたユランに、エイダールは、ぎょっとしたような声を上げる。
「腕も顔も擦り傷だらけだし、何をしたらそんなになるんだ」
「えへへ、捜索でちょっと藪漕ぎを」
今日の任務は、ヴェイセルが予想した川底攫いではなく、藪を漕いでの痕跡と遺留品探しだった。
「大変だったな、御苦労さん。うーん、大きな怪我はないな。あとで薬塗ってやるから、とにかく風呂入ってこい風呂」
ざっくりと体の傷の有無を確認したエイダールは、風呂へとユランを押し込んだ。
「痛たたたたたたっ、沁みるっ、沁みる―――――っ。先生、もっと優しく!」
風呂上がり、ユランはエイダールに豪快に消毒液を振り撒かれた。
「沁みるってことは生きてるってことだよ、良かったな」
悲鳴を華麗に聞き流し、腕の傷に軟膏を塗りつけるエイダール。
「頬の傷はちょっと深いな」
エイダールに顔を近付けられて左頬に手を添えられ、傷口を見ているだけだと分かっているのに、ユランは心臓が止まりそうな気持ちになる。
「ここだけ治癒を使っとくか……『治癒』」
ほわん、と頬が一瞬熱くなり、ぴりぴりとした痛みが消えた。
「あ、こんな傷に魔法使わなくていいのに……ありがとうございます」
治癒の魔法は、擦り傷程度には通常使わない。使い過ぎると自然治癒力が落ちるという理由もあるが、小さな怪我が日常茶飯事のユランのような職業であれば尚更、この程度の傷に使っていてはきりがない。
「まあ、膿んだりしたら面倒だし……な?」
そのことはエイダールも分かっている。ユランに甘いという自覚はあるのか、僅かに目を逸らして自分を納得させるように呟く。
「そうですね! 先生の愛を感じます! 嬉しいです、この頬は記念にもう洗いません」
にこにこと頬に手を当てるユランに、エイダールは一瞬頭を抱えたが。
「ユラン、怪我の治療に愛もクソもないからな。あと、顔は寝て起きたら必ず洗え」
訳の分からない記念など俺は認めない、とぴしりと言い渡した。
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