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4章 始まりの乙女

8 . 姫野颯斗の追憶①

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 俺の一人目の妹─咲空が生まれたのは俺が幼稚園の年長の時、6歳になる少し前だった。
 家族の誰もが……父さんも母さんも、もちろん俺も新しい命の誕生を喜んでいた。

 ……なのに、その幸せな光景は数ヶ月で崩れ去った。
 母さんがだんだんと咲空から遠ざかっていったのだ。
 当時の俺は子どもながらに、何故こんなに可愛い子どもを嫌っているかのような態度をとっているのか、と考えていたものだ……

 そんなある時、母のお腹に再び命が宿っていることがわかった。母は愛おし気に自分のお腹に語りかけ、まだ泣くことしかできない咲空を放置した。
 ……おかしなことに放置されたのは咲空だけで、俺は変わらずに愛情を注がれていた。

 父さんも俺も『大変もしれないが、もう少し咲空を気にかけてやってほしい』と言ったが、母さんの返答は 『咲空?……あぁ、いたわね。でもあの子には必要ないわよ』というあまりに冷たいものだった。

 父さんは『育児に疲れたのかもしれない。妊娠中だから精神的にも大変なのだろう』と俺に言って、咲空の世話を引き受けた。祖母に相談しながら俺も咲空の世話を手伝った。
 幸いなことに咲空はあまり泣かない子だったから、俺と父さんだけで問題なく世話ができた。


 それから時が流れ、咲空が一歳の誕生日を迎えた翌日、二人目の妹である美緒が生まれた。
 そして、母さんは妊娠中の咲空への態度は何だったんだ? と不気味さすら覚えるほどに咲空にも愛情を注ぐようになった。

 咲空は相変わらず泣かない、手のかからない子だったために母の視線や注意は美緒に集中していたが……

 それでも、俺は安心していた。母さんが咲空のことも可愛がるようになって、咲空は母の愛情を受けられるようになったから。
 そして、その幸せな家族の光景がずっと続いていくのだと、そう思っていた。

 俺が小学4年生になり、咲空が幼稚園に通い始めた頃、俺の家族に再び異変が起こった。……今度は父さんにも。

 前に母さんが咲空に向けていたような、あからさまな冷たさはなかったが、両親はまだ4歳にもならない咲空が既に自立した存在であるかのように接するのだ。いや、無関心だったと言っていい。

 幼稚園の送迎の際には“優しい両親”である父さんと母さんを変に思っていたのは本当に俺だけで、俺の方が間違っているのかとすら思った。

 でも、ある日訪ねてきた祖母が両親の咲空の扱いを見咎めているのを見て、俺は間違っていないという自信がついた。

 それからは俺と祖母で咲空を可愛がった。
 祖母は咲空が生まれたばかりの頃に会って以来だったし、忙しいとかであまり会えていなかったけど、家の歪さを知った祖母は頻繁に来てくれるようになった。

 両親はその後も美緒を甘やかし、咲空には暴力を振るったりはしないものの、無関心に振る舞い、世話は最低限という毎日。

 そんな日々が続いたある日───

『なんで咲空に冷たくするんだ!?』

  俺は日々感じ続けていた異和感と、そこから来る不安を両親にぶつけた。

『なぁに? 咲空も可愛いがっているわよ?』

『あぁ。一体どうしたんだ?』

『父さんも母さんも美緒に付きっきりじゃないか!それでも俺には構ってくれてる。なのに、咲空にはご飯を作って、服を洗濯してあげる……それだけだ!』


『あら、咲空にはそれで十分でしょ……そうよね、咲空』

『……』

『咲空、大丈夫よね?』

『……うん』

『……もういいっ! 咲空おいで、兄ちゃんと遊ぼう』

 ……咲空は母に頷いていた。
 4歳にもならない子どもとは思えない表情をしながら。
 そんな咲空に、俺の方が苦しくなって、咲空を連れてリビングを出た。

『咲空、安心しろ。兄ちゃんがずーっと 咲空を守ってやるからな』

 俺の部屋で咲空を優しく抱き締めていると、めったに泣かない咲空が静かに肩を震わせていた。

『咲空、我慢なんてしなくていいんだよ』

 咲空はまるで、泣き方を知らないかのように嗚咽を飲み込んでいた。
 ……咲空は泣かなかったんじゃない。泣けなかった、泣き方を知らなかったのだ。
 あまりにも痛々しい妹の姿に、俺の方が泣いてしまった。辛いのは咲空だったのに。

『俺はずっと、咲空の傍にいるから』

 俺たちを包み込むように優しく闇夜を照らす満月が、俺の誓いを聞き届けてくれたかのように輝きを増した。そんな気がした。

 ………が、その誓いはすぐに破られることになってしまった。 


 俺の存在はある日、突如として消えた・・・のだ。


 その日、俺はいつも通りに起きて食卓につこうとしていた。
 その時、

『颯斗ったら遅いわね。いつもなら起きてくる時間なのに……颯斗、遅刻するわよ!起きなさい!』

 母さんは2階にある俺の部屋に向かって声をかけた。
 ……俺はそこにいたのに。 

『母さん、俺ここにいるよ?』

 気が付いていないのかと思って、声をかけながら母さんの手を引こうとしたが、できなかった。

 俺の手が母さんの手をすり抜けたからだ。

 俺は愕然とした。何故こんなことに?と恐くなった。
 そして母さんは俺の反応がないからと俺の部屋まで行った。

 しかし、母さんはすぐに戻ってきて──

『まったく、物置に何をしに行ったんだか……疲れてるのかしら?』

 戻って来た母さんを呆然としながら視線で追っていると、他にも恐ろしいことが起こっていることを知る。 
 ついさっきまであった、母さんが俺の分で用意した朝食がなくなっていたのだ。朝食だけじゃない。椅子も、写真も、俺の絵も……俺に関する全ての物がなくなっていた。

 まるで、最初から俺が存在していなかったかのように。

 俺は怖くなって、階段を駆け上って部屋に戻った。
 そして、気が付いた。 階段を駆け上ったのに自分の足音がしていなかったこと、自分の部屋が空き部屋になっていたこと。 

 ……ついさっきまで俺はここで寝ていたのに、母さんも俺のことを覚えていたのに、俺は消えていた。


『──おにいちゃん?』

 これは悪い夢だと首を振る俺の後ろに、咲空が立っていた。 

 そして、咲空はまだ覚えているかもしれないという希望が見えた。咲空は、俺の部屋が空き部屋になっていることに気が付くと首をかしげ、階段を下りて母さんに 『おかあさん、おにいちゃんは?』と尋ねた。

 俺は、ちゃんと存在してた。
 咲空はそれを覚えている。俺のことを忘れていない。
 その事実がたまらなく嬉しかった。
 
 俺は『お兄ちゃん?夢でも見たの?』と咲空の言葉を軽く流す母さんを尻目に、触れることはできない咲空を緩く抱き締める。

『必ず戻ってくるからな……。俺のこと、忘れないで』

 そして俺は、誰もいない玄関の扉を静かに開けて家を出た。
















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