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俺の婚約者だと知ったシュシュが、混乱の中、家に帰った。この2週間、シュシュとの暮らしは驚くことも多かったが、満ち足りた時間だった。それが、終わった。「送っていく」と言った俺を振り切るように去ったシュシュの後ろ姿に、言い様のない不安と後悔が襲ってきた。シュシュを帰したくなくて、婚約のことを伝えたのは間違いだった。あの子はまだ12歳だ。

そこからは、何も手につかなくなり仕事どころではなかった。どう過ごしていたのか、あまり記憶にない。朝起きて気付くと陽が落ちていた。情けない。


俺がシュシュを見つけたのは、鍛冶協会に頼まれた物を納品した帰りだった。ヨレヨレだが質の良いワンピース、よくある色だが艶のある髪、シミひとつない透き通った肌。本人は平民に擬態しているつもりなのだろうが、いまいち育ちのよさを隠しきれていない。そのアンバランスさが俺の目を惹き付けて逸らすことが出来なかった。妙に胸が騒いだ。

シュシュと名乗ったその少女が俺の工房に入り浸るようになるのにそれほど時間はかからなかった。今では自分の調薬の道具をちゃっかり工房の隅に置いている。

シュシュは自分の家の場所や家名を俺に教えようとはしなかった。だが、実際、俺はシュシュの素性を知っていた。学園時代からの悪友ライナスに目元がよく似ていたし、シュシュという名前もライナスからよく聞かされていた。貴族でも珍しい名前だから間違いないと確信し、あるパーティーに参加してライナスと接触した。いつもシュシュのことを気にかけているライナスが知らないとも思えなかったが、念のためだ。

だが、そこでシュシュの不可思議な行動が明らかになった。遠く離れた領地に居ながら王都の俺の工房に遊びに来ているという行動が。このとき初めてライナスは、シュシュが本当の愛し子だと、本人はそれを隠しているつもりだと俺に告げた。俺にも思い当たらないことがない訳じゃない。工房でコマちゃん、キュウちゃんと小声で呼び、話しかけている姿を幾度となく見ている。来る度に作ってくれる料理を俺は知らない。危うい、危うすぎる。本当に隠す気があるのかと疑うレベルの危うさに頭を抱えたくなった。

そんな俺に王太子殿下アルベルトは、「おまえ、シュシュ嬢の婚約者にならないか」と提案してきた。願ってもないことだ。この頃には、シュシュが俺の目の前から居なくなるなんて考えられなかった。横でアルベルトがメリットについて朗々と語っているが、断る気などない。シュシュは俺のものだ。ライナスは何か言いたそうにしていたが、口を挟むことはなく、俺が了承したことで、正式に婚約が結ばれた。

それをシュシュに伝えることのないまま2年の月日が流れた。少女から少しずつ大人になっていくシュシュを間近でみられる穏やかで擽ったくも幸せな時間だった。ライナスの結婚式にシュシュのパートナーとして呼ばれ、何も知らされていなかったシュシュはたいそう驚いていた。悪戯が成功したような高揚感に気分が上がった。ただ、その後のシュシュとシュシュの家族の関係を目の当たりにし、愛し子であることを隠すシュシュの気持ちがなんとなく分かった。



シュシュが工房に来なくなって1月が過ぎようとしていた。流石にこのままの生活はよろしくないと、炉に火を起こし、鍛冶の準備を始めた矢先、何食わぬ顔でシュシュが工房に飛び込んできた。心臓が止まるかと思った。上機嫌でご飯の支度を始めるシュシュ。オカボで作ったドリアという料理はコクがありボリュームも満足の一品だったが、このあっけらかんとしたシュシュの態度をどう取ればいい?忘れているのか?忘れているんだな?そうか。は・ら・が・た・つ!

「俺の1月を返せ!」

その腹立たしさも、シュシュが置いていった夕食にあっという間にかき消えた。翌日もやって来たシュシュが、俺の後をちょこまかとついてまわり、的外れな言い訳を口にしたことで吹き出しそうになったことは内緒だ。だが・・・・。途中からシュシュの様子がおかしくなった。前も一度だけあった。あのときより強烈にシュシュの不在を感じた。シュシュがどこか誰にも行けない遠くに囚われてしまうのではないかという焦燥感。

「シュシュ、シュシュ、シュシュ!」

焦ってシュシュを揺さぶった。ふっとシュシュの意識が戻ってきたのを確認すると、安心感と心の隅に残る不安からシュシュをぎゅっと抱き締めた。

「何が起こった?」

「ん?何もな」

「今、何が起こった?」

そんな嘘は通らない。シュシュの返事を最後まで聞くことなく、もう一度、先ほどよりも強く聞いた。

「・・・・えっと、ガイウスと全く同じ台詞を遠い昔に聞いたことがあるような気がして。・・・・それを追いかけると、消えてなくなっちゃう。・・しっかり蓋をしたはずなのにちょっとずつ漏れてて、意識が引っ張られるの」

シュシュは観念したのか自分の身に起こったことをポツポツと話してくれた。

「シュシュ、お前、過去に生きた生の記憶があるのか?」

「・・・・」

俺は、答えがないのが答えだと受け取った。

「そうか。なるべく気付かれないように気を付けろ?」

微かに頷いた感触に、俺はライナスに伝えるべきか悩み始めた。
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