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第二十二話 君といつまでも2
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空一面を覆う真っ黒になった雲が、ちょうどバスから降りる頃に降らせたいじわるな雨だった。バス停から校舎の軒下に入るまで、持ってた傘も開かずふたりは駆け足し、人と人の隙間をくぐり抜け水たまりもお構いなしに走る。普段は離れているふたりの手が今朝は繋がり、先を走る友だちは彼女をちゃんと確かめながら走るスピードを手伝っているのが見て取れた。こんな土砂降りのいじわるに遭っても目が合うだけで笑ってる、いつのふたりも楽しそうで羨ましいと思う。
「おはよーナナくん……おや、君は濡れてないね」
「降ってくる前に着いたからね……なんかいつもと違うくない?あー!アタマだ!」
ゆるふわカールのくせっ毛が、雨ですっかり潰れて別人のようになっていた。毛先から滴る水滴を、本人の持ち物にしては不似合いなタオルであてていた。夜のように感じる照明の点いた教室で、そのタオルだけが鮮やかに映る。タオルの本当の持ち主は、きっと恵風だろうと虹生は思った。
「エッちゃんは大丈夫なの?」
「イヤ~~エッちゃんには感謝だよ 今朝の天気予報見て、俺の靴下まで用意してくれて、玄関で替えてきたよ助かった~~」
「エッちゃんって、オマエの靴下まで持ってるの?」
「結日の靴下コッソリ持って来たんだって……今度お礼しないとな……」
「いや……そのまま洗濯もしないでいいとオレは思うな ユイヒだろ?喜ぶんじゃない?」
「その冗談はヤメテ!」
「アッハッハッハッハッ…」
忠告を面白半分で聞いていた、みんなで湖畔まで遠出したあの日からだ。ここにはいない恵風を瑞月から感じることに、虹生は以前はなかった苦しい感情を抱くようになった。反対側で、その物憂いは悪のようにのしかかる。
理由もなくそんなおかしなことが、現実にあるわけがないと、頭では分かっている。
では、その”理由”とは……。
長い年月を一緒に過ごした馴れ合いは、それを知らないまま大人になるはずだった開かれる予定のない扉の中に、入ってしまうキッカケにもしてしまったのは自分たち。もてあました時間の中で、同性だからの遊びと好奇心が混ざったような始まりは、やがてふたりだけの堅い秘密になって繰り返されるようになる。そこに何かしらの感情までも、ましてや自分にその変化が起きるなんて思いもしなかった。きっとそれはふたりとも同じ。
道を踏み外したわけではない――
旺汰はそれを自分の特別な感情であることと虹生に言葉にして伝え、虹生はその特別を戸惑いながらも受け入れた。
🌱
朝の土砂降りがウソだったように帰りは澄んだ青空が広がり、そこかしこに出来ている水たまりは、真上にある空を映している。
すっかり乾いた長い髪が夕方の風に乗ってゆっくり揺らぎ、髪が夕日に透ける様子に目を奪われる。彼女は笑っているけれど、それは自分のためのものではない。夕空に両腕を伸ばし空を仰ぐように胸を広げた彼女を、誰にも気付かれないようにそっと見る。隣にいる彼とクラスの出来事でも話ているのだろうか。重たいカバンの一日が終わって、開放感一杯でふたりで笑い合っている。
そして校門を抜け、向かう先が反対の自分たちはお互い背を向ける。
聴いていた音楽からまだ離れたくないように、後ろを振り返りたくなる。何でもない。見たかったものも、手に取りたいものも別にない。いつもの見慣れた景色のはずだ。
(見たかったものってなんだろう)
それははっきりさせなくてもいいものだ。自分はいつも通りにするだけ。違うことをすると、それは途端に周りを狂わせてしまうから。
そのいつも通りが、重くのしかかるように感じるのはなぜだろう。
また明日ね……
向き合えない感情に蓋をするように、届かない言葉を胸の中で言った。
🌱
「わあ!まだあった!」
恵風が以前描いたイタズラ描きが、瑞月の机面にそのままで残っていた。風化されずに状態良く残っているのは、この席の主の日頃の扱いと思い入れのせいと、前の席の虹生はその様子をずっと見ていて知っている。恵風への想いを彼から感じるのは、この机の絵だけじゃない。ふたりはお互いどちらかが不在でも、必ず自分の中に存在を置いている。
それは自分も同じことなのに。
「消しちゃうの?大事にしてたみたいだよ藤井」
「やだよ恥ずかしい」
”ダイちゃん”と書かれたその犬の絵が、瑞月の机から姿を消して行くのを、複雑な心境で虹生は見ていた。
「藤井に聞いたんだけど、その”ダイちゃん”って藤井の家の…」
「そうゴールデンレトリバーすっごくかわいいんだよ……って、ゴールデンレトリバーに見えてたかな」
「”かわいい”は君なんじゃない?」
「ちょっとナナオくん、ミズキみたいなこと言わなくていいから」
「クスッ…藤井なら言うだろうな~ってさ」
「やめて!」
「クスッ…」
安定しない心緒は後悔や失敗を作り出すことがある。放課後の誰もいない教室にいつかのように恵風を呼んだ。恵風はバスの時間まで瑞月の席に座り、その前の席には虹生が座る。自分の中に矛盾を感じたのはすぐのことだった。
近頃の自分はどこか壊れてしまったようだ。自分の中で行ったり来たりと落ち着かず、迷いのまま不安定でいる。
それはどうしてか――虹生はその理由を分かっている。ただ自分で認めていないだけ。
「旺汰、遅いなーちょっと見てくるか……」
どちらも戻らないまま先にやって来たのはバス時間。なにかを言い残しているようにこちらを向いたままの虹生が座っていた椅子を見ながら、釈然としない”一抜け”に恵風は感じた。
明くる日、浮かない表情で”ふたり”を見つめる恵風に瑞月が気付く。
「どうかした?」
「なんか奇妙を感じる……気のせいかな」
「なに?どうして?」
「んー分かんないけど……なんかいつもと違うような気がしただけ」
「ふーんそうかな……変わんないと思うけど……ちょっと気をつけて見てみるよ」
それでも――と瑞月は静かに思い出す。
半端な気持ちで入り込むことは、やめておいた方がいい。友だちでも、踏み込み過ぎもいけない。それは昔ソバカスの少年が教えてくれたこと。
頬が緩くなるような毎日だといい。いつか恵風が言った、”好きを言い合える相手が自分のそばにいる”のは幸せなこと。だから自分の”好き”は大事にしたい。それは自分のチカラになる、自分の本当の気持ちだから。
誰かのその邪魔をするのもいけないことなのだ。
🌱
知らない言葉や初めて見る物、一緒の時間を長く過ごし、自分の周りのそれらをふたりはカラダを大きくしながらどんどん取り込んで行った。それはもしかしたら、お互いのこともそうしていたのかもしれない。存在が別々の世界を想像したこともない。離れるなんてなおさらに。
成長して行く自分たちに、少しずつ足を忍ばせていたようなものだ。音のしないそれを確かめてみたくなっただけの稚拙な始まり。きっと誰もが同じで、だけど秘密にしていること。どうしてみんな同じで当たり前で普通のことなのに、そんなひた隠しにするのか。そんな疑問を持っていたこともあった。
その成れの果てが、こんなゴミのような”秘密基地”に隠された”ヒミツ”に思えた。自分の中にも存在するゴミのような気持ちを感じていながら、表に出さずにいたのは一番身近な存在が同性だったから。
けれど彼からいつもと違った、自分の知らない気配を感じた時だった。彼の反応を確かめた。自分たちはもうこんなことを知り、出来るくらいに大きくなった。初めて他人と合せる唇だけど、きっとカウントはしないキス。
そうやって始まった。
信頼、秘密の快楽、彼とだけ。これはただのセックスじゃない。カラダでする自分たちの”指切りゲンマン”。ずっと一緒の約束。絶頂から分解されたように飛び散る光りの中で、しっかりと存在を感じるのはただひとりだけ。
”指切り?ずっとオレたちは一緒だっていう?”
カラダを使わなくたって、いつの時も自分のトクベツなトモダチなのに。
それがどうして揺らいだように感じるのか。
自分でもいだ羽の痕には、幼馴染を利用したアザがきっとついている。その背中を見て笑ってる者がいるように感じ、不安定になった。周りと自分たちとの間に出来た、秘密の壁が厚くなって行く。けれど苦しんでいるのは自分だけではない。迷いを癒すようにふたりはまた互いの体温を求め、先行きの不安をごまかすばかりでいた。それが春にできたばかりの友だちの言葉が、ふたりの気付きになる。
「好きなら普通でしょ」
大事なことを忘れてしまうほど、自分たちは真剣だった。離れたくなくて自分たちで選んだことだ。後悔はしてない。けれどいつもふたりは探していた。晴れの日の空の下にいるように、ただお互いだけを想うだけでいい日が来るのはいつのことか。
「君たちのことニコニコしながら見てたよ」
それからふたりは、学校でも自分たちの自然を貫くことに決めたのだった。
🌱
いつものバスは乗り損ない、二番目のバスは夕日の中から迎えにやって来る。夕日色の校舎から出て肌で一番最初に感じるのは、動かない空気の中にジッと居続けたから余計に嬉しい開放感。今日一日の縛り付けからやっと許され、カラダ中に巻き付いた紐を解いてくれるそんな気持ち良さ。でも時々いつまでも紐解かれない、そんな時がやっぱりある。
遠くから聴こえて来る誰かの声、ホイッスル、楽器を鳴らす音、全部自分たちのものだ。けれどここにはひとりだけ仲間ハズレの影法師。そんな誰にでも分かるようなことを、いつも心の中に置いてるわけじゃない。みんなそれぞれ内側に何かを持っている。一緒にいながら、考えてることはみんなそれぞれ。仲良しだからって、それを全部打ち明けなくてもいい。けれど大切に思ってるのは変わらない。口に出さなくてもいつも思っている。いつも存在を忘れない。なにかの時はすぐそばに行く。
胸の中にも通り抜けて行くような心地よい穏やかな風が流れ、木々の葉を揺らすサラサラ聴こえて来る自然の音楽は、時間までゆったりと進ませているようだ。その景色に彼は解けているように自然だった。
「 藤井 」
「 なに?…・・・!!」
夕焼け雲が薄っすらと掠れ青空と混ざり合ってる景色の中、ふたりは唇を合わせた。
それまで聴こえていた音がどこかに連れて行かれたように静かで、ふたりの姿が景色に解け合い、恵風は奪われたように見惚れた。
「オマエに”オレのも”渡したから……」
「え?……」
「じゃ、また明日!」
「お……俺もお前に渡していいか……?」
それまで張り付いていた氷が一気に溶けたような表情の虹生に続き、動揺する瑞月の前に現れたのは三島。たった今、彼の恋人から理不尽な目に遭ったばかり。瑞月は何が何だか分からぬまま三島を跳ね返し、拒絶されたショボクレの三島を残し、ちょうど到着したバスに瑞月は恵風の手を掴んで逃げ込むように不可解共々置き去りにした。
「エッちゃん、君の勘はあたったみたいだね……確かに奇妙だ 一体ナンなんだ……!」
遠くに広がる青とオレンジ色の景色に向かって並んで歩くふたりの後ろ姿を、恵風はバスの窓から見た。答えを出した虹生と、素早くそれに気付き、便乗を図った旺汰。その中身を恵風も瑞月も知らなくても良いことだ。
そして――
明日はどうか平常でありますように……と、瑞月は震え願うのだった。
🌱 🌱 🌱
一緒に遊んでた仲間たちがひとりふたりと抜けて行き、ふたりだけになって遊具は貸し切り状態。遊びたいふたりに時間は関係ない。学校やお家の人との約束事はすっかり忘れてただ遊ぶ。お腹が空いても遊びたい。昨日も今日も、きっと明日もそうする。毎日同じかもしれないけれど、毎日楽しいのも変わらない。気の合うふたりはいつも一緒。保育園の頃からそうだった。
ところが今日はいつもと違った。校庭の雲梯にうっかりランドセルごとはまり、何とかそこから抜け出そうとするも、普段の無表情スタイルが見事に崩れてクスンクスンと泣く始末。友だちの泣く姿は余計にこの世の終わりの不安を漂わせ、自分も泣きたくなってくる。これは「放課後学級からの下校は、速やかに帰宅をすること」の決まりを破った報いだ。
「俺はここで一生暮らすんだ」
「待ってろ誰か呼んで来る!」
自分たちではラチが明かないと、友を助けるためにひとりで飛び出す虹生。その背中を遊具から見送る旺汰。ひとり取り残され泣きながら見る夕日に、こんなに切ない夕日は未だかつてなかったと涙がまた頬を流れる。
「虹生早く帰ってきてくれ~」
心細さは友の名前が呪文のようにオノレの口を出る。一生ここで暮らすとは言っても、ひとりではまだ何もできない小学二年生。
「ナナオ~~~(涙声)」
「旺汰!!」
「虹生!」
友の姿がこんなに自分を安心させたことがあっただろうか。いつもなら簡単に見せない涙も、彼の前では素直になれる。意地を張ってる場合ではないのだ。長かったような短かったような、この誰にも見られたくない憐れなオノレの今の姿。早くここから抜け出したい。
「今すぐ出してやる!」
先ほど虹生がここを離れた時、誰かを呼びに行ったものだと旺汰は思っていた。けれど虹生の他に、誰もいない。そして手に持っているのは、その辺で拾ったような棒。こんなことがなければ、中々立派で魅力的ではある。
「これでやってみよう!」
虹生……それでなにをするつもりだ……。旺汰に湧く新しい不安。焦る虹生は、親切そうな人を見つけることに失敗したのだ。その代替に勇者ごっこで役に立つ、この棒。まだ少年はいとも簡単に、その棒に願いを託す。
「くそう!」
赤い夕日がうすい藍色を乗せ始め、空にカーカーとカラスの声が重なる。それに合わさる悔しがる友の声。拾った棒はやはり役には立たなかった。
雲梯には敵わない。ふたりの少年の夢と希望は儚く散った。
「旺汰!オレがずっとそばにいる!約束するから負けるな!!」
この悪夢のような出来事は、空腹がきっかけで収束する。自宅に食べ物を取りに行った虹生。異変に気付いた虹生母が、旺汰がはまってる雲梯に同伴到着。無事、脱出を果たす。
きつくなった靴を履き替えるように、いくつもの出来事に上書きされ、引き出しの奥の方に行ってしまったふたりの記憶。
けれど幼い日の約束はそのまま守られている。
「おはよーナナくん……おや、君は濡れてないね」
「降ってくる前に着いたからね……なんかいつもと違うくない?あー!アタマだ!」
ゆるふわカールのくせっ毛が、雨ですっかり潰れて別人のようになっていた。毛先から滴る水滴を、本人の持ち物にしては不似合いなタオルであてていた。夜のように感じる照明の点いた教室で、そのタオルだけが鮮やかに映る。タオルの本当の持ち主は、きっと恵風だろうと虹生は思った。
「エッちゃんは大丈夫なの?」
「イヤ~~エッちゃんには感謝だよ 今朝の天気予報見て、俺の靴下まで用意してくれて、玄関で替えてきたよ助かった~~」
「エッちゃんって、オマエの靴下まで持ってるの?」
「結日の靴下コッソリ持って来たんだって……今度お礼しないとな……」
「いや……そのまま洗濯もしないでいいとオレは思うな ユイヒだろ?喜ぶんじゃない?」
「その冗談はヤメテ!」
「アッハッハッハッハッ…」
忠告を面白半分で聞いていた、みんなで湖畔まで遠出したあの日からだ。ここにはいない恵風を瑞月から感じることに、虹生は以前はなかった苦しい感情を抱くようになった。反対側で、その物憂いは悪のようにのしかかる。
理由もなくそんなおかしなことが、現実にあるわけがないと、頭では分かっている。
では、その”理由”とは……。
長い年月を一緒に過ごした馴れ合いは、それを知らないまま大人になるはずだった開かれる予定のない扉の中に、入ってしまうキッカケにもしてしまったのは自分たち。もてあました時間の中で、同性だからの遊びと好奇心が混ざったような始まりは、やがてふたりだけの堅い秘密になって繰り返されるようになる。そこに何かしらの感情までも、ましてや自分にその変化が起きるなんて思いもしなかった。きっとそれはふたりとも同じ。
道を踏み外したわけではない――
旺汰はそれを自分の特別な感情であることと虹生に言葉にして伝え、虹生はその特別を戸惑いながらも受け入れた。
🌱
朝の土砂降りがウソだったように帰りは澄んだ青空が広がり、そこかしこに出来ている水たまりは、真上にある空を映している。
すっかり乾いた長い髪が夕方の風に乗ってゆっくり揺らぎ、髪が夕日に透ける様子に目を奪われる。彼女は笑っているけれど、それは自分のためのものではない。夕空に両腕を伸ばし空を仰ぐように胸を広げた彼女を、誰にも気付かれないようにそっと見る。隣にいる彼とクラスの出来事でも話ているのだろうか。重たいカバンの一日が終わって、開放感一杯でふたりで笑い合っている。
そして校門を抜け、向かう先が反対の自分たちはお互い背を向ける。
聴いていた音楽からまだ離れたくないように、後ろを振り返りたくなる。何でもない。見たかったものも、手に取りたいものも別にない。いつもの見慣れた景色のはずだ。
(見たかったものってなんだろう)
それははっきりさせなくてもいいものだ。自分はいつも通りにするだけ。違うことをすると、それは途端に周りを狂わせてしまうから。
そのいつも通りが、重くのしかかるように感じるのはなぜだろう。
また明日ね……
向き合えない感情に蓋をするように、届かない言葉を胸の中で言った。
🌱
「わあ!まだあった!」
恵風が以前描いたイタズラ描きが、瑞月の机面にそのままで残っていた。風化されずに状態良く残っているのは、この席の主の日頃の扱いと思い入れのせいと、前の席の虹生はその様子をずっと見ていて知っている。恵風への想いを彼から感じるのは、この机の絵だけじゃない。ふたりはお互いどちらかが不在でも、必ず自分の中に存在を置いている。
それは自分も同じことなのに。
「消しちゃうの?大事にしてたみたいだよ藤井」
「やだよ恥ずかしい」
”ダイちゃん”と書かれたその犬の絵が、瑞月の机から姿を消して行くのを、複雑な心境で虹生は見ていた。
「藤井に聞いたんだけど、その”ダイちゃん”って藤井の家の…」
「そうゴールデンレトリバーすっごくかわいいんだよ……って、ゴールデンレトリバーに見えてたかな」
「”かわいい”は君なんじゃない?」
「ちょっとナナオくん、ミズキみたいなこと言わなくていいから」
「クスッ…藤井なら言うだろうな~ってさ」
「やめて!」
「クスッ…」
安定しない心緒は後悔や失敗を作り出すことがある。放課後の誰もいない教室にいつかのように恵風を呼んだ。恵風はバスの時間まで瑞月の席に座り、その前の席には虹生が座る。自分の中に矛盾を感じたのはすぐのことだった。
近頃の自分はどこか壊れてしまったようだ。自分の中で行ったり来たりと落ち着かず、迷いのまま不安定でいる。
それはどうしてか――虹生はその理由を分かっている。ただ自分で認めていないだけ。
「旺汰、遅いなーちょっと見てくるか……」
どちらも戻らないまま先にやって来たのはバス時間。なにかを言い残しているようにこちらを向いたままの虹生が座っていた椅子を見ながら、釈然としない”一抜け”に恵風は感じた。
明くる日、浮かない表情で”ふたり”を見つめる恵風に瑞月が気付く。
「どうかした?」
「なんか奇妙を感じる……気のせいかな」
「なに?どうして?」
「んー分かんないけど……なんかいつもと違うような気がしただけ」
「ふーんそうかな……変わんないと思うけど……ちょっと気をつけて見てみるよ」
それでも――と瑞月は静かに思い出す。
半端な気持ちで入り込むことは、やめておいた方がいい。友だちでも、踏み込み過ぎもいけない。それは昔ソバカスの少年が教えてくれたこと。
頬が緩くなるような毎日だといい。いつか恵風が言った、”好きを言い合える相手が自分のそばにいる”のは幸せなこと。だから自分の”好き”は大事にしたい。それは自分のチカラになる、自分の本当の気持ちだから。
誰かのその邪魔をするのもいけないことなのだ。
🌱
知らない言葉や初めて見る物、一緒の時間を長く過ごし、自分の周りのそれらをふたりはカラダを大きくしながらどんどん取り込んで行った。それはもしかしたら、お互いのこともそうしていたのかもしれない。存在が別々の世界を想像したこともない。離れるなんてなおさらに。
成長して行く自分たちに、少しずつ足を忍ばせていたようなものだ。音のしないそれを確かめてみたくなっただけの稚拙な始まり。きっと誰もが同じで、だけど秘密にしていること。どうしてみんな同じで当たり前で普通のことなのに、そんなひた隠しにするのか。そんな疑問を持っていたこともあった。
その成れの果てが、こんなゴミのような”秘密基地”に隠された”ヒミツ”に思えた。自分の中にも存在するゴミのような気持ちを感じていながら、表に出さずにいたのは一番身近な存在が同性だったから。
けれど彼からいつもと違った、自分の知らない気配を感じた時だった。彼の反応を確かめた。自分たちはもうこんなことを知り、出来るくらいに大きくなった。初めて他人と合せる唇だけど、きっとカウントはしないキス。
そうやって始まった。
信頼、秘密の快楽、彼とだけ。これはただのセックスじゃない。カラダでする自分たちの”指切りゲンマン”。ずっと一緒の約束。絶頂から分解されたように飛び散る光りの中で、しっかりと存在を感じるのはただひとりだけ。
”指切り?ずっとオレたちは一緒だっていう?”
カラダを使わなくたって、いつの時も自分のトクベツなトモダチなのに。
それがどうして揺らいだように感じるのか。
自分でもいだ羽の痕には、幼馴染を利用したアザがきっとついている。その背中を見て笑ってる者がいるように感じ、不安定になった。周りと自分たちとの間に出来た、秘密の壁が厚くなって行く。けれど苦しんでいるのは自分だけではない。迷いを癒すようにふたりはまた互いの体温を求め、先行きの不安をごまかすばかりでいた。それが春にできたばかりの友だちの言葉が、ふたりの気付きになる。
「好きなら普通でしょ」
大事なことを忘れてしまうほど、自分たちは真剣だった。離れたくなくて自分たちで選んだことだ。後悔はしてない。けれどいつもふたりは探していた。晴れの日の空の下にいるように、ただお互いだけを想うだけでいい日が来るのはいつのことか。
「君たちのことニコニコしながら見てたよ」
それからふたりは、学校でも自分たちの自然を貫くことに決めたのだった。
🌱
いつものバスは乗り損ない、二番目のバスは夕日の中から迎えにやって来る。夕日色の校舎から出て肌で一番最初に感じるのは、動かない空気の中にジッと居続けたから余計に嬉しい開放感。今日一日の縛り付けからやっと許され、カラダ中に巻き付いた紐を解いてくれるそんな気持ち良さ。でも時々いつまでも紐解かれない、そんな時がやっぱりある。
遠くから聴こえて来る誰かの声、ホイッスル、楽器を鳴らす音、全部自分たちのものだ。けれどここにはひとりだけ仲間ハズレの影法師。そんな誰にでも分かるようなことを、いつも心の中に置いてるわけじゃない。みんなそれぞれ内側に何かを持っている。一緒にいながら、考えてることはみんなそれぞれ。仲良しだからって、それを全部打ち明けなくてもいい。けれど大切に思ってるのは変わらない。口に出さなくてもいつも思っている。いつも存在を忘れない。なにかの時はすぐそばに行く。
胸の中にも通り抜けて行くような心地よい穏やかな風が流れ、木々の葉を揺らすサラサラ聴こえて来る自然の音楽は、時間までゆったりと進ませているようだ。その景色に彼は解けているように自然だった。
「 藤井 」
「 なに?…・・・!!」
夕焼け雲が薄っすらと掠れ青空と混ざり合ってる景色の中、ふたりは唇を合わせた。
それまで聴こえていた音がどこかに連れて行かれたように静かで、ふたりの姿が景色に解け合い、恵風は奪われたように見惚れた。
「オマエに”オレのも”渡したから……」
「え?……」
「じゃ、また明日!」
「お……俺もお前に渡していいか……?」
それまで張り付いていた氷が一気に溶けたような表情の虹生に続き、動揺する瑞月の前に現れたのは三島。たった今、彼の恋人から理不尽な目に遭ったばかり。瑞月は何が何だか分からぬまま三島を跳ね返し、拒絶されたショボクレの三島を残し、ちょうど到着したバスに瑞月は恵風の手を掴んで逃げ込むように不可解共々置き去りにした。
「エッちゃん、君の勘はあたったみたいだね……確かに奇妙だ 一体ナンなんだ……!」
遠くに広がる青とオレンジ色の景色に向かって並んで歩くふたりの後ろ姿を、恵風はバスの窓から見た。答えを出した虹生と、素早くそれに気付き、便乗を図った旺汰。その中身を恵風も瑞月も知らなくても良いことだ。
そして――
明日はどうか平常でありますように……と、瑞月は震え願うのだった。
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一緒に遊んでた仲間たちがひとりふたりと抜けて行き、ふたりだけになって遊具は貸し切り状態。遊びたいふたりに時間は関係ない。学校やお家の人との約束事はすっかり忘れてただ遊ぶ。お腹が空いても遊びたい。昨日も今日も、きっと明日もそうする。毎日同じかもしれないけれど、毎日楽しいのも変わらない。気の合うふたりはいつも一緒。保育園の頃からそうだった。
ところが今日はいつもと違った。校庭の雲梯にうっかりランドセルごとはまり、何とかそこから抜け出そうとするも、普段の無表情スタイルが見事に崩れてクスンクスンと泣く始末。友だちの泣く姿は余計にこの世の終わりの不安を漂わせ、自分も泣きたくなってくる。これは「放課後学級からの下校は、速やかに帰宅をすること」の決まりを破った報いだ。
「俺はここで一生暮らすんだ」
「待ってろ誰か呼んで来る!」
自分たちではラチが明かないと、友を助けるためにひとりで飛び出す虹生。その背中を遊具から見送る旺汰。ひとり取り残され泣きながら見る夕日に、こんなに切ない夕日は未だかつてなかったと涙がまた頬を流れる。
「虹生早く帰ってきてくれ~」
心細さは友の名前が呪文のようにオノレの口を出る。一生ここで暮らすとは言っても、ひとりではまだ何もできない小学二年生。
「ナナオ~~~(涙声)」
「旺汰!!」
「虹生!」
友の姿がこんなに自分を安心させたことがあっただろうか。いつもなら簡単に見せない涙も、彼の前では素直になれる。意地を張ってる場合ではないのだ。長かったような短かったような、この誰にも見られたくない憐れなオノレの今の姿。早くここから抜け出したい。
「今すぐ出してやる!」
先ほど虹生がここを離れた時、誰かを呼びに行ったものだと旺汰は思っていた。けれど虹生の他に、誰もいない。そして手に持っているのは、その辺で拾ったような棒。こんなことがなければ、中々立派で魅力的ではある。
「これでやってみよう!」
虹生……それでなにをするつもりだ……。旺汰に湧く新しい不安。焦る虹生は、親切そうな人を見つけることに失敗したのだ。その代替に勇者ごっこで役に立つ、この棒。まだ少年はいとも簡単に、その棒に願いを託す。
「くそう!」
赤い夕日がうすい藍色を乗せ始め、空にカーカーとカラスの声が重なる。それに合わさる悔しがる友の声。拾った棒はやはり役には立たなかった。
雲梯には敵わない。ふたりの少年の夢と希望は儚く散った。
「旺汰!オレがずっとそばにいる!約束するから負けるな!!」
この悪夢のような出来事は、空腹がきっかけで収束する。自宅に食べ物を取りに行った虹生。異変に気付いた虹生母が、旺汰がはまってる雲梯に同伴到着。無事、脱出を果たす。
きつくなった靴を履き替えるように、いくつもの出来事に上書きされ、引き出しの奥の方に行ってしまったふたりの記憶。
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