42 / 71
ラムズ公爵
しおりを挟むラムズ公爵は王宮を出て公爵邸へと馬車を走らせていた。
建国祭。
思いがけない話だった。
大掛かりな祭典となるようだが、今回は皇太子の問題もあるし、他の国々を招くことはせず、国内でのみ行うらしい。
そしてその日程は、ちょうどランドル皇子が行方不明となって一年となる五月の十日と重なっていた。
他国を招待しないというのは、よかったが、しかしこれは大変な催しだ。準備は間に合うのだろうか。間違いなく忙しくなる。
ラムズ公爵は目を閉じた。
ラムズ公爵……オークリー・シア・ラムズは、皇帝グラディス・アーク・シアドラー陛下と幼馴染だ。年も同じで、オークリーはずっとグラディス皇帝の一の騎士だった。
グラディス皇帝が結婚されてから、ラムズ公爵も妻を娶り、それぞれの子供達も知っている。
カーシー皇太子が亡くなったのは四年前。ランドル皇子はたしか十六だったはず。
ランドル皇子がカーシー皇太子を毒殺しただと?
馬鹿げた話だ。
公爵は顔をしかめた。ランドル皇子は物静かな方だ。だが暗い性質という訳ではなく、無闇にはしゃぎまわらないだけで、賢く真面目な方だ。
兄の事を妬んだり、貶めようとする方ではない。むしろ、兄の皇太子に憧れ尊敬している、そんなふうに見えた。
兄弟喧嘩をなさったりしたのも見たことがない。間違っても兄を亡き者にするなどとは考えられなかった。
今回の馬鹿げた噂は、一体誰が流しているのか。
そして、同じくらい……、嫌、それ以上に馬鹿げているのが我が娘のラティーシャだ。
ランドル皇子の行方が分からなくなってすぐ、ラテイーシャはネイハム殿下と婚約したいと言い出した。
ランドル皇子は許嫁とは名ばかりで冷たく、女性に関心がないのではないかとずっと思っていた。
その点ネイハム殿下はとても優しく自分を大切にしてくれると。
とんでもないと、公爵は娘を叱った。
行方不明の皇太子から新たな皇太子へと乗換える。そうとしか見えない。と。
しかも、ネイハム殿下には婚約者がいるのだ。
しかし、ラティーシャはそれのどこが悪いと開き直った。
あの時の娘は、父親であるラムズ公爵に向かって恐れげもなく詰め寄った。美しく、たおやかな娘と思っていた公爵は、正直驚いた。
「今までラムズ公爵家から多くの皇后が出ているのは事実しょう?
そして今この帝国で一番皇后にふさわしいのは私です。
ネイハム殿下が皇太子になるのなら、最も相応しいのは私なのです」
公爵は呆気に取られた。
「それにネイハム殿下と婚約者の間にはもう婚約破棄の話が決まっております。
お相手の令嬢も、すぐに了承なさったと伺っています。ネイハム殿下が皇太子になるとの噂で、ご自分は皇后の器ではないとお分かりなのでしょう。
お父様は、なぜ反対なさるのですか?
私が皇太子妃、未来の皇后になるのが喜ばしくないのですか?
私、何かおかしいことを申し上げておりますか?」
畳み掛けるように訴えるラティーシャに驚きながら、それでもかろうじて表情は崩さず、公爵は「ダメだ」と言った。
言い分はわかった。
だが、ランドル皇子の生死がハッキリと分かるまでは、決してそんな話はしてはならない。
そう言い聞かせた。のに、なぜこの話が巷で噂になっているのか。
皇帝がこの話を不快に感じていたのは間違いない。
公爵は思わずこめかみを揉んだ。
ランドル皇子が行方不明になってから、仕事が山積みだ。
疲れが溜まっているのか、考えがうまくまとまらない。
様々な話の断片が浮かんでは消えていく。
カーシー皇太子……。
ランドル皇子……。
ネイハム殿下……。
ラティーシャ……。
建国祭……。
そうだ。
あの扉。
石が……。
あの扉の話。
石が光り出したと聞いて、他の諸侯は不審な顔をしていたが、ラムズ公爵は、その有様をすんなりと思い浮かべる事が出来た。
昔……、十何年か前、やはり大きな晩餐会があの部屋で催されたとき、……見たような気がするのだ……。
石が光るのを……。
……。
いやいや。
公爵は頭を振ってその考えを振り払った。
見たとしたら、なぜ自分だけなのだ。
あそこには、他にも大勢の人がいた。
……そう、あの時自分は酔っていたのだ。
他国の客人が献上した珍しい酒を呑みすぎてしまい……、朦朧としていたのだ。
だからきっとおかしな夢を見たのだろう。
扉の石が淡く光っていた……などと。
そして、自分があの扉をくぐって向こう側へ行った……などと……。
ない。
そんな事はない。
だいたいあんな小さな扉をどうやってくぐると言うのだ。
やはり夢だったのだ。
だから、もちろん扉の向こうで世にも美しい女性と出会ったなどというのは……。
その女性、エイディーンを連れ帰り側室にしたなどというのは……。
それは夢だ。
おかしな話だ。
エイディーンはあの晩餐会に来ていた他国の姫だったのだ。間違っても扉の向こうから連れてきた訳ではない。
どこの国の姫なのか……。
エイディーンはそれを聞くと、いつもはぐらかし、はっきり答えてくれなかったが、エイディーンもまた、公爵と一緒になることを望んでくれたのは事実だった。
だから……。
そこで公爵は、エイディーンが産んだ娘、フェリシアのことを思い出した。
エイディーンを心から愛していた。
グラディス皇帝に少し遅れて娶った妻アイラは、幼い頃から結婚相手と決まっていた。
優しく可愛らしいアイラ。彼女のことを嫌っていたわけではない。本当に大切に思っていた。
テルシェはあれの実家ダイアス伯爵家からのあまりの押しに、根負けした形で側室にした。
どちらも大切な妻だったが、……だが、恋ではなかった。
エイディーンに会ってそれがわかった。
エイディーンが突然姿を消した時、公爵はあまりに辛く、考えるのをやめてしまった。
フェリシアを見ると、どうしてもエイディーンを思い出してしまう。
もしかしたら、この子を産んだ、それが原因で消えてしまったのか。
出産が重かった。それで体を壊したのか。
それで実家か……どこかへ消えたのか。
フェリシアを見たくなかった。
エイディーンのことを思い出したくなくて、フェリシアのことも考えないようにした。
フェリシアのことはアイラに任せ、アイラが亡くなったあとは、夫人となったテルシェに任せきりだった。
天疫痘に罹ったと聞いた時も、テルシェに費用だけ渡して任せきりにした。
命は助かったものの、痕が残りずっと寝たきりだという。
最後にフェリシアに会ったのはいつだっただろう。
体が辛いからと、家族が集まるような日でも、姿を見せなかった。
あの子は今どうしているのだろう。
エイディーンに与えたあの緑の館。あそこにいるはず……。
ラムズ公爵は本当に久しぶりに、館を訪れてみようかと思った。
0
お気に入りに追加
519
あなたにおすすめの小説
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。
せいめ
恋愛
メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。
頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。
ご都合主義です。誤字脱字お許しください。
聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる
夕立悠理
恋愛
ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。
しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。
しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。
※小説家になろう様にも投稿しています
※感想をいただけると、とても嬉しいです
※著作権は放棄してません
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
転生者はチートな悪役令嬢になりました〜私を死なせた貴方を許しません〜
みおな
恋愛
私が転生したのは、乙女ゲームの世界でした。何ですか?このライトノベル的な展開は。
しかも、転生先の悪役令嬢は公爵家の婚約者に冤罪をかけられて、処刑されてるじゃないですか。
冗談は顔だけにして下さい。元々、好きでもなかった婚約者に、何で殺されなきゃならないんですか!
わかりました。私が転生したのは、この悪役令嬢を「救う」ためなんですね?
それなら、ついでに公爵家との婚約も回避しましょう。おまけで貴方にも仕返しさせていただきますね?
夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~
狭山ひびき@バカふり160万部突破
恋愛
もう耐えられない!
隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。
わたし、もう王妃やめる!
政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。
離婚できないなら人間をやめるわ!
王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。
これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ!
フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。
よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。
「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」
やめてえ!そんなところ撫でないで~!
夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる