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1部 ヤギと奇跡の器
第23話 敬意と恋心
しおりを挟むまた寝ているときに吐精した。
だから朝は体が軽い。昨日はルイスに迷惑をかけてしまったので、朝食作りを手伝おうと階段を駆け下りる。
そして扉を開いて飛び込んできた光景に足が竦んだ。
「ノア、おはよう。もう体調は大丈夫?」
ルイスの声に、目の前の椅子に座るアシュレイが顔を上げた。その表情がまた僕の恐怖心を掻き立てる。
「ノア、今日も先日の続きを話したいと思ってたんだが、体調が悪いようなら無理せず言ってくれ」
アシュレイの困ったような優しい笑顔に胸がギュッと縮まった。沸かしているケトルからシュンシュンと蒸気の音が鳴る。
「ルイス、昨日はごめんなさい。もう大丈夫だから……その……」
「アシュレイと話したいのはわかるけど、本当に無理しないでね?」
ルイスは笑ってケトルを火から離す。急かされるような音が消え、ルイスが約束だよ? と微笑んだ。
「ノア、今日は参考になりそうな図書を持ってきたぞ」
「アシュレイ様……ありがとうございます……なんとお礼を申し上げればいいか……」
「俺も楽しみだったんだ。仰々しいお礼はやめてくれ」
アシュレイは僕が座る椅子を片手で引いて、微笑む。2人の笑顔がなにか不自然な気がして、僕は促されるまま用意された椅子に座った。
「アシュレイとノアはなにをそんなに研究しているの?」
ルイスの言葉とともに朝食がテーブルに置かれていく。
「別々で研究されていた学問を組み合わせて、王都を俯瞰して観察するのだ。俺もこんな学問は初めてだ。ノアが思いついた新しい学問かもしれない」
「学問なんて……恐れ多いです……」
「すごい! 研究が終わったらアシュレイ、僕にも聞かせてよ」
「ルイスも家事が終われば手持ち無沙汰になるだろう。一緒に研究すればいい」
ルイスはこの時、チラッと僕を見た。
「研究はあまり興味ないよ、結果だけ知りたい」
ルイスがニカッと笑って、それを見たアシュレイが呆れた顔をする。
和やかな食事だった。こんなに幸せな食事はアシュレイがいる時にしか経験がない。だから僕はまたあの昂りが襲い、自分の卑しさがバレてしまうのではないかと気が気ではなかった。
日が塔の真上に移動して、窓の外の景色が鮮明になる。僕は夢中でアシュレイの話に聞き入り、メモを取っていた。この塔が湖面に建設されている理由が水を介して魔力を送っているからだと知り、夢中で王都の水路を書き写した地図に記入していった。
「ノアは勤勉だな」
地図から顔をあげると、明るい光がアシュレイの綺麗な紅と藍の瞳を鮮明にしていた。
「アシュレイ様のような学のあるお方と話したのは初めてで……とても光栄に存じます……」
「俺が幼い頃はこんなにも学問に興味はなかった。特に王都を見た程度でこんなに好奇心は湧かなかった。ノアには素晴らしい才覚がある」
「そ……そんな……。アシュレイ様は……こんなに博学なのに……どうして騎士を志したのですか……?」
アシュレイに恐れ多くも質問を投げかけると、紅と藍の眼がゆっくりと細くなる。
「どうしてだと思う?」
本当にわからなかったから質問をしたのに、アシュレイは嬉しそうに僕に質問を返す。その表情に、胸がぎゅうと縮まり、変な気持ちが暴れ出さないよう胸の辺りの服を握った。
「アシュレイ様のお話を拝聴していると……防御に重きを置かれているように感じます……四方周辺国の政治や経済にもお詳しく……まるで戦わずしても……」
戦わずしても勝てるよう思案しているようだった。でもアシュレイは剣をとり、兵卒から異例のはやさで士官に上り詰めたとルイスから聞いた。
僕が変なことを言ってしまったのか、妙な間が横たわる。俯き自分の発言に不備があったかと考えあぐねていたら、アシュレイの方から息が漏れる音がした。そして次の瞬間、僕の頭にアシュレイの手がのっかり、そのまま柔らかく包まれた。
「ノアは、軍事の才能もある。それに比べ、俺が軍を志した理由は半分くらいは軽薄なものだ」
「あ……お……教えて……いただけませんか……?」
「恥ずかしいだけだ。これ以上俺を追い詰めないでくれ」
恐る恐るアシュレイを見ると、さっき以上に嬉しそうに笑っている。僕の心臓が爆発しそうなほど激しく脈を打ち、あの衝動が暴れ出さないかと心配になった。
「あの……! いただいた香を……毎日焚いております……! 一緒にいかがですか……?」
僕が立ち上がろうとすると、アシュレイは僕の腕を掴んだ。その反動でよろめいて、アシュレイの胸に飛び込んでしまう。
「あ……あ……申し訳……ございません……!」
「いや、俺こそ急にすまない」
アシュレイはそのまま僕を抱きしめて、背中をさすってくれる。
「まだ……香はなくならないか……?」
「はい……毎日一個ずつ……あの……」
「そうか……気に入ってくれたのだな……」
あまりの衝撃にうまく言葉が出なくなって、アシュレイの胸の中で何度も頷いた。
「今日は焚かなくていい。午後も一緒に居てくれるか?」
僕は頭が真っ白になって、自分の衝動への恐れなど吹き飛び、今胸を焦がす感情に流されるまま頷き続けてしまった。
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