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本編

第26話 朝の会議

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居間のソファでうたた寝しているあいだに、夜が明けてしまった。眠りが浅かったせいか体は怠く、いつもよりもはやい時間に目覚めた。

あれから、宮間さんからの連絡はなかった。それを確認したついでに、権藤さんにメッセージを送った。クロはオメガで、昨日の騒ぎは多分ヒートによるものだと。そして今日はバイトを休ませると謝罪の言葉で締めた。

クロが宮間さんに噛み付いたことは書けなかった。

俺は今日1日分の食事を作って鍋ごと部屋に運ぶ。クロは珍しく寝ていた。俺が鍋とスプーン、ヒート抑制剤を置いたら、キュンキュンと鼻を鳴らしはじめる。

「クロ、今日はおじちゃんの仕事はお休みにした。俺が帰ってくるまで家を出るな」

クロは俺に頭を撫でてほしそうに俺の太腿に顔をなすりつける。

「クロ。今日のご飯はここに置いておくけど、飲み物は自分で飲みにいけるか?」

「キューン、キューン」

「じゃあほら、薬飲め」

俺はクロの行動になにひとつ反応せず、連絡のみに徹する。そしてクロの口に薬を放り込んだら、部屋を出た。

この部屋に外鍵はない。そして玄関もその気になれば開けっ放しで外出することはできる。

規則は故意に無力だ。いざとなればクロは約束を破って家を飛び出すこともできるだろう。でもクロがそう望むならば、それでいいような気がした。あの日のように。

1階に下りた時、外で聞き覚えのあるエキゾースト音が聞こえた気がする。特に気に留めずに出社の支度をし終えた時に、スマホが鳴った。



「新名さん、な、なんだかすみません。すぐに、どうしても会って話したくて……」

「い、やぁ……俺、こんないい車に乗ったのはじめてですよ」

朝、宮間さんからのメッセージは、家の前にいる、というものだった。外に出てみればこんな住宅街に似つかわしくない高級車と、美人が待ち構えていた。近所の人はなんかの撮影かと騒いでいたぞ。

「別に新名さんを疑ってるわけじゃないんだ。ちょうど香織を送っていくし、効率的かと思って。私も聞きたかったしな」

迫力派美人が得意げにバックミラーを見る。昨日聞きそびれたが、きっとこの2人は付き合っているのだろう。しかもアルファの桐生さんが溺愛していると見た。

「新名さん、昨日クロ君は大人しかったんです。ずっと新名さんが帰ってくるの楽しみにして……。でも、またあの質問をされたんです。私は新名さんのお母さんになるんでしょ? って」

駅の応急救護室の光景がフラッシュバックする。忘れもしない、その言葉で俺と宮間さんが固まったことを。

「母さんって……」

「私もそのお母さんというのがよくわからなかったんです。でもきっと、番のことなのだろうと思ったから……その……本当に他意はないんですが……」

宮間さんは途中からチラチラと桐生さんの顔色を窺い、遂には黙ってしまった。

「香織、ちゃんと正直に話せ。もはや私たちだけの問題じゃないんだぞ」

宮間さんは何回か息を吸っては吐き、勢いづけた。

「新名さんにその気持ちがなければ、そういう風にならないって。あの! 私にその気がないって! そうストレートに言うのは、おこがましいと思っただけで……!」

「ああ、新名さん。今のは嘘だよ。香織は新名さんに気があったんだ。香織は男のアルファと番いたいんだもんな」

桐生さんは涼しい顔で爆弾を投下し、収拾がつかないほど邪悪な空気が3人のあいだに広がった。近年稀に見る焼け野原。朝から過酷すぎるだろ。

「それで。クロ君とやらは、なぜ怒ったんだ」

この空気の責任をとる形で桐生さんは宮間さんに問う。

「クロ君は執拗に、宮間さんは新名さんが好きなのかって、新名さんの番になって子どもを産んでくれるかって、その時点からクロ君はちょっとおかしくて、少し怖いと思ってたんです……」

「ああ、新名さん。ちょっと補足すると、香織はね。オメガであることから逃げ出したいんだよ。だから運命とか、出産とか、アルファなら女でもいいとかそういうのに嫌悪を感じるんだよな」

桐生さんはまた小型の爆弾を投下していく。もう焼け野原には草一本生えていないぞ。

「クロ君が宮間さんがいい、俺のこと臭いって言わない、3人で暮らしたいって、どうにもならなくなってしまって……。だから、お母さんにはなれないって言ったんです。それで確証は持てなかったのですが、もしかしてクロ君はオメガなのって聞いたら……そうしたら俺はオメガじゃないって……」

逆上して間宮さんに襲いかかった。車の中の全員が顛末を知ったが、同時になにひとつ理解できなかった。

ちょうど都心に向かう橋の手前で渋滞が起こっていた。無音になってしまったのもあって、桐生さんはラジオを小さな音量で流しはじめた。

「クロ君はなんでそんなにオメガが嫌なんだ」

桐生さんの素朴な疑問は、昨日からずっと俺の頭の中で堂々巡りだった。

「そういえば、権藤さんはなんでクロのヒートに気づかなかったんですかね……。男なのに……」

袋小路の中でどうでもいい疑問を口にする。しかし、権藤さんの第一報の狼狽え方がヒートのそれではない気がしたのだ。

「私も新名さんのお宅でそれを考えたんですが……お店にクロ君を迎えに行った時の第一印象は花の匂いで……。もしかしたらクロ君の匂いは花の匂いで紛らわされてたのかなって……」

「それよりも、新名さんはなんでクロ君がオメガだって気づかなかったんだ? 昨日新名さんだけだぞ。クロ君がオメガじゃないって思ってたの。もしかしてオメガの匂いがわからないのか?」

桐生さんの質問に、なにかひらめきのようなものがあったがすぐに消えた。

「いえ……母が発情期中に自殺してから、オメガの匂いを嗅ぐだけで吐き気が……。だから嫌でもわかります」

場の雰囲気を弁えない唐突な告白に、車の空気が一気に重たくなる。その無音の中で思う。

俺がオメガの匂いに耐性がないと知っていたら、クロは自分がオメガであることを隠したかもしれない。でもそれならば、なぜ宮間さんと俺が番になれと迫るのだ。結局堂々巡りになってしまい、車内が静寂に沈む。その時だった。

『緊急速報です。先日、公安調査庁の立ち入り検査を実施した研究施設から、被験者となった元ペットたちが無事保護されました。保護された元ペットたちは衰弱しており、身元特定までに時間がかかる見込みです』

「桐生さん! ちょ、ちょっとニュース音量上げてもらっていいですか?」

桐生さんは突然騒ぎ出した俺にびっくりして必要以上にボリュームのつまみを回した。
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