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本編
第23話 クロの異変
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画面に権藤さんの名前が見えたら、なんだか胸騒ぎがして、宮間さんへの了承もそこそこに通話ボタンを押してしまう。
「権藤さん? どうしたんですか?」
『ハルチカ……すまん、クロが午前中から具合悪そうだったんだけど、昼休憩に入ったらトイレから出てこなくなって……』
「え!? クロは……呼びかけには応答しますか?」
『呻き声と、時々鳴き声みたいなのは聞こえるんだが……呼んでも返事はしないし。こんなこと前にもあったか?』
「いえ……そんなトイレに籠もるなんて……クロが入ってからどのくらい経ちましたか?」
『30分くらいだから……俺が心配しすぎかもしれない……いや! 今から鍵外から開けてクロを出してみる。場合によっちゃ……いや……』
「俺も今から……!」
自分で言いかけて、午後に大事な会議が入っていることを思い出す。商談な上に先方が足を運んでくれているのだ。
『ハルチカ。すまん、俺の勘違いかもしれないからとりあえず、あとでまた連絡する』
通話が一方的に切られた。
「クロ君になにかあったんですか?」
「なんか……なんで……」
完全なるパニック状態で、頭が整理できない。
「新名さん、午後の商談新名さん担当ですけど、伏見さんに交代できませんか? 補佐役ですよね? 伏見さんだったら……」
「伏見は外回りだ……」
だから今日この不人気な社食に来た。
「もしよろしければなんですが、私が代わりにクロ君のところに行きましょうか? 今日申請予定の書類は全て終えていますし、隣の駅なら土地勘もあります。クロ君急病かもしれないんですよね?」
「そ……そんな……」
「私はまだヒート期間中です。先週に新名さんが産業医のヒート抑制剤に記入してくれたおかげで客観的にもヒート休暇が証明できます。とりあえず執務室へ向かいながら話しましょう」
普段の彼女からは考えられないほど的確に、俺の抱えている憂いを打ち消しながら、テキパキと手続きを進めていく。そして権藤さんとのグループチャットも素早く作って、全ての進捗をすべてここに記入していくと、突きつけた。
彼女と俺が執務室に着く頃には、俺がイエスといえば済むまでにすべて段取りされていたのだ。
「宮間さん……本当に……ありがとう……俺は……」
度胸のなさと決断力の鈍さを痛感する。
「新名さん、じゃあ行ってきますので、スマホはサイレントにしていつでもメッセージを見られるようにしてください」
「俺も、商談が終わったら午後休をもらってすぐに行くから!」
「はい!」
彼女は笑顔をこぼして軽やかに退勤した。しばらく呆然としていたが、これで商談までまとまらなかったら宮間さんに申し訳が立たない。いったんクロのことを頭から追い出し会議の準備に取りかかった。
会議は14時からだったが、こんなに時間が長く感じたことはない。そのフラストレーションのせいだろうか。商談がはじまったらはじまったで、鬼気迫るプレゼンが功を奏し、予定の何倍もはやく終了した。
商談がまとまり、雑談をしている時に宮間さんから第一報があった。クロが病院に行くことを拒んでいる。クロだけならまだしも、権藤さんまで病院に連れていくことを躊躇っているとのことだった。
そして会議が終わったら権藤さんから個別でメッセージが入っていた。内容は俺も心のどこかで気にしていたことだった。
──クロは犬だったことがバレるから病院は嫌だっていって聞かない。それにどこも痛くないと言っている。
犬だとバレるバレないもそうだが、クロをクロと証明できるものがなにもないのだ。健康保険証もなければ、身分証明書も、なんなら戸籍もない。クロを隠し通すことなんて不可能だという現実が突きつけられる。
俺は先方をエレベーターまで見送った帰りに、あいている会議室に飛び込み、権藤さんに電話をする。
『ハルチカ! よかった。宮間さんが来たら、クロは安心したのかちょっとは落ち着いたよ! 何度かトイレに行ってるけど、出てこなくなることはなくなったぞ!』
俺は今までの恐怖と不安を吐き出すようにため息をついた。
「よかった……宮間さんに代わってもらえます?」
『新名さん! クロ君は少し熱っぽいですが、どこか痛いわけでも苦しいわけでもないようです!』
宮間さんは仕事や自分のことなどそっちのけで、クロの状態を報告する。俺の安心を第一優先で簡潔に説明してくれた。その声に、ジーンと胸に温かいものが広がる。
「宮間さん。本当に、本当に助かった。今から早退するから、もう少しだけ待っててもらえないかな? クロは宮間さんといると安心するみたいだし」
『はい! あの、クロ君大丈夫だと言っているのですが……その……。横になったほうがいいかと思いまして。私も新名さんのお宅にお邪魔してもよろしいでしょうか?』
「なにからなにまでありがとう。鍵はクロが持ってるから……申し訳ないけどクロをよろしくお願いします」
『私も普段こうやって助けられているから……ちょっと耐性があるだけなんです。だからあまり気にしないでくださいね』
少しの沈黙のあと通話が切られる。俺はそのあいだ中、言葉を発することができなかった。
最後の宮間さんの言葉に救われ、胸が軽くなったのだ。なぜそう思ったのかはこの時整理できなかった。しかし俺が長年見て見ぬ振りを続けたこの感情を、このあと思いがけない形で対峙することとなる。
「権藤さん? どうしたんですか?」
『ハルチカ……すまん、クロが午前中から具合悪そうだったんだけど、昼休憩に入ったらトイレから出てこなくなって……』
「え!? クロは……呼びかけには応答しますか?」
『呻き声と、時々鳴き声みたいなのは聞こえるんだが……呼んでも返事はしないし。こんなこと前にもあったか?』
「いえ……そんなトイレに籠もるなんて……クロが入ってからどのくらい経ちましたか?」
『30分くらいだから……俺が心配しすぎかもしれない……いや! 今から鍵外から開けてクロを出してみる。場合によっちゃ……いや……』
「俺も今から……!」
自分で言いかけて、午後に大事な会議が入っていることを思い出す。商談な上に先方が足を運んでくれているのだ。
『ハルチカ。すまん、俺の勘違いかもしれないからとりあえず、あとでまた連絡する』
通話が一方的に切られた。
「クロ君になにかあったんですか?」
「なんか……なんで……」
完全なるパニック状態で、頭が整理できない。
「新名さん、午後の商談新名さん担当ですけど、伏見さんに交代できませんか? 補佐役ですよね? 伏見さんだったら……」
「伏見は外回りだ……」
だから今日この不人気な社食に来た。
「もしよろしければなんですが、私が代わりにクロ君のところに行きましょうか? 今日申請予定の書類は全て終えていますし、隣の駅なら土地勘もあります。クロ君急病かもしれないんですよね?」
「そ……そんな……」
「私はまだヒート期間中です。先週に新名さんが産業医のヒート抑制剤に記入してくれたおかげで客観的にもヒート休暇が証明できます。とりあえず執務室へ向かいながら話しましょう」
普段の彼女からは考えられないほど的確に、俺の抱えている憂いを打ち消しながら、テキパキと手続きを進めていく。そして権藤さんとのグループチャットも素早く作って、全ての進捗をすべてここに記入していくと、突きつけた。
彼女と俺が執務室に着く頃には、俺がイエスといえば済むまでにすべて段取りされていたのだ。
「宮間さん……本当に……ありがとう……俺は……」
度胸のなさと決断力の鈍さを痛感する。
「新名さん、じゃあ行ってきますので、スマホはサイレントにしていつでもメッセージを見られるようにしてください」
「俺も、商談が終わったら午後休をもらってすぐに行くから!」
「はい!」
彼女は笑顔をこぼして軽やかに退勤した。しばらく呆然としていたが、これで商談までまとまらなかったら宮間さんに申し訳が立たない。いったんクロのことを頭から追い出し会議の準備に取りかかった。
会議は14時からだったが、こんなに時間が長く感じたことはない。そのフラストレーションのせいだろうか。商談がはじまったらはじまったで、鬼気迫るプレゼンが功を奏し、予定の何倍もはやく終了した。
商談がまとまり、雑談をしている時に宮間さんから第一報があった。クロが病院に行くことを拒んでいる。クロだけならまだしも、権藤さんまで病院に連れていくことを躊躇っているとのことだった。
そして会議が終わったら権藤さんから個別でメッセージが入っていた。内容は俺も心のどこかで気にしていたことだった。
──クロは犬だったことがバレるから病院は嫌だっていって聞かない。それにどこも痛くないと言っている。
犬だとバレるバレないもそうだが、クロをクロと証明できるものがなにもないのだ。健康保険証もなければ、身分証明書も、なんなら戸籍もない。クロを隠し通すことなんて不可能だという現実が突きつけられる。
俺は先方をエレベーターまで見送った帰りに、あいている会議室に飛び込み、権藤さんに電話をする。
『ハルチカ! よかった。宮間さんが来たら、クロは安心したのかちょっとは落ち着いたよ! 何度かトイレに行ってるけど、出てこなくなることはなくなったぞ!』
俺は今までの恐怖と不安を吐き出すようにため息をついた。
「よかった……宮間さんに代わってもらえます?」
『新名さん! クロ君は少し熱っぽいですが、どこか痛いわけでも苦しいわけでもないようです!』
宮間さんは仕事や自分のことなどそっちのけで、クロの状態を報告する。俺の安心を第一優先で簡潔に説明してくれた。その声に、ジーンと胸に温かいものが広がる。
「宮間さん。本当に、本当に助かった。今から早退するから、もう少しだけ待っててもらえないかな? クロは宮間さんといると安心するみたいだし」
『はい! あの、クロ君大丈夫だと言っているのですが……その……。横になったほうがいいかと思いまして。私も新名さんのお宅にお邪魔してもよろしいでしょうか?』
「なにからなにまでありがとう。鍵はクロが持ってるから……申し訳ないけどクロをよろしくお願いします」
『私も普段こうやって助けられているから……ちょっと耐性があるだけなんです。だからあまり気にしないでくださいね』
少しの沈黙のあと通話が切られる。俺はそのあいだ中、言葉を発することができなかった。
最後の宮間さんの言葉に救われ、胸が軽くなったのだ。なぜそう思ったのかはこの時整理できなかった。しかし俺が長年見て見ぬ振りを続けたこの感情を、このあと思いがけない形で対峙することとなる。
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