上 下
10 / 34
本編

第9話 変な顔

しおりを挟む
「クロ……怖かったか? もう大丈夫だから。警察に言うのは嫌か? なんか変なことをされたのか?」

クロは俺と目を合わせなかった。いよいよ心配になって、着衣に乱れがないか確認をしてしまう。冷静な目で評価すれば、体はやや筋肉質ではあるが、かわいい顔をしていた。

「クロ……警察に言うのが怖かったら、俺にだけでもなにがあったのか話してくれないか……?」

「もうしません」

唸り声の合間にクロが短く言う。その言葉で頭の中にポッと別の可能性が浮かび上がる。この時まで強盗が入った以外の可能性を思いつきもしなかった。クロにいつのまにかフサフサの耳が生えていて、それがピタッと後ろに寝ていた。改めて部屋中を見渡す。完膚なきまでに荒らされて、ついでに壁紙も一部剥がされていた。

「な……クロが……やったのか!?」

「もうしません」

「怒らないから……ちゃんと……なんで……」

「もうしません」

「怒ってない! クロ……どうして……電気の点け方がわからなかったのか? ご飯が足りなかったか!?」

クロは鼻をピスピス鳴らして尻尾を小刻みに揺らした。

「もう……ハルチカが……帰ってこないって思ったら……どうしたらいいか……わからなくて……」

予想外の回答に今度は俺が黙ってしまう。部屋の状況を見れば、クロがどれだけ混乱と困惑の中で、もがいていたのかはわかった。

「学校が楽しくて……もう帰ってこないのかと思いました……」

不自然に丁寧で、幼い言葉。クロはいたって真面目に言うも、申し訳ないのだが笑ってしまった。でも目を細めて歯茎を剥き出しにしているクロを見ていたら、急に昔のことを思い出した。

学校から帰ってくるとスクッと立ち上がり、ちぎれんばかりに尻尾を振るクロ。晴れの日も雨の日も、俺を待つだけの日々。あの頃のままの感覚で、こんな時間まで帰って来なかったら、俺に捨てられたとでも思うだろう。

「クロ、帰ってくるの遅くなってごめんな。寂しかったよな……。ほら、俺は怒ってないから。その顔はやめよう」

しかしクロはさらに歯を剥き出しにして、鼻にシワを寄せる。一見威嚇しているようなこの表情は、きっと許しを乞うものなのだろう。

なんの情報も与えられず、一人ぼっちで怯えていたのにもかかわらず、クロは俺を責めたりしなかった。それどころか、俺の許しを求めていまだ怯えているのだ。

「クロ……」

もう一度抱き寄せて、頭を何度も何度も撫でる。そうしたら甘えるように鼻を鳴らす音とともに懐かしい匂いがたちのぼり、俺の鼻の奥を刺激した。

しかしそんな感動は、クロの腹の悲鳴でぶち壊された。

「お腹すいたか? 片付けながら、ご飯用意しよう。なにが食べたい?」

「カンのやつ! あ……ネコのやつ!」

「ああ、缶のやつ買ってこなかった、じゃあネコのやつ作るから、一緒に片付けよう」

俺は立ち上がり、部屋をもう一度見渡す。そういえば炊飯器は廊下にあったな、と思い返していたら、クロがぬっと立ち上がり、手が伸びてきた。

「ハルチカ……」

「うん?」

「ごめんなさい……もうしません……」

クロはおずおずと腕を折りたたみ、俺の胸におさまる。込み上げる愛おしさの前では、クロが何者なのかなんて、どうでもいい問題になってしまった。




炊飯器で米を炊くあいだに、部屋を片付けながらクロに説明をする。俺は学校ではなく仕事に行っていること、仕事は学校と違い朝から晩まであること。そして最後に、明日は休みだから散歩でも行こうと付け加えると、クロは無意味に走り回り、さっき片付けたものを服に引っ掛け散乱させてしまった。

「クロ? おいで」

制御不能に陥ったクロを低い声で呼ぶ。クロはまた耳をパタリと後ろに寝かせて鼻をキュウキュウ鳴らす。

「明日楽しみだな。俺はネコのやつ作ってるから、クロはさっきみたいに片付けお願いしてもいいか?」

「はい!」

やけにビシッと直立になったあと、嬉しさが堪え切れないのかニコニコと笑いながら片付けをはじめた。不思議といつまでも見ていられる気がしたが、俺は決めていたことを遂行すべく冷蔵庫を開け放った。

いくら元犬とはいえ、今は人間。このまま炭水化物だけでは栄養が偏ってしまう。だから今日は出来るだけ野菜を入れたオジヤにしてやろうと考えていた。緑黄色野菜や豆類などバランスよく刻んで鍋に放り込んでいく。トントンと刻む音にクロは興味を持ったのか、俺の腰周りにまとわりついた。

「クロ……危ないからあっちにいってなさい」

「ハルチカ、ネコのやつ、作ってくれてるの?」

「そうだ。今日はスペシャルなネコのやつだ。クロがいい子で待ってたから、すごく美味しいの作ってやるぞ!」

「キャウンッ! キャンキャンッキャンキャンッ!」

「喜ぶのはまだはやいっ! クロがちゃんと片付けできたら、明日公園に連れていってやるぞ!」

「キャウッ! ゥォオオオンッ!」

クロは唸り声を上げながら大急ぎで片付けをはじめる。それを見て笑いながら、人生史上最高の栄養バランスを誇る雑炊を作り上げた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】 【続編も8/17完結しました。】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785 ↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

虐げられ聖女(男)なので辺境に逃げたら溺愛系イケメン辺境伯が待ち構えていました【本編完結】(異世界恋愛オメガバース)

美咲アリス
BL
虐待を受けていたオメガ聖女のアレクシアは必死で辺境の地に逃げた。そこで出会ったのは逞しくてイケメンのアルファ辺境伯。「身バレしたら大変だ」と思ったアレクシアは芝居小屋で見た『悪役令息キャラ』の真似をしてみるが、どうやらそれが辺境伯の心を掴んでしまったようで、ものすごい溺愛がスタートしてしまう。けれども実は、辺境伯にはある考えがあるらしくて⋯⋯? オメガ聖女とアルファ辺境伯のキュンキュン異世界恋愛です、よろしくお願いします^_^ 本編完結しました、特別編を連載中です!

幼馴染から離れたい。

June
BL
アルファの朔に俺はとってただの幼馴染であって、それ以上もそれ以下でもない。 だけどベータの俺にとって朔は幼馴染で、それ以上に大切な存在だと、そう気づいてしまったんだ。 βの谷口優希がある日Ωになってしまった。幼馴染でいられないとそう思った優希は幼馴染のα、伊賀崎朔から離れようとする。 誤字脱字あるかも。 最後らへんグダグダ。下手だ。 ちんぷんかんぷんかも。 パッと思いつき設定でさっと書いたから・・・ すいません。

強制結婚させられた相手がすきすぎる

よる
BL
※妊娠表現、性行為の描写を含みます。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

処理中です...