7 / 34
本編
第6話 さまざまな驚愕 ※
しおりを挟む
父も去り、母と祖父も亡くなり、そして友人も遊びに来なくなった我が家には布団がなかった。管理の手間を考えると処分せざるを得なかったのだ。その選択が間違っていたのか。それともクロだけを床に寝せるという罪悪感に勝てず、一緒に寝ることを許したのが間違っていたのか。
「クロ、待て」
「キャゥウッ! もう待てキャゥッ、キャンキャンッ、キャゥンッ!」
体が重く、息苦しくて目を覚ましてみれば、クロは俺の上に跨がっていた。着せたはずのパンツもスウェットも脱ぎ捨て、全裸で。
「キャンッキャゥウウウンッ! クゥーン、キューン……」
さぞかし気持ちがよかったのでしょう、クロは俺の上で自慰行為に耽り、絶頂に達した代償を俺の部屋着になすりつけた。そして鼻を鳴らして俺に抱きついてくる。
俺も同じ男だ。待て、と言われて途中で止められないのはわかる。しかし問題はそこではなかった。
「クロは男が好きなのか?」
「ハルチカに会いたかった……」
「それはわかった。他の人にもこんなことをするのか?」
気まずさと、汚された服の始末の億劫さで、投げやりな質問をしてしまう。
「しない……ハルチカと……」
「人間は相手がいいって言わなければこういうことはしちゃダメだ。俺の言っていることがわかるか?」
「も……もうしません……」
はじめて聞くしおらしい声にびっくりして、視線を上げると、クロはイーッと歯を剥き出しにして目をギュッと瞑っていた。なんだその顔は。
「もういい、着替えてくるから、クロはその間にちゃんと服を着るんだ」
クロは大人しく俺の体からおりて、さっきの変な顔をしている。反省の色は見えないが、目を背けたかったからかえってありがたかった。
飼い犬の自慰行為に立ち会う気まずさよ。クロに去勢手術をした記憶はなかったが、そんな行為を見たこともない。性に目覚めた息子や娘への親の戸惑いはこんな感じなのだろうか。
しかしこの気まずさこそが、クロを本当にクロだと思いはじめているようで、思考停止してしまう。クロが服を着るのを見届けずに俺は風呂の脱衣所に向かった。
洗濯機に入れる前に白濁を引っ掛けられた上の部屋着を軽く洗っている時に、スウェットパンツも汚れていることに気づく。白濁とは違うシミを詮索する気にもなれずそのまま一緒に洗面台に突っ込む。
ついでに洗濯カゴに放り込んだままだったクロの服を洗濯機に入れようとした時、びっちゃびちゃに濡れた書類封筒がボタっと落ちた。
このまま封筒を開けようとすれば、きっとビリビリに破けてしまう。眠さもあり、書類を確認しない言い訳を作って、そのまま適当に棚に置いた。
そして着替えて戻ってみたら、クロは中途半端に部屋着を着た状態でスヤスヤ眠っている。苛立ちがなかったことは否定しない。奔放すぎる行動に今日は振り回されっぱなしだった。でも幸せそうな寝顔を見ていると、そのイライラもとても小さなことのように思えるから不思議だ。
耳の生えていない銀髪をすいて頭を撫でると、クロは嬉しそうに鼻を上げて俺の太腿に顔を寄せた。またあの懐かしい匂いが立つ。今日の笑える数々の名場面を思い出しはじめたら止まらなくなって一度手を離した。
その時にふと思う。クロは真っ黒だったからクロなのに、なぜ髪の毛を銀髪にしてしまったのだろう。
寝息を立てるクロの横に寝転がる前に、俺はクローゼットの戸をゆっくりと開けて、引き出しから首輪を取り出す。犬小屋は木材が腐り、虫がわいてしまったので取り壊したが、この首輪だけはどうしても手放せなかった。首輪に鼻を寄せてみるが、もう10年も前の年代物。古い皮の匂いしかしなくて、悲しいような安堵したような感情が渦巻く。
「本当にクロならいいのに」
俺の幸せな記憶はクロに根付いていた。薄暗い家庭の思い出に唯一色のついた温かい思い出。誰にも奪うことのできない、唯一の家族の記憶だった。
クロが寝返る気配を感じ、慌てて首輪をしまう。そして彼の横に寝転がったら、温めてもらった頃の思い出が脳裏によぎって、試しにあの頃のように後ろから抱きついてみた。思った以上に体が硬く引き締まっていて、クロのゴワゴワの毛を思い出す。
「クロ……」
ピスピスと鼻を鳴らし手足を少しバタつかせたクロが本当に犬のようで、胸の奥がギュッとなる。クロの髪の毛に鼻をつけて匂いを嗅いだら、あの日に戻るように幸福な眠りに落ちていった。
「クロ、待て」
「キャゥウッ! もう待てキャゥッ、キャンキャンッ、キャゥンッ!」
体が重く、息苦しくて目を覚ましてみれば、クロは俺の上に跨がっていた。着せたはずのパンツもスウェットも脱ぎ捨て、全裸で。
「キャンッキャゥウウウンッ! クゥーン、キューン……」
さぞかし気持ちがよかったのでしょう、クロは俺の上で自慰行為に耽り、絶頂に達した代償を俺の部屋着になすりつけた。そして鼻を鳴らして俺に抱きついてくる。
俺も同じ男だ。待て、と言われて途中で止められないのはわかる。しかし問題はそこではなかった。
「クロは男が好きなのか?」
「ハルチカに会いたかった……」
「それはわかった。他の人にもこんなことをするのか?」
気まずさと、汚された服の始末の億劫さで、投げやりな質問をしてしまう。
「しない……ハルチカと……」
「人間は相手がいいって言わなければこういうことはしちゃダメだ。俺の言っていることがわかるか?」
「も……もうしません……」
はじめて聞くしおらしい声にびっくりして、視線を上げると、クロはイーッと歯を剥き出しにして目をギュッと瞑っていた。なんだその顔は。
「もういい、着替えてくるから、クロはその間にちゃんと服を着るんだ」
クロは大人しく俺の体からおりて、さっきの変な顔をしている。反省の色は見えないが、目を背けたかったからかえってありがたかった。
飼い犬の自慰行為に立ち会う気まずさよ。クロに去勢手術をした記憶はなかったが、そんな行為を見たこともない。性に目覚めた息子や娘への親の戸惑いはこんな感じなのだろうか。
しかしこの気まずさこそが、クロを本当にクロだと思いはじめているようで、思考停止してしまう。クロが服を着るのを見届けずに俺は風呂の脱衣所に向かった。
洗濯機に入れる前に白濁を引っ掛けられた上の部屋着を軽く洗っている時に、スウェットパンツも汚れていることに気づく。白濁とは違うシミを詮索する気にもなれずそのまま一緒に洗面台に突っ込む。
ついでに洗濯カゴに放り込んだままだったクロの服を洗濯機に入れようとした時、びっちゃびちゃに濡れた書類封筒がボタっと落ちた。
このまま封筒を開けようとすれば、きっとビリビリに破けてしまう。眠さもあり、書類を確認しない言い訳を作って、そのまま適当に棚に置いた。
そして着替えて戻ってみたら、クロは中途半端に部屋着を着た状態でスヤスヤ眠っている。苛立ちがなかったことは否定しない。奔放すぎる行動に今日は振り回されっぱなしだった。でも幸せそうな寝顔を見ていると、そのイライラもとても小さなことのように思えるから不思議だ。
耳の生えていない銀髪をすいて頭を撫でると、クロは嬉しそうに鼻を上げて俺の太腿に顔を寄せた。またあの懐かしい匂いが立つ。今日の笑える数々の名場面を思い出しはじめたら止まらなくなって一度手を離した。
その時にふと思う。クロは真っ黒だったからクロなのに、なぜ髪の毛を銀髪にしてしまったのだろう。
寝息を立てるクロの横に寝転がる前に、俺はクローゼットの戸をゆっくりと開けて、引き出しから首輪を取り出す。犬小屋は木材が腐り、虫がわいてしまったので取り壊したが、この首輪だけはどうしても手放せなかった。首輪に鼻を寄せてみるが、もう10年も前の年代物。古い皮の匂いしかしなくて、悲しいような安堵したような感情が渦巻く。
「本当にクロならいいのに」
俺の幸せな記憶はクロに根付いていた。薄暗い家庭の思い出に唯一色のついた温かい思い出。誰にも奪うことのできない、唯一の家族の記憶だった。
クロが寝返る気配を感じ、慌てて首輪をしまう。そして彼の横に寝転がったら、温めてもらった頃の思い出が脳裏によぎって、試しにあの頃のように後ろから抱きついてみた。思った以上に体が硬く引き締まっていて、クロのゴワゴワの毛を思い出す。
「クロ……」
ピスピスと鼻を鳴らし手足を少しバタつかせたクロが本当に犬のようで、胸の奥がギュッとなる。クロの髪の毛に鼻をつけて匂いを嗅いだら、あの日に戻るように幸福な眠りに落ちていった。
0
お気に入りに追加
60
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されなかった私が幸せになるまで 〜旦那様には大切な幼馴染がいる〜
高瀬船
恋愛
2年前に婚約し、婚姻式を終えた夜。
フィファナはドキドキと逸る鼓動を落ち着かせるため、夫婦の寝室で夫を待っていた。
湯上りで温まった体が夜の冷たい空気に冷えて来た頃やってきた夫、ヨードはベッドにぽつりと所在なさげに座り、待っていたフィファナを嫌悪感の籠った瞳で一瞥し呆れたように「まだ起きていたのか」と吐き捨てた。
夫婦になるつもりはないと冷たく告げて寝室を去っていくヨードの後ろ姿を見ながら、フィファナは悲しげに唇を噛み締めたのだった。
優秀な姉の添え物でしかない私を必要としてくれたのは、優しい勇者様でした ~病弱だった少女は異世界で恩返しの旅に出る~
日之影ソラ
ファンタジー
前世では病弱で、生涯のほとんどを病室で過ごした少女がいた。彼女は死を迎える直前、神様に願った。
もしも来世があるのなら、今度は私が誰かを支えられるような人間になりたい。見知らぬ誰かの優しさが、病に苦しむ自分を支えてくれたように。
そして彼女は貴族の令嬢ミモザとして生まれ変わった。非凡な姉と比べられ、常に見下されながらも、自分にやれることを精一杯取り組み、他人を支えることに人生をかけた。
誰かのために生きたい。その想いに嘘はない。けれど……本当にこれでいいのか?
そんな疑問に答えをくれたのは、平和な時代に生まれた勇者様だった。
欲情しないと仰いましたので白い結婚でお願いします
ユユ
恋愛
他国の王太子の第三妃として望まれたはずが、
王太子からは拒絶されてしまった。
欲情しない?
ならば白い結婚で。
同伴公務も拒否します。
だけど王太子が何故か付き纏い出す。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
魔力ゼロの出来損ない貴族、四大精霊王に溺愛される
日之影ソラ
ファンタジー
魔法使いの名門マスタローグ家の次男として生をうけたアスク。兄のように優れた才能を期待されたアスクには何もなかった。魔法使いとしての才能はおろか、誰もが持って生まれる魔力すらない。加えて感情も欠落していた彼は、両親から拒絶され別宅で一人暮らす。
そんなある日、アスクは一冊の不思議な本を見つけた。本に誘われた世界で四大精霊王と邂逅し、自らの才能と可能性を知る。そして精霊王の契約者となったアスクは感情も取り戻し、これまで自分を馬鹿にしてきた周囲を見返していく。
HOTランキング&ファンタジーランキング1位達成!!
婚約破棄された公爵令嬢は、真実の愛を証明したい
香月文香
恋愛
「リリィ、僕は真実の愛を見つけたんだ!」
王太子エリックの婚約者であるリリアーナ・ミュラーは、舞踏会で婚約破棄される。エリックは男爵令嬢を愛してしまい、彼女以外考えられないというのだ。
リリアーナの脳裏をよぎったのは、十年前、借金のかたに商人に嫁いだ姉の言葉。
『リリィ、私は真実の愛を見つけたわ。どんなことがあったって大丈夫よ』
そう笑って消えた姉は、五年前、首なし死体となって娼館で見つかった。
真実の愛に浮かれる王太子と男爵令嬢を前に、リリアーナは決意する。
——私はこの二人を利用する。
ありとあらゆる苦難を与え、そして、二人が愛によって結ばれるハッピーエンドを見届けてやる。
——それこそが真実の愛の証明になるから。
これは、婚約破棄された公爵令嬢が真実の愛を見つけるお話。
※6/15 20:37に一部改稿しました。
【完結】結婚式当日、婚約者と姉に裏切られて惨めに捨てられた花嫁ですが
Rohdea
恋愛
結婚式の当日、花婿となる人は式には来ませんでした───
伯爵家の次女のセアラは、結婚式を控えて幸せな気持ちで過ごしていた。
しかし結婚式当日、夫になるはずの婚約者マイルズは式には現れず、
さらに同時にセアラの二歳年上の姉、シビルも行方知れずに。
どうやら、二人は駆け落ちをしたらしい。
そんな婚約者と姉の二人に裏切られ惨めに捨てられたセアラの前に現れたのは、
シビルの婚約者で、冷酷だの薄情だのと聞かされていた侯爵令息ジョエル。
身勝手に消えた姉の代わりとして、
セアラはジョエルと新たに婚約を結ぶことになってしまう。
そして一方、駆け落ちしたというマイルズとシビル。
二人の思惑は───……
愛されない花嫁は初夜を一人で過ごす
リオール
恋愛
「俺はお前を妻と思わないし愛する事もない」
夫となったバジルはそう言って部屋を出て行った。妻となったアルビナは、初夜を一人で過ごすこととなる。
後に夫から聞かされた衝撃の事実。
アルビナは夫への復讐に、静かに心を燃やすのだった。
※シリアスです。
※ざまあが行き過ぎ・過剰だといったご意見を頂戴しております。年齢制限は設定しておりませんが、お読みになる場合は自己責任でお願い致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる