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嘘と体温の色

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失恋なんてこの世の全員が一度は味わい、あなたのいない世界はまるでモノクロのようだなんて詩的なことを言う。しかしグラフィックデザイナーの俺にとってそれは死活問題で、これ以上色を失うことは決して許されない。

そもそも俺は色弱で、デザイナーを志した時からそれは大きなウィークポイントだった。でも今の制作会社に拾われて、死に物狂いで案件に、仕事に、コネに、そして自分の可能性にしがみついてきた。下を見たらキリがない。自分が目指す高みに焦がれて仕事をしてきたはずだった。

「あぁ、広瀬さん赤みが強いですよ。これじゃ先方の指示とは違うんで修正してください」

かつて俺のデザインが好きだ、俺の補佐をしたいと近づき、そして俺を抱いた同期の松原が慇懃無礼に言い放つ。

「はい、ちょっと時間もらえますか」

「いえ、もう色校締め切り過ぎてるんですよ? ちょっとは急いでくださいよ」

手がじんわり汗ばんで、またモニタの色がおかしくなる。いや、俺の目がおかしいのだ。赤が弱いだけなのになんでかモニタが白黒に見える。さらにこれが白黒なのか、何色なのかも分からない。

そもそも男性の20人に1人は色弱だといわれている。遺伝子の構造的に女性の方が色への感度が高い。それがデザイナーのみならず、恋人としても失格だと言われているようで胸が締め付けられる。シャツのど真ん中をギュッと掴み手の汗を拭う。

「広瀬さん、俺が色相だけ調整しますよ」

急に声をかけられ振り返りもできなかった。

「秦野さん……。ディレクターにそんなことさせられませんよ」

松原が秦野さんと呼んで慄くその男は、この会社のトップデザイナーであり、アートディレクターだ。松原でなくとも恐れ多くて頼むことなどできない。

「俺じゃ不満?」

松原はバツの悪そうな顔で自席に引っ込む。秦野さんはペンタブを俺の手ごと握って、左手でショートカットをテキパキ打ち込んでいく。秦野さんに背中から抱かれた状態で、モニタに映ったデザインが色を取り戻していく。

「松原より、君の方がデザイン能力は高い。やっかみで言ってるんだ。あんま気にするなよ」

大柄なのに身をかがめて耳もとで囁く秦野さん。その声にどうしてだか安心感を覚える。しばらく僕の手を掴んだまま作業して、最後のオブジェクトにペンタブのペンが移動しようとした時、自分でも驚きの抵抗をしてしまった。

「す……すみません、そこの色だけは変えたくありません……」

「ん……」

秦野さんはさっき色を変えたオブジェクトを逆から順に調整し始めた。

「す、すみません……こんなこと言って……」

アートディレクターに指示するB級デザイナーなんて前代未聞であり、自分の厚顔無恥さに体温がグンとあがる。

「そう言うと思ってさ……最後まで変えなかった。もう少しこうしてたいからさ、修正出してよ……」

秦野さんの甘い声が俺の耳を焦がして、体中の血液が顔に集中するのがわかる。

「言っておくけど、俺は松原と違って出世なんてどうでもいいんだ」

「な……なにを……!」

「松原に言われたことは全部嘘だよ」

「全部……嘘……?」

「自分が勝てなさそうなデザイナーをたらし込んで、逆らえないようにする。彼なりの処世術だよ」

「なんでそんなことわかるんですか……?」

松原が野心家であることはなんとなくわかる。半年だけの付き合いだったが彼に絆され、彼だけを見つめたのだ。だがそれが全て嘘だというのはあんまりではないか。

「真っ赤な嘘なんていうけど、嘘に色は無いんだよ」

そう言われて、急にペンタブを離された。

「できた。チェックは俺がしたからもうこれで先方に出して。広瀬さんは赤が弱いの?」

突然の質問にその前までの疑問が吹き飛んだ。はい、そう俺が言うと、秦野さんは俺の耳に頬を当てた。

「これで俺が赤いのわかる?」

それは俺が赤を認識できないと思ってやったことなのだろうが、あまりに刺激が強過ぎて、この時秦野さんの言っていることが理解できなかった。

「嘘じゃないってわかったら、今日の夜食事行かない? それ以外の仕事あるなら喜んで手伝うけど?」

俺は今の今までただの一度も振り返ることもできなかった。でもさっき耳に触れた体温はきっと赤色なのだろうと信じることができた。恥ずかしげもなく何度も頷くと、秦野さんは俺の髪の毛を乱暴に撫でて、どこかに行ってしまった。

―――――――――――――――――――――――――
お題:モノクロ/君の体温/「全部、嘘?」
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