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アンテナショップに響く音
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東京の人間は冷たいと言うが、朝の通勤ラッシュでもみくちゃにされる時、故郷ではこんなに人に密着することはないと思う。
ちょっと鞄が当たっただけで3倍くらいの力で押し返してくるおじさん連中を見て、こんな人の集まる異常な環境で人に優しくできるという方が異常なのかもしれない、とも思う。みんな生きるためにここに集まって必死に自分のパーソナルエリアを守っているのだ。
東京には人がいっぱいいるのに、就職を機に上京した僕には友達や頼れる人がいなかった。知り合いといえば会社の人しかいないわけだが、最近は飲みニケーションと言った文化も問題視されるようになって、同期でもプライベートに首を突っ込むことが禁忌とされる空気感があった。
毎日、仕事が終わればこの都会の中にただ一人放り出された感覚を味わう。普段は通り過ぎるだけの通勤路でアンテナショップに足を止めた。それはずっと気になっていた故郷の特産品を集めた小さなショップだった。入ってしまえば帰りたい気持ちが押し寄せてくる気がして、ずっと見て見ぬふりをしていた。少し眺めて今日も通り過ぎようとしたその時、店の前に張り出された陳列棚を棒で殴打している人影に目を奪われる。あまりの光景に僕はまばたきをするが、よく観察すると、棚を叩くその棒は視覚障害者の白杖だった。僕は慌てて駆け寄る。
「あの! お手伝いいたしましょうか?」
視覚障害者はゆっくり僕に振り返る。
「天野くん?」
突然自分の名前を呼ばれ、そしてその顔を見て僕は体を硬直させる。それは遠く離れた故郷の旧友だった。
こんな広い東京でこんなことが起きるのか?
声をかけたかったが言葉が出ない。
「すみません、人違いだったみたいです」
そう言って旧友ははにかんだ笑顔を見せた。その笑顔に胸がキュッと締め付けられる。
「どこまで行かれるんですか?」
旧友の手嶋に悟られないように他人行儀に質問した。
「いえ、この店で働いているんです。もしよろしければ、お店を覗いていってくれませんか?」
僕は手嶋に促されるままアンテナショップに入店した。店は閉店間際なのか人っ子一人いなかった。それは故郷の特産物は東京の人に興味が無いと言われているようで少し悲しくなった。
「障害者枠でここで働かせてもらってるんです。取り扱ってるものは僕の故郷の特産品なんですよ」
故郷という言葉を肯定的に使う手嶋に少しだけ安堵する。僕のように故郷に複雑な感情を抱いていないことがわかるからだ。
「お客さんはどちら出身ですか?」
手嶋は先天的な病気で段階的に視覚を失っていった。高校で彼と出会い同じクラスになったが、その時にはかろうじて視覚がある状態で、僕の顔を忘れないようにと、何度も何度も顔を触られたのを覚えている。
「手を借りてもいいですか?」
視覚障害者は突然触られるのを極端に怖がる。僕は手嶋にそう聞いて、彼が頷くと手を自分の顔にあてがった。
「やっぱり、天野くんだ……どうして……」
手嶋は涙をこぼして言葉を続けられないようだった。しばらくしたら彼は小さく独り言を言う。
「もう一生会えないかと思ってた」
僕が故郷を後ろめたく思う理由は彼だった。僕は彼の気持ちに応えることが出来ず、あんなに仲が良かったのに、あんなに近くに住んでいたのに、彼が転校後一度も顔を合わせることができなかった。逃げるように東京に就職を決めて、どんなに寂しくても故郷に戻ることはなかった。
「天野くん、僕が言ったことは忘れて。本当に会えて嬉しいんだ。迷惑じゃなかったら、またお店に遊びに来て」
学生時代、思春期の気の迷いだと何度も自分に言い聞かせて、手嶋の気持ちを無視し続けた。でも自分にそう言い聞かせなければならないほど、手嶋に気持ちが傾いていた。自分の過酷な運命を呪いもせず、明るく聡明に生きる手嶋に心を奪われていたのに。あんなに勇気を振り絞って告白してくれた手嶋に、僕は無視をするというひどい仕打ちで応えた。僕が東京に来て感じた孤独なんて比べものにならないくらい、不安だっただろうに。
「手嶋、本当に僕の顔覚えてたんだね」
手嶋は恥ずかしそうに俯く。
「好きだって言ったくせに、もう忘れたのかと思った」
僕は手嶋の顔に手を近づけた。
「手嶋、キスしてもいい?」
手嶋は目を見開く。涙が頬を伝い、僕はその涙も顔も手で包んで、手嶋の唇にそっと自分の唇を寄せた。
「天野くん、視覚障害者への対応を教わったの?」
僕はその質問には答えなかった。あんな仕打ちで手嶋を傷つけたのに、未練たらしくそんな講座を受けているなんて知られたくなかった。
「手嶋のこと、ずっとずっと好きだったんだ」
手嶋は白杖を離し、両手で僕の体の輪郭を確かめた後、僕をきつく抱きしめた。不人気な故郷の特産品が並ぶアンテナショップに、白杖が倒れる音が響き渡る。
―――――――――――――――――――――――――
お題:故郷/まばたき/「好きだって言ったくせに」
ちょっと鞄が当たっただけで3倍くらいの力で押し返してくるおじさん連中を見て、こんな人の集まる異常な環境で人に優しくできるという方が異常なのかもしれない、とも思う。みんな生きるためにここに集まって必死に自分のパーソナルエリアを守っているのだ。
東京には人がいっぱいいるのに、就職を機に上京した僕には友達や頼れる人がいなかった。知り合いといえば会社の人しかいないわけだが、最近は飲みニケーションと言った文化も問題視されるようになって、同期でもプライベートに首を突っ込むことが禁忌とされる空気感があった。
毎日、仕事が終わればこの都会の中にただ一人放り出された感覚を味わう。普段は通り過ぎるだけの通勤路でアンテナショップに足を止めた。それはずっと気になっていた故郷の特産品を集めた小さなショップだった。入ってしまえば帰りたい気持ちが押し寄せてくる気がして、ずっと見て見ぬふりをしていた。少し眺めて今日も通り過ぎようとしたその時、店の前に張り出された陳列棚を棒で殴打している人影に目を奪われる。あまりの光景に僕はまばたきをするが、よく観察すると、棚を叩くその棒は視覚障害者の白杖だった。僕は慌てて駆け寄る。
「あの! お手伝いいたしましょうか?」
視覚障害者はゆっくり僕に振り返る。
「天野くん?」
突然自分の名前を呼ばれ、そしてその顔を見て僕は体を硬直させる。それは遠く離れた故郷の旧友だった。
こんな広い東京でこんなことが起きるのか?
声をかけたかったが言葉が出ない。
「すみません、人違いだったみたいです」
そう言って旧友ははにかんだ笑顔を見せた。その笑顔に胸がキュッと締め付けられる。
「どこまで行かれるんですか?」
旧友の手嶋に悟られないように他人行儀に質問した。
「いえ、この店で働いているんです。もしよろしければ、お店を覗いていってくれませんか?」
僕は手嶋に促されるままアンテナショップに入店した。店は閉店間際なのか人っ子一人いなかった。それは故郷の特産物は東京の人に興味が無いと言われているようで少し悲しくなった。
「障害者枠でここで働かせてもらってるんです。取り扱ってるものは僕の故郷の特産品なんですよ」
故郷という言葉を肯定的に使う手嶋に少しだけ安堵する。僕のように故郷に複雑な感情を抱いていないことがわかるからだ。
「お客さんはどちら出身ですか?」
手嶋は先天的な病気で段階的に視覚を失っていった。高校で彼と出会い同じクラスになったが、その時にはかろうじて視覚がある状態で、僕の顔を忘れないようにと、何度も何度も顔を触られたのを覚えている。
「手を借りてもいいですか?」
視覚障害者は突然触られるのを極端に怖がる。僕は手嶋にそう聞いて、彼が頷くと手を自分の顔にあてがった。
「やっぱり、天野くんだ……どうして……」
手嶋は涙をこぼして言葉を続けられないようだった。しばらくしたら彼は小さく独り言を言う。
「もう一生会えないかと思ってた」
僕が故郷を後ろめたく思う理由は彼だった。僕は彼の気持ちに応えることが出来ず、あんなに仲が良かったのに、あんなに近くに住んでいたのに、彼が転校後一度も顔を合わせることができなかった。逃げるように東京に就職を決めて、どんなに寂しくても故郷に戻ることはなかった。
「天野くん、僕が言ったことは忘れて。本当に会えて嬉しいんだ。迷惑じゃなかったら、またお店に遊びに来て」
学生時代、思春期の気の迷いだと何度も自分に言い聞かせて、手嶋の気持ちを無視し続けた。でも自分にそう言い聞かせなければならないほど、手嶋に気持ちが傾いていた。自分の過酷な運命を呪いもせず、明るく聡明に生きる手嶋に心を奪われていたのに。あんなに勇気を振り絞って告白してくれた手嶋に、僕は無視をするというひどい仕打ちで応えた。僕が東京に来て感じた孤独なんて比べものにならないくらい、不安だっただろうに。
「手嶋、本当に僕の顔覚えてたんだね」
手嶋は恥ずかしそうに俯く。
「好きだって言ったくせに、もう忘れたのかと思った」
僕は手嶋の顔に手を近づけた。
「手嶋、キスしてもいい?」
手嶋は目を見開く。涙が頬を伝い、僕はその涙も顔も手で包んで、手嶋の唇にそっと自分の唇を寄せた。
「天野くん、視覚障害者への対応を教わったの?」
僕はその質問には答えなかった。あんな仕打ちで手嶋を傷つけたのに、未練たらしくそんな講座を受けているなんて知られたくなかった。
「手嶋のこと、ずっとずっと好きだったんだ」
手嶋は白杖を離し、両手で僕の体の輪郭を確かめた後、僕をきつく抱きしめた。不人気な故郷の特産品が並ぶアンテナショップに、白杖が倒れる音が響き渡る。
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お題:故郷/まばたき/「好きだって言ったくせに」
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