林檎の蕾

八木反芻

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さん『エンマ様が判決を下す日はお気に入りの傘を逆さにさして降ってきたキャンディを集めよう』

3 思考する少女

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 言い争いの末、サキは返すことができず、傘を握りしめたままタクシーが到着したのは大型スーパーマーケット。
 タクシーを降りた二人は会話もなくスーパーへ入った。
 再び訪れた沈黙の車内で、忘れていた尿意が再発していたサキは道すがらトイレのマークを探した。だが、トイレに行ったらやっぱり待ってはくれないだろうし、そうなると確実にハルとはぐれてしまう。限界に近いサキが悩んでいると、ハルは案内表示を指差した。
「トイレなら向こうだ」
「えっ、どうして……」
「さっきから落ち着きがない」
 尿意に気づかれていたとは、顔から火が出る思いだ。
「行かないのか?」
「……いなくなっちゃうじゃないですか」
「まあな」
「じゃあいいです……」
「へぇ、漏らすつもりか」
「もっ漏らしませんっ……!」
 足をくねらせるサキの耳元へ顔を近づけると、ハルは囁いた。
「もう我慢、できないんだろう……?」
 見ると、赤らむ顔に涙を浮かべていた。
「我慢せずに行きなさい。俺は買い物をする。どうしても会いたいのなら、その間に俺を見つけたらいい」
「……見つけられるかな……」
「さあな」
「……どの辺りにいますか?」
「食料品か日用品売り場」
「絶対ですね!?」
「ああ」
 ハルに釘をさし、サキはトイレへ走った。


 すっきりした顔でトイレを出たサキは、急いでハルを探そうとしたが、食料品も日用品も範囲が広すぎる。もっと細かく聞けばよかったと悔やみながら、まずは食料品売り場へ向かった。
 不安のなか、はじめに野菜コーナーを見渡すと、それらしき人物を見つけた。遠目から回り込んで確認してみると、やっぱりそうだった。案外あっけなく見つかって、ホッと笑みがこぼれる。
(よかった……)
 すぐにハルの下へ駆け寄ろうとしたサキだったが、とある姿が目に入って足を止めた。
 ハルの後ろから抱きつくように肩にトンと手を乗せ、振り向いたハルへ笑顔を向ける女性の姿。
(もしかして、奥さん? ……そんな感じと違う気もするけど……)
 腕を絡め体を密着させて、ハルと親しげなスキンシップをとる、20代前半とおぼしきツインテールの可愛らしいお姉さんは、時おり不機嫌になったり笑ったり、色んな表情を見せて楽しそうに話をしている。一方、ハルはいつもどおりの無表情。
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 サキは勘の鋭いハルを警戒して、二人の視界から逃げるように後ろへ回った。気づかれないよう十分に注意を払い、徐々に距離を詰めていく。
 声が聞こえてきたが、会話の内容はわからない。サキは背中を向けて二人の声に耳を集中させた。
「ダメなんですかぁ?」
「今日は無理だよ」
「早く見てもらいたいのに~」
「それは残念」
「ホントに思ってます~? あ、写真送っちゃおっかな? ふふふ、気が変わって会いたくなっちゃったりして?」
「ありません」
「そんなこと言うなら送りつけますよぉ~?」
「結構です」
「えー? 絶対気に入ってくれると思うんだけどぉ……じゃあ次回のお楽しみに! ということで、いっぱい想像して待っててくださいね?」
「ああ」
「それにしても、こんな庶民的な場所で偶然会っちゃうなんて運命感じちゃいませんか~?」
「いつも会ってるでしょう」
「会社の外でですぅ」
「会っているでしょう?」
「もう。ぐ・う・ぜ・ん! ですよぉ~」
「申し訳ないが、そろそろ離れてもらえないか。一人じゃないんだ」
「……しょうがないなぁ。だったら今夜また会えるように、写真送っちゃお~っと! ふふっ」
 いたずらな笑顔を向けたツインテールのお姉さんはスキップまじりにハルから離れ、遠くから手を振ると、答えるようにハルも軽く手をあげた。
 一人になったもののサキは出るに出ていけず、そのまま物陰からハルの様子を伺っていると、
「あ」
 ふと目が合ってしまった。
「買うのか?」
「……買いません……」
 身を隠すように掲げていた二本のネギを元の場所へそろりと置いた。
 なんとか合流できたサキは、何気なくさっきの女性のことを聞いてみたかったが、やぶ蛇だと考え直し、今はなにがなんでも返さなければならない傘に集中することにした。
 傘チャンスをうかがいつつ、ハルの後ろをついて歩く。食材を眺め手慣れた様子でパッパと選別するハルに、サキは聞いた。
「お料理はよくなさるんですか?」
「ああ」
「やっぱりそうなんですね! この前のナポリタン、とても美味しかったので。趣味なんですか?」
 すると、ハルの手がふと止まった。
「……趣味?」
「はい」
 ナスを持ったままなにやら考え込むハルの姿に、サキが(変なこと聞いちゃったかなぁ)と悩んでいると、元の場所にナスを戻すハルから「趣味ではない」と返ってきた。
「そうなんですか? ……じゃあご趣味はなんですか?」と、自然な流れで聞いたあと、サキは(お見合いか!)とひとり静かに頬を赤くした。その横でまたも考え込むハル。
「……ない」
「そう、ですか……」
 気軽に聞いたことを後悔しそうになるくらい返答が遅い。それでもサキは質問を続けた。
「じゃあ、好きな食べ物はなんですか?」
「好きな食べ物……ない」
「あ……えっと、好きな色は……」
「……ない」
「……好きな映画って……」
「ない」
「……えーとー…好きな天気」
 ソッと野菜を置いたハルは一度遠くを見つめ、次の質問に頭を悩ませるサキへ向き直った。
「……へ?」
「無理に繋ごうとしなくていい」
「すみません……」
 背を向けるハルに向かって軽く頭を下げるサキが質問し続けたのは、無言の空気が息苦しかったからではなく、本当はもっと知りたかったからだった。
 うつむきながらハルの横顔を盗み見る。その目を左手の薬指にはめられた指輪へ移す。そしてまた横顔を見つめた。
(本当に奥さんいるのかなぁ……)
 もしかしたら亡くなっているのではないか、なんてことを考えていた。
 ガランとしたあの部屋で、本当に二人で暮らしているのか。愛し合っていると言っていたのに、写真が1枚も飾られていないなんてやはりおかしい、と。
 ベランダで一人タバコを吸っていた後ろ姿。今思えば、先立たれた哀愁みたいなものを感じさせる。その寂しさを埋めるために他の女性と会ったりなんかしちゃっているのではないか。
 グルグルと考えを巡らせるサキは、カルガモのヒナのように、ハルの行く場所どこへでもついて歩いた。
「ご試食いかがですか? はい、娘さんもどうぞ」
 色々と考え込むサキは、目の前に差し出されたキウイフルーツを反射的に受け取った。
「今晩のデザートにどうですか?」
「どうする?」
「へ?」
 思わずハルの顔を見上げ、キウイをくれた試食販売員のお姉さんと見比べる。
「キウイフルーツは、栄養が豊富で、水溶性の食物繊維が腸内環境を整えてくれたり、お肌にいいビタミンCもたっぷり含まれていて、これからの季節だと、スポーツ後の水分補給とか熱中症の予防にもなるんですよ」
 手元には、縦に半分カットされたみずみずしい金色のキウイがある。サキはスプーンですくって食べた。
「……あまい! これ美味しいです!」
「では2袋いただきます」
「はい、ありがとうございます」
 キウイコーナーから遠ざかり、サキはなんとなくさっきのお姉さんが気になって振り向いて見てみると、その視線に気づいたお姉さんは笑って手を振ってくれて、サキは照れながら小さく振り返した。

「手伝います!」
 サキは会計中のハルから奪うように買い物カゴに手をかけた。
(うわっ、重い……)
 思った以上の重量感。意気揚々とでしゃばったことを言ってしまったからにはなんとしてでも運ばねばならない。サキは力こぶもないような細い腕に全身の力を込め「フヌッ」と持ち上げた。そのツラさを顔に出さず急いでサッカー台へ運ぶと、ドシンと体がのしかかるように置いた。
「ふひぃ~……」
 一息ついて、カゴの上に置かれた買い物袋を手に取って広げた。
(えーと、最初は重いもの……そういえば牛乳は立てて入れるってテレビで言ってたっけ)
 選びながら詰めていると、会計を済ませたハルが来てしまった。だが、ハルは手出しすることなくサキが商品を詰め終えるまで眺めて待った。
「お待たせしてすみません……」
 全て詰め込んだ重い袋を持ち上げようとしたとき、両手で掴んだ持ち手に、下から手をそえられた。
「俺が持つ」
 手を外すと、ハルは袋を持たずサッカー台に置き直し、
「あっ!」
「なんだ」
「……いえ、なんでもないです……」
 袋の中へ手を入れた。
(どうかバレませんように……!)
 祈るようにハルの手元を見ていたサキに、ハルは一度詰められたキウイ1袋を取り出し手渡した。
「くれるんですか?」
「ああ」
 受け取ったキウイに目を向ける。お礼を言おうと顔をあげると、ハルは背を向け歩き出していた。
「あっ、待ってください」
 キウイを大事そうに抱えながら駆け足でハルを追うその表情はほころんでいて、「ありがとうございます」と言うとハルはうなずいた。
 家に帰っても今日のキウイはすぐには食べられそうにないサキだった。


 彼女を自宅へ送り、一人帰宅したハルは、買ったものをダイニングテーブルに置いた。買い物袋から食材を取り出しテーブルの上に並べていく。買ったものは全て出し終えたはずなのに、袋の底にはまだ何か残っている。
 ハルは袋の中に手を伸ばした。
 手に取ったのは、返したはずの折り畳み傘。
 ひとまず買ったものをしまい、一息つくハルは椅子に座り傘を眺めた。
 傘カバーには、サキの携帯電話についていたストラップの猫の女の子が小さくプリントされている。
「厄介だ……」
 背もたれに寄りかかり、次はどう返そうか作戦を練り始めるハルだった。
 
 
 これを機に、男と少女の、傘によるほんわか攻防戦が本格的に開幕したのである。
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