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に『落下少女が夢に見たのは宙(そら)に浮かぶ月』
5 誘惑のナポリタン
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黒いエプロンを身に付けるハルは、紐を前で縛った。キッチンに立って袖をまくり、腕まで丁寧に手を洗う。キッチンの戸棚からパスタ鍋を取り出し浄水器の水をたっぷり注ぐと、3口タイプのIHクッキングヒーターの左に置いて火をつけた。
「ピーマン、タマネギ、ソーセージ。あとニンニクか。この中で嫌いな物は?」
「ないです!」
冷蔵庫からそれらの食材を取り出す。野菜は水で洗い、慣れた手つきで次々と食材を切ってゆく姿はまるで料理人。
「……トマト缶使うが、平気か?」
「トマト缶?」
「生のトマトは食えてもトマトジュースとか、加工品は苦手と言う人もいるんだ」
「あ、でも大丈夫です」
「でも?」
「トマトジュースをそのまま飲むのは苦手なんですけど、料理に使われているのは……大丈夫です」
「わかった」
──クァパ──
トマト缶を小鍋にゴッサリあけて火にかける。形の残るトマトをヘラで潰し、ペースト状になったらグツグツと煮詰め水分を飛ばす。
沸騰したお湯にスパゲッティを放り込み、タイマーをセットした。
その間に、フライパンにオリーブオイルを垂らし、刻んだニンニクを入れ、焦がさないように油の中で泳がす。食欲をそそるニンニクの香ばしいにおいが漂ってきた。そこにタマネギ、しんなりしてきたらピーマンとソーセージ、そしてケチャップを入れザッと炒める。
無駄の全くない動きは見ていて飽きない。この人は料理もできるのか!と、感心の眼差しを向けながら、サキはハルの手さばきに見惚れていた。
火の通った肉と野菜たちの舞踏会に煮詰めたトマトペーストを加える。
──ジュゴゴォゥゥ──
テーブルで待機する腹ペコ少女の嗅覚をさらに刺激する、なんともかぐわしきこと。しきりに溢れる生唾をサキは飲み込む。鳴き止まないお腹の虫など、もうどうでもよかった。
(あぁ……早く食べたい……!)
トマトソースに塩、胡椒を適当に入れ、醤油をサラッとかける。
──ピピピピッピピ──
グッドタイミング!茹で上がったスパゲッティを鍋から引き上げ、パッパッと水気を切ると、ついにパスタを投入。そこにバターをコロンと乗せ、溶かしながらフライパンを回すように手早く動かしソースとパスタを絡めて、皿に盛り付けた。
皿の縁に落ちたソースをおしぼりで拭い、ハルは出来立てのナポリタンと食器棚の引き出しから銀のフォークを手に取り、ワクワクしながらそれを待つサキの前に置いた。
「できた」
待ってました、ナポリタンの登場です。
魅惑の湯気立つ鮮やかなオレンジ色の輝きに、鼻先付きそうなほど顔を近づけほころびるサキに、ハルはフォークを手渡す。
「いただきます!」
テラテラと艶めくナポリタンにフォークを差し込みクルクル回す。一口サイズより太めに巻き上げてしまったが、我慢できずそのまま口に運んだ。
「ぅんまぁ!」
なんとちょうどいい塩加減だこと。
コクとうま味が凝縮されて、あんな短時間だというのに深い味わい。味見をしている様子もなかったのに、ここまでの味を出せるとは、作り慣れているのだろうか。まるで、
「お店の味みたい!」
高級洋食店ではなく、喫茶店とかファミリー向けレストランで、手頃な価格で食べられる親しみのあるお店の味だ(単に高級の味を知らないというのもあるけど)。にもかかわらず全く安っぽくなく本格的だ。この店の主人がパスタに力を入れているとわかるし、その主人が怖い人であってもこのナポリタンを食べたいがために何度も足を運びたくなるような、うまさ。
その噂のご主人はウォーターピッチャーとタンブラーを、夢中になって頬張る幸せそうな少女の前に運び、水を注いであげると、調理器具を洗いにキッチンへ戻った。
(トマトソースってこんな味なんだ)
「大丈夫」とは言ったものの実は少し懸念していたトマト缶。しかしトマトの酸味は感じられず、ほどよい甘さが口に広がり、マイルドなバターの風味が鼻を抜ける。
タンブラーに手を伸ばしたサキは、減っていくナポリタンに悲しさと満たされていくお腹に幸福を感じていた。
初めに「ナポリタン」と注文したとき、ここまでのクオリティは正直期待していなかったし、ハルの手際の良さや食欲を刺激するかおりから期待値が膨れ上がったというのに、一口食べて「これは本当にナポリタンか?」と、その想像を越えてくる味は、サキのナポリタン概念を覆し、ナポリタンという日本発祥の洋食パスタの世界を広げた。うん、一言で言うと、もう“トリコ”ですわ。
「こんなに美味しいナポリタン初めてです!」
と、瞳と唇を輝かせながら洗い物を終えたハルに告げたが当人は無関心のご様子で、サキの斜め向かいの椅子に腰を下した。
「……ハルさんは、食べないんですか?」
「食べない」
「そうですか……」
胸ポケットからタバコの箱を取り、一本つまみ出すとそのタバコを吸うわけでもなく、指の間で転がしたり持ちかえたり指先で遊んでいる。
「……よく食えたもんだ」
タバコいじりをやめたハルは伏せた目をつむった。
「何が入っているかも知らないで」
「……なにか、入れたんですか……」
ゆっくり目を開け、不安そうな眼差しを向けるサキを上目で見つめた。
「あまり人を信用すると痛い目見るぞ」
サキはナポリタンへ視線を落とす。何かを入れたような素振りはなかった。調理の工程を一部始終見ていたから。でも見ていたのは後ろ姿で、隠して何かを入れた可能性は、なくもない……。
「残さず食えるな?」
「……はい」
ハルは席を立ち、タバコの煙を取り込むためベランダへ向かった。
サキはコップ一杯の水をゴクゴクと飲み干して口を拭いた。
(ふぅ……満足じゃ~……)
『何が入っているかも知らないで』
あんなことを言っていたが、とくに体に変化もなく違和感もない。お腹がパンパンでちょっと苦しい以外は極めて健康だった。
椅子にもたれお腹を擦りながらリビングを見渡した。
改めて見るとリビングもまた綺麗。車と同じで凝った飾り物がない。
統一された落ち着きある色合いに、窓辺の観葉植物の緑がいいアクセントになっている。
葉の大きなオーガスタの隣に大型テレビ。向かい合うように置かれたシックなソファは、ベッドとしても使えそう。
収納術とやらなのか、見たところ必要最低限の物しか置かれていない。
サキはテーブルに溢した水をおしぼりで拭きながら、ふと疑問に思った。
本当に結婚しているなら夫婦の写真の一つくらい、飾られてあってもいいじゃないか、と。
「ピーマン、タマネギ、ソーセージ。あとニンニクか。この中で嫌いな物は?」
「ないです!」
冷蔵庫からそれらの食材を取り出す。野菜は水で洗い、慣れた手つきで次々と食材を切ってゆく姿はまるで料理人。
「……トマト缶使うが、平気か?」
「トマト缶?」
「生のトマトは食えてもトマトジュースとか、加工品は苦手と言う人もいるんだ」
「あ、でも大丈夫です」
「でも?」
「トマトジュースをそのまま飲むのは苦手なんですけど、料理に使われているのは……大丈夫です」
「わかった」
──クァパ──
トマト缶を小鍋にゴッサリあけて火にかける。形の残るトマトをヘラで潰し、ペースト状になったらグツグツと煮詰め水分を飛ばす。
沸騰したお湯にスパゲッティを放り込み、タイマーをセットした。
その間に、フライパンにオリーブオイルを垂らし、刻んだニンニクを入れ、焦がさないように油の中で泳がす。食欲をそそるニンニクの香ばしいにおいが漂ってきた。そこにタマネギ、しんなりしてきたらピーマンとソーセージ、そしてケチャップを入れザッと炒める。
無駄の全くない動きは見ていて飽きない。この人は料理もできるのか!と、感心の眼差しを向けながら、サキはハルの手さばきに見惚れていた。
火の通った肉と野菜たちの舞踏会に煮詰めたトマトペーストを加える。
──ジュゴゴォゥゥ──
テーブルで待機する腹ペコ少女の嗅覚をさらに刺激する、なんともかぐわしきこと。しきりに溢れる生唾をサキは飲み込む。鳴き止まないお腹の虫など、もうどうでもよかった。
(あぁ……早く食べたい……!)
トマトソースに塩、胡椒を適当に入れ、醤油をサラッとかける。
──ピピピピッピピ──
グッドタイミング!茹で上がったスパゲッティを鍋から引き上げ、パッパッと水気を切ると、ついにパスタを投入。そこにバターをコロンと乗せ、溶かしながらフライパンを回すように手早く動かしソースとパスタを絡めて、皿に盛り付けた。
皿の縁に落ちたソースをおしぼりで拭い、ハルは出来立てのナポリタンと食器棚の引き出しから銀のフォークを手に取り、ワクワクしながらそれを待つサキの前に置いた。
「できた」
待ってました、ナポリタンの登場です。
魅惑の湯気立つ鮮やかなオレンジ色の輝きに、鼻先付きそうなほど顔を近づけほころびるサキに、ハルはフォークを手渡す。
「いただきます!」
テラテラと艶めくナポリタンにフォークを差し込みクルクル回す。一口サイズより太めに巻き上げてしまったが、我慢できずそのまま口に運んだ。
「ぅんまぁ!」
なんとちょうどいい塩加減だこと。
コクとうま味が凝縮されて、あんな短時間だというのに深い味わい。味見をしている様子もなかったのに、ここまでの味を出せるとは、作り慣れているのだろうか。まるで、
「お店の味みたい!」
高級洋食店ではなく、喫茶店とかファミリー向けレストランで、手頃な価格で食べられる親しみのあるお店の味だ(単に高級の味を知らないというのもあるけど)。にもかかわらず全く安っぽくなく本格的だ。この店の主人がパスタに力を入れているとわかるし、その主人が怖い人であってもこのナポリタンを食べたいがために何度も足を運びたくなるような、うまさ。
その噂のご主人はウォーターピッチャーとタンブラーを、夢中になって頬張る幸せそうな少女の前に運び、水を注いであげると、調理器具を洗いにキッチンへ戻った。
(トマトソースってこんな味なんだ)
「大丈夫」とは言ったものの実は少し懸念していたトマト缶。しかしトマトの酸味は感じられず、ほどよい甘さが口に広がり、マイルドなバターの風味が鼻を抜ける。
タンブラーに手を伸ばしたサキは、減っていくナポリタンに悲しさと満たされていくお腹に幸福を感じていた。
初めに「ナポリタン」と注文したとき、ここまでのクオリティは正直期待していなかったし、ハルの手際の良さや食欲を刺激するかおりから期待値が膨れ上がったというのに、一口食べて「これは本当にナポリタンか?」と、その想像を越えてくる味は、サキのナポリタン概念を覆し、ナポリタンという日本発祥の洋食パスタの世界を広げた。うん、一言で言うと、もう“トリコ”ですわ。
「こんなに美味しいナポリタン初めてです!」
と、瞳と唇を輝かせながら洗い物を終えたハルに告げたが当人は無関心のご様子で、サキの斜め向かいの椅子に腰を下した。
「……ハルさんは、食べないんですか?」
「食べない」
「そうですか……」
胸ポケットからタバコの箱を取り、一本つまみ出すとそのタバコを吸うわけでもなく、指の間で転がしたり持ちかえたり指先で遊んでいる。
「……よく食えたもんだ」
タバコいじりをやめたハルは伏せた目をつむった。
「何が入っているかも知らないで」
「……なにか、入れたんですか……」
ゆっくり目を開け、不安そうな眼差しを向けるサキを上目で見つめた。
「あまり人を信用すると痛い目見るぞ」
サキはナポリタンへ視線を落とす。何かを入れたような素振りはなかった。調理の工程を一部始終見ていたから。でも見ていたのは後ろ姿で、隠して何かを入れた可能性は、なくもない……。
「残さず食えるな?」
「……はい」
ハルは席を立ち、タバコの煙を取り込むためベランダへ向かった。
サキはコップ一杯の水をゴクゴクと飲み干して口を拭いた。
(ふぅ……満足じゃ~……)
『何が入っているかも知らないで』
あんなことを言っていたが、とくに体に変化もなく違和感もない。お腹がパンパンでちょっと苦しい以外は極めて健康だった。
椅子にもたれお腹を擦りながらリビングを見渡した。
改めて見るとリビングもまた綺麗。車と同じで凝った飾り物がない。
統一された落ち着きある色合いに、窓辺の観葉植物の緑がいいアクセントになっている。
葉の大きなオーガスタの隣に大型テレビ。向かい合うように置かれたシックなソファは、ベッドとしても使えそう。
収納術とやらなのか、見たところ必要最低限の物しか置かれていない。
サキはテーブルに溢した水をおしぼりで拭きながら、ふと疑問に思った。
本当に結婚しているなら夫婦の写真の一つくらい、飾られてあってもいいじゃないか、と。
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