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歳三は不機嫌であった。
「俺の嫁になってもらえませんか!」
沖田が君菊に告白してから何故か、隊士達はこぞって彼女に自らの想いを告げるようになったのである。
歳三が全体に牽制していたのは当初だけであった。それだけで充分だと思っていたのだ。
後は自身の力で君菊は貞操と婚約者の立場を守っていたのである。
隊士が脱走したことにより人数は少なくなってしまった。
そうでなくとも池田屋事件で何名か幹部が亡くなっていた。
命のやり取りの恐怖と大切に思う誰かに伝えず死ぬ恐怖を知った隊士達は、我慢することをやめたのだ。
君菊という人間は、世話焼きだけでなく指導者の顔をもつ人間であった。
優しいけれど厳しいところもある人間。そういう両者の顔をもつ人間を好きになる者もいる。
少なくとも君菊は隊士からは好かれやすい性格だったのである。
「ごめんなさい。私は歳三の許嫁だから…」
今日はこれで何度目だろうと思う言葉を君菊は紡ぐ。
告白してくる隊士達が真剣に言ってくれているのが鈍い彼女でも分かる。だから真摯に返事をする。
決まって残念そうな顔をされてしまう。そしてとぼとぼと去っていくのだ。
そんな顔をさせたくはないが、歳三の許嫁という立場を裏切るような真似はしたくなかったのである。
歳三から結婚して欲しいや好きだなどということは君菊は言われたことはない。
それでも、約束を守るのが彼女なりの信念であった。
「今日で何度目だ」
「あら、歳三いたの。…途中から数えるのをやめたわ…」
疲れた表情で答える君菊。
そんな君菊を氷点下の瞳で見つめる歳三。
歳三の表情に気がついた君菊は、瞳に力を込める。
「何よ。別に不貞行為はしていないわよ」
「総司の時は頬を赤くしてたくせに」
「そ、そりゃあそうでしょうよ。あんな風に告白されたの、初めてだもの」
「だからってなぁ!」
──他の男のせいで頬を赤く染めてんじゃねぇよ。
その言葉は告げず。
「だから何よ」
「…なんでもねぇ」
「何よ。言いかけといて。気になるじゃない」
「気にすんな」
「何よー!もう」
頭をがしがしと乱暴に撫でられる君菊。
その頭には歳三が十七の時に贈った簪が刺されていた。
それを見るなり頬が緩む。
──どれだけ男が言い寄ろうとこの簪が刺さっている限り、君菊は自分の女だ。
そう優越感に浸ったのである。
「何よ。急に嬉しそうな顔しちゃって」
「別に」
「なんなのよぉ!その態度。腹立つわね」
側から見れば許嫁同士、いちゃついているとも言われても否定できない光景と会話。
そんな光景を眩しそうに想いを告げた沖田はそっと自室の襖を開けて見ていた。
池田屋事件が解決した後も、不逞浪士の捜索に邁進していた新撰組。
人数が減ったことにより会津藩から五人の応援が派遣されていた。
新撰組は六月十日、長州の人間がよく利用していたという明保野亭という料理茶屋に長州人二十人ほどが潜伏しているとの情報を得た。
武田観柳斎を筆頭に会津藩を十五人を含んだ二十人で出動した。
午後正午ごろの話だった。
明保野亭内を探索しても長州の人間らしき姿はないようだったが、突然、不審者が屋内から飛び出して逃走しようとした。
武田はこれを討ち取るように指示、付近にいた会津藩士・紫司が一人を垣根に追い詰めると不審者が抜刀したため、手にしていた槍で突いた。
しかし、不審者の正体は長州の人間ではなく、麻田時太郎というれっきとした土佐藩士だったのだ。
この事件を耳にした土佐藩士たちは激怒し、事件は会津藩と土佐藩の問題に発展することになる。
そんな中、翌日に麻田が士道を理由に自刃すると、会津藩は紫の死をもって応えられければならなくなった。
翌日十二日に自分のために会津藩と土佐藩の関係が悪化してはならないと紫司は自刃する。享年、二十一歳だった。
十三日に催された紫の葬儀には新撰組から、土方歳三、井上源三郎、武田観柳斎ら五人が出席している。彼らは紫の亡骸に縋りつき、号泣して嘆き悲しいんだと記録がされている。
これが後に明保野亭事件と呼ばれている。
葬儀から帰ってきた歳三は誰とも話すことなく、自室に戻ると紫の死を君菊と重ねて考えていた。
一歩間違えれば君菊がこうなっていたかもしれないのだ。
出動するよう勇に言われていたらこうなっていたかもしれない。
そう考えると恐ろしくてたまらなかった。
自分がそうなるのは構わない。けれど、君菊が死ぬことを考えるとやはり恐ろしい。
大切な人の死ほど恐ろしいと思うものはないものである。
「歳三?帰ってきたんなら何か言いなさいよ」
そんな考えを歳三がしているとも露知らず、君菊は廊下から隊士を代わりに声をかけた。
襖が黙って開かれる。歳三は君菊を自室に引っ張り込んでそのまま抱きしめた。
「うわぁ!ちょっと!!…どうしたのよ」
「……」
「あんた、泣いたの?目元が赤いわ」
「うるせー」
「悲しかったの?」
「……」
「そう。ならもっと泣きなさいよ。男だからって我慢することじゃないでしょう」
自分より広い背中を君菊の細い体が腕を回して包み込む。
歳三は君菊に顔を見せることなく静かに泣いた。
紫と君菊のことを思って泣いた。
「俺の嫁になってもらえませんか!」
沖田が君菊に告白してから何故か、隊士達はこぞって彼女に自らの想いを告げるようになったのである。
歳三が全体に牽制していたのは当初だけであった。それだけで充分だと思っていたのだ。
後は自身の力で君菊は貞操と婚約者の立場を守っていたのである。
隊士が脱走したことにより人数は少なくなってしまった。
そうでなくとも池田屋事件で何名か幹部が亡くなっていた。
命のやり取りの恐怖と大切に思う誰かに伝えず死ぬ恐怖を知った隊士達は、我慢することをやめたのだ。
君菊という人間は、世話焼きだけでなく指導者の顔をもつ人間であった。
優しいけれど厳しいところもある人間。そういう両者の顔をもつ人間を好きになる者もいる。
少なくとも君菊は隊士からは好かれやすい性格だったのである。
「ごめんなさい。私は歳三の許嫁だから…」
今日はこれで何度目だろうと思う言葉を君菊は紡ぐ。
告白してくる隊士達が真剣に言ってくれているのが鈍い彼女でも分かる。だから真摯に返事をする。
決まって残念そうな顔をされてしまう。そしてとぼとぼと去っていくのだ。
そんな顔をさせたくはないが、歳三の許嫁という立場を裏切るような真似はしたくなかったのである。
歳三から結婚して欲しいや好きだなどということは君菊は言われたことはない。
それでも、約束を守るのが彼女なりの信念であった。
「今日で何度目だ」
「あら、歳三いたの。…途中から数えるのをやめたわ…」
疲れた表情で答える君菊。
そんな君菊を氷点下の瞳で見つめる歳三。
歳三の表情に気がついた君菊は、瞳に力を込める。
「何よ。別に不貞行為はしていないわよ」
「総司の時は頬を赤くしてたくせに」
「そ、そりゃあそうでしょうよ。あんな風に告白されたの、初めてだもの」
「だからってなぁ!」
──他の男のせいで頬を赤く染めてんじゃねぇよ。
その言葉は告げず。
「だから何よ」
「…なんでもねぇ」
「何よ。言いかけといて。気になるじゃない」
「気にすんな」
「何よー!もう」
頭をがしがしと乱暴に撫でられる君菊。
その頭には歳三が十七の時に贈った簪が刺されていた。
それを見るなり頬が緩む。
──どれだけ男が言い寄ろうとこの簪が刺さっている限り、君菊は自分の女だ。
そう優越感に浸ったのである。
「何よ。急に嬉しそうな顔しちゃって」
「別に」
「なんなのよぉ!その態度。腹立つわね」
側から見れば許嫁同士、いちゃついているとも言われても否定できない光景と会話。
そんな光景を眩しそうに想いを告げた沖田はそっと自室の襖を開けて見ていた。
池田屋事件が解決した後も、不逞浪士の捜索に邁進していた新撰組。
人数が減ったことにより会津藩から五人の応援が派遣されていた。
新撰組は六月十日、長州の人間がよく利用していたという明保野亭という料理茶屋に長州人二十人ほどが潜伏しているとの情報を得た。
武田観柳斎を筆頭に会津藩を十五人を含んだ二十人で出動した。
午後正午ごろの話だった。
明保野亭内を探索しても長州の人間らしき姿はないようだったが、突然、不審者が屋内から飛び出して逃走しようとした。
武田はこれを討ち取るように指示、付近にいた会津藩士・紫司が一人を垣根に追い詰めると不審者が抜刀したため、手にしていた槍で突いた。
しかし、不審者の正体は長州の人間ではなく、麻田時太郎というれっきとした土佐藩士だったのだ。
この事件を耳にした土佐藩士たちは激怒し、事件は会津藩と土佐藩の問題に発展することになる。
そんな中、翌日に麻田が士道を理由に自刃すると、会津藩は紫の死をもって応えられければならなくなった。
翌日十二日に自分のために会津藩と土佐藩の関係が悪化してはならないと紫司は自刃する。享年、二十一歳だった。
十三日に催された紫の葬儀には新撰組から、土方歳三、井上源三郎、武田観柳斎ら五人が出席している。彼らは紫の亡骸に縋りつき、号泣して嘆き悲しいんだと記録がされている。
これが後に明保野亭事件と呼ばれている。
葬儀から帰ってきた歳三は誰とも話すことなく、自室に戻ると紫の死を君菊と重ねて考えていた。
一歩間違えれば君菊がこうなっていたかもしれないのだ。
出動するよう勇に言われていたらこうなっていたかもしれない。
そう考えると恐ろしくてたまらなかった。
自分がそうなるのは構わない。けれど、君菊が死ぬことを考えるとやはり恐ろしい。
大切な人の死ほど恐ろしいと思うものはないものである。
「歳三?帰ってきたんなら何か言いなさいよ」
そんな考えを歳三がしているとも露知らず、君菊は廊下から隊士を代わりに声をかけた。
襖が黙って開かれる。歳三は君菊を自室に引っ張り込んでそのまま抱きしめた。
「うわぁ!ちょっと!!…どうしたのよ」
「……」
「あんた、泣いたの?目元が赤いわ」
「うるせー」
「悲しかったの?」
「……」
「そう。ならもっと泣きなさいよ。男だからって我慢することじゃないでしょう」
自分より広い背中を君菊の細い体が腕を回して包み込む。
歳三は君菊に顔を見せることなく静かに泣いた。
紫と君菊のことを思って泣いた。
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