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芹沢鴨は一人の女に釘付けとなっていた。
雪のような白い肌に蒼い絹地の着物を着ている。艶やかな唇に黒曜石のような綺麗な黒い瞳は、芹沢鴨を捉えて離さない。
名は君菊というらしい。芹沢には愛妾のお梅がいるが、その彼女に勝る美貌を持つ女であった。
これから先、この八木邸で同じく住むようだ。
土方歳三と親しげにしている。先ほど男共の会話から聞こえてきた。許嫁の仲なのだという。
──その仲を徹底的に引き裂いてやりたい。
同じ男から見ても美丈夫の男から奪ってやりたい。
どんな顔をするか。
どんな言葉を言うか。
試してみたい気持ちに駆られる。
だが焦りは何事も禁物だ。まずは相手をよく知ってから行動に移すべきだろう。
芹沢の思惑を知らぬ君菊は歳三だけでなく皆に笑顔を振りまいていた。
先ほどの無表情さは何処かへすっかり消えている。
「とりあえず…私は身の回りのことを中心にやりますね」
「君菊だけにやらせるのは申し訳ないよ」
「もちろん一人では無理なので当番制にしましょう。私も休む時は休みます」
「それなら良いかもしれないな。なぁ、トシ」
勇と君菊の会話を黙って聞いていた歳三は「良いんじゃねぇか」とだけ答えた。
本当に話を聞いていたのかどうか側から見れば分からぬ表情である。
何せ無表情に近い。だが君菊は正しく歳三のことを見ていた。聞いてないようできちんと聞いていたようだ。
そんな歳三は話を聞きながら別のことを考えていた。君菊のあの無表情である。
君菊という女はとにかく笑う女である。その女があの表情を見せるなど今まで一度もなかったのだ。
何か君菊のことで未だに知らない一面が自分の中にあるのではないか、と思わずにはいられなかった。
「話もまとまったことだし疲れただろう。君菊、部屋で休むといい」
「ありがとうございます」
勇と君菊の話が終わると、黙ったまま歳三が君菊の荷物を持って部屋へ案内するように歩いた。
部屋までの道のり何か一言、許嫁の仲なら言うべきだろうが二人は沈黙を貫いた。
会話などこの二人には必要なかったのである。
それくらい互いのことをわかり合っていた。ただ恋愛のことを除いては。
「荷物を運んでくれてありがとう」
「別にこれくらい気にするな」
歳三の部屋の隣に部屋は準備されていた。
君菊は気にしていないが、歳三はこの部屋の配置に最初は猛反対したのである。
好きな人が隣に居る──それだけでどれほど心臓がうるさくなることやら。
眠ることさえ出来なくなるのではないかと歳三は自身の体調を心配した。
最初は勇にそう抗議した歳三であったが、何かがあった時に一番に助けになれるのは自分だと言われ、どうにか納得するという経緯があった部屋だ。
「歳三の隣なら寝坊することはないわね」
「なんでだよ」
「情けないところを見せるわけにはいかないもの」
そう言って笑う君菊。部屋に入ると荷物を解き始めた。
歳三は何を言うわけでもなくぼんやりとその姿を眺めている。
「どうしたの歳三」
「なんでもねぇよ」
「夕餉はもう少し待ってちょうだいね。荷物の片付けが終わったら手伝いに行くから」
歳三はまだ腹を空かせているわけではない。
だから君菊の言葉は正しくない。
互いのことは大体はわかり合っているくせに、恋愛のことになるとさっぱり。
この時歳三が思っていたことは一つ。
──俺の部屋の隣で良かった。
そうしみじみと君菊の後ろ姿を見て思っていたのである。
最初は反対意見しかなかったが、こうして実物の人間を見るなり隣に居てくれた方が安心すると思ったのだ。
歳三の案内で、君菊は台所に来た。
既に他の男達が夕餉の支度をし始めている。しかし、何処か手際がおぼつかない。
台所仕事はこの時代では基本的に女がするものである。
男は働くことが中心だった。よって家事は男が苦手とするものになる。
君菊は持ってきた白い紐を襷掛けすると、台所の中心に立った。
「お待たせしてすみません。手伝いますね」
女の君菊が台所仕事に取り掛かると手際よく食事が作られていく。
今日の食事は、お茶漬けに沢庵である。
この頃の食事としては豪華なものだ。そして沢庵は歳三の好物の一つでもあった。
大広間に手分けして食事が運ばれていく。
台所担当をしていた男達は君菊の手際の良さに感心していた。
歳三はその男達が君菊に何かしないかをじっと見張っていた。
何故歳三が台所の入り口にずっと立っていたのか、知らぬのは君菊だけである。
食事が終わると後片付けに追われた。
君菊の台所仕事の動きを見て育った歳三。男にしては手際よくこなしていた。
当番制で台所仕事も行っている為、歳三と同じ当番である勇が意外そうにその動きを見ていた。
「手際がいいな、トシ」
「…まぁな」
「やはり君菊のおかげか?」
「あいつの動きを見てたからな。自然とこうなった」
「良いことじゃねぇか」
暖かな空気が、男苦しい屋敷の中でも流れていた。
就寝時。
「女ということを忘れないでくれよ」
「わかってます。貞操は大丈夫よ。自分でも守れるわ」
君菊の部屋で襦袢だけの姿になっている彼女を見ながら歳三は言った。
幼い頃はそれを見てもなんとも思わなかったが、今は違う。色気というものを持ち合わせている。
歳三には刺激が強かった。
「他の男にも見せるなよ」
「はいはい、わかってます。ほら、明日も早いんだから寝ましょう?」
歳三の心配は君菊も承知しているらしく、会話では軽くあしらっているが守り刀を布団のすぐ側に置いていた。
「また明日ね」
「ああ。またな」
こうして慌ただしい一日が終わった。
雪のような白い肌に蒼い絹地の着物を着ている。艶やかな唇に黒曜石のような綺麗な黒い瞳は、芹沢鴨を捉えて離さない。
名は君菊というらしい。芹沢には愛妾のお梅がいるが、その彼女に勝る美貌を持つ女であった。
これから先、この八木邸で同じく住むようだ。
土方歳三と親しげにしている。先ほど男共の会話から聞こえてきた。許嫁の仲なのだという。
──その仲を徹底的に引き裂いてやりたい。
同じ男から見ても美丈夫の男から奪ってやりたい。
どんな顔をするか。
どんな言葉を言うか。
試してみたい気持ちに駆られる。
だが焦りは何事も禁物だ。まずは相手をよく知ってから行動に移すべきだろう。
芹沢の思惑を知らぬ君菊は歳三だけでなく皆に笑顔を振りまいていた。
先ほどの無表情さは何処かへすっかり消えている。
「とりあえず…私は身の回りのことを中心にやりますね」
「君菊だけにやらせるのは申し訳ないよ」
「もちろん一人では無理なので当番制にしましょう。私も休む時は休みます」
「それなら良いかもしれないな。なぁ、トシ」
勇と君菊の会話を黙って聞いていた歳三は「良いんじゃねぇか」とだけ答えた。
本当に話を聞いていたのかどうか側から見れば分からぬ表情である。
何せ無表情に近い。だが君菊は正しく歳三のことを見ていた。聞いてないようできちんと聞いていたようだ。
そんな歳三は話を聞きながら別のことを考えていた。君菊のあの無表情である。
君菊という女はとにかく笑う女である。その女があの表情を見せるなど今まで一度もなかったのだ。
何か君菊のことで未だに知らない一面が自分の中にあるのではないか、と思わずにはいられなかった。
「話もまとまったことだし疲れただろう。君菊、部屋で休むといい」
「ありがとうございます」
勇と君菊の話が終わると、黙ったまま歳三が君菊の荷物を持って部屋へ案内するように歩いた。
部屋までの道のり何か一言、許嫁の仲なら言うべきだろうが二人は沈黙を貫いた。
会話などこの二人には必要なかったのである。
それくらい互いのことをわかり合っていた。ただ恋愛のことを除いては。
「荷物を運んでくれてありがとう」
「別にこれくらい気にするな」
歳三の部屋の隣に部屋は準備されていた。
君菊は気にしていないが、歳三はこの部屋の配置に最初は猛反対したのである。
好きな人が隣に居る──それだけでどれほど心臓がうるさくなることやら。
眠ることさえ出来なくなるのではないかと歳三は自身の体調を心配した。
最初は勇にそう抗議した歳三であったが、何かがあった時に一番に助けになれるのは自分だと言われ、どうにか納得するという経緯があった部屋だ。
「歳三の隣なら寝坊することはないわね」
「なんでだよ」
「情けないところを見せるわけにはいかないもの」
そう言って笑う君菊。部屋に入ると荷物を解き始めた。
歳三は何を言うわけでもなくぼんやりとその姿を眺めている。
「どうしたの歳三」
「なんでもねぇよ」
「夕餉はもう少し待ってちょうだいね。荷物の片付けが終わったら手伝いに行くから」
歳三はまだ腹を空かせているわけではない。
だから君菊の言葉は正しくない。
互いのことは大体はわかり合っているくせに、恋愛のことになるとさっぱり。
この時歳三が思っていたことは一つ。
──俺の部屋の隣で良かった。
そうしみじみと君菊の後ろ姿を見て思っていたのである。
最初は反対意見しかなかったが、こうして実物の人間を見るなり隣に居てくれた方が安心すると思ったのだ。
歳三の案内で、君菊は台所に来た。
既に他の男達が夕餉の支度をし始めている。しかし、何処か手際がおぼつかない。
台所仕事はこの時代では基本的に女がするものである。
男は働くことが中心だった。よって家事は男が苦手とするものになる。
君菊は持ってきた白い紐を襷掛けすると、台所の中心に立った。
「お待たせしてすみません。手伝いますね」
女の君菊が台所仕事に取り掛かると手際よく食事が作られていく。
今日の食事は、お茶漬けに沢庵である。
この頃の食事としては豪華なものだ。そして沢庵は歳三の好物の一つでもあった。
大広間に手分けして食事が運ばれていく。
台所担当をしていた男達は君菊の手際の良さに感心していた。
歳三はその男達が君菊に何かしないかをじっと見張っていた。
何故歳三が台所の入り口にずっと立っていたのか、知らぬのは君菊だけである。
食事が終わると後片付けに追われた。
君菊の台所仕事の動きを見て育った歳三。男にしては手際よくこなしていた。
当番制で台所仕事も行っている為、歳三と同じ当番である勇が意外そうにその動きを見ていた。
「手際がいいな、トシ」
「…まぁな」
「やはり君菊のおかげか?」
「あいつの動きを見てたからな。自然とこうなった」
「良いことじゃねぇか」
暖かな空気が、男苦しい屋敷の中でも流れていた。
就寝時。
「女ということを忘れないでくれよ」
「わかってます。貞操は大丈夫よ。自分でも守れるわ」
君菊の部屋で襦袢だけの姿になっている彼女を見ながら歳三は言った。
幼い頃はそれを見てもなんとも思わなかったが、今は違う。色気というものを持ち合わせている。
歳三には刺激が強かった。
「他の男にも見せるなよ」
「はいはい、わかってます。ほら、明日も早いんだから寝ましょう?」
歳三の心配は君菊も承知しているらしく、会話では軽くあしらっているが守り刀を布団のすぐ側に置いていた。
「また明日ね」
「ああ。またな」
こうして慌ただしい一日が終わった。
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