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文久三年(一八六三)一月。
幕府は十四代将軍徳川家茂の上洛前に、浪士をもって浪士を取り締まろうと浪士組の結成を決めた。
これは庄内郷士・清川八郎が自分にかけられた指名手配の撤回と、政治犯として獄中にあった同志の大赦を促し、赦免させる目的で計画したことであり、幕府は騙されたのである。
勇たちの間にも浪士組の知らせが飛んだ。もちろん、幕府が騙されたとは知らずに。
「浪士組、ですか」
「そうなんだ。ついに俺たちの番が来たかも知れないんだ」
勇のする話に君菊はついにこの時が来たか、と覚悟を決めていた。
攘夷の話をしている時からこうなる時が来るのではないかと考えていたのだ。
自分は浪士ではない。農家の娘である。
勇たちはこれを機に上京しようと話をしているが、彼女には無理な話だ。
嫁ぐこともせずにずっと世話をしている実家を放っておくことなど出来ぬことであった。
「道場はどうなされるのですか」
「彦五郎殿に守ってもらおうかと思っている」
「そうですか」
当たり前のように通ってきた道場ともお別れ。
そして何より幼馴染とも別れの時が来たのだと君菊は思っていた。
上京の話をそれでも終始穏やかに聞いていた。
あの日、歳三が武士になりたいと夢見ていることを知った時から君菊の中で別れの覚悟は出来ていた。
そんな君菊の様子を歳三は事細かく見つめていた。
道場からの帰り道。
茜色の空になっていた。夕日が二人を照らして影を作っている。
影の二人の間はとても近かった。
君菊は上京の話などなんてことのなかったかのように振る舞っている。
影は近いというのにこんなにも遠くなる。君菊はそう影を見て思った。
その態度が嘘であるくらい、幼馴染である歳三には見抜けていた。
二人の分かれ道。
君菊が背中を見せようとするのを歳三は腕を引っ張って阻止した。
「ど、どうしたの?」
「お前も一緒に京に来い」
「…はい?」
「いいから、そんな顔見せるくらいなら一緒に来いって言ってんだ!」
言っている意味が理解できた君菊は目をまんまるに見開いた。
この幼馴染で許嫁の男は自分の心中を察したらしい。
本当は寂しいと思っていることを、見抜かれたようだ。
歳三の夢の邪魔をしたくない。これは本音だ。そんな女になどなりたくない。
それでも別れは別である。長年一緒に居た。苦楽を共にしてきた。寂しく思わなぬはずがない。
「いいの…?」
滅多に見せぬ弱々しさを歳三の前で見せる。
声に力が入っていない。
それだけ寂しく思っているという証拠であった。
歳三は上目遣いで見てくる許嫁に我慢できす、自分の腕の中に閉じ込めた。
すっぽりと入ってしまうくらい細い体格。
そうだとしても誰よりも強い力を持っている女。
──誰にも渡したくないと思う女。
許嫁という立場だからなのか、君菊は嫌がるということはしなかった。
力は君菊の方が強い。だから拒否することだって出来た。しかしそれを良しとした。
みんみんと虫の音が聞こえる。かぁかぁと烏の声が聞こえる。
そんな中、二人の影が離れることはなかった。
──ずっとずっとこう出来たら良いのに。
初めて歳三の腕の中に包まれて、抱いた感想はそれだった。
許嫁だというのに抱きしめられるのは初めてのことであった。
でもそれは無理な話だと知っている。
君菊は何もかもを捨てる覚悟で、
「仕方ないわね。着いて行くわ」
そういつもの調子で歳三に告げた。歳三が心の中で喜んでいたのは言うまでもない。
「あんたが決めたことなんだから口は出さないさ」
君菊は母に歳三と共に上京する旨を伝えるとそう言われた。
とても優しい面持ちで言われて唖然とする君菊。
早く嫁いでほしいと散々言っていた母。孫が見たいと言っていた父。
父も彼女の決意を否定するようなことはしなかった。
当時にしては珍しい両親である。
「二人ともありがとう」
君菊の兄を除いて上京を認めてくれた。
兄だけは彼女が上京することを反対していた。
何故なら君菊は他にも結婚相手は探せる美貌を持っているからである。
そんなに待たせる男ならば他に嫁いで幸せになって欲しい。
そう兄だけは思っていたのである。
既に兄は嫁を貰っているからというのもあっただろう。妹の幸せを願っていた。
「兄ちゃん。私、兄ちゃんが反対しようとも行くからね」
「…勝手にしろ」
上京当日になっても兄は反対した。姿を見せることはなかった。
両親の見送られ、荷物を持って実家を後にする。
家の守り刀を持って君菊は道を歩いた。
待ち合わせ時刻より早めに出たが、歳三と鉢合わせた。
「おはよう」
「はよう。早いな」
「歳三こそ早いじゃない」
軽口を叩きながら彦五郎の道場を目指す。
道中、京には何があるかという話題で持ちきりであった。
京の町を知らぬ二人にとっては新鮮な話題だった。
そのような会話をしているとすぐに道場に辿り着いた。
既に勇と沖田と永倉が来ていた。
他の試衛館道場で語り合った仲間たちはまだのようだ。
「総司は京には何があると思う?」
「え?えっと…都じゃないっすか?」
「歳三と同じこと言ってる」
ふふふと短く笑う君菊。
その笑顔が見たかったと思う歳三なのであった。
幕府は十四代将軍徳川家茂の上洛前に、浪士をもって浪士を取り締まろうと浪士組の結成を決めた。
これは庄内郷士・清川八郎が自分にかけられた指名手配の撤回と、政治犯として獄中にあった同志の大赦を促し、赦免させる目的で計画したことであり、幕府は騙されたのである。
勇たちの間にも浪士組の知らせが飛んだ。もちろん、幕府が騙されたとは知らずに。
「浪士組、ですか」
「そうなんだ。ついに俺たちの番が来たかも知れないんだ」
勇のする話に君菊はついにこの時が来たか、と覚悟を決めていた。
攘夷の話をしている時からこうなる時が来るのではないかと考えていたのだ。
自分は浪士ではない。農家の娘である。
勇たちはこれを機に上京しようと話をしているが、彼女には無理な話だ。
嫁ぐこともせずにずっと世話をしている実家を放っておくことなど出来ぬことであった。
「道場はどうなされるのですか」
「彦五郎殿に守ってもらおうかと思っている」
「そうですか」
当たり前のように通ってきた道場ともお別れ。
そして何より幼馴染とも別れの時が来たのだと君菊は思っていた。
上京の話をそれでも終始穏やかに聞いていた。
あの日、歳三が武士になりたいと夢見ていることを知った時から君菊の中で別れの覚悟は出来ていた。
そんな君菊の様子を歳三は事細かく見つめていた。
道場からの帰り道。
茜色の空になっていた。夕日が二人を照らして影を作っている。
影の二人の間はとても近かった。
君菊は上京の話などなんてことのなかったかのように振る舞っている。
影は近いというのにこんなにも遠くなる。君菊はそう影を見て思った。
その態度が嘘であるくらい、幼馴染である歳三には見抜けていた。
二人の分かれ道。
君菊が背中を見せようとするのを歳三は腕を引っ張って阻止した。
「ど、どうしたの?」
「お前も一緒に京に来い」
「…はい?」
「いいから、そんな顔見せるくらいなら一緒に来いって言ってんだ!」
言っている意味が理解できた君菊は目をまんまるに見開いた。
この幼馴染で許嫁の男は自分の心中を察したらしい。
本当は寂しいと思っていることを、見抜かれたようだ。
歳三の夢の邪魔をしたくない。これは本音だ。そんな女になどなりたくない。
それでも別れは別である。長年一緒に居た。苦楽を共にしてきた。寂しく思わなぬはずがない。
「いいの…?」
滅多に見せぬ弱々しさを歳三の前で見せる。
声に力が入っていない。
それだけ寂しく思っているという証拠であった。
歳三は上目遣いで見てくる許嫁に我慢できす、自分の腕の中に閉じ込めた。
すっぽりと入ってしまうくらい細い体格。
そうだとしても誰よりも強い力を持っている女。
──誰にも渡したくないと思う女。
許嫁という立場だからなのか、君菊は嫌がるということはしなかった。
力は君菊の方が強い。だから拒否することだって出来た。しかしそれを良しとした。
みんみんと虫の音が聞こえる。かぁかぁと烏の声が聞こえる。
そんな中、二人の影が離れることはなかった。
──ずっとずっとこう出来たら良いのに。
初めて歳三の腕の中に包まれて、抱いた感想はそれだった。
許嫁だというのに抱きしめられるのは初めてのことであった。
でもそれは無理な話だと知っている。
君菊は何もかもを捨てる覚悟で、
「仕方ないわね。着いて行くわ」
そういつもの調子で歳三に告げた。歳三が心の中で喜んでいたのは言うまでもない。
「あんたが決めたことなんだから口は出さないさ」
君菊は母に歳三と共に上京する旨を伝えるとそう言われた。
とても優しい面持ちで言われて唖然とする君菊。
早く嫁いでほしいと散々言っていた母。孫が見たいと言っていた父。
父も彼女の決意を否定するようなことはしなかった。
当時にしては珍しい両親である。
「二人ともありがとう」
君菊の兄を除いて上京を認めてくれた。
兄だけは彼女が上京することを反対していた。
何故なら君菊は他にも結婚相手は探せる美貌を持っているからである。
そんなに待たせる男ならば他に嫁いで幸せになって欲しい。
そう兄だけは思っていたのである。
既に兄は嫁を貰っているからというのもあっただろう。妹の幸せを願っていた。
「兄ちゃん。私、兄ちゃんが反対しようとも行くからね」
「…勝手にしろ」
上京当日になっても兄は反対した。姿を見せることはなかった。
両親の見送られ、荷物を持って実家を後にする。
家の守り刀を持って君菊は道を歩いた。
待ち合わせ時刻より早めに出たが、歳三と鉢合わせた。
「おはよう」
「はよう。早いな」
「歳三こそ早いじゃない」
軽口を叩きながら彦五郎の道場を目指す。
道中、京には何があるかという話題で持ちきりであった。
京の町を知らぬ二人にとっては新鮮な話題だった。
そのような会話をしているとすぐに道場に辿り着いた。
既に勇と沖田と永倉が来ていた。
他の試衛館道場で語り合った仲間たちはまだのようだ。
「総司は京には何があると思う?」
「え?えっと…都じゃないっすか?」
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