88 / 106
第三章 農村防衛編
アラクネ
しおりを挟む地響きが始まった。
地底深くから沸き上がるような連続的な振動が体に響く。振動に目の前のモリフがブレて見えるようだった。
結界術媒介のクリスタルは割れた。つまり結界が解けた、ということだ。
であれば、この地響きの原因も容易に想像がつく。受け入れがたいその想像は間もなく、形を伴ってこの洞窟から溢れ出すだろう。
足音が近い。大群の中に巨大な何かが混ざった足音が段々と近づいてくる。
ハルトがモリフに目を向けると、モリフは悲しそうに目を伏せた。
「人間死んだらお終いだよ」モリフが言う。「笑うことも、泣くことも、ふざけることも、何もできない。美味しいオーク肉を食べることも、酒豪の実で酔っぱらうことも」
モリフが過去を懐かしむように俯いたまま静かに頬を緩めた。切なさを秘めた目が細くなる。
「でも生きてさえいれば——死にさえしなければ……またやり直せる。何度だって。たとえ村が滅んだとしても」
モリフが顔を上げた。
だから生きて、と訴えかけるような強い願いをその瞳に宿して、モリフがハルトを見据える。ハルトは読み取り切れなかったモリフの気持ちの断片を、今モリフから受け取った。
「モリフ……お前——」
ハルトが言いかけた丁度その時だった。洞窟から高温の湯気が噴き出し、一瞬で周囲の温度を上昇させた。
直後、大量のスモッグスパイダーが洞窟から飛び出してくる。ギチギチギチギチギチ、とスモッグスパイダーの関節が動く音が重なる。スモッグスパイダーの群れは洞窟を出ると大地を覆いつくす勢いで左右に大きく広がった。
ハルトは慌ててモリフを抱えて木の上に避難する。嫌な予感がする。ハルトは未だかつて『嫌な予感』が外れたためしがないことに気付き、憂鬱になる。
スモッグスパイダーがとめどなく流れてくる洞窟の入り口を半ば確信めいた思いで注視していると、間もなくソレは姿を見せた。
スモッグスパイダーよりも1周りも2周りも大きい。3メートルはあろうかという巨大な蜘蛛型の魔物——いや、蜘蛛型とも言い難い。なぜなら、下半身は確かに巨大な蜘蛛の足をしているが、その上には異様なほど肌の白い女性の上半身が生えているからだ。
白い裸体に赤い目がよく映える。その赤い目が左右に激しく振られた。自分を洞窟に閉じ込めた者を探しているのか、怒りをまき散らすかのように金切り声を上げて喚いていた。
蜘蛛の脚の関節にある穴から、燃え盛る憎悪をまき散らすが如く、勢いよく周囲に熱を帯びて橙色に発光する粉を噴射した。ちらちらと輝く雨が降るような光景は、思わず息を呑むほど、幻想的なものだった。
綺麗だ、と反射的に感じた次の瞬間には、それは暴力的な大爆発に変わった。
轟音と爆風がハルト達に正面からぶつかる。
顔が焼けるように熱い。ハルトは瀕死のモリフを抱きかかえながら樹にしがみついて耐えた。
スモッグスパイダーが爆風で吹き飛んで来て、近くの樹の枝をへし折って巻き込みながら、森の中に吸い込まれるように消えて行く。ぞっとした。いつハルト達が足をついている枝が折れるかも分からない状況で、それでもハルトは太い幹にしがみつくしかなかった。
爆風が止んだ。
目を開けると、辺り一帯は火の海だった。ハルトは急いでモリフを抱えて樹上を伝い、安全なところまで避難する。
「——なんちゅうもん封印してんだよ」
心からの非難をモリフに向ける。
しかし、何故かモリフ自身もその魔物を見て怯えていた。
「私、知らない……! 多分、アレ最初から洞窟にいたんだ……」モリフの声が震える。ハルトは、はぁ、とため息をついてから額に手を当てる。
「あれ、おそらくアラクネ種だよ。冒険者ギルドならS級案件の魔物だ」
アラクネは周囲に人影がないことを確認すると、スモッグスパイダーの行軍の流れに沿って、猛烈に走り出した。
鋭い足を大地に突き刺すように進む。足を踏み下ろす度にスモッグスパイダーが串刺しになり、アラクネの進んだ道にスモッグスパイダーの死体が転がった。
あの方角、とハルトは気が付き、血の気が引く。「村だ……村がヤバい!」
ハルトは慌てて樹から降りて、村の方へ駆け始めた。が、すぐにモリフに振り向いて、
「モリフ。お前はここで待ってろ! いいか、絶対待ってろよ!」
再びモリフに背を向けて、普段のハルトからは考えられない猛烈なスピードでアラクネの後を追った。
モリフはふぅ、と一つ吐息をついて、ハルトの背中を見送る。愛しい人との最後を惜しむような眼差しは、ハルトが見えなくなるまで——見えなくなっても、その余韻を噛みしめるように、じっと注がれていた。
ハルト様とマリア様なら大丈夫。そう呟いてから、モリフは手を合わせて祈った。
深い祈りを終えてから、モリフはゆっくりと立ち上がる。
「さよなら。ハルト様」
モリフは燃える樹の間をよろめくように歩き、まだ火の届いていない暗い森へ消えて行った。
♦︎
連戦はきつい。
きついが、あんな化け物が村を襲えば、一瞬で村は消し炭になる。それだけは避けなくては。
ハルトは悲鳴をあげる体に鞭打ってまた走る。飛行する敵の魔術師から逃げたり、モリフを追ったりと走ってばかりいる気がする。そして、今は蜘蛛を追いかけて走っていた。
アラクネは速かった。
だが、追いつけない程ではない。青い魔力を纏ったハルトならば、簡単に追いつくことができた。
しかし、追いつけるから言って問題が解決するとは限らない。ハルトはひとまずアラクネに『サーチ』がてら一発入れようと接近した。
ところが、
「熱っ! あっつ! やっば! やばいよやばいよ!」
周囲のスモッグスパイダーが一斉に熱を噴射し、湯気が立つ。あまりの熱さにハルトは前世の記憶を無意識に再現していた。気を抜けば「お・ま・え・は・馬・鹿・か?」とアラクネに向かって頭をトントンしたくなってくる。前世の記憶が枷になるのは初めての体験だった。
堪らず、ハルトはすぐさまスモッグスパイダーの行軍から距離を取る。
(ダメだ。アラクネに近づくことさえできない。いやでも、仮に近づけても近づき過ぎて奴にバレたら、さっきの爆裂魔法で吹き飛ばされるのがオチか)
先ほどモリフと樹上にいた時、スモッグスパイダーがすごい勢いで飛んで来て太い枝をへし折っていく姿が思い出された。
その時だった。脳裏に何かがスパークしたような閃きが生じた。
上手くすれば、このスモッグスパイダーの大群をどうにかできるかもしれない。
だが、それを実行するにはハルトだけでは不可能だ。
この作戦に必要なのは——
(ラビィだ!)
ハルトは樹の影に隠れながら、アラクネとスモッグスパイダーの大群を追い抜いて、村に全力疾走した。
村までいち早く戻れたとして近くにラビィがいなければアウトだ。1秒でも早く、とハルトは森を駆ける。
もう少しで村に辿り着くという頃、ハルトは濃いピンク色のモヤが一か所に留まっているのを見つけた。ラビィが仕掛けた置き型幻魔術だ。
置き型幻魔術は、そこを通る者に何らかの感覚障害を起こす効果がある。熟練者ほど、モヤの透明度が増し、気付かれにくくなるが、ラビィのはまだ未熟故に濃い魔力の色が浮き出ていた。
その上、そこを通っても特に相手に感覚障害は生じない。ただし、そこを通過した者の輪郭を捉えることはできる。つまり、遠くにいながら、何がそこを通ったのか知ることができるのだ。
野党の奇襲対策にいくつか森に設置するようラヴィに事前に命じていたのをハルトは思い出す。一縷の望みを掛けて、あえてそのピンク色のモヤを頭から通過した。
それだけでラビィがこちらに来てくれるかは、賭けだった。気にも留めない可能性もあるし、戦闘中で来られない可能性もある。だが、やらないよりはずっと良い。
ラビィがいてくれることを祈って、ハルトはさらに足を速めた。
152
お気に入りに追加
1,846
あなたにおすすめの小説
ReBirth 上位世界から下位世界へ
小林誉
ファンタジー
ある日帰宅途中にマンホールに落ちた男。気がつくと見知らぬ部屋に居て、世界間のシステムを名乗る声に死を告げられる。そして『あなたが落ちたのは下位世界に繋がる穴です』と説明された。この世に現れる天才奇才の一部は、今のあなたと同様に上位世界から落ちてきた者達だと。下位世界に転生できる機会を得た男に、どのような世界や環境を希望するのか質問される。男が出した答えとは――
※この小説の主人公は聖人君子ではありません。正義の味方のつもりもありません。勝つためならどんな手でも使い、売られた喧嘩は買う人物です。他人より仲間を最優先し、面倒な事が嫌いです。これはそんな、少しずるい男の物語。
1~4巻発売中です。
秘宝を集めし領主~異世界から始める領地再建~
りおまる
ファンタジー
交通事故で命を落とした平凡なサラリーマン・タカミが目を覚ますと、そこは荒廃した異世界リューザリアの小さな領地「アルテリア領」だった。突然、底辺貴族アルテリア家の跡取りとして転生した彼は、何もかもが荒れ果てた領地と困窮する領民たちを目の当たりにし、彼らのために立ち上がることを決意する。
頼れるのは前世で得た知識と、伝説の秘宝の力。仲間と共に試練を乗り越え、秘宝を集めながら荒廃した領地を再建していくタカミ。やがて貴族社会の権力争いにも巻き込まれ、孤立無援となりながらも、領主として成長し、リューザリアで成り上がりを目指す。新しい世界で、タカミは仲間と共に領地を守り抜き、繁栄を築けるのか?
異世界での冒険と成長が交錯するファンタジーストーリー、ここに開幕!
職種がら目立つの自重してた幕末の人斬りが、異世界行ったらとんでもない事となりました
飼猫タマ
ファンタジー
幕末最強の人斬りが、異世界転移。
令和日本人なら、誰しも知ってる異世界お約束を何も知らなくて、毎度、悪戦苦闘。
しかし、並々ならぬ人斬りスキルで、逆境を力技で捩じ伏せちゃう物語。
『骨から始まる異世界転生』の続き。
ペーパードライバーが車ごと異世界転移する話
ぐだな
ファンタジー
車を買ったその日に事故にあった島屋健斗(シマヤ)は、どういう訳か車ごと異世界へ転移してしまう。
異世界には剣と魔法があるけれど、信号機もガソリンも無い!危険な魔境のど真ん中に放り出された島屋は、とりあえずカーナビに頼るしかないのだった。
「目的地を設定しました。ルート案内に従って走行してください」
異世界仕様となった車(中古車)とペーパードライバーの運命はいかに…
生贄にされた少年。故郷を離れてゆるりと暮らす。
水定ユウ
ファンタジー
村の仕来りで生贄にされた少年、天月・オボロナ。魔物が蠢く危険な森で死を覚悟した天月は、三人の異形の者たちに命を救われる。
異形の者たちの弟子となった天月は、数年後故郷を離れ、魔物による被害と魔法の溢れる町でバイトをしながら冒険者活動を続けていた。
そこで待ち受けるのは数々の陰謀や危険な魔物たち。
生贄として魔物に捧げられた少年は、冒険者活動を続けながらゆるりと日常を満喫する!
※とりあえず、一時完結いたしました。
今後は、短編や別タイトルで続けていくと思いますが、今回はここまで。
その際は、ぜひ読んでいただけると幸いです。
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
そんな言葉から始まった異世界召喚。
呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!?
そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
ド田舎からやってきた少年、初めての大都会で無双する~今まで遊び場にしていたダンジョンは、攻略不可能の規格外ダンジョンだったみたい〜
むらくも航
ファンタジー
ド田舎の村で育った『エアル』は、この日旅立つ。
幼少の頃、おじいちゃんから聞いた話に憧れ、大都会で立派な『探索者』になりたいと思ったからだ。
そんなエアルがこれまでにしてきたことは、たった一つ。
故郷にあるダンジョンで体を動かしてきたことだ。
自然と共に生き、魔物たちとも触れ合ってきた。
だが、エアルは知らない。
ただの“遊び場”と化していたダンジョンは、攻略不可能のSSSランクであることを。
遊び相手たちは、全て最低でもAランクオーバーの凶暴な魔物たちであることを。
これは、故郷のダンジョンで力をつけすぎた少年エアルが、大都会で無自覚に無双し、羽ばたいていく物語──。
王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します
有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。
妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。
さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。
そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。
そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。
現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる