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第三章 農村防衛編
決断
しおりを挟むハルトとルイワーツは空を見上げていた。
防壁のはるか上空。魔法で暗闇に適応化させた目で、悠々と防壁を越えて村の領空に入ってくるローブの少女を見送っていた。
「ハルトさん、あいつ飛んでません?」とルイワーツが少女を見上げながら訊ねる。
「飛んでるねぇ」
「防壁、意味なくないっすか?」と一目瞭然のことをまたルイワーツが訊ねる。
「意味……ないねぇ」
なんとも言えない虚しさが訪れる。せっかく頑張って作ったのに。『試験勉強頑張ったのに試験範囲が全然違っていた』くらいの虚しさだ。
「ルイワーツさん、ちょっと浮いて倒してきてよ」
「無茶言わないでくださいよ。浮遊魔法って上級冒険者は当たり前のようにやってますけど、あれ本当は相当高度な魔法ですからね?」
「だよねぇ……」
ハルトは浮遊できない上に遠距離攻撃スキルはない。つまり、打つ手なし。
浮遊魔法が使えるということは、相当の手練。おそらくブラックリスターだろう。そんな実力者にウロウロされてはたまったものではない。なんとかして引き摺り下ろす必要があった。
ハルトが、どうしたものか、と途方に暮れているとルイワーツが「俺、遠距離技、一つだけ持ってますよ」と言った。
「おっ! さすが元冒険者! ルイワーツさん! やっちゃって! 撃ち落としてください!」
ハルトが囃し立てると、ルイワーツは槍を構えて闘気を漲らせる。
(なんて闘気の集中だ……! すごい! ルイワーツさん!)
ルイワーツは「はァァアア! エクステンションスピア!」と力強い気合いと、特に詠唱する必要のない技名を何故か叫び、上空の少女の方向へ槍を突いた。
空を突いたのに、突きの衝撃は消えることなく、空気を伝導し、上空に登っていく。
完璧な不意打ちであった。少女の顔面に向けてエクステンションスピアが迫る。
少女も認知していなかった伏兵からの一撃に、反応ができない。
「決まった! ヘッドショットだ!」とハルトが興奮気味に叫ぶ。
エクステンションスピアの衝撃は少女の頬っぺたにぶつかり、ぷにっと柔らかそうな頬っぺたが一瞬形を変え、そしてぷるんっ、と形状記憶合金のように元に戻った。
肩を叩かれて振り向いたら頬っぺたツン、くらいの威力である。
気まずい沈黙が訪れる。ハルトとルイワーツはおろか敵の少女まで黙ってこちらを見下ろしている。
ハルトはルイワーツに顔を向ける。説明を求める、とでも言うように冷たい視線で睨みつけた。
ルイワーツもおそるおそるハルトに振り返る。
「…………ね?」
「いや『ね?』じゃないからァ! 誰が頬っぺたツンしてって言ったァ?! 無駄に僕らの位置バレただけなんだけど!」
「し、仕方ないじゃないですかァ! ちょっとあれは遠すぎます! それに不用意に頬っぺたツンされたんだから、奴のプライドはズタボロですよ!」
すると、少女が進行方向をこちらに変えて、急降下して近づいて来た。
「ほら! 来た! 来ました! 見てください! 撃ち落としました!」とルイワーツが興奮気味に少女を指差す。
「いやあれは撃ち落としたって言わないでしょ。自ら落ちてきてんだから……というか——」
少女は手のひら上に半透明の紫色をした球体を出現させ、こちらに放り投げた。
「ば、ちょ、逃げろ逃げろ逃げろ!」とハルトがルイワーツを押して少女から遠ざかるように走り出す。
球体はハルト達の後方に落ち、落下点で霧散した。
「なんだ、あの魔法?!」とルイワーツが顔だけ振り向いて驚愕に目を見張る。
(毒系か? いや、あの空気に滲むような消え方……幻魔術か)
「とにかく逃げよう! 空から遠距離攻撃されたんじゃ、僕らにはどうにもできない」
「俺のエクステンションスピアがありますよ?」
「あの役に立たない頬ツンスピアのことは一旦忘れよ?」
少女は空からハルト達を追って来る。幻魔術の魔弾をこれでもかと放って来るが、幸い距離があるのと、そこまでの弾速がないのとで、魔弾を躱しながら逃げるのはそこまで難しくなかった。浮遊魔法も地を行く程のスピードは出せないようで、引き離しはできないものの真上を取られるようなこともない。
しばらく走っていると、東の城門の方から5人の村人がやって来た。内1人は、戦闘の才を持つ副リーダーだ。
「まずい。こっちに来ないよう伝えなきゃ!」ハルトは言うが早いか、こちらに駆けて来る村人達に「城門に戻れ!」と大きくジェスチャーをして叫んだ。
——が、返って来たのは矢だった。ハルトの頬を掠めて矢が通過して行った。
「え」と声が漏れる。続けて矢が横殴りの雨のように次々と飛んで来るのを見て「うわァァアア」と横に転がって避ける。
「アイツら! 謀反か!」とルイワーツが村人に槍を構えるが、ハルトは起き上がるや否やルイワーツの手首を掴んで「違う! とりあえず逃げるよ!」と村人から遠ざかって、少し距離が縮まっていた少女からまた逃げる。
ゼェハァと息を荒げながら、ハルトが言う。「多分、幻魔術だ! 風下は東。僕らに幻魔術の魔弾を乱射しながら実の狙いは東の城門だったんだよ!」
「えヤバくないすか?! 城門がやられたら村はお終いでしょ!」
「まだ城門までは距離がある。あの村人は巡回組だからこっちまで来てて幻魔術の範囲内に入ったんだ。流石に城門までは届かないはずだよ! だから僕らはこのまま北西に逃げる!」
そろそろ北西の角に到達する、という頃には僅かばかり少女を引き離すことに成功していた。
「壁まで行ったらどうするんです?」とルイワーツが問う。
「どうしようね」
「ノープランですか?!」
「ちょ! 待って! 今考えてるから! 乱さないで!」
そんな事を言っている間に、特に閃きもないまま、角付近まで辿り着いた。
そこには大鎌を持った司祭服の少女がいた。梯子を壁に掛けているところだった。
「あれ?! モリフ! こんなところで何やってんんだよ! てか、今までどこにいた?!」とハルトが歩み寄る。
ここ3日程、モリフは教会堂を空にしており、昼間も一度たりとも姿を見せなかった。数日ぶりの再会だった。
——が、モリフは返答も挨拶もせず、代わりに邪魔者を払うように大鎌を横なぎに降った。ハルトは、「うわ」と尻もちをついて、かろうじて刃を避けた。
「幻魔術にやられたか!」とルイワーツがハルトの前に出てモリフに槍を向ける。
ハルトはモリフの目を見ていた。
幻魔術にかけられた者の目は怒りや憎しみに染まることが多い。憎む相手と誤認させて同志撃ちさせるのだ。
だが、モリフの目は違った。憤怒がない。憎しみも。
ただ悲しそうな色をその瞳に映していた。
今の一撃にしたって命を刈り取ろうという意志はまるで感じられなかった。牽制のような一振り。幻魔術に化かされている者はそんなことはしない。
「違う」とハルトが口にする。信じられないことを無理やり納得させるかのように。「モリフは操られていない」
モリフは、ハルトとルイワーツが呆然としているのを見て取ると、梯子まで走り、一気に上り切った。そして、梯子を大鎌で刻んでただの木片に変えると、防壁上からハルトに言った。
「ごめんね」
モリフが防壁の外側に消えた。
ハルトは選択に迫られる。
モリフはどこに? 分からない。分からないが、何か重要なことのように思える。それにモリフは無事で済むのか? なんとなくこのままモリフが戻ってこないような確信めいた予感がしていた。
「ハルトさん!」
後ろからは幻魔術の少女。放っておけば村中で同志撃ちが起こる。ダメだ。この少女は野放しに出来ない。ここで仕留めるべきだ。でもモリフが——
「ハルトさん!」
今追わなければ見失う。まだ1キロ圏内なら僕なら感知できる。モリフを助けるなら今しかチャンスがない。
村人かモリフか。どちらだ……どちらを——
ハルトは頬を殴られて吹き飛んだ。
何が起きたのか、と上体を起こして顔を向けた。
「しっかりしてください! ハルトさん!」
泣きそうな顔で拳を抑えるルイワーツがいた。
殴ったルイワーツの方が痛そうに顔を歪める。
「ルイワーツさん……僕は……どうしたら……」首を左右に振ってハルトは訴えかける。僕には決断できない、と。モリフか、村か。それを決断する非情さがハルトにはなかった。
ルイワーツが笑う。「困った時は、ハルトさんがどうしたいか、で決めていいです。領主ですから。多少の横暴は許されるでしょ」
ルイワーツの笑顔にハルトの心が僅かばかり軽くなる。ハルトはルイワーツの目を見て答えた。
「僕は……モリフも救いたい」
あはは、とルイワーツが今度は声をあげて笑う。「流石ハルトさん! わがままですね!」
ハルトが何か言う前にルイワーツは「でも」と続ける。
「でも、ハルトさんらしいです。俺はハルトさんに従います」とルイワーツが跪く。
ハルトは天を仰いで大きく深呼吸すると、上空の少女の方を見る。もうだいぶ近づいている。
それからルイワーツに目を向けて、告げる。
「僕はモリフを追う。ルイワーツさんはあの女を引き連れてなるべく逃げ回って。マリアさんが来るまで」
「分かりました」とルイワーツが悪巧みをするように口角の片側を上げて、また笑った。
それからルイワーツは壁に背をつけると手を合わせてハルトを待ち構える。
ハルトは勢いをつけてルイワーツの手を台にし、防壁の上まで跳んで登った。
防壁の上からハルトは「もう一つ命令」とルイワーツを呼び止める。
「絶対死なないで」
ルイワーツは槍を掲げて応じた。
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