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第二章 農村開拓編
守る
しおりを挟むルイワーツは席を勧められても立ったままでいた。
手が冷たい。喉がヒリつく。息の仕方ってどんなだっけ。
目の前の大男は屈強な戦士であることは間違いないのだが、ルイワーツには強大な権力の塊に見えていた。
「まぁ、そう構えないでくれ。まずは席について茶でも嗜もうではないか。ワルイーツくん」とギルドマスターのヴァルカンが再度ルイワーツにソファーに座るよう促す。
名前を間違えているのは『悪い奴』という言葉と引っかけたダジャレなのか、あるいは悪気はないのか、ルイワーツには判断がつかなかった。
「ルイワーツです」と緊張しながらも一応訂正するが、ヴァルカンは悪びれずルイワーツをじっと見つめる。まるで『座らないのかね?』と訊ねるような視線に、とうとうルイワーツは腰を下ろした。
ギルドマスター室は広さの割にこざっぱりとした印象だった。ヴァルカンのデスクと接客用のテーブル、ソファー、それからぎっしりと古書が詰まった本棚や魔道具らしき物が飾られた木棚。それくらいしか物がない。
ヴァルカンのデスクにも物がなく、書類はおろか、ペン立てやギルド印すら見当たらない。ーギルド職員の書類が山積みになったデスクとは大違いである。
給仕の者がルイワーツの目の前に茶を置いた。茶を頂く時の作法がルイワーツには分からない。そんな作法があるのかどうかすら判断しかねる状態なのだ。とてもカップを手に取ろうと思える心境ではなかった。
ヴァルカンがカップを持つと、そのカップが異様に小さく感じられた。ルイワーツは自分に出されたカップをもう一度よく見てしまう。とても同じ大きさのカップとは思えない。
ヴァルカンはカップに口をつけ、一口飲む。それから今度はルイワーツにその鋭い目を向け「毒など入っておらんよ。ワルイーツくん」と言ってから、また一口味わった。
仕方がないのでルイワーツもカップに口をつけて傾ける。緊張で何の味もしない。水よりも味気ない液体を飲んだのは初めてだった。
「さて、ワルイーツくん」
「ルイワーツです。ヴァルカン様」
「キミと会うのはあの日以来だね」とヴァルカンがルイワーツの訂正を無視して、思い出話でもするかのように微笑んだ。
あの日、と聞いてルイワーツの動悸が早まる。
ヴァルカンはルイワーツの様子を観察するようにじっとルイワーツの目を見ていた。
恐怖をぐしゃぐしゃに潰すように、震える手をぎゅっと握り締めて「その節はご迷惑をお掛けしました」とルイワーツは頭を下げた。
下手なことは言えない。『罪人に情けをかけていただき』とでも言おうものならば『あ、やっぱりキミやってたんだね。じゃあ死刑』と返されそうな、静かに粗を探すような悪意がヴァルカンに取り巻いているように見えた。
もちろんヴァルカンに対する恐れがそう見せているだけなのだろう、とは分かっていた。
ヴァルカンはルイワーツの当たり障りのない挨拶に、少しだけ残念そうな顔をした気がした。いや、それもやはり俺の恐れ、とルイワーツが心の中で自分を嗜める。
「いや。キミが詫びることではない。被害者が何もやられていない、と言うのだ。被害者なくして何を裁く? 何の罪だ? 釈放されて当然のことだ。もちろん私も自分の仕事を全うしただけなのだから、キミを裁判にかけたことを謝るつもりはないがね」とヴァルカンが笑った。
ルイワーツは苦笑して曖昧に頷く。余計なことを言わないように、口数は必要最低限にしたかった。
「さて、では本題に入ろうか」とヴァルカンが言った。「無実の罪で自分を殺そうとした相手に押しかけてきたのだ。並大抵の事態ではあるまい」
きた、とルイワーツは身構える。何百回と頭の中でシミュレーションした内容を、ルイワーツは冒頭から口にした。「はい。ヴァルカン様にご報告したい儀がございます」
「ギ」とヴァルカンが繰り返してから笑った。「その儀とやらを聞かせてもらおうか」
ルイワーツは呪術屋でフェンテから聞いた一部始終をヴァルカンに説明した。ただ、フェンテが絡んでいることだけは隠して話した。なんとなく、そうすべきだとごく自然に判断していた。
全てを聞き終えたヴァルカンは「なるほど」と呟く。
「だが、それがウチのダゲハの企みだ、などと何故言えるのかね」
「それは……」とルイワーツは言葉に詰まった。証拠などない。ただ状況的に『ダゲハ以外の者に動機がない』というだけだった。
「証拠がないことにはな」
ヴァルカンが言葉を濁す。しかし、ルイワーツは一度食いついたからには絶対に離すまい、と必死に食い下がった。
「しょ、証拠はありませんが! ですが、賊を捉えれば必ず証拠がでます。依頼の大元までたどり着けるはずです」
ヴァルカンは難しい顔をして自らの髭を触っていた。しばらく沈黙が続いていたが、やがて「よし分かった」と立ち上がり、ギルドマスター室の大きな窓までゆっくりと移動して外を眺めた。外を眺めたままヴァルカンが言った。
「冒険者ギルドが全面的に協力しよう」
「本当ですか!?」とルイワーツも立ち上がった。
もし失礼でなければ、ヴァルカンの手を取ってぶんぶん振り回して握手をしたいところだった。
まさか、協力を得られるとは思ってもいなかったのだ。事実が発覚すれば、むしろ身内からまた裁判にかけられるものが出ることになる。それも今度は下っ端ではなく、幹部の一人だ。それにも関わらず協力してくれるというのだから、素晴らしい英断だと言えた。
「ああ。私からダゲハに話をしてみよう。その代わり、本当にダゲハが関わっていると分かるまではウチの職員に手荒なことは止してもらおうか」
「は、はい。それはもちろん。我々は村の防衛を最優先に動きますので」とルイワーツが答える。
今更ダゲハが口を割る可能性は低い。であれば、当初の目的であった『襲撃を未然に防ぐ』というのはやはり難しいかもしれない。だが、ギルドマスターが協力してくれるならば、村の防衛などやりようはいくらでもあるだろう。希望が見えてきた、とルイワーツは感情が高揚していた。
「では、これからは綿密に連携を取って動こうではないか。パーティの全滅は往々にして連携ミスから始まる」とヴァルカンが元冒険者らしいことを言う。
「はい。お呼びであればいつでも伺います」
「うむ。ではキミの仲間にもそう伝えてくれ。ところで、この都市にいるキミの仲間——この話を知っている者、とも言えるが、それは何人くらいいるのかね?」
ルイワーツが『あと1人います』と言おうとして、唐突にフェンテの笑った顔が頭に浮かんだ。
——ありがとうございました。
と頭を下げるフェンテが思い出される。呪術屋での記憶だ。
今まで誰かに本気で感謝されたことがあっただろうか。
なかった。こんなクズに頭を下げる奴などいなかった。初めてだった。ルイワーツが人を助けたのはあの時が初めてだったのだ。
温かい、と思った。
感謝されているのに、逆に感謝したくなるような、気持ち良さ。それでいてなんだか恥ずかしくて、やっぱり少し居心地が悪いようなむずがゆさ。
全部ひっくるめて悪くない、と思った。
守りたい、と思ったのだ。
俺はフェンテを守りたい。
その気持ちが理屈や思考を飛び越えて、ルイワーツの口を動かした。
「いえ。俺一人です」
やっちまった。嘘ついちまった。せっかく信用してくれたのに。何やってんだよ俺。と、ルイワーツは罪悪感で潰れそうになる。
ヴァルカンはゆっくりとルイワーツに歩み寄りながら、人の良さそうな笑みを浮かべていた。
「そうか。いや、でも良かった」とヴァルカンが大げさに1つ頷いた。
何が良かったのですか、そう訊ねようとして、その言葉は結局出すことが出来なかった。
「か、は、あ゛」と呼吸ができない苦しみが音となって漏れるだけだった。
ヴァルカンの右手がルイワーツの首を握り潰さんばかりの力で掴み、ルイワーツは宙に持ち上げられていた。体を動かそうとしても、ピクリとも動かない。魔法で形成された黒い鎖が掴まれている首を始点として全身に巻き付いていた。ぎちぎちと鎖がルイワーツを締め付ける。ルイワーツの顔は血が滞留して真っ赤に染まり、血管が浮き上がっていた。
「本当に良かったよ。お前が馬鹿で」
ヴァルカンの笑みは消えていた。昆虫の足を一本ずつもいでいくかのような残虐性がその顔には表れていた。苦しそうに青い唇をぱくぱくと動かすルイワーツを眺めながら、ヴァルカンが囁く。
「大丈夫、殺しはしない。キミには大事な役割があるのだよ、ワルイーツくん」
ヴァルカンは相好を崩して、宙を見つめ思いを馳せる。
「あのハルト、どんな顔をするかねぇ。キミが襲撃の首謀者だと知ったら」
(こいつ……俺を首謀者に仕立て上げる気か……!?)
ルイワーツがヴァルカンを睨む。
こいつはダメだ。どうにかしなきゃ。だが、体は動かない。
こいつの本性は俺しか知らない。
俺がやるしかない。
俺が守る。
ハルトさんも。マリアも。村も。フェンテも。
俺が…………ま、も——
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