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第二章 農村開拓編
思い出
しおりを挟むひィィ、と情けない声を上げながらフェンテはナイフを振り下ろした。
刃が欠けそうな固い音が響き、ナイフが弾かれる。
鉱山の深部に重い足音がズシンズシンと響き渡っていた。黒くごつごつした岩が重なってかろうじて人形に見えなくもないソレは、フェンテの頭上に重そうな岩の腕を振り上げる。
フェンテの顔が引き攣った。あの岩の腕が頭に落ちたらプチトマトのようにフェンテの頭は弾け飛ぶことだろう。
「ロックドールだね」とマリアが呑気に種族名を挙げ、いつの間にか抜いた大太刀で軽々とロックドールの一撃を受け止めた。
それから「もォ、早くトドメさしてよね。キミのレベル上げで来てるんだから」とフェンテに苦情を入れる。
「そ、そそそんなこと言ったって、このナイフじゃ無理ですゥ! もっと長くて先端の細いものじゃないと……」
ロックドールは全身岩で出来ていて物理攻撃ではとてもじゃないがまともなダメージは与えられない。
顔に開いている眼孔の隙間から得物を差し込めば、頭部にある魔核に直接刃がとおり、一撃で仕留めることができるのだが、フェンテの持つナイフでは刃長が短すぎて魔核まで刃が届かないことは明らかだった。
フェンテがもたもたしていると、唐突にドンという短い衝撃音が走り、それと同時に石のカケラがフェンテの頬に飛んでくる。
『何?!』と思った時には、既にロックドールの顔面の岩がガラガラと崩れ落ちていた。
マリアの拳からロックドールの顔面だったカケラがぱらぱら落ちるのを見て初めて『もしかして殴った?!』と気が付く。
ロックドールは胴体の上に魔核を剥き出しで乗っけた魔核ドールに成り果てていた。哀れである。
フェンテはロックドールに同情しつつも、えい、とナイフを突き刺すとさっくり逝った。ロックドールは崩れてただの岩に成り果てる。
「マリアさん、無茶苦茶です……。素手で岩の装甲を破る人、初めて見ました」と呆れた顔を向けるが、マリアは全く気にしていない様子で「どう? 鉄操れるようになった?」と訊ねてきた。
フェンテは手に握られている鉄のナイフに意識を向けてみる。
体温が熱くなるのを感じる。フェンテは全身の熱を手に集中させるように流動させた。
それを受けてナイフが淡く光るが、それも一瞬、すぐに光の粒子は霧散して、フェンテの手中の熱も落下するように体内に均等に戻っていった。
ぷはァ! と息がつくと、乱れた呼吸をそのままに「ダメです」と答えた。
「まだ鉄は扱えなさそうです」
「えぇ~、こんなに狩ったのに?」とマリアが不満げな顔を見せる。それも無理はないことだった。フェンテにトドメをささせた魔物は既に10を超えている。
「もう少しなんですけど……。何かが足りなくて」
フェンテも困っていた。
ハルトに課されたミッションは『鉄を自在に操れるようになること』だった。なんでも、これがあるかないかで、村の防衛の難易度は雲泥の差らしい。
スキルを磨くにはレベル上げが一番だという。実際、熟練職人も『親方』になる条件として、各地を旅して技術を磨くことが定められている。少しでもレベルを上げさせて技術力を高める狙いなのだろう。
この2日の鉱山での戦闘訓練でフェンテのレベルは格段に上がった。だが、肝心の錬金術の方はあと一歩というところでコツを掴みきれずにいた。
「足りないのは情熱ね」とマリアがテキトーなことを言う。「本気で『やってやろう!』って思ってれば大抵のことは上手くいくものなんだからさ」
「マリアさんと一緒にしないでください」
フェンテが半眼でマリアを睨む。『挫折』という言葉を知らない天才と同じ土台で語られるのは理不尽極まりない。天才の根性論ほど厄介なものはない。
(だいたいもう既に一生懸命やってるし! 何がいけないっていうのよ! もォ頭くる!)
フェンテの一歩一歩がずっしんずっしんと、ロックドールのような乱暴な歩みに変わる。やり場のない怒りを帯びて足音が坑道内に響いていく。奥からはカンカンとつるはしを振るう音も鳴り続けていた。
採掘は狩猟班に任せて、フェンテとマリアは別行動をとっていた。
狩猟班は『とにかく鉄鉱石を掘れ』と雑なミッションを与えられながらも「うわ、ムカデ!」「そっち行った」「いやァァアア」「お前、大の男が虫くらいで——いやアアアア!」「ぎゃはははは」と楽しそうにやっている。呑気なものだ。
フェンテが黙って先を歩く。マリアも後ろから無言でついてきてきた。
不意に後ろから「渡さないから」とマリアの敵愾心に溢れた声が聞こえた。
フェンテが振り返る。
「ハルトくんは渡さない。絶対に」マリアはフェンテを睨んでいた。唐突で脈絡のない宣言にフェンテは戸惑う。
「渡すも何も……いらないですし。私稼ぎの良い男にしか興味ないんで」とフェンテが白けた顔を作って向けるが、マリアの顔は相も変わらず警戒に満ちている。
「嘘だね」とマリアが言う。「あなたは自分に嘘をついている」
心がざわついた。顔が歪む。その顔を見られたくなくて反射的にフェンテは俯いた。痛いところを突かれた、と一瞬でも思ってしまった自分が嫌だった。
私はお金が好き。ハルト先輩は好きじゃない。そう心で唱えてから静かに深呼吸して再びマリアに顔を向ける。
「嘘なんかついてません。分かったようなこと言わないでください」
「分かるよ。顔を見れば大体分かる」
「なんですか、それ」とフェンテが呆れた風を装い、マリアに背を向けて、そのまま、また探索を再開した。
マリアに背を向けたのだから、当然マリアは後ろにいたはずだ。なのに、いつの間にか音もなく、フェンテの面前にマリアの顔があった。フェンテの足が止まり「ひっ」と短く悲鳴を漏らしてのけぞる。マリアはフェンテに構うことなく、怪談話でもはじめそうな顔——無表情で目だけ見開いた顔——で、じーっとフェンテを見つめていた。
「泥棒猫の顔。それもメス。しかも発情期」
「そ、そんな顔してません!」と手でマリアを振り払おうとするが、ひょいと躱され、カウンターとばかりに頬っぺたを片手で挟まれた。
「初めからキミのハルトくんに向ける目は怪しいと思ってたんだよねぇ。ただの先輩に向ける目じゃない。泥棒猫の目。それもメス。しかも——」
「泥棒猫のくだりはもういいですから!」
「——発情期」
「無視して言い切らないでくれます?!」
発情なんてしてないもん、とフェンテの顔が赤くなる。顔が熱い。この熱の意味するところは、羞恥なのか怒りなのか、自分でも分からなかったが「いや怒りだ」とフェンテは勝手に解釈した。
マリアを押し除けて、先に進む。マリアが後ろに付き纏う。
「まぁでも」とマリアの口は止まらない。旦那を取られまいとマリアはマリアで必死なのかもしれない。「いくらハルトくんに色目を使おうと無駄だよ。ハルトくんは鈍感朴念仁の権化だから」
フェンテはマリアを無視して歩みを進めつつも、『それは、そう』と心の中で同意した。
マリアさんも苦労しているのかもしれない、と少し同情の念すら芽生えた。
「それに、ハルトくんはもう私の旦那様だから。ハルトくんのこれまでの過去も、これからの未来も、全てひっくるめてハルトくんは私のものだから」とマリアが告げた。
いつもどんな時も圧倒的な強さや魅力で他者を蹴散らしてきたマリアにしては、どこか余裕のない焦った顔をしていた。それだけフェンテに対する警戒心は強いように思えた。
しかしそれが仇となる。
マリアの牽制の一言が、却ってフェンテの閉ざされた恋心に一石を投じた。
——これまでの過去も。
その言葉が、フェンテの心に爪を立てる。
フェンテの脳裏にハルトとの思い出がまるでシャボン玉のように浮かんでは消え、また浮かんだ。
他愛もないことでふざけ合った記憶、計算術を教えてもらった記憶、飲めもしないのに一緒に居酒屋に突撃した記憶、フェンテのミスをかばってくれた記憶、罰として残業するハルトと肩を並べて翌朝まで作業した記憶。
これまでのハルトとの全ては温かく、そして心地良かった。フェンテの心のど真ん中。中心に据えられたそれらの思い出が、今ぽっかりとなくなろうとしている。そう考えたら怖かった。体の一部が失われるような恐怖をフェンテは感じていた。
今までのハルト先輩との思い出も……?
私を守ってくれて、助けてくれて、進むべき道を示してくれたあの眩しい笑顔も……?
全て…………マリアさんのもの——
「冗談じゃない」
意識せずに口をついて出た言葉は、それ自体がスイッチであるかのように、フェンテの頑なな『偽りの鎧』を崩した。
ひとたび口から肯定が飛び出てしまえば、もはやフェンテにハルトへの想いを拒絶する理由はなかった。フェンテがマリアに振り返る。
ちょうどその時、通路の先のT字路の角から、ロックドールがのしのしと姿を見せた。
フェンテはロックドールに背を向けている。
「マリアさんが何者であろうと、ハルト先輩との思い出は私のものです」とフェンテはロックドールには見向きもせずマリアに言う。
「フェンテ! 後ろ!」とマリアはフェンテが気付いていないと思ったのか、慌ててロックドールを指さして示した。だが、フェンテはマリアの言葉には取り合わない。
「これまでの思い出も、これからハルト先輩と作る思い出も、私とハルト先輩の思い出は全て私のものです!」
ハルト先輩は渡さない。その強い『欲』とも言える想いが、フェンテのスキルに作用した。
フェンテの持つナイフが淡く光り、一瞬にして形を変える。
細く、長く、そしてそれまでのナイフよりもはるかに固い『突き』に特化したナイフ。
フェンテはロックドールに顔も向けず、気配だけで振り下ろされた岩の腕をひょい、とかわした。
そして豆腐でも刺すかのように、すとんとロックドールの眼孔にナイフを突き刺す。力を込めているようには全く見えない。泥に沈みこませるような緩慢とした動作で、ロックドールの内側の魔核を貫くと、ロックドールは音を立てて崩れ、ただの岩に成り果てた。
ガラガラと崩れる岩を見て固まるマリアに、フェンテが笑いかけた。
「マリアさん。知ってます? この国って貴族の側室制度が認められているんですよ?」
そう口にしたフェンテの目は三日月型に怪しく歪み、もはや『迷い』など微塵も感じ取れない、したたかな目をしていた。
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