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第二章 農村開拓編

会心の一撃

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「何故、来ない!」


 ハルトが快晴の空に「ガッデム!」と叫ぶと、マリアが「なにそれ」と首を傾げた。
 村人が領主直営りょうしゅちょくえい農地の手入れに来ない。ハルトが憤っているのはそれである。
 農民の反逆、とまではいかないまでも明らかに反抗的、非協力的な態度を見せる農民にハルトはまいっていた。


 一方マリアは、


「私はハルトくんと2人きりでもぉ、別にィ、いいかなぁ…………なんて」ともじもじ、てれてれ、と言う。


(なんて心が広いんだ。賦役ふえき労働をサボる農民を許すなんて)


 ハルトにマリアの真意は届かない。ただ無駄に尊敬——というよりももはや信仰に近いが——だけは稼いでいた。ハルトにとってマリアは妻であるにもかかわらず、雲の上の存在としてあがめる対象でもあった。


「マリアさんがそう言うなら」とハルトが上衣着ブリオーを脱ぐと半裸になった。賦役ふえき労働に来る農民と作業するつもりだったので洗濯物を減らそうと肌着シュミューズは着ていなかった。

 ズボンブレ一丁いっちょうのハルトを見て、「え?!」とマリアがぎょっとした。

 男が女の前で服を脱ぐ——しかも『二人きりでいたい』と伝えた直後に——ということは、つまるところ、そういうことである。と、マリアがそう考えたとしてもおかしくはなかった。

 マリアは、不意に訪れたラッキースケベがあまりに唐突だったために、かえって躊躇ちゅうちょした。ラッキースケベを享受きょうじゅするのは本来男の方であることが多いが、マリアにとっては、これはまごうことなきラッキーなスケベ。ラッキースケベである。

 ハルトはためらうことなく、半裸のままマリアに突き進んで行く。その顔は覚悟を決めた男の顔をしていた。その勇ましい顔は『こうなったら、やるしかない』そう物語っていた。

 一方でマリアの方は慌てて手を突き出し、顔を背けて身体はのけぞる。——が、その割には逃げることなくハルトが迫ってくるのを待ち構えているようでもあった。


「ハルトくん?! ちょ、待って! まだ心の準備が! ちゅーもまだなのに、こんないきなり過ぎて——せめてあみだけでも」


 マリアは耳まで真っ赤にして、目がぐるぐると泳ぐ。そして、ハルトが目の前まで来ると、ギュッと目をつむって訪れる幸福を待った。


 しかし、ハルトの次の行動はマリアの想像とはまるで違かったようで、


「見て、レベルアップして盛り上がったこの筋肉! ハハハ、こうなったらもう僕一人で農作業してやるゥ!」力こぶを作って楽しそうにキャッキャとくわを振り回すハルトを前に、マリアはそっと目を開く。そしてそのグールのような光のない瞳がハルトに冷たい視線を浴びせた。


「あっそ。がんばれば」


 マリアが不機嫌になったのは言うまでもない。




 ♦︎





「そのくわいつも持ってるよね」とマリアが言った。


 畑まで出て来たは良いが、マリアは手ぶらであり、やることもないので、後ろ手に腕を組んでハルトの作業をうかがっている。『何するのー?』と寄ってきたマリアは農作業する気は皆無のお洒落着コタルディ姿だった。


「命の恩人だからね」とハルトが答える。

「命の恩鍬おんくわ」マリアは訂正するように言ってから「恩鍬おんくわって何よ」と自分で笑う。


 ハルトは「見てて、いくよ?」とマリアに笑いかける。いたずらする前の少年のような無邪気な笑みに、マリアは微笑みを返した。しかし、ハルトがその鍬に魔力を込めて振り上げると、マリアの微笑みは驚愕きょうがくに変わる。

 ていや、と気の抜けた掛け声でくわが振り下ろされる。すると、打ち下ろされたポイントを中心に半径20メートル程の面積が一瞬にして耕された。

 マリアは自分の立っていた所も耕されて、驚きのあまり尻もちをついた。


「えええええ?! 何これ!?」

「あははははは! マリアさんが腰抜かしてる! レアだぁ」とハルトは楽しそうに笑った。何をしていても楽しそうに遊ぶ。それがハルトの長所の1つでもあった。のしのしとハルトが慎重に畑を歩きマリアに近づくと、マリアを引っ張り起こそうと手を差し出した。

「何がどうなっている訳?」マリアはハルトの手を掴み、立ち上がる。


 実はね、とハルトが『不死王の大墳墓』でのことをマリアに説明した。この鍬のおかげで、ブラッディ・ジェネラル・オーガやマッドマーダーから逃げおおせたのだ、と。


「すごいすごい! これがあれば農業なんて、楽勝じゃない?」

「いや、これ耕すだけだから。農業って言ったって種植たねうえとか刈入かりいれとか色々あるでしょ」

「あ、そっか。なら『皆さんのすき込みだけ我々がいます!』とかどう?」

「やだよ、これ魔力けっこう消費するんだからぁ」


 するとマリアが「ちょっと私にも貸して」と手を伸ばしてきた。ハルトは無言でクロノスのくわをマリアから遠ざける。「貸してー」とマリアがまたトコトコと近寄ってくる。ハルトはまたもマリアからくわを遠ざけた。


「なんでよォ! 貸してくれたって良いじゃァん!」


 マリアが片足で地団太を踏み、せっかく耕した農地がマリアの足型に踏み固まった。恐るべき地均じならりょくである。


「ダメだよ! マリアさんの膨大な魔力で、このくわ使ったらどうなるか、目に見えてるもん! オチが丸見えだもん!」

「そーっとやるからァ! 赤子の手を握るように、ふわぁっとやるからァ! お願い!」


 駄々をねるマリアに折れて、ハルトは村の外でなら、と条件付きで貸すことにした。



 ♦︎



「これだけ離れれば大丈夫かな」とハルトが満足げにうなずいた。

「いや、ハルトくん。離れすぎじゃない? 村から3キロは離れてるよ」とマリアが若干不満げに膨れる。

「マリアさんは規格外きかくがい過ぎて、マリアさんの『大丈夫』は全然信用できないから」

「ひど」


 ハルトはマリアにくわを渡した。
 マリアがクロノスの鍬を持つと、それだけで薄っすらと鍬が光りだした。まるでクロノスの鍬が適正な所持者と認めたように見える。本当の所持者はハルトであるにもかかわらず。ハルトもこの時ばかりは「ちぇ」と若干嫉妬しっとした。


「へぇー。農具持つの初めて」とマリアは剣でも振るかのようにぶんぶん上段打ち下ろしを繰り返す。

「マリアさん、それ鍬の正しい使い方じゃないから」

「分かってるよ、もぉ」と文句を垂れながら、マリアが今度はしっかり大地を見据みすえた。

「じゃあ、行くよォ」


 マリアがクロノスの鍬を大きく振りかぶる。と、同時にマリアの中に宿やどる膨大な魔力が、渦潮うずしおに飲まれるかの如くクロノスの鍬に吸われていった。

 ハルトでさえ、マリアの持つ鍬に尋常でない魔力が圧縮されていることを感知できる程だった。肌が粟立あわだち、『あの鍬は危険』と全身が警鐘けいしょうを鳴らす。
 あれを振り下ろせば、どうなるか。ハルトは村が一瞬で耕されて巨大な畑になるのを想像して血の気が引いた。







「マリアさん! ちょ、待——」








 マリアがクロノスの鍬を振り下ろした。








 マリアを中心として、まるで爆風が放射状ほうしゃじょう芝生しばふを揺らすかの如く、マリアに近い大地から順に、目にも止まらぬ速さで耕されていった。
 訳を知らぬ者が見れば、地下を巨大なへびっているのかと見間違えることだろう。耕された場所にあった樹木じゅもく轟音ごうおんを立てて次々と倒れていく。
 崩壊するビル群を思わせる、この世の終わりのような光景だった。


「あー…………」とマリアが言う。『やらかしたなぁ』と続きそうなトーンである。

「やらかしたねぇ」マリアの代わりにハルトが言った。

「ごめーん」


 ちょっと遅刻しちゃった、ごめーん。のテンションでマリアが謝罪した。さすがのハルトも少しイラっとした。『だから言った』と言わんばかりの半眼はんがんをマリアに向ける。


「…………この木、どうするよ」


 途方もなく広がる畑と、その上を無造作に横たわる大量の樹木が『犯人はお前だ』と言うかのようにハルトとマリアを取り囲んでいた。

 この一件により、新たに開墾かいこんされた領主直営農地は半径2・5キロメートルの巨大な円形をしていた。村から東に500メートルも進めば、そこから先5キロメートルは畑なのだ。



 その日からマリアはクロノスのくわに触らせてもらえなくなった。

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