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第二章 農村開拓編

強さ

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 フェンテは瓶詰びんづめが割れるのと同時に駆けだしていた。
 3つ目の瓶詰が落ちてきたのはもはや言っても仕方がない。マーフィーの法則なのだから。
 こうなったら、後はあの下賤げせんな男たちが『何事か』と思案している内に、とっとと逃げるしかフェンテに残された手段はなかった。

 フェンテが呪術屋の狭い通路を走る。

 フェンテの方が出口に近かった。だから逃げ切れる、とフェンテは踏んでいた。だが、それは『失敗する余地よちがあるなら、必ず失敗する』という法則、いや、もはや呪いと言っても良いが、それを含んで目算したものではなかった。
 つまり——


(何よ、この拷問具ごうもんぐ!)


 フェンテが足を止める。
 通路に人がすっぽり入りそうなひつぎのような巨大な入れ物が置いてあった。値札には『拷問具アイアンメイデン 特別セール! 今なら半額!』と書かれている。その巨大な拷問具が通路の幅いっぱいに陣取っているため、フェンテは出口へ通り抜けることはできなかった。出口に行くには別の道から遠回りする必要がある。
 後ろから下品な笑い声が聞こえた。


「ははははは、オヤジの売れないゴミも役に立つことがあるんだなぁ」

「買ってもないのに役立つとはなぁ。ついてるぜ」

「なんなら半額だし買ってやるか? この嬢ちゃんに使ってみるのも面白そうだ」

「ばぁか。んな金どこにあるってんだ」

「どうせ、これからふところうるおうってんだから、少しくらいかまいやしねぇだろ」


 2人の男が話しながら、フェンテの方へ近づいてくる。
 アイアンメイデンの道を除けば、男たちが来る方向以外に逃げ道はない。つまり、それはもはや逃げられない、ということを意味していた。

 フェンテは恐怖で呼吸が速くなる。自分の呼吸を聞きながら、どうするべきか考える。が、明確な答えなど見つからなかった。

 自分はどうなってしまうのだろう。『性的な暴行』と『最終的な死』は確実のように思えた。奴らは人をいたぶるのが好きそうな目をしている。どのみちろくな目には合わないだろう。
 段々と近づいて来る男たちから逃れるようにフェンテは後ろに下がる。

 がん、と直立した鉄の人形——アイアンメイデンにぶつかった。これ以上は下がれない。フェンテはその場でしゃがみこんでしまう。


「いや…………来ないで」と首を左右に振って必死に懇願こんがんするが、フェンテが懇願すればするほど、涙を流せば流すほど、彼らは興奮してそれをする。


 目の前まで来た男が手を伸ばす。
 その手の先にはフェンテの胸があった。ゆっくりと、それを鷲掴わしづかみしようと男の腕が伸びてくる。





 男の口は楽しそうに歪み、鼻息は興奮で荒い。
 フェンテは恐怖に固まっていた。








 胸の先端に男の指がもう触れる、という瞬間にそれは起こった。





 金属を力一杯ちからいっぱい叩いたような衝撃音が頭上から響き、アイアンメイデンの体を通してフェンテの背中に振動が走る。
 と思えば、いつの間にかアイアンメイデンの人型棺の腹の辺りから床まで斜めに槍がかかっていた。まるで初めからそうであったかのように。
 しかし、初めからそこにあったわけではないとすぐに分かった。
 なぜならその槍の先端が、フェンテに触れようとしていた男の手首を串刺しにしていたからだ。
 槍で栓がされているからか、男の腕は槍のの突き刺した隙間からピューっと少し血が漏れ出るだけで、出血自体は大したことはない。

「あがァアアアァアア」男が手首を押さえて体を引くと槍の穂が抜けて、出血量が増えた。呪術屋の床に男の血が塗りたくられる。


「その子は俺の連れなんだよ。返してもらえるんだろうな?」


 アイアンメイデンの向こう側から声だけが聞こえた。聞き覚えのある声——


(この声…………ルイワーツ先輩?)


 その槍はアイアンメイデンでさえぎられた視界ゼロの状況で、気配だけを頼りに正確に男の手首をついていた。それも鉄製の棺を貫通する威力の一撃を、である。
 その技量といい、得物えものといい、声といい、ルイワーツ以外の人物は思い当たらないのだが、フェンテの知っているルイワーツはこの状況で助けてくれるような人間ではない。
 だからこそ、フェンテは混乱した。


(誰? 誰なの?!)


 男たちは、先の一撃を見ただけで『かなわない』と悟ったのか、けがをしていない方の男が「か、からかってただけだ。あんたの連れだったのか。悪いな」と言いながら、もう一人の男を引いて呪術屋を出て行った。


(た、助かった……?)


 フェンテは安堵あんどで力が抜け、肩甲骨肩甲骨をアイアンメイデンにもたれ掛けるようにだらりと浅く背中を預けた。そのまま動けないでいると、前から槍を持った長身の男が歩いてくる。


「大丈夫か」ルイワーツがフェンテの前にしゃがみこんで尋ねる。

 フェンテはそれには答えず、代わりに「誰?」と口から漏れていた。

「失礼な後輩だな。俺の顔を忘れたってのかよ」とルイワーツは苦笑する。

「私の知っているルイワーツ先輩は人助けなんてしなかったような……」とフェンテは躊躇ためらいながら言った。フェンテの知っているルイワーツだったら、こんなことを言えば言葉ではなく拳が返ってくるはずだった。だが、

「…………まぁな」とつらい過去を思い出すように、ルイワーツが苦虫にがむしを潰した顔でうつむいた。それは落ち込んでいるようでもあり、少し可哀そうだった。

 それなのに、ルイワーツに追い打ちをかけるように、店の奥からぬっと大男が現れて「金貨3枚」とだけ言った。いつも薬草を買う時に不愛想に会計処理をする大男だ。
 金貨3枚、とはアイアンメイデンの代金だろう。壊したなら支払え、と。そういうことのようだった。店内にいたなら、助けて欲しかったものだが、おそらく客のトラブルには首を突っ込まない方針なのだろう。いちいち客の揉め事に関わっていたら、こんな治安の悪い立地でやっていくことはできない、と容易に想像できた。

 ルイワーツが「ああ」と思い出したように懐から小さな巾着きんちゃくを取り出し、そこから金貨をつまんで大男に渡すと、大男はまた店の奥へと去って行った。

「は、払います」とフェンテが立ち上がろうして、ルイワーツに止められた。

「いや、それには及ばん。あれを壊そうと決めたのは俺だ」ルイワーツは特に恩をきせるふうでもなく、当然のことのようにあっさりした言いぶりだった。

「誰…………?」とフェンテがまた怪訝けげんな顔を見せるとルイワーツは「だからルイワーツだっつの」とツッコミを入れる。


(ルイワーツ先輩のツッコみ…………新鮮)


「じゃあな」と立ち去ろうとするルイワーツにフェンテは「待ってください!」と声を上げた。
 今のルイワーツなら頼れる、と判断してのことだった。フェンテの必死さを不思議に思ったのか、ルイワーツが振り返る。

「助けてください! ハルト先輩達がマズいんです」とフェンテは先ほどの男たちの話してた内容をルイワーツに伝えた。





 ルイワーツはフェンテの話を聞いて、「確かにまずいな」と言った。

「俺は今から、そのハルトさんの領地に戻るつもりだったんだが——」

「マリアさんの領地ですけど」とフェンテは指摘するが、フェンテの指摘は無視される。

「——予定変更だ。フェンテ、お前ハルトさんのところ行って、今の話伝えて来い」

「え、ルイワーツ先輩はどうするんです?」




 ルイワーツは少し考えてから、「ヴァルカン様に会いに行く」と答えた。




「はァアア?!」


 フェンテが『正気かこの男?!』と呆れと驚きの混ざった声を上げるが、ルイワーツの手を見て目を見張った。
 震えていたのだ。
 ルイワーツは正気だ。ヴァルカンに面会することがヤバいことだと分かった上で、なお会いに行くと言っている。
 フェンテはルイワーツの覚悟をその手に見た。


「盗賊を雇ってんのは、課長ダゲハの独断だろう。だとすれば、それを止められるのは冒険者ギルドの上の人間しかいない」

「だからって、いきなりヴァルカン様のところはやばくないですか? それにヴァルカン様は先日ルイワーツ先輩を処刑しようとしてた人じゃないですか」


 やめておいた方がいいです、と含んだ言葉は、『お願いだからやめてください』という懇願こんがんでもあった。
 フェンテには自分なら無理、という確信がある。処刑されそうになって、何とか逃げのびた後に、再び処刑人に会いに行くなど、狂気の沙汰だ。怖すぎる。
 だが、ルイワーツは震える手をもう片方の手で押さえて、フェンテを見つめ返す。


「怖くないと言えば嘘になる。だけどな——」


 ルイワーツの目は確かに怯えを含んでいる。だが、それに支配されない強い意志も同時に宿していた。彼は真っ直ぐに自分の為すことだけを見つめている。


「——ハルトさんをもう一度裏切っちまう方が俺は怖い」

 
 ルイワーツは口を結んで、泣きそうな顔で言った。彼は決して強い人間ではない。フェンテはそれを知っていた。弱いからこそ、嫉妬し、いじめ、卑怯な手を使ってきた。
 フェンテも弱い側の人間だから分かる。恩をあだで返そうと、自分の身を最優先に生きてきた弱いフェンテには、『弱いのに立ち上がる』今のルイワーツが眩しく見えた。


「ほんと誰ですか、あなた」とフェンテは笑った。すると恐怖に引きるルイワーツも「だな」と笑った。

「分かりました。ルイワーツさん。ハルト先輩の方は私に任せてください」


 フェンテは立ち上がり、真っすぐとルイワーツを見上げる。
 あんな目を見せられたら、怖いから、と隠れているわけにはいかない。誰かに頼ってばかりではいけない。
 ルイワーツの『強さ』がフェンテに火をつけた。


「ああ。頼んだぞ」と言いながら、ルイワーツは呪術屋の扉に手をかける。

「ルイワーツ先輩」とフェンテがまた呼び止めた。


 ルイワーツは顔だけで振り向く。


「助けてくれてありがとうございました」とフェンテが頭を下げた。心からの感謝を込めた礼だった。


 ルイワーツは一瞬、目を丸くしてから、ふっと頬を緩めた。


「気にすんな」


 頭をあげると、ルイワーツはすでに呪術屋を出た後だった。


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