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第二章 農村開拓編
物騒な話
しおりを挟む失礼します、とフェンテは受付課長室を退室した。
タタタと速足に数歩移動して、ここなら大丈夫だろう、という距離まで来てから大きなため息を吐いた。
(また怒られた……。しかもハルト先輩のことで)
ハルトが既にこの都市ヴァルメルを発ったと、冒険者たちから報告が入ったためだ。
課長ダゲハから『何やってんだバカやろう!』と怒鳴りつけられ、1時間近く説教を受けた上に『連れ戻して来い』と無理難題を課せられた。
(私が? ハルト先輩を? 無理無理無理無理無理!)
フェンテの脳内に『あ゛? ハルトくんをどうするって?」』と凄むマリアが現れて、フェンテは「すみませんすみませんすみません」と一人脳内のマリアに頭を下げ続けた。通りがかった同僚が白い目をフェンテに向けて、通り過ぎて行く。
ハルト先輩には、あの『聖剣のマリア』が番犬の如く付いている。フェンテにどうにかできる相手ではない。というか、『聖剣のマリア』をどうにかできる者などいやしない。
仮にマリアが側にいない時に会えたとしてもハルトが戻って来てくれるとは到底思えなかった。
(あーあ、こんなことならもっとハルト先輩を私にメロメロにさせておくんだったなぁ……)
ハルト先輩は少なくとも多少は私に気があった、という確信をフェンテは抱いていた。
ギルド職員になったばかりの頃から、手取り足取り、仕事を教えてくれたのはハルトだった。
フェンテは就職したての頃、文字はかろうじて書けたが、計算は全くできなかった。そういう者は結構いる。計算術なんてものを一般庶民が独学する術はない。教本を買うなり、講師をつけるなりするにはそれなりの金額がかかるが、低級市民にそんな余裕はなかった。
私も例に漏れず、困り果てた。いよいよ身体を売って金を得るしかないか、と追い詰められた時に、ハルトが無料で講師を引き受けてくれたのだ。
何故ハルトが計算術に長けているのかは不明だが、ハルトが教える計算術は完璧だった。毎日朝早くに来て、始業までの時間と、終業後の数時間つきっきりで——しかも無料で——計算を教えてくれた。それはフェンテに気があるから、としか思えなかった。
フェンテの方も満更ではなかったし、言い寄られれば応じよう、という覚悟もあった。
なのに——
(ハルト先輩のばか……。なんで告白しに来なかったのよ)
フェンテが計算をマスターした後も、フェンテの失敗を庇ったり、逆にハルトの尽力で得た成果をフェンテの手柄として差し出したり、とフェンテに気があるとしか思えない行動は続いた。
だが、告白はおろか、デートに誘ってくることさえなかったのだ。
(冷められちゃったのかなぁ……)
フェンテは淀んだ表情で、俯きがちに第二商店通りを歩く。ハルトを連れ戻す旅に備えて、薬草を買いに来たのだ。
中央広場から離れる方向に進むと、段々と生活感溢れる——悪く言えば薄汚い——景色に変わる。そこからさらに建物と建物の間に身体を横にしてねじ込むように裏路地に入った。
裏路地に入ってすぐの店にフェンテは入って行った。
これ以上進めばスラムに突入し、治安は最低レベルまで下がる。
この店がフェンテにとっての境界線だった。
そこは呪術屋なのだが、薬草類がどの店よりも安く手に入る貴重な店だ。
(そういえば、この店もハルト先輩が教えてくれたんだった)
フェンテが商品棚の陰でハルトとの思い出に浸っていると、棚の向こうで「おい、お前もアレ引き受けたのか?」と男の低い声が聞こえた。
もう1人の男が「ああ。北の農村を襲うってやつか」と応じる。
(北の農村?)
そこはかとなく嫌な予感がする。
フェンテはなんとなく、男らから見つからないように身を少しかがめた。
「やるに決まってんだろ。あんな美味しい話早々ないぜ?」
「確かにな。だが、お前人ぶち殺したことねぇだろ? 大丈夫かよ」
「舐めんな、先月やったっつの。さよならの前にヤルこともやったぜ?」
「ははは、お前、ダブルで卒業ってか? そいつはいい」
身を隠しているから声だけしか聞こえないが、それでもこれが冗談なんかではない、と声色で分かった。
北の村、美味しい話、殺し、と物騒なワードが並ぶが、決定打にかける。もう少し情報が欲しい。
フェンテがそう思っていると、願いが届いたのか、男が「マリア」と口にした。
「だが、例の村、確かあのマリアの領地だったな。恨み買ったらやべぇぞ」
もう1人の男がハンっと鼻で嗤う音が聞こえた。
「大丈夫だよ。顔隠してるんだから。だいたい、襲撃は夜中だ。マリアが来る前にぱぱっと殺って、ぱぱっと逃げりゃいいんだからよ。簡単だろ?」
「ぱぱっとヤってって、お前みたいな早漏じゃなきゃ無理な仕事だぜ? 俺にはとてもとても。3時間はかかるぜ。遅漏なんだ」
「そのヤルじゃねえよ、ばか」
男たちの下品な笑いが飛び散るヘドロのように広がる。
(『マリアの領地』の『北の村』…………やっぱりだ。確かマリアさんの領地に村は1つしかない。そこを襲う気だ)
なんで、と考えてすぐ、冒険者ギルド受付課長ダゲハの顔が頭に浮かんだ。
フェンテは、間違いない、と確信する。
あの小さな村の襲撃なんかに多額の報酬を支払う価値などない。採算がとれないはずだ。
だが、事実としてそういう依頼がある。ということは、目的は「金品の強奪」ではない、ということか。
金品の強奪ではないとすれば、おそらく目的は——
——農村の消滅。
(村が消えれば、ハルト先輩の帰る場所は、ここ——都市ヴァルメルしかなくなる。ハルト先輩を引き戻すために村を殲滅する気だ)
フェンテは自分の呼吸が早く短くなっていることに気が付いて、慌てて口を押える。
男たちは店内に自分たちしかいないと思い込んでいるようだった。今、男たちにバレたら、と想像してフェンテは血の気が引いた。
彼らの雑談は続く。今はもう別の話題を話しているが、店内から出ていく素振りは見られなかった。
(もう行くしかない……)
フェンテは震える手足を慎重に動かし、這うように棚に隠れながら出入口まで移動する。音がたたないように、ゆっくり、ゆっくり、と四つん這いに動く。
出口はもうすぐそこまで来ていた。いける、とフェンテが気を抜いた瞬間。
「はァアア?! バカかお前?!」
男の怒号のような不満をにじませた大声が響いた。
それはフェンテを発見してのことではない。単に雑談の中で気に入らないことがあり、2人が揉めて発した言葉だった。
だが、フェンテはその声にビクッと身体が跳ねる。
その拍子にフェンテは肩が棚にぶつかった。
くたびれた板でできた薄汚い棚が、音もなく、しかし大きく、揺れる。
(だめだめだめだめだめ!)
フェンテは祈るように棚を見上げる。頼むから何も落ちて来ないで、と。
日頃の行いだろうか。フェンテの祈りも虚しく、コルクで栓がされた瓶詰めが2つ落ちてきた。
(いやァァアアア)
フェンテはなるべく音が出ないようにダイビングして手を伸ばす。すさささ、と雑巾がけのように服が擦れて真っ黒に汚れた。が、フェンテの両手には見事、瓶詰めが握られていた。
(セーフ! 危なかった! 危なかったァ!)
ふーふー、と静かに鼻息を荒げながら、九死一生を得た喜びを噛み締めていると、不意に脳内にハルトが現れた。
ハルトが言う。
「マーフィーの法則って知ってるか?」
脳内のハルトがニコニコ笑う。
「靴を新調すると必ず雨が降る。ただし雨が降って欲しくて新調する場合を除く」
やめて。
「何か失敗に至る方法があれば、キミは必ずそれをやってしまう」
イヤ。なんでそんな事を言うの……?
「すなわち——」
上から下へ。
フェンテの瞳がそれを追う。
全てがスローモーションに感じられた。
ゆっくりと落ちる第三の瓶を成すすべなく見送る。
空気を切り裂くような破砕音にフェンテは固く目を瞑った。
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