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第二章 農村開拓編
希望
しおりを挟む「仕方がないことなんだよね」とマリアは答えた。
空はどんよりと曇り、日光が遮られて少し薄暗いが、寒さはそれほどでもない。
2人はマリア領の唯一の村落へ向かっている途中だった。この日はルイワーツは退職手続きがあるため、都市ヴァルメルに置いてきていた。
少し遅い昼食を取ってから、食後に少し休憩している時に、マリアに両親宅を訪れた時のことを尋ねたのだ。どう思う、と。
「だって、パパにとってはあそこで冒険者のために剣を打つのが生きがいなんだから。それを『命の方が大事でしょ』って、こっちの価値観で無理やり奪うのは、やっぱりダメだよ」
頭では分かっていても心では納得がいかない、マリアはそんな表情をしていた。それでも無理にでも納得しようとしている。実の親を見捨てる理由を探している。そんなものは見つかるはずもないのに。
「マリアさん。今からでも領主になるのを断っても良いんだよ?」
親を見殺しにしてまでマリアがやる必要はない。ハルトはこれ以上マリアの辛そうな顔は見ていられないと思ってそう提案した。
しかし、マリアは首を縦には振らない。
「私の領地はさ」とマリアが話し出す。「シムルド王国との国境にあるんだよね」
ハルトは頷く。マリアは辺境伯だ。辺境伯とは国境付近の領地を持つ爵位のことを言う。戦時には、所有する村落や都市が真っ先に虐殺、略奪を受け被害を被る上に、侵攻時は戦力を皇帝に提供しなくてはならない。それだけに他の貴族よりも若干爵位が高いのだ。
「でも土地が痩せていて、他の貴族は誰もそこを治めたがらないんだって」
さもありなん、とハルトは黙って聞いていた。
貴族とて忠誠心だけで皇帝に従うわけではない。利益がなければいかに皇帝の命令であっても動かない。貴族とはそういうものだ。
敵国に攻められる恐れがあり、戦力の提供が必須で、その上、土地は枯れている。そんな領地を誰が治めたがるか。誰の手も挙がらないのは当然の結果と思えた。
誰も治めないのであれば、そこは皇帝の直営領地となる。しかし、皇帝の直営領地の本丸ははるか東方だ。帝国は広い。今現在、マリアの領地に全く管理が行き届いていないのもそのためだった。
「今シムルド王国と戦争になれば、真っ先に攻められるのは多分——」とマリアが言うと、
「——管理者不在のこの領地だろうね」とハルトが引き継いだ。
領主がいるということは、そこに戦力が備わっているということだ。だが、領主がはるか遠くの皇帝だというのであれば話が別である。
遠方のこの地に兵を送るのは時間も手間も金もかかる。戦力も分散される。そんな愚かな選択を皇帝がするとは思えなかった。戦争となればまず間違いなく、この地は見捨てられるだろう。
「大切なものを理不尽に奪われる気持ちは、私も知ってるから」と言ったきり、マリアは黙りこくった。何か考え込んでいるようでもあった。
(だから領主を引き受けた、ということか。マリアさんらしいな)
マリアが退けない理由は分かった。
だが、一つ。一つだけ確認しなければならない。
最も重要で、最も残酷なその質問を落とす役目は、自分にあるように思えた。
ハルトは感情を殺して口を開く。
「もし両親を人質に取られたとしたら——」
ちゃんと見捨てられるのか、という言葉は結局でなかった。
それなのにマリアには届いた。マリアが寂しげに笑う。瞳から色素が消えていくような何か大切なものの消失を思わせる笑みだった。
「その時は、領内の利益を優先するよ」とマリアは言った。
領主は何百、何千、何万の領民の命を預かる立場にある。両親のために、何万人の命を犠牲にするわけにはいかないのだ。
だけど、これでよかったのだろうか。
マリアの顔を見ていると、『良いわけない』という思いばかりがこみ上げてくる。主人の利益を守るのが自分の務めではないのか。忠誠を誓ったのならば、マリアの願いを叶えるべきではないか。
いや、それは建前だ。
ハルトは単に泣いているマリアを見たくなかった。主君とか、領主とか、関係ない。マリアのために、何かしたい。妻のために。
「ご両親のこと、やれるだけのことはやろう」
気がつけば、口をついて出ていた。
マリアがこちらに振り向く。ゆっくりと色を取り戻していくようだった。まだ諦めないで良い。両親を助けるために動いて良い。そんなハルトの想いが伝わった。
「第一の目標は都市ヴァルメルと同盟関係を結ぶこと」とハルトが指を立てて言う。
その手があったか、とでも言うようにマリアが手を叩いた。
「そっか。ヴァルメルと同盟を組めば、パパとママは同盟領地に保護してもらっているようなものだもんね」
「そのとおり。だけど、これが多分簡単じゃない」とハルトがげんなりした顔をつくる。
「どうして?」
「同盟ってのは対等な立場だから成り立つんだよ。うちから巨大都市ヴァルメルに差し出せる何かがないと、とても同盟なんて結べない」
「別に対等じゃなくても私は良いけど。植民地的な」
「それじゃヴァルメルの領地が飛地的に増えるだけじゃん。この地は誰も管理したがらないから領主不在なんだよ? ヴァルメルは引き受けないよ」
「あ、そっかぁ」とマリアが誤魔化すように笑った。だが、直後「じゃあどうすれば良い?」と聞くマリアは既に真剣な表情に戻っていた。
「まずは僕らの領地の発展だね。それが必須条件だ。その上で同盟を結べるかは交渉次第だけど」
マリアは、結局は領地開拓に繋がるのね、とまた笑った。
曇っていた空はいつの間にか、からっと晴れており、温かい日差しがマリアにかかり、金色の髪が輝いた。
「なら、今日はその第一歩目だね」とマリアが立ち上がる。そろそろ行こうか、という合図だ。
「うん」と答えてからハルトもよっこらしょ、と腰を上げた。
直後、ふわっと微かに甘く、かつ欲望を駆り立てるような匂いがハルトを包み込んだ。
気がつけばマリアの透き通るようなブロンドヘアが面前にあった。まるい頭の輪郭に沿った艶やかな髪がハルトの頬に当たっていた。体はぎゅっと密着して、上衣の上からでもマリアの身体の温もりと柔らかさが感じられる。
一瞬、間をおいて、ハルトは抱きしめられていることに気が付いた。
「あ、ま、ま、まままマリアさん?!」
顔が熱い。みっともない程に真っ赤に染まっているだろうことは自覚していた。なにせ、この16年まるで女っけなく過ごしてきた生粋の童貞なのだ。突然の美女の抱擁に動揺するなという方が無理がある。
視界にうつるマリアの耳も真っ赤だったのが、せめてもの救いだった。
「ありがとう、ハルトくん」とマリアが言った。「ハルトくんのおかげで希望が見えたよ」
「ぼ、僕は、何も——」
していない、そう言おうとすると、マリアが顔をハルトの首に擦り付けるように、左右に振って否定した。少しくすぐったい。マリアの頭から放たれる甘い匂いが強くなり、ハルトは酒に酔うかのように脳がぼんやりとする。
「全部、私が守ってみせるよ」とマリアがハルトに顔をうずめながら宣言した。「領地も、パパとママも、それから——」
そこでハルトはマリアの体温が一層高くなったように感じた。実際、マリアの耳はさっきよりもさらに赤いように思えた。
「——ハルトくんも。私が…………守るから」
言いながら羞恥に堪えるように、ハルトを抱きしめる力が一層強まり、少し苦しかった。照れるなら言わなきゃ良いのに、と思いながらもハルトの口が緩んだ。
——なら、マリアさんのことは僕が守るよ
という言葉は、恥ずかし過ぎて結局言えなかった。
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