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帝国海軍海上訓練事件
3話:出航の日
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出航の日、空は快晴だ。海辺はまだ少し肌寒くも思え、クリフはコートを着て船のタラップを登った。
「大丈夫か、クリフ? 案外揺れるからな」
「平気だよ、ピアース」
すぐ前をピアースが心配そうにしながら登っていく。それに笑いかけ、クリフはゆっくりと甲板へと降り立った。
案外広く思える甲板では既に多くの第三の隊員が動き回っている。それを取り仕切っているのはトビーだ。普段あまり目立たない彼も船の上ではキビキビとかっこよく見える。
「ロープの予備ちゃんと置いとけよ!」
「はい!」
「帆の点検終わってるか!」
「アイ、サー!」
「俺はここのボスじゃねぇ!」
なんて声が聞こえてドッと笑う。それを見るとなんだか元気が出た。
「相変わらずだな、トビー」
「おうよ。クリフ、よろしくな!」
ブルーグレーの髪に薄青い三白眼。色は健康的な小麦色で、ニッと笑う歯は対照的に白い。小さな八重歯が笑うと覗く。普段はキツく見える目元も笑うと緩まって、クリフは控えめに笑った。
「俺は先にクリフに船内案内してくる」
「おう、任せた。荷物は昨日のうちに積み込んであるはずだから点検してくれ」
「了解」
短く確認を終えるとピアースは直ぐに甲板の船尾側にある少し高くなった場所へと案内してくれた。
「トレヴァー」
「ピアース、クリフ! よろしくな!」
そう言った彼は前面に柵のついた一段高い場所に立っている。そこには丸い車輪のようなものがあった。
「それはなんですか?」
「これか? これは船の舵だ。これを動かす事で船の進む方向を調整している。勿論、完全にじゃないけれどな」
丸い車輪のような物にはいくつも持ち手がついている。それをクルクル回す事で進行方向が概ね決まるのだという。
「重要なんだね」
「まぁ、それだけじゃない。帆船は大きく帆の受ける風の影響が大きい。ここでどれだけ頑張っても風の力には逆らえない。それに海流の流れはもっと強力だからな」
「そういうのをしっかり読んで船を動かすのが操舵手の力量だよ。俺はけっこう気が重い」
「んな事言って、そろそろ一隻任せるからな。ピアース頑張れ」
「それな、本当に怖いんだよ。俺は水夫長でいい」
「勿体ないんだってば! お前の力量ならやれるって!」
なんて事をお互いに言っている。ピアースは少し自信がなさそうだけど、トレヴァーはまったく心配していない。多分だけど、ここはトレヴァーの方が正しい気がした。
「ちなみに、この船の操舵士は俺とトビーとピアースの交代制。航海士は俺が勤める。よろしくな」
「うん、よろしくね」
お互いに挨拶をして握手をして、クリフはピアースに連れられて次へと向かった。
「さっきの船尾楼の下がトレヴァーの私室兼会議室。んで、ここからは中甲板。俺達の寝床や砲台もある場所だ」
そう言うと、ピアースは甲板にある引き上げの戸を開けた。
階段の先は案外明るく広い作りをしている。階段のある場所の左右はガランと空いていて、そこに柱にロープで繋がれた砲台が置いてあり、その前には木製の窓がついていた。
「ここが砲台。有事の際はその木製の窓を開けて砲台を前方にスライドさせて打ち込むんだ。二人一組で、一人が小さな目視窓から外の様子を見て指示を出して、中の奴が砲弾を入れて火薬を詰めて火をつける。これはフリゲート船で速度を重視しているからそれ程大砲は多くない。左右に二十台ずつと、後方に二台の合計四十二台だ」
「凄いんだね」
とても圧巻だが、その砲台は何故柱にロープで繋がれているのだろう? 疑問そうに見ているとピアースが教えてくれた。
「砲弾は撃つと反動がある。ある程度の固定具もあるけれど、念のためにロープもついてるんだ。あと、嵐の時に動きを制限するのにね」
「そうなんだね」
動きを制限はしたいけれど、反動を逃がせないのは壊れる原因になるそうだ。バランスが難しいもののようだ。
「ここから船尾側が水夫の部屋。今は誰も居ないはずだから見てみるか?」
「うん」
階段を船尾側へと進んでいくと左右に幾つか部屋があって扉がある。そこの一つを空けると中には柱とハンモックが既にぶら下がっていた。
「ハンモックなの!」
「昔は固定の寝台だったみたいなんだけどな、案外落っこちて危ないんだ。ハンモックは揺れることで安定するだろ?」
「疲れそう」
「慣れるとそうでもないさ」
それ以外はこれという物がない。服は着たままだし、剣は抱いて寝るのだと言う。船の中はとても驚きだ。
「ここの船首側に医務室もあるんだ。行こう」
「うん」
言われて、さっきの階段を通り抜けて今度は船首側へ。そこにある部屋を開けると風を通した部屋がある。机とベッドが一つ、木製の扉がついたキャビネットには鍵がかかっている。
「ここがクリフの部屋。元々は物置だったのを綺麗にしたんだ。どう?」
「素敵……」
トコトコと中へと入り、ベッドを押す。硬いけれどしっかりした木造だ。
キャビネットの中には選んだ薬などが入っている。
「積み忘れとかないか?」
「ないよ。凄い、なんだかエリオット様の気分だ」
衛生兵は救護テントがある意味戦場。医務室などは持たない。でもここは、簡易でも医務室みたいだ。
やる気が満ちてくる。頑張れる気がしてくる。クリフの目が輝くのを、ピアースは嬉しそうに見た。
「次、階段を下に降りると食堂だ。煮炊きもここでしてる」
「船の中で火を使うの、怖くない?」
「細心の注意が必要だよ。だから、船で火を扱う奴は決まってる。火事なんて絶対に起こせないからな」
これだけ沢山水のある中をゆく船で一番怖いのが火事なのだ。何せ逃げ場がないのだから。
「んで、ここから下は船倉。食べ物とか荷物を積んでる。そっちはあんまり行く事もないと思う。あと、猫がお仕事してるかな」
「優秀だよね」
船に猫は絶対。これは船乗りにとって大事な事らしいのだ。
「おーい、そろそろ出るぞ!」
「おう! クリフ、甲板行こう!」
トビーの声に返したピアースに手を引かれて甲板へ。アンカーを上げた船が帆を張り、トレヴァーが操舵を握る。船はゆっくりと港を離れ広い海原へと漕ぎ出していった。
◇◆◇
船は軍港を出て東側へと向かっている。舵を取るトレヴァーに代わってトビーが会議室に入って、クリフを前に今回の演習の日程を教えてくれた。
「今回序盤は楽ちんだぜ。まずはジェームダルの軍港に寄港しながら内湾をぐるっと外海へ向かうルートを取る」
「楽ちんなの?」
問うと、青い三白眼がこちらを見て頷いた。
「港に寄れれば物資の調達もできるし、何より夜の警備が楽だ。ほぼ攻め込まれる事がないから天候の悪化や急な事だけに警戒できる。操船も必要ない」
「海の上だとそうはいかないんだね」
海の状況は刻々と変化する。港もない海の上だとのんびり停船もできないのかもしれない。
「海上でも夜は多少速度を落とすが、海の状況や周りの状況ってのも有るから完全にはな。その為に船の水夫は二班に分けて、昼と夜がいる。今頃夜組は部屋で寝てるな。夕方に飯食って交代だ」
「大変だね」
「慣れればそうでもねーよ」
ニッと笑ったトビーは活き活きとした様子でその先を話し始めた。
「今回ジェームダルの協力で港への寄港許可なんかは降りたが、基本俺達は降りない。陸に上がってテンション上がって迷惑かけるバカもいるし、そういうのは国の恥だしな」
「そういうのって、あるんだね」
「多少な。他国ってのもあるし、海暮らしが長いと陸に上がった時の安心感がある。んで、ついつい深酒する奴がいるんだ。今回は訓練だからそういう甘えはなし。相手側への挨拶にウルバス様とトレヴァーが一時行くし、買い出し頼んだ奴は上がるが基本はない」
「分かったよ」
船の上は過酷だ。そう思えるものだった。
「大体三日かけて船の扱いに慣れてもらった所で本格的に外海の手前へ向かっていく。ここからは基本、港には寄らない。海上での操船訓練や砲弾を使った射術訓練、連絡を取りながらの陣形の確認をする予定だ」
「大変だね」
「そうでもないぜ。今は春で新人に海を慣らさせる目的だから甘い。夏の訓練は更に長くて一ヶ月以上。船団ももっと多くして外海に出ての実戦訓練だからな。これに向けて、まずは新人に海の洗礼ってのが今回の訓練目的だ」
思った以上に過酷だと思う。そして夏はもっとシビアに考えなければ。その為にも今回は予行演習になる。船で生活して、実際に必要だと感じるものもあるだろう。そういうものを見極めないと。
「クリフは船酔い大丈夫か?」
「え? あぁ、うん」
不意に問われて驚いて顔を上げると、トビーは安心したような顔をした。
「流石強いな。実は今回はこれが一番の悩みどころだぜ」
「そうなの?」
「新人は特にな。胃の中が空っぽになるまで吐くし、吐くもの無くなっても気持ち悪いのはおさまんねぇ。でもまぁ、慣れるしかないんだよな」
自分はあまりそうした事はないから分からないけれど、そういうものなのだろうか。
だが激しい嘔吐というのは衛生兵からしたら見過ごせない。嘔吐には必ず脱水の問題が出てくるし、食欲不振となれば栄養面も気に掛かる。ふらつきによる転倒で怪我をすることもあるだろう。
「具合の悪い人がいたら直ぐに医務室に来るようにお願い。完全に治す事はできなくても、気分を楽にする事くらいは頑張るから」
「おう、頼むな。正直あれはしんどいんだ」
ニッと笑うと白い八重歯が覗く。トビーが凄く近く感じて、クリフはまた少し親しくなれた感じがした。
甲板に出てくるとまだ若いのだろう隊員があっちにこっちにと大忙しだ。
「ほら、ちゃんとロープ掴んで引け! 風に負けて帆が張れないんじゃ話にならない!」
聞き慣れた声も厳しさを含むと少し違って見える。大わらわの隊員達を前にピアースはキビキビと指示を出している。同時に自分も動いて、へっぴりな隊員が持つロープを掴みグッと引いた。
「しっかり持て。引っ張られたら危ないんだぞ」
「すいません」
「あと、絶対ロープに腕絡ませるな。最悪煽られて踏ん張りが利かなかった時、ロープに引っ張られて体浮くからな。風の力はそのくらい強いんだ」
「はい」
そのままグッとロープを引いて固定すると帆は安定して風を受けて大いに進む。春の潮風が気持ち良い。
そして、その中で動くピアースはとてもかっこよく見える。
「惚れ直してるだろ、クリフ」
「え!」
隣を見ると、トビーがニヤリと笑っていた。
「かっこいいもんな、彼氏」
「あぅ! あっ、ちがくてぇ!」
「隠すなって。実際ピアースはかっこいいし頼りになるし優しいって、年下から好かれるんだぜ? 面倒見もいいし、案外見てるからな」
「そう、なの?」
ほんの少し不安になるのは、恋人が意外な人気を集めているから。そういうのが少し、不安になる。自分に魅力を感じないから余計にだ。
「なーに言ってんだよ、トビー。クリフを虐めるな」
「!」
不意に視線がこちらへと向く。気づいていたのかピアースはジトリとした目をして、トビーは涼しく口笛なんかを吹いている。
「それを言ったらクリフの方が心配だ。戦場の天使なんて呼ばれて、救護した隊員はみんなクリフに惚れるだろ」
「それはあるな。特に年上の先輩達はクリフ可愛いし優しいし癒やしだって言ってるしな」
「え!」
それは知らなかった……。
ピアースを見ると明らかに不満顔をしている。
「いつクリフを取られるか、すっごく不安なんだからな」
「あの、大丈夫だよピアース。僕が好きなのはピアースだけだから」
伝えたら、周囲もちょっとザワッとする。視線がこっちに集まった感じで、クリフは恥ずかしさに小さくなってしまう。その頬に、ピアースは嬉しそうに笑ってキスをした。
「ひゃん!」
「俺もクリフだけを愛してるよ」
「あぅ……あぅぅ」
顔から湯気が出そうというのはまさにこの事だった。
甲板の上は少し落ち着いたらしく、クリフは辺りを見回して甲板を歩いている。すると船尾の方で一人の新人隊員が青い顔をしてぐったりしていた。
「どうしたんですか!」
「あ……クリフ先輩。あの、大丈夫です。ちょっと酔っちゃって」
そう言うが、まったく大丈夫な顔色をしていない。このまま死んでしまいそうな感じだ。
「先輩達もこうだったみたいなんで。もう、吐くものもありませんし潮風に当たって転がっとけば少し慣れます」
そう言うと今度こそ横になってしまった。
クリフは胸元から一つの瓶を取り出す。実は船酔い対策になるかもしれないと託されたものだった。
「あの、この匂い嗅いでみてください」
瓶の蓋を開けてそれを近づける。仄かに香るレモンの爽やかな匂いを嗅いで、隊員は薄く目を開けた。
「あ……いい匂い」
「レモンの香水を薄めたものです。気分が少し良くなると思うんですが」
「……確かに、ちょっといいかも? 少なくとも吐き気はなんか、大分楽に?」
「良かった。これ、この香水を脱脂綿に垂らしたものです。良かったら具合が良くなるまで側に置いて時々匂いを嗅いでみてください。具合が良くなっても突然動き出さずに、ゆっくりと。可能なら水でも構わないので飲んでみてください」
ほっとしてその場を離れると、それを見ていたトレヴァーが操舵を持ったままこちらを見ていた。
「船酔いの薬なんてあるのか?」
「薬じゃないんだ。香水なんだけれどね、ハムレットさんが実験してみてくれって」
「実験って……」
確かにその言い方はどうかと思うが、ようは実地試験をしたかったらしいのだ。
それというのも最近、ハムレットはアロマオイルを作る事に少しはまったらしい。そして、香りが人に与える様々な効果を実感したのだそうだ。
神経が過敏になっている人に好ましい香りやリラックス効果のある香り、甘い香りなどをほんの少し嗅いでもらうと神経が休まり睡眠改善効果が見られたり、逆に気分を入れ替えたいときに少し刺激的な匂いや柑橘の香りを嗅ぐと元気になったり。
その中で、乗り物酔いをする人にレモン系の香りを嗅がせると吐き気が改善出来る可能性があるそうだ。勿論絶対ではないのだが。
「どういう働きかはまだ分からないんだけれど、改善効果が少しでもあるなら知りたいって」
「まぁ、俺達としては助かるな。俺も最初の一ヶ月は胃がひっくり返すくらい吐いた」
「そうなんだ。平気な人は平気らしいけれど」
「ランバートやレイバン、ハリーは平気だろうな。あとコナン」
「そうなの?」
「平衡感覚の鋭い奴は船酔いしないらしい。あいつら、天地ひっくり返るような動きしててもバランス取るだろ? そういう奴は大丈夫だって」
「そうなんだ」
人体の不思議である。
「クリフも適度に休めよ。怪我人が出たら呼びに行くし、具合悪いのは医務室行くように言ってあるから」
「うん、有り難う」
言って、下の階にある医務室へと入る。ほんの少し揺れるけれどそんなに不安でもない。木戸のついたガラス窓を開けると明るい日の光と爽やかな風が入ってくる。
初めての船旅は、クリフにとって楽しいものになっていた。
「大丈夫か、クリフ? 案外揺れるからな」
「平気だよ、ピアース」
すぐ前をピアースが心配そうにしながら登っていく。それに笑いかけ、クリフはゆっくりと甲板へと降り立った。
案外広く思える甲板では既に多くの第三の隊員が動き回っている。それを取り仕切っているのはトビーだ。普段あまり目立たない彼も船の上ではキビキビとかっこよく見える。
「ロープの予備ちゃんと置いとけよ!」
「はい!」
「帆の点検終わってるか!」
「アイ、サー!」
「俺はここのボスじゃねぇ!」
なんて声が聞こえてドッと笑う。それを見るとなんだか元気が出た。
「相変わらずだな、トビー」
「おうよ。クリフ、よろしくな!」
ブルーグレーの髪に薄青い三白眼。色は健康的な小麦色で、ニッと笑う歯は対照的に白い。小さな八重歯が笑うと覗く。普段はキツく見える目元も笑うと緩まって、クリフは控えめに笑った。
「俺は先にクリフに船内案内してくる」
「おう、任せた。荷物は昨日のうちに積み込んであるはずだから点検してくれ」
「了解」
短く確認を終えるとピアースは直ぐに甲板の船尾側にある少し高くなった場所へと案内してくれた。
「トレヴァー」
「ピアース、クリフ! よろしくな!」
そう言った彼は前面に柵のついた一段高い場所に立っている。そこには丸い車輪のようなものがあった。
「それはなんですか?」
「これか? これは船の舵だ。これを動かす事で船の進む方向を調整している。勿論、完全にじゃないけれどな」
丸い車輪のような物にはいくつも持ち手がついている。それをクルクル回す事で進行方向が概ね決まるのだという。
「重要なんだね」
「まぁ、それだけじゃない。帆船は大きく帆の受ける風の影響が大きい。ここでどれだけ頑張っても風の力には逆らえない。それに海流の流れはもっと強力だからな」
「そういうのをしっかり読んで船を動かすのが操舵手の力量だよ。俺はけっこう気が重い」
「んな事言って、そろそろ一隻任せるからな。ピアース頑張れ」
「それな、本当に怖いんだよ。俺は水夫長でいい」
「勿体ないんだってば! お前の力量ならやれるって!」
なんて事をお互いに言っている。ピアースは少し自信がなさそうだけど、トレヴァーはまったく心配していない。多分だけど、ここはトレヴァーの方が正しい気がした。
「ちなみに、この船の操舵士は俺とトビーとピアースの交代制。航海士は俺が勤める。よろしくな」
「うん、よろしくね」
お互いに挨拶をして握手をして、クリフはピアースに連れられて次へと向かった。
「さっきの船尾楼の下がトレヴァーの私室兼会議室。んで、ここからは中甲板。俺達の寝床や砲台もある場所だ」
そう言うと、ピアースは甲板にある引き上げの戸を開けた。
階段の先は案外明るく広い作りをしている。階段のある場所の左右はガランと空いていて、そこに柱にロープで繋がれた砲台が置いてあり、その前には木製の窓がついていた。
「ここが砲台。有事の際はその木製の窓を開けて砲台を前方にスライドさせて打ち込むんだ。二人一組で、一人が小さな目視窓から外の様子を見て指示を出して、中の奴が砲弾を入れて火薬を詰めて火をつける。これはフリゲート船で速度を重視しているからそれ程大砲は多くない。左右に二十台ずつと、後方に二台の合計四十二台だ」
「凄いんだね」
とても圧巻だが、その砲台は何故柱にロープで繋がれているのだろう? 疑問そうに見ているとピアースが教えてくれた。
「砲弾は撃つと反動がある。ある程度の固定具もあるけれど、念のためにロープもついてるんだ。あと、嵐の時に動きを制限するのにね」
「そうなんだね」
動きを制限はしたいけれど、反動を逃がせないのは壊れる原因になるそうだ。バランスが難しいもののようだ。
「ここから船尾側が水夫の部屋。今は誰も居ないはずだから見てみるか?」
「うん」
階段を船尾側へと進んでいくと左右に幾つか部屋があって扉がある。そこの一つを空けると中には柱とハンモックが既にぶら下がっていた。
「ハンモックなの!」
「昔は固定の寝台だったみたいなんだけどな、案外落っこちて危ないんだ。ハンモックは揺れることで安定するだろ?」
「疲れそう」
「慣れるとそうでもないさ」
それ以外はこれという物がない。服は着たままだし、剣は抱いて寝るのだと言う。船の中はとても驚きだ。
「ここの船首側に医務室もあるんだ。行こう」
「うん」
言われて、さっきの階段を通り抜けて今度は船首側へ。そこにある部屋を開けると風を通した部屋がある。机とベッドが一つ、木製の扉がついたキャビネットには鍵がかかっている。
「ここがクリフの部屋。元々は物置だったのを綺麗にしたんだ。どう?」
「素敵……」
トコトコと中へと入り、ベッドを押す。硬いけれどしっかりした木造だ。
キャビネットの中には選んだ薬などが入っている。
「積み忘れとかないか?」
「ないよ。凄い、なんだかエリオット様の気分だ」
衛生兵は救護テントがある意味戦場。医務室などは持たない。でもここは、簡易でも医務室みたいだ。
やる気が満ちてくる。頑張れる気がしてくる。クリフの目が輝くのを、ピアースは嬉しそうに見た。
「次、階段を下に降りると食堂だ。煮炊きもここでしてる」
「船の中で火を使うの、怖くない?」
「細心の注意が必要だよ。だから、船で火を扱う奴は決まってる。火事なんて絶対に起こせないからな」
これだけ沢山水のある中をゆく船で一番怖いのが火事なのだ。何せ逃げ場がないのだから。
「んで、ここから下は船倉。食べ物とか荷物を積んでる。そっちはあんまり行く事もないと思う。あと、猫がお仕事してるかな」
「優秀だよね」
船に猫は絶対。これは船乗りにとって大事な事らしいのだ。
「おーい、そろそろ出るぞ!」
「おう! クリフ、甲板行こう!」
トビーの声に返したピアースに手を引かれて甲板へ。アンカーを上げた船が帆を張り、トレヴァーが操舵を握る。船はゆっくりと港を離れ広い海原へと漕ぎ出していった。
◇◆◇
船は軍港を出て東側へと向かっている。舵を取るトレヴァーに代わってトビーが会議室に入って、クリフを前に今回の演習の日程を教えてくれた。
「今回序盤は楽ちんだぜ。まずはジェームダルの軍港に寄港しながら内湾をぐるっと外海へ向かうルートを取る」
「楽ちんなの?」
問うと、青い三白眼がこちらを見て頷いた。
「港に寄れれば物資の調達もできるし、何より夜の警備が楽だ。ほぼ攻め込まれる事がないから天候の悪化や急な事だけに警戒できる。操船も必要ない」
「海の上だとそうはいかないんだね」
海の状況は刻々と変化する。港もない海の上だとのんびり停船もできないのかもしれない。
「海上でも夜は多少速度を落とすが、海の状況や周りの状況ってのも有るから完全にはな。その為に船の水夫は二班に分けて、昼と夜がいる。今頃夜組は部屋で寝てるな。夕方に飯食って交代だ」
「大変だね」
「慣れればそうでもねーよ」
ニッと笑ったトビーは活き活きとした様子でその先を話し始めた。
「今回ジェームダルの協力で港への寄港許可なんかは降りたが、基本俺達は降りない。陸に上がってテンション上がって迷惑かけるバカもいるし、そういうのは国の恥だしな」
「そういうのって、あるんだね」
「多少な。他国ってのもあるし、海暮らしが長いと陸に上がった時の安心感がある。んで、ついつい深酒する奴がいるんだ。今回は訓練だからそういう甘えはなし。相手側への挨拶にウルバス様とトレヴァーが一時行くし、買い出し頼んだ奴は上がるが基本はない」
「分かったよ」
船の上は過酷だ。そう思えるものだった。
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思った以上に過酷だと思う。そして夏はもっとシビアに考えなければ。その為にも今回は予行演習になる。船で生活して、実際に必要だと感じるものもあるだろう。そういうものを見極めないと。
「クリフは船酔い大丈夫か?」
「え? あぁ、うん」
不意に問われて驚いて顔を上げると、トビーは安心したような顔をした。
「流石強いな。実は今回はこれが一番の悩みどころだぜ」
「そうなの?」
「新人は特にな。胃の中が空っぽになるまで吐くし、吐くもの無くなっても気持ち悪いのはおさまんねぇ。でもまぁ、慣れるしかないんだよな」
自分はあまりそうした事はないから分からないけれど、そういうものなのだろうか。
だが激しい嘔吐というのは衛生兵からしたら見過ごせない。嘔吐には必ず脱水の問題が出てくるし、食欲不振となれば栄養面も気に掛かる。ふらつきによる転倒で怪我をすることもあるだろう。
「具合の悪い人がいたら直ぐに医務室に来るようにお願い。完全に治す事はできなくても、気分を楽にする事くらいは頑張るから」
「おう、頼むな。正直あれはしんどいんだ」
ニッと笑うと白い八重歯が覗く。トビーが凄く近く感じて、クリフはまた少し親しくなれた感じがした。
甲板に出てくるとまだ若いのだろう隊員があっちにこっちにと大忙しだ。
「ほら、ちゃんとロープ掴んで引け! 風に負けて帆が張れないんじゃ話にならない!」
聞き慣れた声も厳しさを含むと少し違って見える。大わらわの隊員達を前にピアースはキビキビと指示を出している。同時に自分も動いて、へっぴりな隊員が持つロープを掴みグッと引いた。
「しっかり持て。引っ張られたら危ないんだぞ」
「すいません」
「あと、絶対ロープに腕絡ませるな。最悪煽られて踏ん張りが利かなかった時、ロープに引っ張られて体浮くからな。風の力はそのくらい強いんだ」
「はい」
そのままグッとロープを引いて固定すると帆は安定して風を受けて大いに進む。春の潮風が気持ち良い。
そして、その中で動くピアースはとてもかっこよく見える。
「惚れ直してるだろ、クリフ」
「え!」
隣を見ると、トビーがニヤリと笑っていた。
「かっこいいもんな、彼氏」
「あぅ! あっ、ちがくてぇ!」
「隠すなって。実際ピアースはかっこいいし頼りになるし優しいって、年下から好かれるんだぜ? 面倒見もいいし、案外見てるからな」
「そう、なの?」
ほんの少し不安になるのは、恋人が意外な人気を集めているから。そういうのが少し、不安になる。自分に魅力を感じないから余計にだ。
「なーに言ってんだよ、トビー。クリフを虐めるな」
「!」
不意に視線がこちらへと向く。気づいていたのかピアースはジトリとした目をして、トビーは涼しく口笛なんかを吹いている。
「それを言ったらクリフの方が心配だ。戦場の天使なんて呼ばれて、救護した隊員はみんなクリフに惚れるだろ」
「それはあるな。特に年上の先輩達はクリフ可愛いし優しいし癒やしだって言ってるしな」
「え!」
それは知らなかった……。
ピアースを見ると明らかに不満顔をしている。
「いつクリフを取られるか、すっごく不安なんだからな」
「あの、大丈夫だよピアース。僕が好きなのはピアースだけだから」
伝えたら、周囲もちょっとザワッとする。視線がこっちに集まった感じで、クリフは恥ずかしさに小さくなってしまう。その頬に、ピアースは嬉しそうに笑ってキスをした。
「ひゃん!」
「俺もクリフだけを愛してるよ」
「あぅ……あぅぅ」
顔から湯気が出そうというのはまさにこの事だった。
甲板の上は少し落ち着いたらしく、クリフは辺りを見回して甲板を歩いている。すると船尾の方で一人の新人隊員が青い顔をしてぐったりしていた。
「どうしたんですか!」
「あ……クリフ先輩。あの、大丈夫です。ちょっと酔っちゃって」
そう言うが、まったく大丈夫な顔色をしていない。このまま死んでしまいそうな感じだ。
「先輩達もこうだったみたいなんで。もう、吐くものもありませんし潮風に当たって転がっとけば少し慣れます」
そう言うと今度こそ横になってしまった。
クリフは胸元から一つの瓶を取り出す。実は船酔い対策になるかもしれないと託されたものだった。
「あの、この匂い嗅いでみてください」
瓶の蓋を開けてそれを近づける。仄かに香るレモンの爽やかな匂いを嗅いで、隊員は薄く目を開けた。
「あ……いい匂い」
「レモンの香水を薄めたものです。気分が少し良くなると思うんですが」
「……確かに、ちょっといいかも? 少なくとも吐き気はなんか、大分楽に?」
「良かった。これ、この香水を脱脂綿に垂らしたものです。良かったら具合が良くなるまで側に置いて時々匂いを嗅いでみてください。具合が良くなっても突然動き出さずに、ゆっくりと。可能なら水でも構わないので飲んでみてください」
ほっとしてその場を離れると、それを見ていたトレヴァーが操舵を持ったままこちらを見ていた。
「船酔いの薬なんてあるのか?」
「薬じゃないんだ。香水なんだけれどね、ハムレットさんが実験してみてくれって」
「実験って……」
確かにその言い方はどうかと思うが、ようは実地試験をしたかったらしいのだ。
それというのも最近、ハムレットはアロマオイルを作る事に少しはまったらしい。そして、香りが人に与える様々な効果を実感したのだそうだ。
神経が過敏になっている人に好ましい香りやリラックス効果のある香り、甘い香りなどをほんの少し嗅いでもらうと神経が休まり睡眠改善効果が見られたり、逆に気分を入れ替えたいときに少し刺激的な匂いや柑橘の香りを嗅ぐと元気になったり。
その中で、乗り物酔いをする人にレモン系の香りを嗅がせると吐き気が改善出来る可能性があるそうだ。勿論絶対ではないのだが。
「どういう働きかはまだ分からないんだけれど、改善効果が少しでもあるなら知りたいって」
「まぁ、俺達としては助かるな。俺も最初の一ヶ月は胃がひっくり返すくらい吐いた」
「そうなんだ。平気な人は平気らしいけれど」
「ランバートやレイバン、ハリーは平気だろうな。あとコナン」
「そうなの?」
「平衡感覚の鋭い奴は船酔いしないらしい。あいつら、天地ひっくり返るような動きしててもバランス取るだろ? そういう奴は大丈夫だって」
「そうなんだ」
人体の不思議である。
「クリフも適度に休めよ。怪我人が出たら呼びに行くし、具合悪いのは医務室行くように言ってあるから」
「うん、有り難う」
言って、下の階にある医務室へと入る。ほんの少し揺れるけれどそんなに不安でもない。木戸のついたガラス窓を開けると明るい日の光と爽やかな風が入ってくる。
初めての船旅は、クリフにとって楽しいものになっていた。
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※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
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