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13章:君が欲しいと言える喜び

1話:お見合い大作戦

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 八月の大祭も終わり、九月となった。忙しさもピークを過ぎたある日、ランバートは何の前触れもなくファウストの部屋に呼ばれた。
 部屋の主は生きた心地のしない顔をしていた。表情が晴れないばかりか、背中には何を背負い込んだんだと言いたくなるほど肩を落とし、世界中の不幸を一身に受けたように影を纏い、そのくせ瞳だけはギラギラと射殺すように光っている。

 何がどうしてこうなった?

 思わず最近やらかした事を考えてしまう。酒の勢いで修練場に出て、少し傷つけてしまった事だろうか。それとも大浴場で騒いで桶を一つ壊した事か。他には……少なくとも始末書を書くような事はしてないと思うけれど。

「あの……」
「ランバート、一生の頼みだ。俺を助けると思って協力してくれ」
「え? あの」

 この顔とこの雰囲気で頼まれる事って、なんだ? 誰か消すのか? 抹殺か??

 嫌な予感しかしない。いや、しないだろう。だって目の前の人は今まさに誰か始末してきたかのような顔をしているのだ。

「あの、何を?」
「……俺の恋人として、シュトライザーの家についてきてくれ」
「……は?」

 まったく話が分からない。何がどうしてそうなったのだ?
 ランバートはポカンと口を開けたまま、何が起こっているのかを聞くことにした。

 ソファーに腰を下ろし、正面にファウストが座る。相変わらず世界中の不幸を背負っている。彼は何も言わず、一通の封筒をランバートの前に置いた。
 差出人はアーサー・シュトライザーとある。現シュトライザー公爵であり、ファウストの父親からだ。失礼して中を改めると、彼のこの様子にも納得がいった。
 内容は、ファウストのお見合いパーティーを行うから帰ってくるようにとのことだった。

「お見合いって……無茶ですよね」
「あぁ」
「退団、しませんよね?」
「その予定はない」

 疲れ果てたのだろう声で言われる。普段より声が低い。これはかなり精神的にきているんだろう。
 騎士団は女人禁制。結婚が悪いというわけではなく、男所帯に女性を入れられないし、外の屋敷で生活されるといざというとき動けないからだ。ただ、中には通い婚をしている人もいる。街に家庭を持ち、安息日だけを家族と過ごす。だが原則籍は入れないから、愛人というか、内縁という事になりはするが。

「愛人囲うんですか?」
「俺にその甲斐性があると思うのか?」
「いえ」

 迫力の増す黒い目に睨まれると、どうにも自分の失言を呪ってしまう。
 ファウストの母親は愛人だった。ルカの話では愛情に溢れた様子ではあるが、ファウストの認識は違うだろう。愛人の子である彼が、憎い父と同じ事はしないだろう。

「断る口実に、恋人のふりをするんですね?」

 要約するとそういうことだ。別にランバートとしては構わない。世話になっているし、ファウストは本当に困った様子だ。それに、彼が騎士団からいなくなってしまうのも困る。面の皮も厚いし、装うことも苦手ではない。何より彼がこんなことを頼む相手が自分であるのは、ちょっと嬉しいのだ。
 だが、ランバートが口にした途端にファウストは驚いて、次に申し訳無く表情を曇らせる。そして、深く頭を下げた。

「すまない、お前を利用するように」
「あぁ、いいえ」
「何度かあって、断ってもしつこくてどうしようもなくて。過去にも顔だけ出して断り続けているのにまた」
「あの、大丈夫ですから」
「もう、恋人がいるとか何とか言わないと続くだろうと。誰に頼む事もできずに」
「本当に大丈夫で、気にしてません!」

 本当に悩んだのだろう。心労があまりに窺える様子に同情を超して哀れになってくる。この人をこんなに追い詰められるって、かなりの破壊力だ。
 頼りなく、申し訳なく見上げる黒い瞳を見つめ、ランバートは笑った。

「ちょっとだけ、嬉しいです」
「嬉しい?」
「こんな事を頼めるのは俺だけだって、思ってくれたのでしょ?」

 そう言うと、黒い目が僅かに驚きに大きくなる。揺れる瞳の奥を覗き込むと、ファウストは僅かに顔を赤くした。

「怒らないのか? 大分失礼だろ」
「全然。まぁ、女装してくれと言われたら少しハードル高いですが」

 なんて、冗談みたいに言って笑う。面食らったファウストは、次には穏やかな表情をしてくれた。

「悪い、付き合わせて。不快な思いもするだろうとは思うが、お前の事は必ず俺が守る」

 そう言ってくれるだけで、この話を引き受ける対価になるとランバートは思った。

「あっ、恋人なら『ファウスト様』はおかしいですよね? えっと……ファウスト?」

 恋人で様って、かなり距離がある。それを思って練習のつもりで口に出した。その途端、気恥ずかしさに体が熱くなる。なんだか慣れないし、恥ずかしい。今は目を合わせずに言っているからいいが、これが目を見てとなるとかなり訓練がいる。
 だが、見ると自分よりもファウストのほうが顔を真っ赤にしていた。色が白いから余計に赤さが際立つのだろう。耳や首まで赤くなっている。

「あの……ファウスト?」
「あぁ、いや! ……恥ずかしいな、これは」
「……はい」

 うん、これも改めなければならないのか。「はい」じゃなくて「うん」くらいにしないと。
 考えれば考えるほど恥ずかしいし、心臓の鼓動が早くなる。顔も熱い。
 けれど目の前の人はそれ以上に恥ずかしいらしい。全然目を合わせてくれない。それがなんだか、可笑しかった。

「今日から毎日特訓ですね、ファウスト」

 悪戯に笑ったランバートが言うのに、ファウストは憎らしそうに見ながらも頷いた。

◆◇◆

 翌日、ランバートはルカの店を訪ねた。仕事を終えて簡単に食事を食べて、実家に物を取りに行く前に寄ったのだ。目的は一つ、シュトライザー公爵を知るためだ。

「父さん、また兄さんのお見合いなんて計画したの?」

 呆れ顔のルカは困ったように笑う。それに、ランバートも苦笑して頷いた。

「もう、素直じゃないんだから。それね、多分久々に兄さんの顔が見たくなっただけだよ。本当にお見合いさせようなんて期待してない。まぁ、上手くまとまればいいとも思ってるだろうけれど」
「やっぱり、そういうことなんだ」

 手紙を見た感じもそう思った。いや、ルカから公爵の人となりを聞いていなければ、文面通りに受け取っただろうが。
 シュトライザー公爵というのは、どうもファウストに中身が似ているらしい。つまり、頑固で素直じゃない。しかもこの二人の仲は最悪だ。となると、会うためにはそれなりの理由がいるわけだ。

「ごめんね、ランバートさん。父さんと兄さんの面倒に巻き込んじゃって」
「いや、それはいいんだけど。実際、何か事件が起こりそうなくらいファウスト様は殺気立ってたし」

 昨日のあの雰囲気のまま実家に乗り込むのは、いったいどうなんだ。
 だが、ルカは何かを思ったのか顔を上げ、次にはとてもご機嫌な笑みを浮かべた。

「そうだ! ランバートさん、本当に兄さんの恋人のように振る舞って父さんに挨拶してきなよ」
「え?」
「これってさ、騙してるの知らなければ本当にご挨拶でしょ?」

 確かに、そうだ。二人は演技のつもりだが、シュトライザー公爵からすると本当に恋人を紹介されるのと同じ。つまり、そういう認識がファウストの家族の中でできるわけだ。
 今更ながら体の奥が熱くなる。それはいいのだろうか? という疑問と申し訳なさがある。でも、やっぱり楽しみで嬉しいのもある。複雑だ。
 最近分からない事がある。最初はこうしたファウストの頼みを聞くのは、楽しい遊びか悪戯のような感覚だと思ってきた。いや、言い方が悪い。そんなに軽い感じではなく、とても真剣なのだが、ある種のスリルを求めていた。
 だが、最近は違う。頼まれるということ自体に喜び、頼ってもらえる事に喜び、共にいる時間に嬉しさを感じていると思う。隣にある事に安心しているとも言う。

「ランバートさん?」
「あぁ、何?」

 考え込んでいたんだろう。ルカに呼ばれて、ハッとして笑う。少し心配そうな顔をしたルカは、ランバートに小さな香水瓶を渡した。

「僕からの応援。ランバートさんのイメージで作ったんだ。名前は『Examiner du mois月の調べ』」

 柔らかな香はどこか神秘的で、優しい印象をくれる。男物というよりは女性が好みそうな香に近い。ただ、包み込むような香は嫌いじゃなかった。

「有り難う」
「ううん」

 手を振って店を出たランバートは、そのまま実家のヒッテルスバッハ邸へと戻る。当日の服を持ち出す為だ。私服は持ち込んだが、公に出るような物は持ち込んでいなかった。
 ドレスローブも考えたのだが、流石にそれは気張りすぎる。場所もシュトライザーの屋敷だし、もう少し余裕が欲しい。結局、白に紫の返し襟のドレススーツ一式を持ち出した。
 それらを部屋に置き、ついでに貰った香水を少しつけてファウストの部屋へと向かう。彼はランバートを見た途端に顔を赤くしたが、自分が頼んだ以上しかたがないと観念したのか、側に来て頬を包むように髪に手を差し入れた。

「お前、恥ずかしくないのか?」
「スイッチ入るとそんなに」
「強いな。俺はこの特訓の必要性は分かっているが、どうにも気恥ずかしくてたまらない」

 何をするかと言うと、恋人の練習だ。上司と部下の関係を脱出できないファウストとランバートの、これは秘密訓練だ。恋人に見えないと意味がない。
 ファウストが体を寄せて、そっと抱き込む。まるで壊れ物でも扱うように丁寧にされて心臓が跳ね上がる。これは練習だと言い続けないと、ランバートだって何か勘違いしてしまいそうだ。

「ファウスト」

 問いかけるが、やはり顔を赤くする。だが、潤んだ瞳を見上げると悪い気はしない。この目に映っているのが自分だけだと思うと、僅かに何か満たされるのだ。
 頬に手を触れて、僅かに伸び上がる。ファウストも腰を支えて、触れるだけのキスをした。ゾクリと背に甘い痺れが走る。たまらず、ランバートの目にも熱がこもった。

「今日、ルカの所に行ったのか?」
「どうして?」
「香がいつもと違う」

 ドキッとして、赤くなって頷いた。分かってくれたことが嬉しいが、普段から気にしていた事も嬉しい。心臓が早鐘のようだ。

「今日は、どこに行ったんだ?」
「ルカさんの所に行って、その後は実家に。挨拶に行くときの服を見繕ってきて」
「気にしなくていいのに」
「制服で行くわけには行かないので」
「ランバート」

 悪事を見とがめる先生の顔だ。ランバートが口調を戻したから窘められる。ピンと、弱い力が額を弾かれた。

「お前も抜けないな」
「その為の練習なので」
「ほら、また」
「うっ。ファウストだって顔を赤くするの止めないと」
「そこが問題だ」

 落胆の様な顔、次には破顔。二人は並んで笑って、そしていつものような雰囲気になる。

「本当に気にしなくていい。なんなら制服のままで来い」
「それは流石に。それに、考えながらコーデするのは楽しいですよ」
「お前、今回の事楽しむつもりだろう」

 ジロリと睨まれると困る。正にその通りだから。

「ランバート」
「いいじゃないですか、少しくらい。様子の違うファウスト様を見るのも楽しいですし、こんなの滅多にみられないんだから」
「お前に頼むんじゃなかったな」
「他に当てでも?」

 意地悪に指摘する。ファウストは憎らしそうに「ない」と断言した。
 こうして二人の特訓は、お見合い当日の安息日前夜までひっそりと続けられた。
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