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10章:HappyBirthday!
4話:花冠
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どんなに飲もうが寝るのが遅かろうが、染みついた感覚は簡単には抜けない。朝方目を覚ましたランバートは首を振って起き上がった。頭痛などもなく、楽しかった気持ちのままに良い夢が見られた気がする。
井戸まで降りて水を汲み、軽く体を拭ってから着替えて修練場へ。そこには見慣れた姿があった。
「おはようございます、ファウスト様」
「おはよう。昨日は楽しかったか?」
「はい、とても」
素直に笑い、ウォームアップを始める。組んで体を入念に解し、いつものように手合わせをする。素手での乱取り、剣での試合。これも最近変わってきた。手ほどきのような手合わせは影を薄くし、強い当たりや鋭い太刀筋が増えた。そのくらい踏み込んでも大丈夫だと思ってくれたのだろう。
「有り難うございました」
修練を終えて一つ礼をする。それに応じたファウストも「強くなったな」と言って笑っている。
「ランバート、この後用はあるか?」
「え? いいえ」
「それなら、少し出ないか。気晴らしに少し離れた場所までフリムを走らせようと思っているんだ」
「いいですね」
このお誘いはとても嬉しい。ランバートもしばらく遠乗りには出ていない。風も柔らかくなってきたし、この時期なら花も綺麗だろう。桜とは違う野花の彩りも綺麗だ。
「では、着替えて行くか」
「ご一緒します」
二つ返事で頷いたランバートは、さっさと着替えて馬房へと向かった。
町で簡単な昼食を買い、そのまま外に出る。フリムはいつ見てもいい馬だ。立派な腰回りと逞しい足、美しい毛並み。そしてそれに跨がる人も美しいと思う。長い黒髪を風に靡かせながら、彼は前を走る。
この背を追うのは楽しい。人としても騎士としても、自分はまだまだこの背を追う立場だ。追いつけるか分からない。それでも、追っていける事が嬉しい。そんな、妙な気持ちだ。
やがて辿り着いたのは前に連れてきて貰ったのとは違う草原。野花が揺れる気持ちのいい草原に、立派な木が一つどっしりと根を張っている。その下に馬を止め、ランバートは首を撫でながら馬具を外した。しっかりと教育された騎士団の馬は馬具を外してもそう遠くまではいかない。そういう訓練がされている。
「フリムも行ってこい」
同じようにフリムの馬具を外したファウストの言葉を理解しているように、フリムも草原を自由に走る。側に小川もあるようで、二頭は適度な距離を保って走っている。
「お前の乗ってきた馬は牝馬か」
「えぇ。俺に懐いてくれてるので、特に可愛がって世話してます」
とは言えランバートの馬というわけではない。騎士団の馬は誰がどれに乗っても構わない。それでも世話をする騎士全員が共通して、それなりにお気に入りの馬というのがいる。
「フリムが距離をつめているな」
「発情の兆候でもあるのでしょうか」
「そうかもしれないな」
春は生き物にとって恋の季節。馬たちにとってもそれは同じだ。
「フリムは気が荒くて、今まで子作りは考えていなかったんだがな」
「そうなのですか?」
「あぁ。何度か顔合わせをしたんだが、なかなか気に入ってくれなくて相手に怪我をさせかねなくてな。それからは無理に会わせたりはしていなかった」
だが今の二頭は実に睦まじく見える。誘うように走る牝馬の後ろを追い、足を止めるとゆっくりと近づいて身を寄せようとしている。だが今は牝馬の方が上手らしい。ある程度の距離になると離されている。
「フリムが振り回されてますね」
「あれもオスだったんだな」
なんて、二人で笑い合った。
「昨日は楽しかったか?」
不意に問われ、ランバートは恥ずかしく笑う。はにかむように。楽しくて嬉しかった。そしてちょっと、ムズムズしてしまった。恥ずかしかったのかもしれない。
「良かったな」
黒い瞳が細く柔らかく見つめる。よしよしと頭を撫でる動きに、ランバートは大人しくされるままにした。
「ファウスト様は、誕生日はいつですか?」
「十月十日だ」
探るように聞いてみるが、案外簡単に教えてくれた。これは記憶しておく。去年はまだ近い関係ではなかったが、今年は何か祝ってみよう。そういう気持ちだ。
だが、ふとファウストの眉根が寄って何かを考える表情を見せる。首を傾げていると、実に苦々しい表情に変わった。
「今年、二十七か。俺も年を取ったな」
忌々しげに呟いた言葉に、ランバートはたまらず笑った。腹を抱えて転げるように笑うと、隣の渋面が更に深くなった。
「ランバート」
「いや、だって。二十七はまだまだ若いですからね」
地を這うような低音で名を呼ばれ、慌てて言う。本当にこの人は変な所でおかしな事を言う。一般的に二十代はまだ若い。三十になってようやく男の色香が出てくるというものだ。
渋面は変わらない。ランバートはまだ笑いながら、その額に刻まれた皺を撫でた。
「ほら、若くいてくださいよ。皺なんて似合いません」
「バカにしてるだろ」
「してませんって。ファウスト様を前に誰が『おじさん』なんて思います。十分魅力的で色っぽくて素敵ですよ」
「胡散臭い」
そう言ってふて腐れた人は、背を向けて草地に寝転んだ。ふて寝されたのだろうか。
「機嫌直してくださいよ、ファウスト様」
言ってみるが言葉はない。諦めてランバートも隣に寝転がった。
そよぐ風が心地よく肌を撫でる。陽が温かく降り注ぐ。草の香りは気持ちを落ち着かせてくれる。そういえば、昨日は楽しくてついつい夜更かしをした。
ゆるゆると瞳が閉じていく。体が心地よく沈み込んでいく。意識はゆっくりと沈んでいった。
目が覚めても、まだ太陽はそこにあった。多分、三十分くらいだったのだろう。起き上がった、その膝の上にパサリと何かが落ちた。
「花冠?」
生えているシロツメクサで編まれた花冠はとても丁寧につくられていて、とてもしっかりしている。そしてこの場には、ランバートとファウストしかいない。
隣の人はまだ背を向けている。けれど起きているのは気配で分かった。
「案外器用なんですね、ファウスト様」
この人がこんな愛らしい物を作ったのかと思うと、微笑ましく笑みが浮かぶ。ランバートはそれを頭に乗せて、ファウストの前に回った。
「似合いますか?」
黒い瞳は開いていた。そして、前に回ったランバートを見て少し驚き、次にはふわりと笑った。
「男がつけて似合う物じゃないだろ」
「作った人が言う言葉でもないでしょ」
苦笑して、起き上がる。そして丁寧に髪を梳いて、もう一度冠を乗せた。
「まぁ、愛らしくはないが悪くもない」
そう言って、ふわりと微笑んだ。
「器用なんですね」
「母が教えてくれたものだ。住んでいた屋敷の前庭にこうした草花が咲いていたが、妹はベッドから起き上がるのもままならなくてな。一緒に行けないと泣くから、作ってやっていたんだ」
懐かしむように瞳を細め、穏やかな表情をする。でもその表情の中に僅かな憂いもあって、ランバートはそっと側に座った。
ファウストは幼い時を母親と弟妹とで過ごしていたらしい。だが十歳の時にファウスト自身はシュトライザー家に引き取られている。何があったのかは聞いていないが、彼の口振りから母親は既に亡いのだろうと思えた。
「母は器用で、こうした事が得意な人だったからな」
「素敵な思い出ですね」
「思い出か……そうだな」
静かな人は笑みを浮かべて、そっとランバートの頭を撫でる。人目がないからされるに任せ、ランバートは目を細めた。
人の過去に不用意に触れる事はしない。意外な痛みを伴うことは知っている。少し前にそれを散々思い知ったばかりだ。詮索されたくない事も、深い痛みもあるものだ。
でも、もう少し側にいられたら、もう少し近づく事を許してくれたら、話してくれるだろうか。痛みのある話でも、明かしていい相手になれるだろうか。
最近、自分は少し欲張りになった。居たい場所を意識したり、欲しいものが明確になったり、優しさを欲したり、寂しさを感じたり。昔はこんなに欲しがりじゃなかった。全てを簡単に手放せた。なのに今はギリギリまで手を離せない。
「まだ眠いか?」
「いいえ」
静かに手が伸びて肩を抱く。何も聞かず、何も言わない時間はそれでも温かい。甘えるように肩に寄りかかっても、ファウストが拒む事はなかった。
井戸まで降りて水を汲み、軽く体を拭ってから着替えて修練場へ。そこには見慣れた姿があった。
「おはようございます、ファウスト様」
「おはよう。昨日は楽しかったか?」
「はい、とても」
素直に笑い、ウォームアップを始める。組んで体を入念に解し、いつものように手合わせをする。素手での乱取り、剣での試合。これも最近変わってきた。手ほどきのような手合わせは影を薄くし、強い当たりや鋭い太刀筋が増えた。そのくらい踏み込んでも大丈夫だと思ってくれたのだろう。
「有り難うございました」
修練を終えて一つ礼をする。それに応じたファウストも「強くなったな」と言って笑っている。
「ランバート、この後用はあるか?」
「え? いいえ」
「それなら、少し出ないか。気晴らしに少し離れた場所までフリムを走らせようと思っているんだ」
「いいですね」
このお誘いはとても嬉しい。ランバートもしばらく遠乗りには出ていない。風も柔らかくなってきたし、この時期なら花も綺麗だろう。桜とは違う野花の彩りも綺麗だ。
「では、着替えて行くか」
「ご一緒します」
二つ返事で頷いたランバートは、さっさと着替えて馬房へと向かった。
町で簡単な昼食を買い、そのまま外に出る。フリムはいつ見てもいい馬だ。立派な腰回りと逞しい足、美しい毛並み。そしてそれに跨がる人も美しいと思う。長い黒髪を風に靡かせながら、彼は前を走る。
この背を追うのは楽しい。人としても騎士としても、自分はまだまだこの背を追う立場だ。追いつけるか分からない。それでも、追っていける事が嬉しい。そんな、妙な気持ちだ。
やがて辿り着いたのは前に連れてきて貰ったのとは違う草原。野花が揺れる気持ちのいい草原に、立派な木が一つどっしりと根を張っている。その下に馬を止め、ランバートは首を撫でながら馬具を外した。しっかりと教育された騎士団の馬は馬具を外してもそう遠くまではいかない。そういう訓練がされている。
「フリムも行ってこい」
同じようにフリムの馬具を外したファウストの言葉を理解しているように、フリムも草原を自由に走る。側に小川もあるようで、二頭は適度な距離を保って走っている。
「お前の乗ってきた馬は牝馬か」
「えぇ。俺に懐いてくれてるので、特に可愛がって世話してます」
とは言えランバートの馬というわけではない。騎士団の馬は誰がどれに乗っても構わない。それでも世話をする騎士全員が共通して、それなりにお気に入りの馬というのがいる。
「フリムが距離をつめているな」
「発情の兆候でもあるのでしょうか」
「そうかもしれないな」
春は生き物にとって恋の季節。馬たちにとってもそれは同じだ。
「フリムは気が荒くて、今まで子作りは考えていなかったんだがな」
「そうなのですか?」
「あぁ。何度か顔合わせをしたんだが、なかなか気に入ってくれなくて相手に怪我をさせかねなくてな。それからは無理に会わせたりはしていなかった」
だが今の二頭は実に睦まじく見える。誘うように走る牝馬の後ろを追い、足を止めるとゆっくりと近づいて身を寄せようとしている。だが今は牝馬の方が上手らしい。ある程度の距離になると離されている。
「フリムが振り回されてますね」
「あれもオスだったんだな」
なんて、二人で笑い合った。
「昨日は楽しかったか?」
不意に問われ、ランバートは恥ずかしく笑う。はにかむように。楽しくて嬉しかった。そしてちょっと、ムズムズしてしまった。恥ずかしかったのかもしれない。
「良かったな」
黒い瞳が細く柔らかく見つめる。よしよしと頭を撫でる動きに、ランバートは大人しくされるままにした。
「ファウスト様は、誕生日はいつですか?」
「十月十日だ」
探るように聞いてみるが、案外簡単に教えてくれた。これは記憶しておく。去年はまだ近い関係ではなかったが、今年は何か祝ってみよう。そういう気持ちだ。
だが、ふとファウストの眉根が寄って何かを考える表情を見せる。首を傾げていると、実に苦々しい表情に変わった。
「今年、二十七か。俺も年を取ったな」
忌々しげに呟いた言葉に、ランバートはたまらず笑った。腹を抱えて転げるように笑うと、隣の渋面が更に深くなった。
「ランバート」
「いや、だって。二十七はまだまだ若いですからね」
地を這うような低音で名を呼ばれ、慌てて言う。本当にこの人は変な所でおかしな事を言う。一般的に二十代はまだ若い。三十になってようやく男の色香が出てくるというものだ。
渋面は変わらない。ランバートはまだ笑いながら、その額に刻まれた皺を撫でた。
「ほら、若くいてくださいよ。皺なんて似合いません」
「バカにしてるだろ」
「してませんって。ファウスト様を前に誰が『おじさん』なんて思います。十分魅力的で色っぽくて素敵ですよ」
「胡散臭い」
そう言ってふて腐れた人は、背を向けて草地に寝転んだ。ふて寝されたのだろうか。
「機嫌直してくださいよ、ファウスト様」
言ってみるが言葉はない。諦めてランバートも隣に寝転がった。
そよぐ風が心地よく肌を撫でる。陽が温かく降り注ぐ。草の香りは気持ちを落ち着かせてくれる。そういえば、昨日は楽しくてついつい夜更かしをした。
ゆるゆると瞳が閉じていく。体が心地よく沈み込んでいく。意識はゆっくりと沈んでいった。
目が覚めても、まだ太陽はそこにあった。多分、三十分くらいだったのだろう。起き上がった、その膝の上にパサリと何かが落ちた。
「花冠?」
生えているシロツメクサで編まれた花冠はとても丁寧につくられていて、とてもしっかりしている。そしてこの場には、ランバートとファウストしかいない。
隣の人はまだ背を向けている。けれど起きているのは気配で分かった。
「案外器用なんですね、ファウスト様」
この人がこんな愛らしい物を作ったのかと思うと、微笑ましく笑みが浮かぶ。ランバートはそれを頭に乗せて、ファウストの前に回った。
「似合いますか?」
黒い瞳は開いていた。そして、前に回ったランバートを見て少し驚き、次にはふわりと笑った。
「男がつけて似合う物じゃないだろ」
「作った人が言う言葉でもないでしょ」
苦笑して、起き上がる。そして丁寧に髪を梳いて、もう一度冠を乗せた。
「まぁ、愛らしくはないが悪くもない」
そう言って、ふわりと微笑んだ。
「器用なんですね」
「母が教えてくれたものだ。住んでいた屋敷の前庭にこうした草花が咲いていたが、妹はベッドから起き上がるのもままならなくてな。一緒に行けないと泣くから、作ってやっていたんだ」
懐かしむように瞳を細め、穏やかな表情をする。でもその表情の中に僅かな憂いもあって、ランバートはそっと側に座った。
ファウストは幼い時を母親と弟妹とで過ごしていたらしい。だが十歳の時にファウスト自身はシュトライザー家に引き取られている。何があったのかは聞いていないが、彼の口振りから母親は既に亡いのだろうと思えた。
「母は器用で、こうした事が得意な人だったからな」
「素敵な思い出ですね」
「思い出か……そうだな」
静かな人は笑みを浮かべて、そっとランバートの頭を撫でる。人目がないからされるに任せ、ランバートは目を細めた。
人の過去に不用意に触れる事はしない。意外な痛みを伴うことは知っている。少し前にそれを散々思い知ったばかりだ。詮索されたくない事も、深い痛みもあるものだ。
でも、もう少し側にいられたら、もう少し近づく事を許してくれたら、話してくれるだろうか。痛みのある話でも、明かしていい相手になれるだろうか。
最近、自分は少し欲張りになった。居たい場所を意識したり、欲しいものが明確になったり、優しさを欲したり、寂しさを感じたり。昔はこんなに欲しがりじゃなかった。全てを簡単に手放せた。なのに今はギリギリまで手を離せない。
「まだ眠いか?」
「いいえ」
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