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最終章:最強騎士に愛されて

11話:十年後の君へ(ジェームダル編)

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 十年後。ジェームダル――

 温かい春の日差し降り注ぐ王宮を、一人の少女が楽しげにドレスの裾を翻してステップを踏む。長い金の巻き毛を揺らし、手には一つの手紙を持っている彼女は一番大きな扉を開けた。

「お父様!」
「おや、エルヴァ?」

 執務机で仕事をしていたアルブレヒトが顔を上げ、入ってきた少女に微笑みを浮かべる。少女と言っても幼くはない。年の頃は十五歳、花も綻ぶような綺麗な姫に成長している。
 長い金の巻き毛に、白い肌。目は大きな緑色で、唇はほんのりと桜色をしている。そんな美人に育ちつつある娘を、アルブレヒトは目を細めて迎える。

「どうしたのですか?」
「クシュナートのリシャール様からお手紙が届いたの! 今度帝国で行われる同盟締結十周年の式典に参加なさるんですって。ねぇ、私も一緒に行ってはいけませんか?」

 淡いグリーンのドレスの裾をちょこっと摘まみながらおねだりをする子を、アルブレヒトは少し困って見てしまう。それというのもとある理由で、少し大人数になりそうだからだ。

 この年、三国同盟締結十周年の式典が帝国で行われる事となった。ジェームダル解放の後、調整や話し合いを行ってはいたがそれぞれそればかりに力を注げない。結局締結は一年と少し後。これでもかなり早かったほうだ。

 あの時養子に迎えたキルヒアイスの子供達もすっかり大きくなった。長女のエルヴァは十五歳、クシュナートの王太子リシャールと密かに関係を温めている。
 長男のルートヴィヒも十五歳となり、王太子となった。今でもしっかり者で、アルブレヒトの仕事を手伝っている。
 次男のスカルトは利発で自由でとても明るく、そして面倒見のいい子に成長した。とはいえまだ十三歳、幼さも残る感じだ。
 そして当時まだ赤ん坊だった子達も今年で十歳と十一歳。一番難しくやんちゃな頃にさしかかっている。

「リシャールは王太子の仕事として参加するのですよ。アルヌール王の名代です」
「アルヌール様は参加なさらないの?」
「王妃殿下がご懐妊なさったので、今は動けないのですよ」
「わぁ、凄いですわ。流石アルヌール様、奥様を愛してらっしゃるのね。これで……えっと……」
「五人目ですね」

 さすがとしか言えないが、それでも抑えたのだろう。下半身にだらしないと自覚する通りではあるが、奥方への愛情は確かで側室などはとっておらず、彼の子は全て正妃との子だけだ。隠し子もない。既に四人、長男、次男、長女、次女がいる。次の子を今から待ちわびる夫婦は幸せなのだろう。

「では、式典にはリシャール様だけ?」
「いえ、フェオドール殿下が正式な名代として立つそうです」
「そうですの! どうしよう、更に行きたい」
「まぁ、その件は少し話し合ってみますね」

 今回は少し人数が多くなるので、帝国側への連絡を入れなければならない。おそらくカーライルは嫌な顔などしないだろうが、近衛府のオスカル辺りがてんてこ舞いになるだろう。
 それに、今回は時間と人数を考えて船旅となる。帝国まではゆっくり行って一日から二日だ。

 その時、開けていた窓から一羽のカラスが室内へと入り、アルブレヒトの側にある止まり木へと止まった。カラスなのだがその体は真っ白である。

「あっ、ナルお帰り。今日もお散歩に行っていたのね」
「えぇ、見回りです」
「こんなに目立つのに、他のカラスに虐められないのかしら」
「ナルはとても強くて頭がいいのですよ。だから大丈夫です」

 にっこりと微笑んで伝えれば、エルヴァは「そっか!」と微笑み近づいて、慣れた手つきで小さな頭を撫でていく。

「ではお父様、考えてくださいね」
「分かっていますよ」

 来た時と同じように軽いステップで出て行く彼女を見送ると、白いカラスがアルブレヒトの肩に止まった。

『相変わらず騒がしい娘ですね』
「そんな事を言ってはいけませんよ、ナル。可愛いではありませんか」
『甘やかしてはいけませんよ、我が君。あの子もそろそろ年頃です、恥じない教養を身につけて貰わなければ』

 知っている声が直接頭に響き、アルブレヒトは楽しく笑った。

 丁度、今年の冬だったか。日課となっているナルサッハの墓前に赴いた時、このカラスが止まっていた。珍しい白いカラスはジッとアルブレヒトを見つめ、側へと近づいてくる。そして羽根の先で触れ、懐かしい声で語りかけてきた。
 あの瞬間の喜びは言い表せないものだった。思わず抱きしめて泣いてしまったほどだ。姿も種族も違うが、ようやく巡り会えたのだから。
 ナルサッハが最後に託したエルの力。触れた者の心が読める能力を使って、今はひっそりと会話をしている。

『ところで我が君』
「ん?」
『少し働き過ぎですよ。昨夜も遅くまでランプを灯しておいででしたね』
「え! あっ、いや……」
『貴方も年齢をお考えください。もう無理が出来るほど若くはないのです。休息は必要だと、口酸っぱく言っておりますのに』
「ナル、怒らないでください。少し立て込んでしまっていて」
『帝国での式典については大方話も付いておりますし、今手元にあるものも急ぎではないはず。宰相辺りに頼めば大まかに進む案件です。何から何までやっていては命を削ります。お休みください』

 カラスの姿をしていても、ナルサッハはナルサッハだった。特にカラスは賢いし、彼は生前の記憶も死後の記憶もしっかり残している。父なる神からはお目付役を言いつかったとまで言っていた。今では働き過ぎるアルブレヒトの小姑状態だ。

 だが、ここでタダで休むアルブレヒトではない。ふと考え、ニヤリと笑った。

「ではお前も私の側で羽根を休めてくれますか?」
『え?』
「一人寝は寂しいもの。私の側でお前も眠ると言うのなら、そうしましょう」

 カラスなのだから、人間のように豊かな表情というものは期待できない。だが伝わるのだ、彼のそれは。戸惑い、そして恥ずかしくしているのが。
 勿論種族も違うのだ、何があるわけでもない。添い寝でしかないのに、ナルサッハは照れる。それを楽しんでもいるが。

「どうして嫌なのですか? 私の事が嫌いですか?」
『そんな事は! ただ……貴方様はどれほど年齢を重ねても美しいのです。それが寝姿ともなれば、その……凶悪な程に美しくて心臓に悪いと言うか』
「お前、本当に私の顔が好きですよね」

 ここまでくると呆れるが、ナルサッハは大真面目だ。
 それでも平和で、ここ最近は満たされている。ナルを肩に乗せたまま、アルブレヒトは立ち上がり執務室のドアに鍵をかけた。

「少し休みます。お前も一緒ですよ」
『……分かりました、お供いたします』

 諦めたナルを肩に乗せたまま、アルブレヒトは悠々と自室へと戻っていった。

◆◇◆

 ファランの地にも柔らかな色が添えられ、花がこぼれている。十年をかけて整えられた町は以前のように荒廃などしていない。何よりも一番変わったのは、この町に城壁ができ、騎士団が常駐していることだった。

「えっと、荷物はこれで全部で……忘れ物は……」

 生家であり領主館で、レーティスは荷物の中身を出しては入れてを繰り返している。お土産と、ベリアンスへと渡す彼の父の遺品と、衣服も式典用の物を持って行かなければ。
 そんなこんなで腕を組む彼の背後で、低く楽しげな声が笑った。

「そんなに何度も出し入れしていると、余計に忘れるぞ」
「ですがオーギュスト、ようやくベリアンス様にお会いできるのですよ。お返ししたい物もありますし、お土産とか」
「彼はそれほどの物を求めていないだろう。最悪お前だけがいれば十分喜ぶと思うが」

 そんな風に言われて、ちょっと恥ずかしくなる。領民の前では頼りになる聡明な領主なのだが、恋人でありパートナーであるオーギュストの前では未だに情けない男のままな気がする。
 いや、オーギュストが大人すぎるのだ。年齢的にも上で、元々が王族側仕えだったのだ。落ち着いていて当然……ではあるが、少し悔しくもある。

「そうでしょうか?」
「あぁ。お前がどのように過ごしてきたのか。元気な顔を見るだけでも彼は安心するだろう。多くを語らなくともそれで十分だ」
「でも、私は渡したいんです」

 ツンとして言えば余計に笑われる。それがやっぱりちょっと悔しい。

 三国同盟締結十周年目。この記念すべき年に、一つの恩赦が与えられた。かつて帝国でテロ活動をしていたキフラス、レーティス、ハクイン、リオガンの四名について、帝国への入国が許される事となったのだ。
 そしてジェームダル内戦の時に帝国に捕虜として渡ったベリアンスにも恩赦が与えられ、身の解放が許された。
 勿論帝国がベリアンスに対して不当な扱いをしていないのは分かっている。手紙などで近況を伝えてくれるが、それにも健やかである事が伝えられている。実は国境の町まで行けばひっそりと会うことはできたのだ。チェルルとはそれで数回会う事ができた。だがベリアンスは「約束だから」と顔を見せてはくれなかった。
 この機会に堂々と再会が叶う。アルブレヒトは今回の式典に皆を連れていくと言ってくれた。諸事情のあるダンクラート以外は皆出席だ。

 不意に近づいたオーギュストが、グッと強めに引き寄せ唇を塞ぐ。遠慮などせず交わされるキスに、ツンとした態度は直ぐに溶けてしまう。

「拗ねないでくれ、レーティス。可愛くてたまらない」
「かわ! そんなんじゃありません!」
「可愛いさ、俺から見れば。ただ、煽られてしまう」
「しませんよ」
「明日、王都へと向かう予定の奴を抱きはしないさ。安心しろ」
「……別に、馬車で向かうので抱いて頂いてもかまいませんが。貴方があまりに子供扱いするので不満というか、悔しいというか」

 ぼそぼそっと口を尖らせて言えば余計に笑われる。睨み付けて上を向いた唇を、今度はしっかりと塞がれた。舌が心得ているように口腔を弄り快楽のツボを見つけ出し甘く確かに擽る。これだけで未だに腰が砕けて息があがり、頭の中が霞んでしまう。
 解放された時にはもう、レーティスの顔から強情はなく、とろんと蕩けたものになっていた。

「では、早く荷支度をしてしまおう」
「……え?」
「抱くと言っているんだが、伝わっているか?」

 抱く。
 そんな直接的な誘い方をされると余計に体の芯が熱を持つ。遠回しでは鈍いレーティスは分からないんだと学んだオーギュストはとてもはっきりと言うようになった。
 体の芯が甘く痺れ、あらぬ部分がキュンとする。発情しているのだと自覚があるが、先程のキスだけで意地っ張りな仮面は剥がれてしまった。

「はい、あの……抱いて、ください」

 トロトロの赤い顔で伝えると、オーギュストは途端に顔を赤らめ、出した荷を確認しながら鞄の中に入れてそれを机の上に上げてしまう。そして代わりにと、レーティスを抱き上げた。

「困った、俺のご主人様は可愛くて仕方がない。あんまり煽るとドロドロにしてしまうぞ」
「あ……の、はい」
「……はぁ」

 困り果てた溜息、でも嫌じゃないのは表情から分かるから任せていられる。寝室のドアに『close』の札を下げた彼にベッドへと運ばれたレーティスは旅立ち前の甘い一時を存分に味わうのだった。

◆◇◆

 王都に家を借りての生活は小さくても幸せが沢山で、色々な喜びがある。十年が経ってこの国は優しい国になったと思う。力のない小さな子供が道ばたで泣いている事はなくなったし、痩せ細って今にも死んでしまいそうな子が物乞いをしている事もない。
 リオガンは手元の手紙をもう一度読み直して、それを封筒に入れた。

「リオガン、準備出来てる?」

 ノックもなく背後でドアが開いても、リオガンは警戒なんてしなくなった。昔は驚いて咄嗟に手元の物を投げてしまう事もあったけれど。
 ハクインはとても綺麗になった。背も伸びたし、顔立ちも優しくなった。だから前よりもっと、今が大好きだ。

「手紙、書き終わった?」
「うん、終わった」
「直接会うんだから口でも伝えられるのに」
「俺、まだ上手く伝えられないから、こっちの方がいいと思って」

 前よりもずっと言いたい事が言えるようになった。それはハクインのお陰であり、出入りしている教会の神父や子供達のお陰であり、大らかなアルブレヒトのお陰でもある。

 今もリオガンとハクインはアルブレヒトの元で仕事をしている。とはいえ、以前のような後ろ暗いものではない。ハクインは主に事務仕事の苦手なダンクラートの補佐として机仕事をしているし、リオガンは忙しいキフラスについて軍事訓練の手伝いをしている。
 キフラスには他にバルンという青年がついているけれど、彼は武力というよりは作戦立案や情報操作という方面に明るい。二人でキフラスを助けて丁度いい感じだ。
 そんなこんなで、今は充実している。そして休みの日や手の空いた時には王立の教会に行って、そこで生活する子供達と遊んだりしているのだ。

「もう結構話せるのに」
「緊張すると上手く出てこない。ベリアンス様とは久しぶりだし、多分緊張すると思う。だから、先に」
「チェルルにも書いただろ?」
「チェルルも久しぶりだから」

 手紙のやりとりはしているから、チェルルの様子も知っていたりする。無事にヒッテルスバッハ家に受け入れられた事。先生の助手をしていること。家族だけで結婚式を挙げられた事。帝国に完全に帰化したこと。
 幸せそうだし、嬉しい。でも、少しだけ寂しい。神父様と一緒に暮らした年月は消えないし、嘘でもない。今も仲間だけれど、ちょっと遠くへ行った気がしてしまう。
 思わず俯いた。その背中を、ハクインがバンと叩いた。

「?」
「そんな顔してると、チェルルが悲しむだろ。あいつは幸せで、でも俺等の仲間だ。変わんないんだからな」
「う、ん。ごめんなさい」
「別に謝る事じゃないけどさ。まぁ、笑顔で会おう。それに数日後にはレーティスも到着するしさ」
「レーティスも元気になって良かった」

 これにはハクインも頷いてくれた。

 父親の領地を受け継いだレーティスだけが、自国に残った中で王都を離れた。落ち込んでいたし、簡単に気持ちの切り替えなんてできない事なのは分かっていたから心配した。でも一緒にいるオーギュストが献身的に支えてくれて、今ではとても元気になっている。
 故郷も見違えた。道も整備されているし、建物も綺麗に整った。崩れた建物は撤去されて、町の外側に立派な城壁が出来て、軍が常駐している。民を食いものにしないちゃんとした国軍だ。そして砦の中にはそういう人達の家族も家を持っていて、商売もあって。
 でも、多分もうアソコに懐かしい景色はないんだと思う。嬉しいけれど、寂しくもある。それでも年に一度か二度、ファランへと戻る。朽ちた教会の跡地には同じく教会が建っている。神父様の名前がついた教会の中に、神父様は眠っている。

 ギュッと後ろから、ハクインが首に抱きついてくる。首を傾げて振り向いたら、ちょっと不満そうな顔をしていた。

「ハクイン?」
「リオガン、今日は牛肉のステーキと、アサリとアスパラガスのパエリア、玉子のスープだよ」
「豪華、だね。どうしたの?」

 機嫌……は、あまり良くなさそう。でもご飯はとても豪勢だと思う。何か怒らせるような事をしてしまったのだろうか。不安になって見ていると、後ろから伸びた手が不意打ちに股間を撫でた。

「!!」
「ここ、痛いくらい元気にして欲しくて」
「!」

 かぁぁ……と、恥ずかしさで熱くなる。ズボン越しにさわさわされて困ってしまう。だって、気持ちいいんだ。ハクインに触られていると思うだけでそこが熱くなって困ってしまう。

「あっ、もう元気。これは今夜は期待してもいいのかな?」
「あの、ハクイン? えっと……三日前くらいに、したよ?」

 セックスレスじゃないし、今も付き合っている。というか、同棲十年以上になるんだからもう結婚しているようなものだと思っている。記憶が確かなら三日前にした。とても気持ち良くて、ハクインはとても可愛くて色っぽくて、凄く凄く好きだ。
 でも、やっぱり何か怒っている。そしてギュッと握られた。

「んぅぅ!」
「手加減が気に入らない。もっと求めて欲しい。尻の穴溶けるくらいして。ってか、リオガン優しすぎるんだもん!」
「えぇ!」

 だって、とても辛そうだから。後ろからしても目に沢山涙を溜めているし、声も掠れてるし、息も辛そうだし、顔も体も赤いから心配になってしまう。リオガンの方がずっと体力があるから加減をしないと潰してしまいそうで怖いんだ。
 なんて言ったら、多分怒るんだろうな。そんな顔をしている。

 そういえば、前にダンクラートが言っていた。たまには滅茶苦茶にされたいっていう日もあるらしいのだ、相手には。なるほど、そういうものなのか。やっぱり恋愛は難しい。でも、勉強した。

「ハクイン」

 向き直って正面からハクインを抱きしめたリオガンはとても凜々しい男の顔で伝えた。

「今日は沢山する。ちょっと大変かもしれないけれど、頑張ってハクインを満足させるから」
「……早まったかも?」
「? 俺、間違った?」
「間違ってない! 俺が満足するかよりも、リオガンが満足するまで抱いてほしいから」
「? 毎日満足している」
「玉の中身も頭の中も空っぽになるくらいエッチしたいってこと」
「うん、分かった。まずはご飯食べよう。ハクインの料理は美味しいから、毎日とても楽しみなんだ。今日は豪華だし、残さない。食べたら、ベッドでいい?」
「…………はい」

 ハクインを幸せにしてあげたい。いつも笑顔でいてほしい。優しいよりも今は欲求不満なんだと思うから、いつもより沢山エッチをして満たされてほしい。
 にっこりと男の色気をダダ漏らして微笑むリオガンを見たハクインは、確実にしくじったと後悔するが後の祭り。
 この日、全身ドロドロのトロトロになってもまだ抱かれたハクインは満足したが、翌日半日ベッドから動けなくなりましたとさ。

 めでたしめでたし。

◆◇◆

 軍の訓練は順調だ。新兵だった若いのも今や勤続十年、早いものだった。
 外は既に暗いが、キフラスは必ず毎日家に帰ってくる。この時間だと子供達は寝ているだろうが、寝顔でも見られると癒やされるのだ。

「お帰りなさい、キフラスさん」
「あぁ、ただいまビアンカ」

 金の髪を後ろで一つのお団子にしたビアンカが微笑んで迎えてくれる。これにもほっとするものだ。一日が穏やかに過ぎていく、それを感じる事ができる。

 十年と少し前、旧ラジェーナ砦の片付けや町作りに携わった際に彼女と再会した。元は身を寄せていた帝国の別荘地で知り合っていたが、再会の後は少しずつ形を変えていったのだ。
 実家を離れ、男の多い中で女性一人で店を切り盛りしていた彼女を案じて世話を焼いていたのだが、その間で少しずつ距離が縮まった。可愛いと思うようにもなったし、姿が見えないと心配もした。夜になると彼女を家に送り届け、呼ばれてお茶を共にし、互いの事を語らう時間は心穏やかに過ごす事ができた。贖罪の気持ちを和らげてくれた。
 それでも結婚までは三年かかった。罪人であるという意識の強いキフラスにとって結婚は、相手を罪人の家族にしてしまうという躊躇いもあったのだ。
 だが、ビアンカは強かった。そして周囲が、主が祝福してくれた。
 かくして結婚七年目、今では二人の男児の父となっている。

「食事は済ませましたか?」
「あぁ、軽く。だが、もう少し食べたいんだが何かあるか?」
「晩酌にしましょう。用意しますので、先に着替えてきてくださいな」

 にっこり微笑む彼女の額にキスをして、ポンと頭を撫でる。そうして柔らかく微笑むキフラスはそのまま夫婦の寝室へと向かい、大人しく着替えをしてしまう。
 そうしてリビングへと行けば、テーブルにチーズとワインが並んでいた。
 向かい合って座り、キフラスが栓を抜いてまずは彼女のグラスにワインを注ぐ。ビアンカもそれに返すようにボトルを受け取り、キフラスのグラスへ。二人でグラスを傾けて楽しむこの時間が夫婦の時間だ。

「最近忙しいのですか? 帰りが遅くなっていますが」
「あぁ、少しな。同盟締結十周年の式典に行く事になってな」

 これには少しばかり複雑な気持ちだ。
 締結十周年、恩赦によって過去の罪を許された。あの事件で罪人となったキフラスも、帝国への入国が許される事となった。
 それでも不用意に行く事はしないと思っていたのだ。犯した罪は消えないのだからと。だが今回はそうもいかない。騎士団長であるダンクラートが欠席なのだから、それに準ずる者が王に付き添わなければいけない。それに、アルブレヒトはキフラスを指名した。そうでもしないと行かないと見抜かれての事だ。
 だが、心配もないと思っている。帝国には騎士団がいる。彼等がいるのだから万が一など起こらないと全幅の信頼を置いている。何よりあの主に護衛など必要なのか? という疑問もあるのだ。
 それでも格好がつかないと言われればそうだ。そしてあの様子ではキフラスが折れるより他になかった。

「俺が、行っていいのかまだ迷う」

 正直に言えば、ビアンカは驚いた顔をした後で笑った。

「いいじゃない」
「だが」
「ベリアンスさん、でしたか? きっと、会いたいと思いますよ。何よりキフラスさんが会いたいんじゃありませんか?」
「それは……」

 会いたい、とは思う。一人この国で耐えた強い人。最後まで苦しみ抜いた人は今、穏やからしい。どうやら支えてくれる人ができたのだという。手紙を読む限りは心の傷も癒えたように見えた。
 だが同時に思う。そのような心持ちの人の所に行って、余計に苦しまないかと。過去を思い出してまた辛くならないかと。
 何より顔向けができないのだ。先に救われて楽になったキフラス達とは違い、本当に最後まで苦しんだ。戦いが終わった後もだ。一時的に剣の道も断たれたのだ。同じく剣を握る者としてその無力は耐えがたい。その辛酸をあの人は舐め、帝国の捕虜とまでなって、それでも再び立ち上がった。強い人だと思うし、今も尊敬している。
 だがそれなら、騒がせるのも気が引ける。

 だがビアンカは全部を見透かしたように微笑み、そっと手に触れた。

「後悔を残す事はいけませんよ、キフラスさん。真面目さんな貴方も好きだけれど、たまには自分を許してください。素直に、ね?」
「……あぁ」

 不思議だ、彼女に言われると受け入れる事が簡単だ。これがアホ兄では絶対に受け入れないのだが。

「それに、これで私の実家にも家族揃って行けますよ。あの子達も喜ぶわ」
「! そうだった。あぁ、本当に済まない事をした」

 そうだった、これは大きい。

 ビアンカの実家は今も帝国王都近郊の別荘地。今まではビアンカと子供達だけが帰省し、数年に一度くらい彼女の両親がジェームダルまで来てくれていた。だがあちらも老齢で、申し訳なく思っていた。
 だが今年からは一緒に彼女の実家に行く事ができる。それはきっと、子供達も喜ぶだろう。

「今年は、一緒に帰りましょうね」
「あぁ」
「約束よ」
「分かっている」

 差し出される小指に小指を絡めて交わす指切りはムズムズするが、笑顔が多い。微笑みあい、キフラスの心はだいぶ軽くなったのだった。

◆◇◆

 毎日が戦争のようだというのはこういう事だ。ダンクラートはぐったりしながら子供達を寝かしつけた。
 そうしてリビングへと戻ってくると、イシュクイナは大きなお腹を抱えて揺り椅子に座り、生まれてくる子にせっせと産着を縫っている。

「まだ起きてたのか? 先寝ていいって言ってるだろ」

 声をかければ明るい青い瞳がこちらを見て嬉しげに笑う。近づいたダンクラートはそっと膝に薄手の膝掛けをかけた。

「いいわよ、温かくなってきたし」
「よかねぇよ、体冷やすなって。産み月だぞ、何かあったら事だ」

 彼女のお腹は今にもはち切れてしまいそうな程に大きい。元々の体が細く、何人か産んだ後も体型が崩れる事はない。だからお腹だけがぽっこりと出ている感じがする。
 そうとう重たいと思うのだが、イシュクイナはまったく動じない。今も意欲的に動き回ってダンクラートの方が心配になるのだ。

「心配しすぎよ」
「だってお前、双子だぞ? しかも大きいって言われてるし、これまでの子の時と比べても腹が出てるし」
「もう、過保護ね。本当なら帝国に行ってもいいのよ?」
「お前な……少しは心配させろ」
「心配しかできないじゃない」
「いいじゃねーか。手ぐらい握る」
「いいわよ、気持ち悪いわね。握り潰すわよ?」
「お前ならやれそうで怖いな」

 何せ彼女は未だに現役女性騎士だ。素早い身のこなしと針のように刺す攻撃。女王蜂かと思う。
 そんな彼女の握力だ、出産時の力み具合だと確かに折られそうだ。

「それに、あれだ。我が子の誕生の時にはいたいだろ。俺が父親なんだから」

 恥ずかしく伝えたら、イシュクイナは目を丸くする。迫力美人な妻のこの顔に、多少傷つく所がある。でも、次にはとても優しく笑うのだ。

「そうね、大事ね」
「だろ? おむつの取り換えも寝かしつけも、俺がやるからよ」
「上の子達の面倒も?」
「勿論だ」

 一番上は男、次は女、今一番下が男。そこに今回双子で、一気に子供が五人になる。騒がしくも幸せな家族となる。
 仕事が忙しくても、ダンクラートは夕食の時間には家に帰ってきて子供達と遊び、風呂に入れ、寝かしつけをする。イシュクイナを気遣ってのものだ。

「できた旦那ね、貴方は」
「奥様大事にしろって、親父に散々言われてるしな」
「いい教育ね」

 クスクス笑うイシュクイナが不意に、大きなお腹を撫でる。そしてとても優しく微笑んだ。

「蹴りが強いわ」
「男の子か?」
「どうかしら? ライラの時も蹴りが強いから男の子だって言ってたけど、出て来たら女の子だったわよ」

 前に回って、そっとお腹に触れる。伝わるのは、大きく腹を蹴る振動。早く出せと言わんばかりだ。

「やんちゃそうだな」
「うちの子みんなそうじゃない。誰に似たんだか」
「どっちもだろ?」
「……言い返せないわね」
「まぁ、どっちに似ても元気だよ」
「それはそうね」

 くつくつと笑うイシュクイナと一緒にダンクラートも笑う。それにつられるようにまた大きく腹を蹴る振動。流石に少し痛そうだ。

「まったく、せっかちね。私もアンタもそうだから仕方ないけれど」
「生まれそうなのか?」
「まさか、まだよ。もう少しゆっくりして、その分大きく育ってもらわないと。立派に産んであげるから、立派に育ちなさいね」

 微笑むイシュクイナにダンクラートも頷く。そして大きな手を差し伸べた。

「さっ、夜更かしすんな。寝るぞ」
「えぇ」

 今も夫婦の寝室は一緒。重そうなイシュクイナの手を引いて、ダンクラートはゆっくりとエスコートするのだった。
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