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最終章:最強騎士に愛されて
7話:ウェディングベルが鳴る(結婚式)
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翌日、いつもと同じ時間に目が覚めた。それはファウストも同じだったようで、訓練もないのに六時起きだ。
「おはよう」
「おはよう」
お互いに言って、思わず笑う。背の中程まで伸びた髪をファウストは絡め、柔らかく笑った。
「伸びたな」
「おかげさまで」
「短いのも似合っていたが、長い方が見慣れているな」
「邪魔になったらまた切ろうかな」
「構わないぞ。もっと短くなってもお前は魅力的だ」
「……今からたぶらかしてどうするの? 今日結婚式で、あと一時間もしたら城に行って着付けされるんだよ?」
朝から甘い声と表情でこんな事を言われると顔が熱い。困って言えば、ファウストは途端に俗っぽい笑みを浮かべた。
「夜まで待て」
「じゃあ、あまり俺を誘惑しないでくれ」
「俺は毎朝お前の寝姿に煽られているが?」
「残念、お互い様」
同室となって一番困ったのがこれだ。互いが互いの寝姿や寝顔、体温なんかに朝から煽られるというか、恥ずかしいというか。
不意に両手を広げたファウストの意図を正しく理解する。彼の逞しい胸に素直に飛び込み、触れるだけのキスを交わした。
「とりあえず支度するか」
「ん」
「また後でだな」
「よろしく」
「あぁ、俺こそ」
笑い合って、じゃれ合って。なんて甘くて、なんて幸せな朝なのだろうか。
◆◇◆
軽く食べて体を拭き、ランバートは城へと向かった。隣には同じくファウストがいる。
近衛府に通されたのは大聖堂に近い一室で、まだ朝も早いというのに既に母がスタンバっていた。
「おはよう、ランバート」
「おはよう、母上」
「本日はよろしくお願いします、シルヴィア様」
「こちらこそよ。ファウストは隣の部屋でね。旦那様が待ってるわ」
「……」
つまり、ファウストの着付けをするのはジョシュアということだ。この瞬間、声にならない呻きを飲み込んだのをランバートは感じた。
「さぁ、行って」
「失礼します」
戦うだけ無駄な攻防だ。諦めたファウストは大人しく部屋を出て行く。
気の毒な旦那様を見送ったランバートの前で、シルヴィアはルンルンで箱の中から仕上がった婚礼衣装を取り出した。
「うっ」
改めて見ても見事だ。
白のタキシード、三つ揃い。形もオーソドックスなのだが、ジャケットなどのウェストのライン、ズボンの腰回りと裾の所はシャープに見えるように計算された作りになっている。
何よりも生地が凄い。白のタキシードではあるのだが、光りの当たり加減では薄紫色の光沢を放つ。
衿の返しは深くも品のいい紫なのだが、それよりも少し薄い絹織りでリーフ模様が浮き出して見える。サバルドの一級品の絹織物だ。しかも衿だけなんてケチな事は言わない。ジャケットの裏地、ベストの地もこれなんだ。
更に袖口とカフス周辺、ジャケットの裾にはぐるりと繊細かつ大胆にリーフの銀糸刺繍が施されている。なにがって、これはズボンも同じ。両方の裾、そして右足側面にも同じ意匠のリーフ刺繍が一直線に膝辺りまで施されている。
……どんだけだよ。
「母上、やっぱり騎士団の礼服……」
「あら、親不孝をするのかしら?」
「だって、披露宴まであるんだよ! こんなバカ高い衣装で飲食なんて、気が気じゃないよ!」
「別に汚してもいいわよ? これはアンタの為のフルオーダー、他に着れる奴なんていないし」
「正直……怖くて動けない」
「もう、小心ね。ヒッテルスバッハの男児たる者、このくらいでビビるんじゃないわよ」
豪快に笑うシルヴィアはふと、柔らかな顔をする。そして、ランバートの胸にトンと手を置いた。
「夢なのよ」
「夢?」
「そう。息子に私の作った服で結婚式をさせたいって。アレクシスも着てくれたけど、やっぱり華やかさで言えばランバートが一番だもの。それに、アンタはこれで一応は家を離れる。これは母として、最後の我が儘であり餞なの」
しんみりと静かに、そんな事を言われると着ないわけにもいかない。これも一つの親孝行かと思えば、覚悟は決まった。何より親不孝をした覚えは沢山あるが、この人達に親孝行をした覚えはあまりないのだ。
「分かった。母上、有り難う」
「ふふっ、気張りなさい」
大人しくパーテーションの奥で着替えるが、やはり作りが違う。体にとてもフィットするのに、窮屈だとは感じない。袖丈も全部が想像の通りだ。シャツはスッキリと白く、蝶ネクタイはジャケットと同じ生地が使われているが特別に目立たない白糸で刺繍が施されている。
それらを纏い、用意された白の靴に着替えて出て行くと、シルヴィアは満面の笑みでグッと親指を立てた。
その時、不意にノックがされてドアが開く。開けたのはルイーズで、近衛府の正装をしていた。
「ルイーズ様!」
「やぁ、ランバート。素敵な服だ、さすがはシルヴィア様。センスがいい」
「あら、有り難う」
にっこりと笑うシルヴィアは下がり、ルイーズが近づいてドレッサーの前の椅子を引いた。
「え?」
「何をしている、ヘアメイクをするぞ」
「えっ、ルイーズ様がですか?」
思わず問うと、彼はしっかりと頷く。
「早くこい、時間が惜しい」
「あっ、はい」
おずおずと近づいて、椅子に座る。とても丁寧で、そして無駄のない所作で椅子が戻され、ルイーズは後ろに立つ。汚れないようにケープを掛け、少量の水を馴染ませるが途端に良い花の匂いがした。
「いい匂い」
「水に香りを移してある。香油を使うと匂いがきつくなるし、お前は普段の手入れもいいから艶は十分。むしろべたっとした印象になるから控えた」
丁寧に髪を解すように櫛を入れていく手つきは流石のものだ。その器用さに見惚れてしまう。
綺麗に輝きを増した髪を分け、両サイドを丁寧に編み込みにしていく。顔も耳も露わになると視界も広がるようだ。
「私は、お前とクリフに一生の恩がある」
髪を結いながら静かな声で話しかけるルイーズはこちらを見る。それにランバートは驚いてしまった。
「お前とクリフがいなければ、私はとっくに死んでいた。コナンも死んでいたかもしれない。私が今幸せに、最愛の妻をこの手に抱けるのはお前達あっての事だ」
「ルイーズ様、それはもういいんです。俺は騎士団の仲間として当然のことをしただけです。コナンに関しても友人として当然の事でした。そんなに恩に着なくていいのです」
「お前ならそう言うだろうと思った。だからこの機会を頂いた。どうしても、話したかったからな」
結い上げた両サイドの髪を後ろへと持っていき、後ろに流してある髪と一緒に一本に束ねていく。そしてそこに、銀のバレッタを入れた。
「え?」
「ベールとの相性もいいだろう。お前に恩のある友人知人、それに先輩も、皆で少しずつ寄付があってこれになった」
「そんな! こんなお祝い……」
「では、誕生日祝いだと思えばいい」
「……え?」
「なんだ、気づいていないのか? 今日は六月十二日、お前の誕生日じゃないか」
「!」
目を丸くするランバートを、シルヴィアも笑って見ている。忙しいし、それどころじゃなくて失念していた。
この日を結婚式にとセッティングしたのはファウストだった。ということは最初から狙っていたのか?
「お前があまりに自分に頓着しないものだから、ファウスト様が祝いの日を重ねたんだぞ」
「愛されてるわね、ランバート」
「……うわぁぁ」
途端に、耳まで赤くなっていく気がする。全然気づかなかった。
「さて、髪はこれでいいな。次は化粧だが、元がいいから正直弄りがいがない。女装ほど変えれば映えるんだがな」
「あの、俺このままでも」
「ダメだ。薄付きでも粉をはたいて紅を差す。任せろ」
そう言って下地を薄く塗り、薄く肌の色に馴染むファンデーションを指ではたくようにして塗り込んでいく。違和感はまったくないが、少し肌色が明るくなった気がした。そこに薄く白粉をはたき、眉を整えと、ルイーズはテキパキと化粧を施していく。ランバートの元の顔や印象が変わる事はないのに、ほんの少しだけ色が添えられてより血色や目鼻立ちがはっきりとした気がする。
「あら、貴方いい腕してるわね」
「シルヴィア様からお褒め頂けるとは、光栄の極みです」
「お世辞じゃないわよ。素材を殺さない、確かなセンスがあるわ」
化粧の様子を見ていたシルヴィアが近づいてきて見ている。ということは、余程ルイーズのテクはいいのだろう。
「髪も細かいし丁寧ね。衣装との相性も考えられているし。ねぇ、ここを辞めたらいいところ紹介しましょうか?」
「お気遣いとお褒めの言葉は大変に嬉しく思います。ですが私はここに骨を埋めるつもりでおりますので、そのお誘いは辞退いたします」
「そう? 残念だわ」
そうこうしている間にルイーズはランバートの唇にリップを乗せる。筆に取ったのは薄い桜色の口紅。それを自身の手に馴染ませ、乗せていく。唇だけが浮いて見える感じもなく、薄らと色付いた唇は普段よりもぷるんと艶やかに見え、もう少し言えば控え目に誘っているようだ。
「いいだろう」
細かな所を直しつつ、ケープが外される。衣装とあわせ、全てが素晴らしい仕上がりで自分ではないようだ。
「どんな男も今のお前なら虜にできるな」
「自分ではないようです」
「それほど変わっていない。それに全てはお前の大切な相手を誘惑するものだろ?」
ファウストがこれを見たら、どんな顔をするのだろう。それが今から楽しみでもある。
「さぁ、最後はこれで完成よ」
丁寧に専用の箱に収められたベールは、以前トレヴァーとキアランが貸してくれたものだ。とても薄くて軽い半円を描く総レースのベールは、全てに繊細な草花が編み込まれ、小さく透明なビーズが縫い付けられて揺れる度にキラキラと輝く。まるで妖精の粉のようだ。
それをシンプルな金の輪で止めると、本当に婚礼衣装になる。
「似合っている」
「本当ね」
ルイーズとシルヴィアが満足な顔で笑っている間に、ドアが開いて疲れた顔のジョシュアが入ってきた。一緒にアレクシスとハムレット、そしてチェルルも来た。
「はぁ、あいつの身長では着せるのも大変だ」
「お疲れ、父上」
「お前はまた飾られたな」
笑った父が近づいてきて、見た事のないくらい優しく微笑みかける。
隣にはアレクシスがいて、手に白い手袋を持っている。それを、ランバートに手渡した。
花嫁が付けるグローブは無垢の象徴。一応ランバートが花嫁ということになるのだから、付けていても問題はないが。
それにしてもいいものだ。手首までのショート丈で、白い絹織物。これもきっとリッツの所のものだ。リーフモチーフの繊細な織物だ。
「私からの祝いだ」
「俺、男だけど?」
「男でも手袋はする。おそらくあちらは兄弟か父親から渡されているだろう」
手の中のそれを、ランバートは笑って身につけた。指の形や長さを測ったのかというフィット感がとても心地いい。……あっ、計られていたか。
「僕からはこれね」
チェルルと一緒に近づいてくるハムレットが、ランバートのポケットにハンカチーフを差し込む。白いそれにはヒッテルスバッハの紋章が控え目に入っていた。
「嫁いでも、僕はランバートのお兄ちゃんだから。それだけは忘れないでね」
「ハムレット兄上、有り難う」
ちょっと、うるうるしている。泣きそうなハムレットの横合いから、チェルルがハンカチを差し出して笑った。
「これ、俺が刺繍したんだ。先生も一緒にね」
「そうなのか!」
「うん。先生やっぱり上手でさ。流石だよね」
「猫くんも上手だったよ。器用だもん」
「本当? じゃあ、今度は先生のハンカチに刺繍してあげるね」
泣きそうな顔が引っ込んだ。それを見て、ランバートも笑う。ここも、本当に上手くやっているみたいだった。
◆◇◆
式が始まるということで、ジョシュア以外の家族は大聖堂へと移動した。開会の言葉を今日の進行を務めるランスロットが宣言し、先にファウストが会場に入る。ランバートはその後だ。
父と二人、少しの間会話がない。それが少し気まずくも感じて何か言おうかと思った時、フッとジョシュアが息を吐いた。
「多少、緊張するものだな」
「え?」
緊張? この人が? カールを前に悠然と政策批判もするような肝っ玉の人が、緊張なんてするのか?
見ていると、酷く弱い笑みが返ってきた。
「おかしいだろ?」
「まぁ……」
「お前だからだろうな。まったく、ヒヤヒヤさせる息子だったよ」
「ごめん」
「だが、私達に一番幸せを分けてくれる子だった」
驚いてジョシュアを見たランバートに、彼は小さく笑って手招きをする。頷いて、隣に。思えばこんな穏やかに、父と二人で話すのはいつぶりなのだろう。
「お前には一番苦労をかけたと思っている。アレクシスやハムレットにくらべ、訴えが少ないからと半ば放置してしまっていた。すまなかったな」
「そんな。俺はこれでも父上からも母上からも愛情を貰っていたと思うけれど」
「お前の訴えに気づいたからだ。何も言わないのに笑って、心配をかけまいとするお前の意地を他の者から聞いて、申し訳なくなったんだ」
ちょっとだけ、ドキリとする。その後は少しだけ、寂しい思いも出て来た。
幼い当時は誰かが喜んでくれる事が嬉しかった。家族だけじゃなく、屋敷にいる全部の人達が対象だった。楽しかったし、嫌いな事なんてなかった。
でも、きっと気を引きたかったんだろう。いい子であろうとするのは、嫌われたくないからだ。
「あまりいい親ではなかったが、お前のような息子を持てて私は幸せだ」
普段は絶対にこんな事は言わない。それでもこのタイミングで言ってくれた事には意味がある。
ほんの少し、うるっとする。ジョシュアはハンカチを出して、それを目元に軽く押し当てた。
「せっかくの美人が台無しになるぞ」
「ごめん。俺こそ、心配ばかりかけて。あまり親孝行な事してやれなかったけれど」
「そんな事はないさ。子は生まれてすぐに一生分の親孝行をするんだぞ。無事に、元気に生まれてきた。皆を笑顔にできる素晴らしい才能と優しさを持って育ってくれた。そして、弱い者を守る勇敢な子に育った。何より今日、晴れの姿を私に見せてくれている。十分だろ?」
「父上……」
こんなにも愛されていた事に胸が震える。差し出されたハンカチで涙を拭いて、ランバートも大きく頷いた。
その時ドアがノックされ、ルイーズが二人を呼びにきた。
大きな両開きの扉は今、閉じた状態になっている。赤い絨毯の上、父の手を取った状態でランバートは時を待っている。
心臓が飛び出てしまいそうだ。妙な所はないだろうか? 式の流れは一通り覚えたが、緊張で飛んでしまいそうだ。
「開けます」
言われ、ドアを握る近衛府の人達がゆっくりと開けていく。
広がる光景は、とても温かくて優しく、厳かで清廉だ。
赤い絨毯を進む先にある祭壇、その前には白の衣装に濃紺のストールをつけたランスロットがいる。神の像と祭壇を彩るのは美しいステンドグラスを通して注がれる明るい陽の光だ。
友人達が、上官達が、そして家族が起立してランバートが進むのを待っている。特別に用意されている席からはカールとデイジー、そしてヴィンセントが笑顔で見守ってくれている。
何よりも、大切な伴侶がこちらを見て、甘く優しく微笑んでいる。
黒のタキシードは上品な光沢のある黒。襟元やベスト、裏地はランバートと同じく絹織物で僅かな光りの加減で凹凸が見えるようだ。あちらもリーフ模様だろう。
だがランバートよりは抑えめで、やはり腰回りや足元がすっきりと綺麗なシルエットを描いている。
手には白い手袋を持ち、長い黒髪は両サイドを編まれて顔が見える。この人は飾り立てなくたって雄々しくて格好いい。
父ジョシュアに促されながら前へと進む。徐々に距離が縮まっていく。祭壇は二段程高い場所にあり、ファウストは一番下でランバートを待っていた。
進み出て、ジョシュアの手から確かにファウストの手へとランバートは渡された。しっかりとジョシュアとファウストは見つめ合い、互いに頷く。そしてジョシュアは深くファウストへと頭を下げた。
驚きだった。でも、それを受けるファウストもしっかりと頷き、腕を差し出す。ランバートはそれに手を触れて、二人揃って一歩ずつ祭壇の前へと進んだ。
ランスロットはそんな二人を交互に見て、口の端を上げる。皮肉っぽい表情ではあるが、そもそもこの人が笑う事が珍しい。
軽くランスロットが手を上げると、大聖堂のパイプオルガンが賛美歌を奏でる。誰もが知っているその歌を、皆が声を揃えて歌い祈りを捧げていく。
音が止み、僅かな静寂。それを破るのはランスロットの美しくも朗々と響く言葉だった。
「人は誰しもが、誰かを愛し慈しむ心を持っています。
だがそれは互いに愛情を重ね、思い合って日々を重ねて行かなければ萎み、気づかぬうちに枯れてしまう儚いものなのです。
神は幾度となく、愛し合う者達に試練を与えるでしょう。時に心を苛み、涙に暮れる夜もあった事でしょう。だが、それを乗り越えた者達にだけ、本物の愛は宿るのです。
今日この日、ここに立つ二人には常人には想像もできない困難がありました。時にすれ違い、時に命の危機を迎え、逆境の中を負けぬよう手を握りあい進んできました。
もう、この二人に神は試練などお与えにはなりません。これほどに強固な絆で結ばれた彼らを、切り離せるものはないのです。
彼らの幸せを、この国の平和を、皆の心の平和を祈ります。この温かな光りがいつまでも、皆を祝福してくれますように。今日この日を迎えられましたことを、神に感謝いたしましょう」
祈りの言葉を読み上げ、ランスロットが手を組む。それに倣い、ランバートもファウストも、そして列席する皆も祈りを捧げた。
スッと息を吸うランスロットの空気が僅かに変わる。祭壇に置かれた聖書を手にし、開いた彼がまずはファウストへと視線を向ける。
「汝ファウスト・シュトライザーは、ランバート・ヒッテルスバッハを生涯の伴侶とし、病める時も、健やかなる時も、貧しい時も、富める時も、最愛の者として敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「誓います」
はっきりとした声は淀みなく、その瞳も真っ直ぐに誓いの言葉を口にする。
それが、じわりとランバートの胸にも響いた。
ランスロットは頷き、次にランバートへと視線を向ける。
「汝ランバート・ヒッテルスバッハは、ファウスト・シュトライザーを生涯の伴侶とし、病める時も、健やかなる時も、貧しき時も、富める時も、最愛の者として敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「誓います」
もう何度も、心の中では誓ってきた。決して離れない。この心がこの人から遠ざかる事はない。辛い事も、苦しい事も経験してきたからこそ言える。それでもこの胸に、この人へと寄せる想いは消えはしないのだと。
頷くランスロットが聖書を閉じた。それを合図に、正装をしたオスカルが手にリングピローを持って近づいてくる。普段は明るい表情で口数の多い人が、今はとても静かで厳かで、それでいて遠慮をするように気配を殺している。
リングピローの上には、二人分の結婚指輪が乗っている。
着けた時の見た目はただのシルバーのつるんとした指輪だが、その側面には月桂樹が緻密に彫り込まれている。その細かさにはランバートもファウストも息を飲んだくらいだ。
そして指輪の内側に、それぞれが相手を想って選んだ宝石がはめ込まれている。ランバートの物にはファウストが選んだイエローダイヤが、ファウストの物にはランバートが選んだブラックダイヤがはまっている。
向かい合い、差し伸べられる手に左手を乗せる。ファウストは丁寧にグローブを脱がせ、丁寧に指輪を嵌めていく。少し冷やりとした感じは直ぐにランバートの熱になれていく。内側に掘られた『F→L』が、この特別な贈り物をより感じさせてくれる。
今度はランバートが手を差し伸べ、ファウストがそれに従い左手を乗せる。少し緊張しながらも指輪を手にし、大きく節のある指に嵌めていく。心臓がドキドキと音をたてていた。
無事に互いの指に指輪がはまり、一区切りがついて少しホッとした。それはおそらくファウストも同じで、真顔に笑みが差し込んだ。優しく見守り、甘やかす男の顔をしている。そんな風に見られたら、こちらはまた心臓が煩くなるというのに。
そっと、ベールが持ち上げられる。元々目元を隠す程度の長さだから持ち上げなくてもいいのだが。
緊張に体が強ばった。僅かに上向くランバートに、甘く微笑む人が近づく。腰を抱き、近づく顔。包み込むような包容力と男の顔を存分に見せながら触れた唇は本当に触れるだけ。でも何よりも幸せを感じ、この時を永遠にと願ってしまうものだった。
「愛している、ランバート」
「俺も、愛しているよ」
抱き合って、距離が近い。互いの耳元で囁き合う言葉に痺れるのは、この心から溢れそうな色んな感情のせいだろう。
見届けたランスロットがフッと笑う。そして凜とした声で宣言した。
「今この時をもって、二人を夫婦として認めます」
途端、割れんばかりの拍手が式場を埋めて行く。最前列にいる両家の家族も、列席してくれた団長や師団長達も、そしてここまで共に歩んでくれた同期の仲間や友人達も。
僅かに目頭が熱いのは、今日という特別な日だからだ。こんなにも染みるのは、これまでの長さと苦難があったからだ。
ファウストがそっとランバートにハンカチを差し出して、それを受け取って目尻を押さえる。今日は本当に涙の多い日だ。
「これにて、ファウスト・シュトライザーとランバート・ヒッテルスバッハの結婚式を閉会とします。ご列席の皆様、どうか二人を温かく送り出してください」
こちらを見るファウストが腕をランバートへと組む。そこに、ランバートも絡めるように手を添える。そうして二人が進む先を沢山の花びらが舞った。
皆の手には籠があり、そこには白やピンク、黄色い花が入れられている。祝福のフラワーシャワーは二人の先に、後に、そして頭上にも舞い散り彩っていく。
幸せを噛みしめるように笑って、隣のファウストを見て、皆の顔を見て。笑顔溢れるこの瞬間を色々と感謝して。
扉が開く、その先は光りが差し込んでいる。新たに始まる二人の門出を眩しい光りで満たしてくれるかのように。
「おはよう」
「おはよう」
お互いに言って、思わず笑う。背の中程まで伸びた髪をファウストは絡め、柔らかく笑った。
「伸びたな」
「おかげさまで」
「短いのも似合っていたが、長い方が見慣れているな」
「邪魔になったらまた切ろうかな」
「構わないぞ。もっと短くなってもお前は魅力的だ」
「……今からたぶらかしてどうするの? 今日結婚式で、あと一時間もしたら城に行って着付けされるんだよ?」
朝から甘い声と表情でこんな事を言われると顔が熱い。困って言えば、ファウストは途端に俗っぽい笑みを浮かべた。
「夜まで待て」
「じゃあ、あまり俺を誘惑しないでくれ」
「俺は毎朝お前の寝姿に煽られているが?」
「残念、お互い様」
同室となって一番困ったのがこれだ。互いが互いの寝姿や寝顔、体温なんかに朝から煽られるというか、恥ずかしいというか。
不意に両手を広げたファウストの意図を正しく理解する。彼の逞しい胸に素直に飛び込み、触れるだけのキスを交わした。
「とりあえず支度するか」
「ん」
「また後でだな」
「よろしく」
「あぁ、俺こそ」
笑い合って、じゃれ合って。なんて甘くて、なんて幸せな朝なのだろうか。
◆◇◆
軽く食べて体を拭き、ランバートは城へと向かった。隣には同じくファウストがいる。
近衛府に通されたのは大聖堂に近い一室で、まだ朝も早いというのに既に母がスタンバっていた。
「おはよう、ランバート」
「おはよう、母上」
「本日はよろしくお願いします、シルヴィア様」
「こちらこそよ。ファウストは隣の部屋でね。旦那様が待ってるわ」
「……」
つまり、ファウストの着付けをするのはジョシュアということだ。この瞬間、声にならない呻きを飲み込んだのをランバートは感じた。
「さぁ、行って」
「失礼します」
戦うだけ無駄な攻防だ。諦めたファウストは大人しく部屋を出て行く。
気の毒な旦那様を見送ったランバートの前で、シルヴィアはルンルンで箱の中から仕上がった婚礼衣装を取り出した。
「うっ」
改めて見ても見事だ。
白のタキシード、三つ揃い。形もオーソドックスなのだが、ジャケットなどのウェストのライン、ズボンの腰回りと裾の所はシャープに見えるように計算された作りになっている。
何よりも生地が凄い。白のタキシードではあるのだが、光りの当たり加減では薄紫色の光沢を放つ。
衿の返しは深くも品のいい紫なのだが、それよりも少し薄い絹織りでリーフ模様が浮き出して見える。サバルドの一級品の絹織物だ。しかも衿だけなんてケチな事は言わない。ジャケットの裏地、ベストの地もこれなんだ。
更に袖口とカフス周辺、ジャケットの裾にはぐるりと繊細かつ大胆にリーフの銀糸刺繍が施されている。なにがって、これはズボンも同じ。両方の裾、そして右足側面にも同じ意匠のリーフ刺繍が一直線に膝辺りまで施されている。
……どんだけだよ。
「母上、やっぱり騎士団の礼服……」
「あら、親不孝をするのかしら?」
「だって、披露宴まであるんだよ! こんなバカ高い衣装で飲食なんて、気が気じゃないよ!」
「別に汚してもいいわよ? これはアンタの為のフルオーダー、他に着れる奴なんていないし」
「正直……怖くて動けない」
「もう、小心ね。ヒッテルスバッハの男児たる者、このくらいでビビるんじゃないわよ」
豪快に笑うシルヴィアはふと、柔らかな顔をする。そして、ランバートの胸にトンと手を置いた。
「夢なのよ」
「夢?」
「そう。息子に私の作った服で結婚式をさせたいって。アレクシスも着てくれたけど、やっぱり華やかさで言えばランバートが一番だもの。それに、アンタはこれで一応は家を離れる。これは母として、最後の我が儘であり餞なの」
しんみりと静かに、そんな事を言われると着ないわけにもいかない。これも一つの親孝行かと思えば、覚悟は決まった。何より親不孝をした覚えは沢山あるが、この人達に親孝行をした覚えはあまりないのだ。
「分かった。母上、有り難う」
「ふふっ、気張りなさい」
大人しくパーテーションの奥で着替えるが、やはり作りが違う。体にとてもフィットするのに、窮屈だとは感じない。袖丈も全部が想像の通りだ。シャツはスッキリと白く、蝶ネクタイはジャケットと同じ生地が使われているが特別に目立たない白糸で刺繍が施されている。
それらを纏い、用意された白の靴に着替えて出て行くと、シルヴィアは満面の笑みでグッと親指を立てた。
その時、不意にノックがされてドアが開く。開けたのはルイーズで、近衛府の正装をしていた。
「ルイーズ様!」
「やぁ、ランバート。素敵な服だ、さすがはシルヴィア様。センスがいい」
「あら、有り難う」
にっこりと笑うシルヴィアは下がり、ルイーズが近づいてドレッサーの前の椅子を引いた。
「え?」
「何をしている、ヘアメイクをするぞ」
「えっ、ルイーズ様がですか?」
思わず問うと、彼はしっかりと頷く。
「早くこい、時間が惜しい」
「あっ、はい」
おずおずと近づいて、椅子に座る。とても丁寧で、そして無駄のない所作で椅子が戻され、ルイーズは後ろに立つ。汚れないようにケープを掛け、少量の水を馴染ませるが途端に良い花の匂いがした。
「いい匂い」
「水に香りを移してある。香油を使うと匂いがきつくなるし、お前は普段の手入れもいいから艶は十分。むしろべたっとした印象になるから控えた」
丁寧に髪を解すように櫛を入れていく手つきは流石のものだ。その器用さに見惚れてしまう。
綺麗に輝きを増した髪を分け、両サイドを丁寧に編み込みにしていく。顔も耳も露わになると視界も広がるようだ。
「私は、お前とクリフに一生の恩がある」
髪を結いながら静かな声で話しかけるルイーズはこちらを見る。それにランバートは驚いてしまった。
「お前とクリフがいなければ、私はとっくに死んでいた。コナンも死んでいたかもしれない。私が今幸せに、最愛の妻をこの手に抱けるのはお前達あっての事だ」
「ルイーズ様、それはもういいんです。俺は騎士団の仲間として当然のことをしただけです。コナンに関しても友人として当然の事でした。そんなに恩に着なくていいのです」
「お前ならそう言うだろうと思った。だからこの機会を頂いた。どうしても、話したかったからな」
結い上げた両サイドの髪を後ろへと持っていき、後ろに流してある髪と一緒に一本に束ねていく。そしてそこに、銀のバレッタを入れた。
「え?」
「ベールとの相性もいいだろう。お前に恩のある友人知人、それに先輩も、皆で少しずつ寄付があってこれになった」
「そんな! こんなお祝い……」
「では、誕生日祝いだと思えばいい」
「……え?」
「なんだ、気づいていないのか? 今日は六月十二日、お前の誕生日じゃないか」
「!」
目を丸くするランバートを、シルヴィアも笑って見ている。忙しいし、それどころじゃなくて失念していた。
この日を結婚式にとセッティングしたのはファウストだった。ということは最初から狙っていたのか?
「お前があまりに自分に頓着しないものだから、ファウスト様が祝いの日を重ねたんだぞ」
「愛されてるわね、ランバート」
「……うわぁぁ」
途端に、耳まで赤くなっていく気がする。全然気づかなかった。
「さて、髪はこれでいいな。次は化粧だが、元がいいから正直弄りがいがない。女装ほど変えれば映えるんだがな」
「あの、俺このままでも」
「ダメだ。薄付きでも粉をはたいて紅を差す。任せろ」
そう言って下地を薄く塗り、薄く肌の色に馴染むファンデーションを指ではたくようにして塗り込んでいく。違和感はまったくないが、少し肌色が明るくなった気がした。そこに薄く白粉をはたき、眉を整えと、ルイーズはテキパキと化粧を施していく。ランバートの元の顔や印象が変わる事はないのに、ほんの少しだけ色が添えられてより血色や目鼻立ちがはっきりとした気がする。
「あら、貴方いい腕してるわね」
「シルヴィア様からお褒め頂けるとは、光栄の極みです」
「お世辞じゃないわよ。素材を殺さない、確かなセンスがあるわ」
化粧の様子を見ていたシルヴィアが近づいてきて見ている。ということは、余程ルイーズのテクはいいのだろう。
「髪も細かいし丁寧ね。衣装との相性も考えられているし。ねぇ、ここを辞めたらいいところ紹介しましょうか?」
「お気遣いとお褒めの言葉は大変に嬉しく思います。ですが私はここに骨を埋めるつもりでおりますので、そのお誘いは辞退いたします」
「そう? 残念だわ」
そうこうしている間にルイーズはランバートの唇にリップを乗せる。筆に取ったのは薄い桜色の口紅。それを自身の手に馴染ませ、乗せていく。唇だけが浮いて見える感じもなく、薄らと色付いた唇は普段よりもぷるんと艶やかに見え、もう少し言えば控え目に誘っているようだ。
「いいだろう」
細かな所を直しつつ、ケープが外される。衣装とあわせ、全てが素晴らしい仕上がりで自分ではないようだ。
「どんな男も今のお前なら虜にできるな」
「自分ではないようです」
「それほど変わっていない。それに全てはお前の大切な相手を誘惑するものだろ?」
ファウストがこれを見たら、どんな顔をするのだろう。それが今から楽しみでもある。
「さぁ、最後はこれで完成よ」
丁寧に専用の箱に収められたベールは、以前トレヴァーとキアランが貸してくれたものだ。とても薄くて軽い半円を描く総レースのベールは、全てに繊細な草花が編み込まれ、小さく透明なビーズが縫い付けられて揺れる度にキラキラと輝く。まるで妖精の粉のようだ。
それをシンプルな金の輪で止めると、本当に婚礼衣装になる。
「似合っている」
「本当ね」
ルイーズとシルヴィアが満足な顔で笑っている間に、ドアが開いて疲れた顔のジョシュアが入ってきた。一緒にアレクシスとハムレット、そしてチェルルも来た。
「はぁ、あいつの身長では着せるのも大変だ」
「お疲れ、父上」
「お前はまた飾られたな」
笑った父が近づいてきて、見た事のないくらい優しく微笑みかける。
隣にはアレクシスがいて、手に白い手袋を持っている。それを、ランバートに手渡した。
花嫁が付けるグローブは無垢の象徴。一応ランバートが花嫁ということになるのだから、付けていても問題はないが。
それにしてもいいものだ。手首までのショート丈で、白い絹織物。これもきっとリッツの所のものだ。リーフモチーフの繊細な織物だ。
「私からの祝いだ」
「俺、男だけど?」
「男でも手袋はする。おそらくあちらは兄弟か父親から渡されているだろう」
手の中のそれを、ランバートは笑って身につけた。指の形や長さを測ったのかというフィット感がとても心地いい。……あっ、計られていたか。
「僕からはこれね」
チェルルと一緒に近づいてくるハムレットが、ランバートのポケットにハンカチーフを差し込む。白いそれにはヒッテルスバッハの紋章が控え目に入っていた。
「嫁いでも、僕はランバートのお兄ちゃんだから。それだけは忘れないでね」
「ハムレット兄上、有り難う」
ちょっと、うるうるしている。泣きそうなハムレットの横合いから、チェルルがハンカチを差し出して笑った。
「これ、俺が刺繍したんだ。先生も一緒にね」
「そうなのか!」
「うん。先生やっぱり上手でさ。流石だよね」
「猫くんも上手だったよ。器用だもん」
「本当? じゃあ、今度は先生のハンカチに刺繍してあげるね」
泣きそうな顔が引っ込んだ。それを見て、ランバートも笑う。ここも、本当に上手くやっているみたいだった。
◆◇◆
式が始まるということで、ジョシュア以外の家族は大聖堂へと移動した。開会の言葉を今日の進行を務めるランスロットが宣言し、先にファウストが会場に入る。ランバートはその後だ。
父と二人、少しの間会話がない。それが少し気まずくも感じて何か言おうかと思った時、フッとジョシュアが息を吐いた。
「多少、緊張するものだな」
「え?」
緊張? この人が? カールを前に悠然と政策批判もするような肝っ玉の人が、緊張なんてするのか?
見ていると、酷く弱い笑みが返ってきた。
「おかしいだろ?」
「まぁ……」
「お前だからだろうな。まったく、ヒヤヒヤさせる息子だったよ」
「ごめん」
「だが、私達に一番幸せを分けてくれる子だった」
驚いてジョシュアを見たランバートに、彼は小さく笑って手招きをする。頷いて、隣に。思えばこんな穏やかに、父と二人で話すのはいつぶりなのだろう。
「お前には一番苦労をかけたと思っている。アレクシスやハムレットにくらべ、訴えが少ないからと半ば放置してしまっていた。すまなかったな」
「そんな。俺はこれでも父上からも母上からも愛情を貰っていたと思うけれど」
「お前の訴えに気づいたからだ。何も言わないのに笑って、心配をかけまいとするお前の意地を他の者から聞いて、申し訳なくなったんだ」
ちょっとだけ、ドキリとする。その後は少しだけ、寂しい思いも出て来た。
幼い当時は誰かが喜んでくれる事が嬉しかった。家族だけじゃなく、屋敷にいる全部の人達が対象だった。楽しかったし、嫌いな事なんてなかった。
でも、きっと気を引きたかったんだろう。いい子であろうとするのは、嫌われたくないからだ。
「あまりいい親ではなかったが、お前のような息子を持てて私は幸せだ」
普段は絶対にこんな事は言わない。それでもこのタイミングで言ってくれた事には意味がある。
ほんの少し、うるっとする。ジョシュアはハンカチを出して、それを目元に軽く押し当てた。
「せっかくの美人が台無しになるぞ」
「ごめん。俺こそ、心配ばかりかけて。あまり親孝行な事してやれなかったけれど」
「そんな事はないさ。子は生まれてすぐに一生分の親孝行をするんだぞ。無事に、元気に生まれてきた。皆を笑顔にできる素晴らしい才能と優しさを持って育ってくれた。そして、弱い者を守る勇敢な子に育った。何より今日、晴れの姿を私に見せてくれている。十分だろ?」
「父上……」
こんなにも愛されていた事に胸が震える。差し出されたハンカチで涙を拭いて、ランバートも大きく頷いた。
その時ドアがノックされ、ルイーズが二人を呼びにきた。
大きな両開きの扉は今、閉じた状態になっている。赤い絨毯の上、父の手を取った状態でランバートは時を待っている。
心臓が飛び出てしまいそうだ。妙な所はないだろうか? 式の流れは一通り覚えたが、緊張で飛んでしまいそうだ。
「開けます」
言われ、ドアを握る近衛府の人達がゆっくりと開けていく。
広がる光景は、とても温かくて優しく、厳かで清廉だ。
赤い絨毯を進む先にある祭壇、その前には白の衣装に濃紺のストールをつけたランスロットがいる。神の像と祭壇を彩るのは美しいステンドグラスを通して注がれる明るい陽の光だ。
友人達が、上官達が、そして家族が起立してランバートが進むのを待っている。特別に用意されている席からはカールとデイジー、そしてヴィンセントが笑顔で見守ってくれている。
何よりも、大切な伴侶がこちらを見て、甘く優しく微笑んでいる。
黒のタキシードは上品な光沢のある黒。襟元やベスト、裏地はランバートと同じく絹織物で僅かな光りの加減で凹凸が見えるようだ。あちらもリーフ模様だろう。
だがランバートよりは抑えめで、やはり腰回りや足元がすっきりと綺麗なシルエットを描いている。
手には白い手袋を持ち、長い黒髪は両サイドを編まれて顔が見える。この人は飾り立てなくたって雄々しくて格好いい。
父ジョシュアに促されながら前へと進む。徐々に距離が縮まっていく。祭壇は二段程高い場所にあり、ファウストは一番下でランバートを待っていた。
進み出て、ジョシュアの手から確かにファウストの手へとランバートは渡された。しっかりとジョシュアとファウストは見つめ合い、互いに頷く。そしてジョシュアは深くファウストへと頭を下げた。
驚きだった。でも、それを受けるファウストもしっかりと頷き、腕を差し出す。ランバートはそれに手を触れて、二人揃って一歩ずつ祭壇の前へと進んだ。
ランスロットはそんな二人を交互に見て、口の端を上げる。皮肉っぽい表情ではあるが、そもそもこの人が笑う事が珍しい。
軽くランスロットが手を上げると、大聖堂のパイプオルガンが賛美歌を奏でる。誰もが知っているその歌を、皆が声を揃えて歌い祈りを捧げていく。
音が止み、僅かな静寂。それを破るのはランスロットの美しくも朗々と響く言葉だった。
「人は誰しもが、誰かを愛し慈しむ心を持っています。
だがそれは互いに愛情を重ね、思い合って日々を重ねて行かなければ萎み、気づかぬうちに枯れてしまう儚いものなのです。
神は幾度となく、愛し合う者達に試練を与えるでしょう。時に心を苛み、涙に暮れる夜もあった事でしょう。だが、それを乗り越えた者達にだけ、本物の愛は宿るのです。
今日この日、ここに立つ二人には常人には想像もできない困難がありました。時にすれ違い、時に命の危機を迎え、逆境の中を負けぬよう手を握りあい進んできました。
もう、この二人に神は試練などお与えにはなりません。これほどに強固な絆で結ばれた彼らを、切り離せるものはないのです。
彼らの幸せを、この国の平和を、皆の心の平和を祈ります。この温かな光りがいつまでも、皆を祝福してくれますように。今日この日を迎えられましたことを、神に感謝いたしましょう」
祈りの言葉を読み上げ、ランスロットが手を組む。それに倣い、ランバートもファウストも、そして列席する皆も祈りを捧げた。
スッと息を吸うランスロットの空気が僅かに変わる。祭壇に置かれた聖書を手にし、開いた彼がまずはファウストへと視線を向ける。
「汝ファウスト・シュトライザーは、ランバート・ヒッテルスバッハを生涯の伴侶とし、病める時も、健やかなる時も、貧しい時も、富める時も、最愛の者として敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「誓います」
はっきりとした声は淀みなく、その瞳も真っ直ぐに誓いの言葉を口にする。
それが、じわりとランバートの胸にも響いた。
ランスロットは頷き、次にランバートへと視線を向ける。
「汝ランバート・ヒッテルスバッハは、ファウスト・シュトライザーを生涯の伴侶とし、病める時も、健やかなる時も、貧しき時も、富める時も、最愛の者として敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「誓います」
もう何度も、心の中では誓ってきた。決して離れない。この心がこの人から遠ざかる事はない。辛い事も、苦しい事も経験してきたからこそ言える。それでもこの胸に、この人へと寄せる想いは消えはしないのだと。
頷くランスロットが聖書を閉じた。それを合図に、正装をしたオスカルが手にリングピローを持って近づいてくる。普段は明るい表情で口数の多い人が、今はとても静かで厳かで、それでいて遠慮をするように気配を殺している。
リングピローの上には、二人分の結婚指輪が乗っている。
着けた時の見た目はただのシルバーのつるんとした指輪だが、その側面には月桂樹が緻密に彫り込まれている。その細かさにはランバートもファウストも息を飲んだくらいだ。
そして指輪の内側に、それぞれが相手を想って選んだ宝石がはめ込まれている。ランバートの物にはファウストが選んだイエローダイヤが、ファウストの物にはランバートが選んだブラックダイヤがはまっている。
向かい合い、差し伸べられる手に左手を乗せる。ファウストは丁寧にグローブを脱がせ、丁寧に指輪を嵌めていく。少し冷やりとした感じは直ぐにランバートの熱になれていく。内側に掘られた『F→L』が、この特別な贈り物をより感じさせてくれる。
今度はランバートが手を差し伸べ、ファウストがそれに従い左手を乗せる。少し緊張しながらも指輪を手にし、大きく節のある指に嵌めていく。心臓がドキドキと音をたてていた。
無事に互いの指に指輪がはまり、一区切りがついて少しホッとした。それはおそらくファウストも同じで、真顔に笑みが差し込んだ。優しく見守り、甘やかす男の顔をしている。そんな風に見られたら、こちらはまた心臓が煩くなるというのに。
そっと、ベールが持ち上げられる。元々目元を隠す程度の長さだから持ち上げなくてもいいのだが。
緊張に体が強ばった。僅かに上向くランバートに、甘く微笑む人が近づく。腰を抱き、近づく顔。包み込むような包容力と男の顔を存分に見せながら触れた唇は本当に触れるだけ。でも何よりも幸せを感じ、この時を永遠にと願ってしまうものだった。
「愛している、ランバート」
「俺も、愛しているよ」
抱き合って、距離が近い。互いの耳元で囁き合う言葉に痺れるのは、この心から溢れそうな色んな感情のせいだろう。
見届けたランスロットがフッと笑う。そして凜とした声で宣言した。
「今この時をもって、二人を夫婦として認めます」
途端、割れんばかりの拍手が式場を埋めて行く。最前列にいる両家の家族も、列席してくれた団長や師団長達も、そしてここまで共に歩んでくれた同期の仲間や友人達も。
僅かに目頭が熱いのは、今日という特別な日だからだ。こんなにも染みるのは、これまでの長さと苦難があったからだ。
ファウストがそっとランバートにハンカチを差し出して、それを受け取って目尻を押さえる。今日は本当に涙の多い日だ。
「これにて、ファウスト・シュトライザーとランバート・ヒッテルスバッハの結婚式を閉会とします。ご列席の皆様、どうか二人を温かく送り出してください」
こちらを見るファウストが腕をランバートへと組む。そこに、ランバートも絡めるように手を添える。そうして二人が進む先を沢山の花びらが舞った。
皆の手には籠があり、そこには白やピンク、黄色い花が入れられている。祝福のフラワーシャワーは二人の先に、後に、そして頭上にも舞い散り彩っていく。
幸せを噛みしめるように笑って、隣のファウストを見て、皆の顔を見て。笑顔溢れるこの瞬間を色々と感謝して。
扉が開く、その先は光りが差し込んでいる。新たに始まる二人の門出を眩しい光りで満たしてくれるかのように。
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